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バザウ、君は賢すぎる  作者: 下山 辰季
第七部

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92/115

ゴブリンと優しき神に落ちた星

 貪欲の市場から出発し三日目。旅程は順調である。ゴブリンと神と巨豚は南方にあるイ=リド=アアルの神域へと向かうことになった。

 イは神々の記録者ともいわれており、バザウが知識を乞う相手としてこれ以上ないほど適任だ。

 エヴェトラは一応協力的ではあるのだが、いかんせん話をまとめるのが下手で聞いているだけでとても疲れる。話の途中で無関係なエピソードがはじまったり、お腹が空いてないかとか昼ご飯は何を食べようかという質問がたびたびはさまれる。


(……思えばエメリはあんなゴチャゴチャとした神託によく熱心に耳を傾けられたものだ)


 エヴェトラは荷台の上でアーモンドとカシューナッツをポリポリ食べていた。


「イさんの神域はアシ原が広がる大河の河口です。黒々とした泥がいっぱいでキレイなところですよ~。こちらとは違う食材や調味料もあって~きっと楽しいですよ!」


 ここから南には別の大陸がある。砂におおわれた乾いた大地が広がるその土地の名はナイアラス。


「バザウさんは世界の色々なことを調べるのが好きなんでしたよね」


 一欠片の打算も計画も裏表もない微笑み。この眼差しをむけられるのが心地良いと思ってしまう。


「……ええ、まあ」


 バザウはすいと視線をずらした。いずれ利用するつもりでいつか敵対するかもしれない相手に、情など持つものではない。


「ナイアラスには可愛いネコがいますよ~。バザウさんはネコって好きですか?」


「多分それなりに」


 動物に対してあまり好きだとか嫌いだとかを感じたことはない。

 肉としての好き嫌いはまた別として。


「あの素っ気ない態度が高貴でキュンとしちゃうんですよ~。私は犬にはものすごい勢いでまとわりつかれることが多いので、そういう風にぐいぐい近づいてこないネコには希少価値を感じているといいますか。あ、でも犬が嫌いというわけじゃないです」


 エヴェトラはニコニコしながらたわいのない話をしている。

 つかず離れずの位置に座り無難な相槌を返すバザウは、ぐいぐい寄ってくる犬というより素っ気ないネコに似ていた。

 話題が犬ネコから旬の野菜と果物へと移り変わり、それから畑作りの話がはじまった頃、少し抜けてる気の良い神はハッと何かに気づいて照れくさそうに頭をかいた。


「楽しくてついいっぱいしゃべっちゃいましたが、バザウさんは千匹獣座について聞きたいんでしたね」


「はい」


 コクリと頷首し、バザウはきちんと座り直して神の話にその大きく尖った耳を傾けた。


「え~と、どこから話したものでしょう……。かつて……かつて千匹獣座があった場所には、月と見間違うほど大きく明るい星が妖しく輝いていました。あ、でも本当は星じゃなくて……」


 エヴェトラは少し言葉を切った。

 この続きをゴブリンに話して良いものかと、その顔に一瞬迷いがよぎる。

 が数秒も考えないうちにエヴェトラの頭は、大丈夫、大丈夫! 話しちゃっても問題なし!! という結論を出したようだ。


「あなた方が千匹獣座と呼んでいるものは、多くの神々が協力して編み上げた封印です。本当に恐ろしいのは千匹獣座が抑え込んでいる穴。世界に開いた穴だといわれています」


「穴……」


 バザウは静かに考えをめぐらせた。千匹獣座のむこう側に世界に開いた穴があるというのなら、はたしてその穴はいったいどこに繋がっているのかと。




 ◆◇◆◇◆




 二人の子供は群れのもとへと送り返した。洞窟に住まうその生き物は鳥のように後ろ足だけで歩き、器用な前足で他の獣の皮をはぎとり身にまとう。

 妖星が消えた跡地にニジュはしばし佇む。今のところ妖星現象は小規模で散発的なものに留まっており、個々の神々が対応することでなんとか現状を維持している。

 だが神々はもっと抜本的な解決方法を探し求めていた。妖星からの干渉は深刻な問題だ。冷徹な条理のとおった世界が滑稽なメルヘンで改変される。もしその影響範囲が広範囲に及んだ場合、それは既存の世界の崩壊を意味していた。神々はそれを忌々しく思っている。今ある世界を守るためにはそれをおびやかすものは否定しなければならない。

 ニジュは世界中が妖星の影響下に落ちた様子を想像してみる。

 

「……」

 

 労りと微笑みに満ちたあの優しい世界に自分の居場所があるとはどうしても思えなくて、ニジュは小さくかぶりを振った。


 コポッと水の音がした。キノコでできたニジュの触覚は、緑色に濁った小さな水たまりが激しく泡立つのをとらえた。虚空に緑の球体が浮かび上がる。球状の水の中でたゆたっている緑の物体の正体は、ドロッとしていて、強靭な増殖力と生命力が厄介で、臭気を発し、毒素を生成して生物大量死の原因となる、ごく一般的なただのありふれた藍藻である。


「やあ。調子はどう?」


 シア=ランソード=ジーノームは神々の中でも古参に数えられる一柱だ。無邪気で傲慢で残酷な神。神々の中でもシアに恐怖する者は少なくはない。表立っての敵対者こそいないものの疎まれて嫌われている。それでもニジュとシアは友好的な関係にあった。


「……問題ない。今宵も妖星がもたらした世界の歪みを一つ正した」


 宙に浮かぶ水球の表面にさざ波が立ち、穏やかな波紋を作り出す。シアはクスッと笑ったようだ。


「真面目な報告ありがとう。でも僕が本当にしりたかったのは君のことなんだけどね」


 水の中で無数の気泡がはじけてコポコポとかすかな音を立てている。ご機嫌、といったところか。


「僕はちょっと心配してるんだよ。ああっ、別に君の力を侮っているわけじゃないのはわかってくれるよね? ただ……、そうだね、君は優しすぎるから」


 優しい。

 それはシアがかなり無慈悲で極度の利己主義者だから相対的にそう見えるだけではないかと思ったが、ニジュは大人しく黙っていた。もしかしたらこういったニジュの寡黙さが、シアには優しいと解釈されているのかもしれない。


「良い報せを持ってきたんだ。この陰気な務めももうしばらくの辛抱さ。妖星現象を根本的に断つ方法がついに形になりそうだよ」


 黄金の炎のごとき尾を持つキツネの神。

 夜を愛する銀毛のオオカミの神。

 猛き漆黒のワタリガラスの神。

 賢き三獣神が妖星を制御する方法を長らく講じていた。それが実ろうとしている。

 妖星がもたらした混幻が言葉の力でたやすく霧散するのは判明している。そこから三獣神が考え出したのは、言葉の力を用いて妖星そのものを縛ることだ。


 妖星に対して言葉が有効なのはニジュも経験で実感済みだ。しかしこれまで神々が言葉で霧散させてきたのは、この世界に歪みとして表れた妖星の余波にすぎない。

 妖星本体にどこまで言葉の縛りが通用するのかニジュにはわからない。おそらく賢明な三獣神さえも推測や計算に基づいて対策を練っている。それほどまでに妖星の力は計りしれず、得体のしれない不気味なものであった。


「シアよ。妖星とはなんなのだろうな」


 星に似ているように見えることから妖星と呼んではいるが、他の星とは明らかに違う。

 問われたシアは藍藻の塊を水球の内部でぐるりと一回転させた。


「それは僕にもわからないよ。あれは本当は星じゃないってことは三獣神から聞いたけどね。どちらかというと星というよりも……」


 口ごもるかのような間を少し置いた後、シアは内緒話をする時のような声でつぶやいた。


「宇宙にぽっかりと開いた穴なのだという話だよ」


「穴……」


 ニジュはゾクッと身震いする。鳥肌を立てる代わりに胞子をまき散らした。恐怖からくる反射的な反応だった。意思とは無関係に体が動くことに不快感を抱きながら、ニジュは黙り込んで物思いにふける。

 妖星の正体が穴だという説が事実だとしたら、はたしてその穴はいったい何に繋がっているのかと。




 三獣神は着々と準備を進めていた。妖星そのものを言葉で縛るための準備を。

 今日はその努力が結ばれる。多くの神々が妖星を縛りつけるため三獣神のもとに集まった。その数はゆうに千柱をこえている。その中にはニジュもいた。獣の神がやや多いものの、木や虫や石の神もちらほらと見かける。自然の精気から生じたありとあらゆる神々が一つの島に集結しつつある。


「……」


 それにしてもなんという混雑、神混み、神だかりであろうか。静かな孤独を好むニジュは落ち着かない気分だ。

 リスの神がニジュの根本部分をちょろっと駆け抜けていくし、モモンガの神はキノコの傘に着地してきた。右側ではサルの神が友神ゆうじんとやかましく談笑していて、左側にいるブタの神はこっちをどすどす押してくる。背中がべとっとするのは、ナメクジの神がもたれかかっているからだ。

 ニジュは一人きりになれる森の奥地に帰りたくなってきたがただただ黙って耐えた。


 ふいに海の潮がさーっと引いていくかのように周囲から有象無象の神が姿を消していった。小さな神々が逃げていった理由はすぐにわかった。


「やあ、ニジュ。信じられない話をしてあげようか? なんと、僕のための特等席は用意されてないんだって!」


 不吉な緑の球体。シアだ。飄々とした口ぶりだが軽くイラついている。特別待遇が受けられないことに不満があるようだ。横暴なシアらしい反応だ、とニジュは思った。


「そういえば……。僕の記憶違いでなければ、君はこういった騒々しい場所に出るのは得意ではなかったはずだと思うけど」


 ニジュは受け流すように曖昧に頷いておいた。

 シアの水球の中心から勢いよく気泡が沸き立つ。


「どうする? 混雑が不快なら……、快適な数まで減らしてしまえば良いと思わないかい? 快適な環境作りをこの僕が手伝ってあげても良いよ」


 不穏なシアの言葉に弱小の神々は恐れおののき、ニジュは物憂げに首を横に振った。自然界ならそれも一つの流儀だが、今は特別な儀式のために呼ばれている。今は格下を殺して憂さ晴らしをしている場合ではない。それに自分をダシに目の前で遊び半分の大量殺戮をされるのも嫌だった。


「……揉め事を起こすのはやめておけ」


「はーい」


 わかっているのかいないのかシアは軽薄な返事。

 ニジュは胞子まじりのため息をつきながらも、それでもなんとなくシアのそばにいた。

 力の弱い神々はシアを恐れて距離をおこうとするので、さっきよりも周辺のスペースに余裕ができていた。


 これほどまで多くの神が集まった目的はただ一つ。妖星の侵略に抗うために他ならない。忌まわしい妖星をどうにかしたいという意思のもとに神々は動いている。

 キツネ。オオカミ。ワタリガラス。思慮深い三獣神が考案した計画は、妖星問題の根本的解決となりえるものだった。

 強力な言葉の力を用いて、今後は妖星干渉自体が起きないようにする。妖星干渉が発生してからの後手の対応ばかりでは、措置が遅れた場合に大規模侵略を許してしまう。実行するには膨大な神の力が必要となるが全力を出してやってみるだけの価値はある。


 この儀式の弊害として、神でない者どもは以前のように自由に言葉の力を行使できなくなる、と三獣神は説明した。

 そんなことは問題でもない、とでも言いたげにシアが水滴を雑に飛ばす。


「それが弊害? どうでもいいよ。僕自身が不便をこうむるわけじゃないんだし」


 反対意見は誰からも出なかった。妖星がもたらす影響に比べれば些細なものだ。


 三獣神を中心に千柱以上の神々による言葉の鎖がつむがれる。


「我らは弱き者の傷口に群がり、生血をすすり肉を喰らう。苦悶の血肉が示すだろう。我らの世界に妖星はいらぬことを」

「我らは年月に抗えず、老いさらばえて移ろいゆく。風化した岩が示すだろう。我らの世界に妖星はいらぬことを」

「我らは互いに侵し合い、『我』はたやすく産まれ消ゆ。実体なき影が示すだろう。我らの世界に妖星はいらぬことを」


 口ずさまれる呪言により妖星を縛る言葉の鎖が練り上げられていく。

 ただ、島にやってきた神の中にはこう考える者もいた。


 ――やたらと気力を使いそうだ。本気で儀式に挑んだら、神の力を使い果たして衰えてしまうかもしれない。

 この島には千以上の神がきている。たった一柱の神の言葉が欠けたとしても、きっと大した差は出まい。

 だから少しぐらい手を抜いても大丈夫。それに、妖星が作り出す世界はそんなに悪いものとは思えない。むしろ――。


 三獣神の計画は理論上まったく不備がなかった。

 しかし彼らには誤算があった。怠惰な不心得者の存在を想定していなかったことだ。


 神々の力で編み上げられた言葉の鎖により、天に輝く大きな穴はじょじょに小さく消えていくように思えた。

 儀式は順調に進んでいたが☆そこに☆

                 ☆突然の☆

                     ☆はぐれ流れ星が☆

                             ☆地上に向かって☆

                                     ☆ぴゅいーん☆


 それは不幸な偶然。

 ほんの少し位置が違えば不幸は別の誰かのものだった。

 でも妖星の光が当たったのは別の誰かではなく、ニジュだ。


 何が起きたのか冷静に考える余裕はなかった。

 溶けている? 焼けている? 欠けている?

 寄生虫に神経を侵された芋虫にでもなった気分だ。

 何かが体の中からせりあがってくる。それを留めようとするニジュの努力は無駄に終わり、キノコの軸は裂けてそこから☆みどりいろゼリー☆がほとばしった。


 何が起きたのか考える役目は、ニジュではない他の神が引き受けた。

 まず儀式そのものは失敗していないことを三獣神が宣言した。予期せぬアクシデントが起きたが、妖星本体はすでに言葉の力により問題なく支配できている、と。

 騒然としていた場から、ところどころ安堵の息が聞こえてきた。神々にとって重要なのは儀式の成否。ニジュにも関心を向けてはいるが、気にしているのはその苦しみが自分の身にも起こりうるか、という点だけだ。


 なぜ妖星から強い光が飛来したのか、現時点では三獣神にも原因を特定できない。

 犠牲を伴ったものの儀式は完了しており、妖星の活動は今後大幅に弱まるはずである。

 妖星の光を受けた神がどうなるかは前例がないため不明。経過観察をしつつ治療に着手したい。

 以上が三獣神の出した答えである。


 聡明にして冷徹な獣たちの声は、流星に身を焼かれる苦悶のさなかにいるニジュには届くことはなかった。

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