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バザウ、君は賢すぎる  作者: 下山 辰季
第六部

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ゴブリンと長き誤解の終焉

 スカウトコンビからもたらされた情報をシャルラードは静かに吟味した。


「その菌糸がゾールの封印そのものだというのは納得のいく道理だ。エメリが得たネメスの神託の内容とも合致する」


 妖精以外の生き物の侵入を阻む致死の菌類。禁足の森と呼ばれるゆえんにもなっている。

 シャルラードはこの菌類について学者に調査を依頼したが、致死のキノコは禁足の森とそのごく近辺にしか存在しないことが判明した。

 森ではあれだけ猛威を振るっているにも関わらず、胞子を森から持ち帰ると生き物をことごとく死滅させる効果がふっと消え失せることもわかっている。

 地下や死体に生える子実体や空気中をただよう胞子は研究されたが、森全体に張り巡らされた地下菌糸となるとそこまで手が及ばなかった。菌糸網は地面の下に隠れている上に、危険極まりないエルフの縄張りの中だ。


「バザウよ、地中の菌糸密度が特に濃い場所があるといっていたか。ここからの距離と方角は?」


「あっちだな。そう遠くない」


 バザウが先導者になり、しんがりをつとめるのはエメリ。シャルラードと貪欲の市場でも寄り抜きの強者たちを引き連れ、封印のありかまで森の中を移動する。

 着いた先は特別な目印など何もないありふれた森の一角。地下の様子がわからない者は気にも留めることなく通過してしまうだろう。

 シャルラードは私兵と傭兵で即席の穴掘り部隊を結成した後、鼓笛隊にこう指示を出した。


「鼓笛隊。鉄花火のオーダーを」


 オークの戦太鼓持ちが盛大に太鼓を打ち鳴らす。

 翼人の頭蓋骨で作った太鼓はどこまでもよくとおる奇妙で異質な音がした。


「……こちらの居場所がエルフどもに筒抜けにならないか?」


 エメリと森に入る時は物音を立てないよう慎重に動き回ったものだ。

 こんなに大きく特徴的な音を出せば森の外れにいるエルフだって気づきそうだ。

 バザウの問いかけにシャルラードは得意げに笑った。


「ホホッ! どうせ私の位置はもうヤツらに捕捉されている。洗練された美的センスを持つ私はエルフの注目まで集めてしまうようだ。クホホッ、困ったものだな」


「……」


「首からひらひらのヨダレかけしてるヤツが自分にセンスがあるとかいうのは、カン違いもはなはだしいと思いまーす!」


 あきれた目で見るしかないバザウと、辛辣にツッコミを入れるエメリ。


「ヨダレかけではない。これはジャボだ」


 シャルラードは涼しい顔をしてみせたが、ありあまる肉のせいでそれほど涼し気ではない。

 それからバザウの方を見て。


「バザウの懸念はもっともだが、心配無用、とだけいっておこう」


「お前ほどの男がそういうのなら」


 バザウは余計な心配をするのをやめた。

 エメリと共にいる時にも感じたことだが、その判断を信頼できる者と行動するのは不思議と快い感覚だった。


(そうか、これがきっと……仲間という関係なんだろうな……)




 ***




 森からの戦太鼓の音を聞いて、ゴブリンの発明家は命知らずのゴブリンを大砲で撃ち出す作業の手を止めた。あれは空中分解式錘内包弾の注文だ。

 空に向けて撃つタイプの大型弾で、最高高度に達した時に自動で外装が外れ、中に詰め込んである大量の鉄錘が小規模の爆風で広範囲に拡散される仕組みになっている。

 高い位置から落下する錘は、それだけで貫通力を持った破壊兵器となって地表に降り注ぐ。

 準備をする間、発明家ゴブリンは自分が作った道具のすばらしさに一人笑いがとまらなかった。


「さて、これで準備はOKと」


 あとはこの大砲に点火する犠牲者を見つけるだけだ。




 ***




 バザウの予想どおり、太鼓の音でエルフたちが四方八方から駆けつけてきた。

 オーク側はシャルラードを中心に円陣を組んだ。

 得意の弓を封じられていても、エルフの戦士は手強かった。

 しなやかな細身の体からは信じられないほどの荒々しい力を秘めていて、筋骨隆々のオークにもひるむことなく猛攻を仕かける。

 市場の戦力が量を誇るのであれば、森の戦力は質の高さがものをいう。

 オークたちは防衛に徹してなんとかしのいでいるものの、集まったエルフ相手にそう長くは持ちこたえられない。


 空から落ちてきた鉄の錘が流れを一変させた。

 雨のごとく降り注ぐ鉄を完璧にかわすことは俊敏なエルフであっても難しい。

 錘は小さいが、肉体に深々とした穴をうがつだけの速さと重さで落ちてくる。


 当たれば即死の鉄の雨にエルフたちが次々と倒れていく中、オーク側の被害者が皆無であった。

 エメリも愛用していた矢除けの魔技型マギケ。シャルラードも同じものを持っている。機械まじりの水の乙女。シャルラードが持っている魔技型マギケには水精の左半身が、エメリの方には右半身が封じられていた。

 呪詛妖精アンシーリーによって悪意ある廃棄物を泉に投げ込まれ続けた精霊は、展開した水霧内に入ってきたゴミを機械的に送り返す。

 広範囲に危ないガラクタをまき散らす兵器と組み合わせれば、こんな風に自分たちだけ難を逃れることもできる。


「ホホホ、さっぱりとした景色になったな。穴掘り部隊も仕事に集中できそうだ」


 少数精鋭だからこそ、エルフたちは戦士一人の死の損失が大きい。

 先祖代々に渡り守り続けてきた森をエルフたちはその血で赤く染め上げた。


「間抜けな姫騎士ちゃんの死体はないね」


「……不快なエルフの巫女のもな」




 穴掘り部隊はすぐに禁足の森にある最も古く、最も巨大で、最も儚い白い網を掘り当てた。

 やわらかく繊細に見えるその菌糸は、いくらツルハシを振るっても少したりとも崩すことはできない。


「これがゾールの封印か。地中に隠された巨大な繭にも見えるな」


 シャルラードは大皿を刃物のように構える。

 そしてその縁が菌糸につくかつかないかといううちに。

 白い繭がほどけた。それは開花。それは開かれたプレゼントの箱。

 来訪者のノックの音でカギのかかっていた扉が内側から開いた。押し入るつもりでいたのに向こうから招き入れられた。そんなあっけなさ。


(封印の破壊というからには……もっと派手で物騒な光景を想像してたんだが……、思っていたよりずいぶんと大人しい)


 白い菌糸の繭には、花びらに似た、あるいはカマキリの口器に近いともいえる穴ができていた。

 ゴブリンはもちろん、オークやハーフエルフオークの体でも入れる大きさだ。


「お前たちはここで待機しろ。封印の中には私とエメリとバザウでむかう」


「シャルラードさま。兵もゴーレムも連れていかないのですか? 危険では?」


「神の前では無力だ。それよりもお前たちは残っているエルフどもが近づかぬよう尽力しろ。任せたぞ」


 キリッとした顔でそういった後、シャルラードのたぷたぷ高級霜降り肉が繭の穴につっかえてしまったので、バザウは全体重をかけて肉を押しエメリは足でぎゅうぎゅう肉を踏んだ。




 何もかもが白くふわふわした封印の中にいたのは蒼白痩身の二足歩行体。


(どう見ても豊穣神ってガラじゃない)


 細長い優美な耳。腰の骨から淡く輝く翅が伸びている。エルフたちが崇拝し続けてきた菌類の神、ニジュ=ゾール=ミアズマだ。

 シャルラードはネメスの大皿を盾のように構える。鉄の武器も魔技型マギケも、神を傷つけることはできない。ネメスから与えられた神器だけが唯一の対抗手段。

 神はその青白い目にゴブリンとオークの姿をはっきりと映しながら、失望したようにこういった。


「……誰もいないではないか」


 はっきりとバザウと目を合わせていい放つ。


「あるのは薄汚れた隕石の残骸ばかり」


 封印を破った敵対者を前にして、攻撃することも守りを固めることもない。

 バザウたちに関心すら払わない。ニジュの興味は大皿にそそがれている。


 ニジュの背後に菌糸でできた寝床に横たえられている人影があった。

 濡れた漆黒の髪は神秘的なオパール遊色にきらめき、その一房には金の輪型装飾がはめられている。

 左腕と右足を奪われたその体の持ち主は深い眠りについている。この騒ぎにも目を覚ます気配はない。


(マズいな……)


 口には出さないが、バザウ同様にエメリとシャルラードも予定の狂いに焦りを感じている。

 封印を解けさえすればエヴェトラ=ネメス=フォイゾンの加勢が得られる、という前提のもとで市場勢は行動していたのだ。


(だいたい……! 寝言並みに要領を得ない神託しかよこさないあげく、助けを求めて呼んでおきながら自分はぐっすり寝こけているなど……そんな暴挙が許されてなるものか!! やはり神にはロクな者がいない!!!)


 これであえなくニジュに殺されるはめになったら、まるでバカみたいだ。

 愚かなゴブリンと卑怯なハーフエルフオークと欲深いオークには、お似合いの末路。


 だがそれからのニジュの行動は思いもしないものだった。

 チョウが飛ぶようにふわりと後ろに下がってニジュは寝床のふちに腰かけた。眠る者の黒髪をそっとなでる。


「……我は汝ら狡猾な星の末裔とは話をしたくもないのだが……それをここまで運び届けたことに関しては労いの言葉をかけてやろう。眠りについたエヴェトラに代わり」


 ニジュはバザウたちに危害を加える気はないらしい。

 敵対するはずの神の思わぬ態度。エメリとシャルラードは困惑したが、バザウは動じない。

 ニジュが眠るエヴェトラに触れた時の手つき、その眼差し。バザウにはこの二柱のおおよその関係が把握できた。


 エメリが用心しながら手を挙げた。攻撃の意思があると見なされぬよう、ゆっくりとした動き。


「すいません。俺らはネメスを解放しにきたんですけど」


 神はエメリの顔ではなく左手の腕輪を見た。

 光沢をもつ黒に銀の留め具。普段はただの腕輪に変じているがその正体は金首の豊穣神に連なる存在だ。銀首の眷属ミミズ。

 バザウたちのこの場での生存権と発言権をニジュが渋々認めているのは、エヴェトラ=ネメス=フォイゾンの信徒である証を身に着けているからだ。


(俺にとってこの腕輪は市場の通行証であって、特に神への信仰心はないんだが……。都合が良いからこのままカン違いさせておこうか)


 この状況でバカ正直さは不要である。バザウはそしらぬ顔をすることにした。


 エメリの言葉を鼻であしらった後、ニジュは視線を今はないエヴェトラの手足へと移動させる。


「見てわからぬか? これではとても外に出られる状態ではなかろう……」


 エメリがまた手を挙げた。ちょっとイラッとしている。


「つかぬことをお聞きしますが……ゾールさんはネメスとどのようなご関係なのでしょうか?」


 バザウは無言とクールな表情をたもちながらこんな予想を立てていた。


(あの距離感! 俺の見たところキス以上は確実に……。問題はその先どこまで、という点だな……)


 ニジュの口元にほんのかすかな笑みが浮かぶ。

 どこか嬉しそうな、勝ち誇ったような。


「お互いが特別な存在……とでも答えておこうか」


「あー……」


 シャルラードもこれで理解したようだ。ゆるんだ口元から出た脱力の声は、くだらないもののためにムダな努力を費やしてしまった者の悲哀と諦観を帯びていた。

 エメリは納得いかないといった表情で、眠る神を見つめていた。


「オークの伝承では、ゾールは自分もろともネメスを封じ込めたってことになってる」


「伝えられている言葉と実際の出来事は必ずしも同じだとは限らない……。この封印をほどこしたのはまぎれもなく我であるが……、それは傷を負ったエヴェトラの療養に専念するためだ」


 ニジュの態度からして、封印の中でエヴェトラを世話しているという発言にウソはなさそうだ。


「それは地に飛び散ったエヴェトラの血の一滴だ。奪われた手足を癒すにはとうてい足りないが……、わずかでも力を取り戻すことができる」


「ネメスは神器を介して俺にこう頼んだ。封印を解いてほしい、と」


「……我にはエヴェトラがそのようなことを伝えるとはとうてい思えない。汝らの間違いであろう」


 豊穣神エヴェトラ=ネメス=フォイゾンを封印から救い出すため、貪欲の市場のオークは長年エルフと争い続けてきた。

 多額の資金を投じてのシャルラードの入念な準備。

 凡百のオークには絶対になしえないエメリの命がけの任務。

 争いの中で命を落としたオークとエルフ。その他の種族たち。

 それらの行動の根幹にあったものがすべて間違いにすぎない、と。古の神はそういった


「ハッ! それではいそうですか……って素直に帰れるわけが……っ!」


 なおも喰い下がろうとするエメリをバザウとシャルラードが落ち着かせた。

 ニジュは優越と侮蔑の表情を浮かべる。


「汝らに何がわかるというのだ? 我らは……」


 ニジュは菌糸の寝床にころりと身を預けた。

 仰向けで眠るエヴェトラの胴の上に自分のペタリとした胸を重ね、ニジュはうつ伏せの姿勢で頬杖をつく。


「……一つの文明がおこり滅びるよりも長き時を共にすごしてきたのだぞ」


 その目は告げていた。わずかに言葉をかわしただけの些末な命どもがエヴェトラの理解者を気取るのはおこがましい、と。


「我はエヴェトラの信徒に手を下す気はない。封印を暴いた罪は不問とする。大皿を置いて立ち去るが良い」




「もしくは氷の中で永久の時をすごすかだ」


 アルヴァ=オシラとククミラが菌糸の繭の中に立ち入っていた。

 生身の体を持たないアルヴァはともかく、ククミラの方はそれなりに傷を負っている。ここにくるまでいくつもの過酷な戦いを切り抜けてきたのだろう。


(エルフ……! 外にいたヤツらは……やられたのか)


 ニジュはエヴェトラと親交が深く、その信徒に危害を加えるつもりはないようだった。

 だが、ニジュを崇めるエルフたちがオークの所業を神に訴えれば、どうなるかはわからない。

 バザウは用心深く神の動向をうかがった。


(……?)


 不自然なほどに、ニジュは新たに現れた侵入者を無視している。

 ククミラは禁足の森の巫女。すなわちニジュの熱心な信徒である。こんな態度をとるのはどう考えても妙だ。


(そういえば……)


 バザウたちも最初はロコツに無視をされ、話をするのも不本意だといわれたのだった。

 ククミラは頑なな沈黙を守るニジュに、戸惑いと熱意をこめて語りかける。


「禁足の森の恵流風エルフたうはいとかしこき妖精族の守護者ゾールに方人かたうどす」


 その言葉で、徹底的な無視は中断された。

 神の激昂によって。

 これまで尊大ではあるが穏やかだったニジュが声を荒げる。


「誰がっ! 誰がいつ妖精など守護した!?」


 妖精の女王といってもさしつかえのない容姿をしておきながら、ニジュは妖精の守護者であることを否定する。

 誰もが驚いた。神々の知識が深いエメリも、古い知識を蓄えたククミラも。


「我が身を勝手に……っ、勝手に作り替えておきながら……。あまつさえ我が守護者である……と? なんという厚顔……」


 ニジュはククミラを睨みつけ、バザウを嫌忌し、エメリを呪い、シャルラードへの憎しみをあらわにした。

 この場にいる四人の妖精族すべてに向けて、ニジュは憤怒にかられて罵倒を浴びせた。


禍星まがつぼしの末裔どもめ!!」


 ククミラはショックを受けて動揺した。

 一族がずっと祀ってきた神が、理解できない振る舞いでククミラを困惑させる。

 妖精の始祖たる神が、オークやゴブリン風情ならともかくエルフまでもを罵ったのだから。


「数多の恵流風エルフ此度こたびの戦で身まかりける……」


 すがるように絞り出した声は、にべもなく切り捨てられた。


「妖精はどれも質が悪いものだが、この森に押しかけた妖精は特に救いがたい……」


 ククミラや歴代のエルフたちが信じて守り続けてきた長き伝統が。


「安穏を望み騒がしい命を遠ざけるために我がまいた胞子は、憎き妖精の身を害すことはかなわない。それを汝らは傲慢にも、選ばれた自分たちだけがこの森への立ち入りが許されたのだと、浅はかな思い違いをしたのだから」


 守ってきた神そのものの言葉によって。


「我は汝らが疎ましくて疎ましくて仕方がないが、汝らは何代もの間、実際の我とはまったくかけ離れた想像の我を崇め祀っていたのだな? 長い時間をムダなことに費やしたことだ」


 ボロボロと崩れ落ちていく。




 アルヴァ=オシラは気づいてしまった。

 不動の過去も崩れることがあるのだと。

 それは、過去を正しく解釈できていなかった場合。間違った過去を信じ込んでいた場合。


 小さな子供の頃は祖父が暖炉の前で話してくれたことは全部本当だと思っていた。

 サンタクロースも、悪い子を連れ去る怖いモンスターも。

 少しずつ成長するにつれて、それらは大人たちから幼い子供への優しいウソなのだとアルヴァも理解していった。


 古剣を握るアルヴァの手は震えていた。頭の中が真っ白になり、力が入らない。


 大好きな祖父から聞かされていた昔話。

 千年以上前に海を舞台に勇敢な大冒険をした先祖たちが敵なしの名剣を持っていた。

 その両刃の剣は宇宙から降ってきた隕石の鉄から作られて、その隕石というのは宇宙の歴史と同じくらい古い古いものなのだと。

 そして祖父の家の屋根裏部屋にはその剣が大事に保管されていて、アルヴァはそれを持たせてもらったことがある。

 祖父の家とアルヴァの生身の体はあの火事で燃え尽きたが、その古剣は今もアルヴァの手の中にある。


 柄を握る。この感触は本物だ。実際にそこにある。

 ただし刀身は折れている。

 古いものが絶対に価値を持つアルヴァの根源世界で、つまらない石に当たって先祖の剣はあえなく折れた。


 異変についてバザウはこんな結論を出した。 

 埃石は剣より古かった。

 アルヴァがとても価値ある古いものだと信じていた剣は、比較的新しい時代に作られた模造品。

 祖父がしてくれた海で大暴れをした先祖たちの冒険譚は、大人が子供に聞かせた悪意なき優しいウソ。


「……私が信じていたものは、幻だった」


 アルヴァ=オシラのヤドリギの冠がはらはらと枯れ落ちていくのをバザウは見ていた。


(……チリルは何を考えているんだ?)


 アルヴァ=オシラが信じていたものがまったくの幻想だったことに、バザウは疑問を持った。

 彼女に創世樹を授けたチリルはそのことに気づかなかったのだろうか? 気づいていたのに指摘しなかったのだろうか?

 なぜ、いずれ破綻するとわかっているような脆い仮初の真理を宿主たちに掲げさせるのか。




(誤解か……)


 『チル教典』を読んだ時、著者である信徒がチリルの考えを書き換えているのを感じ取ってバザウはこんなことを思った。

 神でさえ自分の言葉が正確に解釈されるとは限らない。

 バザウはニジュを見た。

 この神はウソをついている様子はないのだが、ニジュが話している内容とエヴェトラの神託から得た情報はどうも喰い違いを見せている。


 ククミラの言葉で激昂していたニジュは、今は少し落ち着きを取り戻している。

 バザウはニジュが喰いつくように話を振った。


「ここから引き揚げる前に、少しばかり披露したいことがある。その神はもうずっと眠っているようだが、この神器を介して信奉者に語りかけるんだ。……声を聞いてみたいんじゃないか?」




 神さまラジオは過去最高の受信状態だった。


「やった~! これでやっとニジュさんと会話できます! 寝言以外で! どうもありがとうございます」


 本体は熟睡したまま、大皿から変じたプルプルのミミズの一山が元気よくしゃべっている。


「ケガしたら安静に、って理屈はわかるのですが、さすがにず~っと眠ったままだとご飯を食べることもできないじゃありませんか~。食べなくても死なないとはいえ、食べないと生きてる感じがしないんですよ!」


 少し真面目な声になり、黒いミミズの神は蒼白の菌類の神に語りかけた。


「あなたが私に無意識にかけていた封印を解いてください」


「……夢を見ていた方が幸せだ。外は……恐ろしい。其方にひどい仕打ちをした者だって……」


「たとえ手足をもがれようとも、私は外の世界に出たいのです」


 真剣な凛々しい声でそういった後、数秒もしないうちに慌てて追加した。


「あっ、実際にもがれちゃったので、たとえ、ってのはおかしいですかね? おかしくても気にしないでくださいね! 言葉の綾的な感じですから!」


 ニジュは寝床に横たわる神の上半身をゆっくりと起き上がらせた。

 背中を包み込むように抱きしめた姿勢のまま、名残惜しそうにつぶやく。


「我が苦悶の渦中にいる時にエヴェトラはそこにいてくれた……。今度は我が、あの恩知らずどもに傷つけられたエヴェトラのそばにいるのだと……何もできない我でもまだできることがあるのだと……。我のその願望が、其方を目覚めさせずにいたのか」


 教典の作者はチリルの考えを一部歪曲した。

 禁足の森のエルフは長い間ニジュを妖精族の守護神だと信じて守ってきた。

 ニジュは世界への失望のあまりエヴェトラを保護するという名目で閉じ込めた。

 大切に思うことと、相手を完璧に理解できているかは別問題だ。


「そのようです。でも気に病むことはありません。私もう起きたので!」


 ニジュの腕の中で黒髪の豊穣神が目を覚ます。

 瞳はわずかに紫がかった乳白色で、起きて最初に目に映した相手はバザウだった。




 禁足の森にはかつて二柱の神が封印されていたが、今は一柱の神が残るのみ。

 ニジュ=ゾール=ミアズマはあらゆる生き物からの干渉を拒むように、森のどこか奥深くに隠れ住んでいる。


 ククミラは事実をしった後も、他のエルフたちにそれを告げることはなかった。

 すべてが間違いだったと明かすには、エルフたちはあまりに長い時間をかけてしまった。


 古さと伝統を真理に抱いていたアルヴァ=オシラの創世樹は枯れた。

 今はただの幽霊としてこの世界にとどまっている。


「ありがとうございます。私の本体を外に出してくれて。あなた方には多くの苦労をかけましたね」


 封印を解かれたエヴェトラ=ネメス=フォイゾンがまずしたことは、三人の妖精族への礼だった。


「シャルラードさんとエメリさんとは、破片になった私と面識がありますね。本体で会うのははじめましてですね~。エメリさんは背が伸びましたね。シャルラードさんは横に幅広くなりましたね」


 エメリが大鎌を失ったことを心から申し訳なさそうに謝罪したが、エヴェトラは下げられた頭をなでただけだった。

 神の失われた手足には、自由自在に動く包帯がぐるぐるに巻かれている。自然な動きで手足の代わりを果たしているが、包帯の中は空洞だ。


(神器……)


 ただのゴブリンにすぎないバザウは、どれだけ命がけで暴れたとしても神々に傷一つつけることはできない。


(……神器とやらが手に入れば、俺はルネやチリルへの対抗手段を持つことになる。それでようやく……対等になれるというものだ)


 呑気で、お気楽そうで、まるでアホみたいな神の横顔をバザウは盗み見た。


(コイツはエメリとシャルラードに神器を授けている。……俺にも……。いや、待てよ……)


 神器を得るよりももっと良いことがあるではないか。

 一つの可能性に思い至った時、バザウの脳は興奮に揺れた。

 エヴェトラはルネとチリルに左手と右足を奪われたという。あの二柱に報復する動機は充分。


(もしも……、もしもこの愚神を都合良く操ることができたら……)


 バザウは神々に翻弄されてきた。

 だから、今度は。


(俺がロクでなしの神どもを利用してやる)


 いきなり神の白い瞳がバザウの方をむいた。

 不自然にならないよう視線をそらしたが、エヴェトラはバザウに近づいてくる。


(……こっちの思惑を見抜かれたか……?)


 まさかこんな早い段階で悪だくみが潰えるとは。


「はじめまして! 私はエヴェトラ=ネメス=フォイゾン。なぜか犬によく好かれるけど、どちらかといえばネコが好き! なミミズの神です!」


 気の抜ける笑顔を浮かべて握手を求めてきた。


「……ハドリアルの森の産まれ、震撼を呼ぶヘスメの十二番目の息子バザウ……です」




 それから一ヶ月かけてエヴェトラはシャルラードと共にオークの領地を一回りしてきた。

 シャルラードがエヴェトラに願ったのは、オークの土地に豊饒をもたらすこと。

 領地の巡回を終えて、神とシャルラードが貪欲の市場へと帰ってくると盛大な祭りが開かれた。

 とっても、ここ一ヶ月の間は大小さまざまな祭り三昧なのだが。


 市場の門の外となると祭りの喧騒も遠くに聞こえる。

 バザウは修理と手入れを済ませたいつもの旅装束に着替えている。森で使った山刀は戦いの中でなくしてしまったので、武器は使い慣れた二本の短剣だ。


「いーなー、バザウちゃん。俺もネメスについていきたかったよー」


「ククッ、そうすねるな。……お前は貪欲の市場で頼りにされているんだろう? 大鎌のエメリ」


 エメリがエヴェトラに願ったのは大鎌の神器。

 大鎌は単なる武器や道具ではなく、彼の魂と信じる神をつなぐ絆だった。


「頼りにっていうかさー、シャルラードが無茶しすぎたんだよねー」


 ネメスを封印から解き放つというオーク一族の悲願をはたしたシャルラードだったが、当初の予定以上に軍資金をつぎ込んだ。


「たった一晩で財産のほとんどをぶっ放したらしいわよ……」


 もっとも出し惜しみをしていればエルフに勝てたかどうかは怪しい。

 バザウにはエメリがこんなに渋い顔をしている理由がピンとこなかった。

 不思議そうに首をかしげる。


「……金なんてものは、贅沢せずに三年ばかり頑張れば取り戻せるんじゃないのか?」


「いや……! いやいやいやいやっバザウちゃん。あのデブの財産ってのはそんな簡単に集まる額じゃ……」


 シャルラードは豪快に笑いだした。


「ヒュホホッ! そうだな。三年ばかりガムシャラに頑張って取り戻してみるとしよう」


「えっ……、シャルラードさんってば、冗談じゃなくてマジでいってます? 恐ろしい……いったいどんだけダーティな商売する気だよ」


「危ない橋を渡るには、腕利きのスカウトを雇わなくてはな」


 バザウはククッとノドを鳴らし、エメリの顔を見た。

 仮面のない彼の顔にはちゃんと表情がある。やれやれ面倒臭いことに巻きこまれそうだぜ、といった苦笑を作ってはいるものの、嬉しさと誇らしさが隠し切れずににじんでいる。


「到着が遅れて申し訳ありません」


 旅用のローブをまとったエヴェトラは神々しい顔でいった。


「魚の骨がノドに刺さって苦しんでいる豚を助けるのに少々手間取ってしまったのです。そしてこれが実際に刺さっていた骨です。ほらっ、こんなのがノドに! 痛そう!」


「……見せなくて良いですから……」


 神の封印を解いた礼にバザウは神々の知識がほしいと願った。

 これからしばらくの間、バザウは知識の伝授のためエヴェトラに同行することになっている。


 市場から出発する荷馬車に乗り込む。

 豪華な造りの馬車でもなく、厳重な戦用馬車でもなく、荷馬車なのはエヴェトラの好みだ。


 シャルラードは二の腕の肉をゆらして貪欲の市場から旅立つ者を見送った。

 控えめな仕草でごく軽く手を挙げるだけのエメリを見て、シャルラードは少し意地の悪い笑みを浮かべる。


「格好つけてる場合か?」


「……」


 ぎこちない動きでエメリはちょっとだけ手を振ってみた。

 そして気が付けば、遠ざかっていく荷馬車が見えなくなるまでぶんぶんと大きく手を振り続けていた。

第六部 おしまい

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