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バザウ、君は賢すぎる  作者: 下山 辰季
第六部

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89/115

ゴブリンたちと戦の佳境

 絢爛豪華な戦衣装は、貴族の服をベースデザインにして歯車と金属パーツとなめし皮で仕立てられている。シャルラードのものだ。

 私兵と傭兵からなるオークを主体とした呪詛妖精アンシーリー戦闘部隊。シャルラードのものだ。

 十本の指にそれぞれ輝く、精霊を閉じ込めた指輪型の魔技型マギケ。シャルラードのものだ。

 優秀な技師を雇いまくって存分に予算を与えて作らせた金属外骨格ゴーレム兵。シャルラードのものだ。

 晩餐会の豚の丸焼きだって乗せられるサイズのオリジナルのネメスの大皿。シャルラードのものだ。

 富の力をそのまま暴力に転換し、豪商オークがついに禁足の森に攻め入る。


「エルフの首一つに100万ブリス出そう。名高い敵を倒した者には500万ブリスだ。ホホホッ! さあっ、森で荒稼ぎをしたい者は拳を掲げよ!」


 軍勢が喜びの雄たけびを上げる。数字をいまいちよく理解していない脳筋ゴブリンたちも、なんとなく周りの雰囲気に合わせてヒャッハーっとハッスルしている。


「ホホホッ、突撃!」


 巨大な戦斧を軽々と担いだオークが。戦いの興奮に涎をたらしたゴブリンが。量産型の安価な魔技型マギケを装備したコボルトが。土煙を上げて禁足の森に分け入る。

 一歩進めば落とし穴。

 二歩先には毒矢罠。

 三歩もいけば死屍累々。

 バザウとエメリのコンビは罠に引っかかることもなかったが、禁足の森には致命的な仕掛けがいたるところに隠れている。

 私兵の中でも特に優秀で忠実なオークの戦士が主に声をかける。筋骨隆々で色黒のオークだ。


「シャルラードさま、ご無事ですか?」


「案ずることはない」


 シャルラードは引っかかった落とし穴から出ようと、優雅な表情のままでもがいている。

 穴の底には毒の塗られた杭が仕込まれていたが、豊かすぎる腹肉は穴の直径をオーバーした。

 どうにか這い出ると、生き残った戦闘部隊をザッと見わたしてから一度咳払い。


「突撃ィ!!」


 先ほどよりも勇ましい声と先ほどよりも慎重な足取りで市場の軍勢は進軍していった。




 ***




 エメリは同行者がゴブリンのバザウで本当に良かったと心から思っていた。

 ハーフエルフオークのエメリの体力でも持ち運びできるコンパクトな軽量ボディ。

 ひょいと小脇に抱えることもできるし、背負って走ってもそれほど負担にならない。


「アイツが森に来ているのか……」


「だねー。それも団体さんで」


 アルヴァの目をごまかして二人は森から逃走中。

 体がまだ思うように動かないバザウをエメリは背負って移動している。


「何が起きた? 館で指揮をとっていたアイツが前線で動くなんて……」


 バザウは樹木になっていた間、エメリに起きたことをしらない。


「……市場勢力は保有する神器を一つ失ったからさ。ネメスの大鎌は破壊されて、あるのは大皿だけ。ネメスのお声を聞くには大皿の持ち主が動かなきゃなんない、って事態になったわけ」


「あのポン……封印にとらわれし慈悲深き農耕神から目当ての情報を教えてもらうのは、なかなか難儀だよな」


 ポン……? って本当はなんていいかけたんだろう、と疑問に思ったが、エメリは静かに頷いておいた。


 エルフの秘術で木に変えられ、背にしていた古木と一体化していた時に、古木の根をとおして森の地下に広がる巨大な網の存在をバザウは感じ取った。

 森の空気にただよう胞子や犠牲者の死体から生えた子実体とは別に、菌類は地中に本体を持っている。

 菌糸。それが 森にある最も古く、最も巨大で、最も儚い白い網の正体だ。

 禁足の森限定で発生し妖精族以外の生物を死に至らしめる異常な菌類。それこそがニジュ=ゾール=ミアズマの封印そのものだ。

 ニジュの菌糸は禁足の森のほぼ全域を覆っているが、特に密度の濃い場所がある。


「この封印を解くには……エルフに妨害されようとも、目的を強引に実行できるだけの潤沢な戦力が不可欠だ」


 菌糸の網は土壌の深部にあり、まずは掘り出さなければならない。

 いくら隠密行動が得意でも森の中で大穴を開けていればエルフに見つかって処刑されるのがオチだ。

 妨害に直面しても強引にそれ完遂する力。それだけの戦力を動かせるのはシャルラードしかいない。

 シャルラードに封印のありかの情報を伝えること。それがスカウトコンビの最後の大仕事だ。

 多数の兵やゴーレムををともない厳重に守りを固めて森に突入したシャルラードは目立つ。エルフ側にその位置を捕捉されている。

 シャルラードのところにいくまでには、エルフの包囲網を突破しなくてはならない。大鎌を持たないエメリと衰弱して走ることもおぼつかないバザウで。それは無理というものだ。


「俺らだけで本隊に直接合流するのは厳しいね。まずは待機してる戦力のとこにでもいきましょか」




 ***




「おお、偉大なるネメスよ! 我らを導きたまえ」


「トマト、ピーマン、トウガラシ、ジャガイモ。これらはすべてのナス科の作物です。菜園で育てる時は連作障害に注意しましょう」


「……」


 シャルラードは落胆した。

 神器を媒体にして聞こえてくる神の声はずっとこの調子だ。


「シャルラードさま。ご報告です。ゴーレム兵の一体が破壊されました」


「ああ。爆発したのがここにいてもわかった」


 部下のオークは淡々と戦況を告げる。


「神託はまだ得られないのでしょうか? 臆病なコボルトどもは尻尾を足に挟んで逃げ出したがっていますし、血の気の荒いオークの戦士は突撃の指示を待ちわびています。ゴブリン連中は……好き勝手にやってます」


 神との交信に集中することができない。

 こちらの戦力がどんどん溶けていく焦り。

 敵地の中で祈りだけに心をささげる恐怖。

 大鎌のエメリはこんなことを平然と何度もなしとげていた。


(大皿のシャルラードも負けてはいられん)




 ***




 バザウはエメリの背中からゆっくりおりた。

 禁足の森の外では、シャルラードが手配した寄せ集めの二軍戦士が待機していた。何に使うのかもわからないガラクタ兵器。補給と称して賑わう屋台。

 ところどころに置かれたいくつもの檻には戦用奴隷の人間たちが詰め込まれている。何かの作戦に使うらしい。

 妖精の系譜につらなる者以外は森の中で長時間の活動はできない。それでも一応は菌糸の感染が全身に進行しきるまでの短時間なら、妖精以外も森の中で動くことはできる。


(だが使い物になるのか? 下手をすれば敵に回るのでは……)


 疑わし気な視線でバザウは奴隷の檻を眺めた。

 禁足の森から吹く風が胞子を運んだのか、すでに感染の第一段階を示している者もいた。白目は充血し病的な咳を何度も繰り返す。戦用奴隷は体格の良い男たちばかりだが粗雑な扱いで疲弊しているようだ。

 そんな彼らに、以前に市場で見かけたダークエルフが檻ごしに奴隷に飲み物を振る舞っていた。ダチュラだ。

 ダチュラの動作はとても鈍いので、実際にはほとんど彼女の相棒であるゴブリンのラムシェドがせわしなく働いていた。

 デコボコだらけの大きなナベに木の器を直接突っ込んで、それを檻の餌口まで運んで中に押し込む。

 温めた果実酒は、空腹と寒さで弱った奴隷たちの肉体と精神に深く深くしみわたっていく。


 戦士も兵器も、禁足の森に比べたら質の面でははるかに劣る。統制や指揮の面でも優れているとはいいがたい。

 しかしその欠点を埋める、けた外れの、膨大な、はいて捨てるほどの……数という有利。

 天をもうがつ矢には限りがあり、鋭い剣も何度も使えば刃こぼれし、優秀なエルフも戦い続ければ疲労する。


「シャルラードも、よくこれだけの戦力を集めたもんだよねー」


 エメリは無数の目からそそがれる視線をあらゆる角度から感じていた。

 明け透けな好奇。低俗な侮蔑。存在そのものへの哀れみ。

 その異貌は嫌でも多くの眼差しを引き寄せる。

 エメリを遠巻きに見つめる者たちの中から、小柄なシルエットが小走りで近づいてきた。

 砕かれた星屑亭の宿泊客の一人、拷問コボルトのキアンコだ。


「バザウさん! 死んじゃったかと思いましたよ」


「誤解させてしまったようだな。シャルラードに情報を伝えたいんだが良い方法をしっているか?」


「あっちの方に通信用のオーク戦鼓笛隊が待機しているみたいです。反対側にはダークエルフの呪歌部隊もいて紛らわしいので、鼓笛隊と間違わないようにしてくださいね。あとは……ゴブリンの輸送隊なんてのもあるみたいですけど……」


 ゴブリンとコボルトの間に、長身のハーフエルフオークがにゅいと割り込む。


「キアンコちゃんから拷問のプロとしての見解が聞きたい。エルフどもが使う樹木化の秘儀に一晩かかって、恐怖で狂わずにいられるケースってどう思う? あり得ることなの?」


 ちゃん呼びに、キアンコは鼻に不愉快そうなシワを寄せる。


「一晩……。アイツらの使う樹木化って要は感覚遮断拷問の一種ですよね。感覚遮断は数十分からと短時間で効果を発揮するのが特徴で、一晩耐えるのはちょっと考えられません。前例がないです」


「いや、そうじゃないんだ。慣れると意外と落ち着くというか……しっくりくるというか……」


「ああっ、良いアイディアが浮かびました! 今度森のエルフをとらえたら、ヤツらの体を石化させてやるのはどうだろう!? 体が少しずつ石になっていくのは恐ろしいだろうなあ! いっそヤツらが蔑む鉄に変えてやれば……」


 対エルフ拷問案でヒートアップしたキアンコには、バザウの小さなぼやきは聞こえなかった。


「……樹木には一切の感覚がない……という認識自体がそもそもの解釈の違いだと思うんだがな……」




 シャルラードのいる本隊への通信手段は戦鼓笛隊が担っている。

 あらかじめ決められた合図を伝達するには文句なしの方法だが、込み入った新規の情報を伝えるには向かない。


 別の手段をあたることにする。

 移送を担当していたのは、バザウが市場にくる時に出会った白衣のゴブリンだった。


「ああ、お前さんか」


「奇遇だな。……ここで兵士の移送ができると聞いてきたんだが、頼めないだろうか?」


「そういうことなら任せときな! こいつぁ俺さまの開発した中距離一方通行移送装置だ」


 白衣のゴブリンは発明品を自慢げに紹介した。

 手を広げて示す先にあるのは、頑丈な車輪を備えた巨大な砲身。


「大砲だよな」

「大砲ですよね」

「大砲ともいうな」


 発明家は悪びれもせずにしれっと頷く。


「特別製のポッドにゴブリンを詰めて大砲で飛ばすのだ!」


 高性能携帯計算補助機をカチャカチャいわせながら熱弁を振るう。


「ポッドなしで移送した場合の死着率は100%だったが、俺さまが発明したポッドを使用することにより生きたゴブリンを届けられる確率が0%ではなくなったのだ。すごいだろう?」


 一人でつらつらと発明の成果をしゃべり続けるゴブリンに背を向け、バザウはエメリに話しかけた。


「……エルフにはオークの文字は伝わらないんだよな? シャルラードにオーク語の手紙と印をつけた森の地図を送れないか?」


「お手紙はともかく地図はないねー」


 森がある場所を大まかに示した地図はあるものの、森の内部まで詳細に案内する地図なんて便利なものはない。

 バザウは封印の場所を地図でシャルラードに伝えられないかと思ったが、それは無理そうだ。

 禁足の森の内部地形に最も熟達しているのはエメリで、封印の場所が的確にわかるのはバザウだ。


 そこに三人組のゴブリンの若者が博士のもとにやってきた。

 どうやら名を上げるために禁足の森の深部にまで一っ飛びでいきたいらしい。


「ポッドなしでは100%死亡! つまり絶対確実何回やってもぜーんぶ中身が死んだ、という意味だ。しかしポッドがあれば生存率は0%ではない! すなわち、絶対確実何回やってもぜーんぶ中身が死んだということじゃなくなったのだ!!」


 おおーっ、と称賛のどよめき。


「すげえ」

「乗りたい」

「天才かよ」


 バザウは思わず間に入って制止した。


「え……、おいっ! コイツの説明をちゃんと聞け!! お前たちは絶対何か大きな勘違いをしているぞ!!」


 必死の忠告に、いーっ、と黄ばんだ牙が剥き出された。


「うぜえ」

「うるさい」

「お節介だよ」


 ゴブリンたちは引き止めようとするバザウを振り払い突き飛ばし、あかんべーとお尻ぺんぺんまでして、散々バカにしていった。

 意気揚々とポッドにむぎゅっと乗り込むゴブリン三人。博士は嬉々として生きたゴブリン入りのポッドを大砲で撃ち出す。

 無情な大砲の爆音とともにバザウはがっくりとうなだれた。


「ああー……っ、自ら死にゆく同族の命を俺は救えなかった……」


「死出の旅に送り出したのも同じゴブリンだけどね」


 無表情でツッコミを入れた後、エメリは軽い調子でバザウに慰めの言葉をかける。


「気にするこたぁないない。顔見知りでもない、こっちの話も聞かない、どうせロクなヤツじゃない。そんな赤の他人を上手く助けられなかったって、別に気に病むことでもない。関わり合いのないヤツらが死のうが生きようが、どーでも良いじゃないの」


「……」


 バザウは落ち込むことはやめたもののエメリの言葉に、そうだな、とは返せずにいた。




「おっ、いたいたー」


 鉄でできた芋虫のようなガラクタ機械が地面を踏み荒らしながらこっちにやってくる。

 側面に開いた歪なハッチからゴブリンらしき顔が二つ、ひょこっとのぞいている。


「さっき黒白の毛のコボルトに頼まれてきたんだけどさ」


「大将に用! 伝えたいこと!」


 這い進む不格好な鉄塊に乗っていたのは見世物試合でバザウと戦ったホッピング使いと車輪乗りのゴブリン二人だった。


鉄屑芋虫キャタピラだよ。俺ら健脚ぶりを見込まれて、これの動力兼操縦士やってんの」


「大事な情報を持ってくヤツら! 俺はそれに手を貸す! シャルラードの大将からのお礼もたんまり! 金がっぽり! 俺にとっても良い話! ……実際貸すのは足だけど!」


 バザウは禁足の森をジッと見つめた。

 森からは時折キノコの胞子ともオークの仕業ともつかない煙と爆音が上がる。

 シャルラードはあの森の中にいる。潤沢な資金で準備を整えて戦に挑んだようだがエルフ側の抵抗も激しい。


(ネメス復活のため……か。俺には信仰心なんてないんだが、シャルラードには書庫を快く開放してもらった礼がある)


 バザウとエメリは鉄屑芋虫キャタピラに乗り込んだ。

 大砲の弾になるよりはいくらかマシだ。




 ***




 これまでのオークとエルフの長きにわたる戦いの歴史で、オークが辛酸をなめさせられた禁足の森の最終手段。

 精霊たちと協力し森にあふれる自然の精気を活性化させ大型の化け物を顕在させる。それによりオークは何度も敗走している。


 シャルラードは対抗策を考えた。

 一度呼び出されてしまった大型の化け物を打ち破るのは困難だ。だからそもそも呼ばせない。

 化け物の力の源は森の精気。それを叩く。


 これまでに市場勢力が森に投棄してきたゴミ入りの麻袋。あれはただの嫌がらせではない。

 あの中には鉄屑のゴミと土塊が詰められていて、さらに土には銀首ミミズとその卵がたっぷりと混入させてある。


 エヴェトラの眷属である黒体銀首のミミズは、生き物の侵入を拒絶するニジュの防衛胞子に感染しない。

 禁足の森に眠るのは二柱の神。エヴェトラ=ネメス=フォイゾンと縁ある代物や神の力を宿したものが森の中に増えれば、その分だけ力のバランスはそちらに傾くことになる。

 一度森の土に入りこんだミミズを完全に除去するのはほぼ不可能な作業だ。取り除く過程で森の土壌まで荒らしてしまう。エルフたちには手が出せない。森の小枝を踏み折られるよりも腹立たしい所業だ。


 エルフとオークの戦いの歴史は長きにわたるが、オークはこんな地道な手段は使わなかった。

 状況を有利に進めるための策をめぐらし、じっくりと機会を待ち、攻め入る時は躊躇しない。

 それがシャルラードの商才であり、彼の戦い方だ。


 ネメスとその眷属は土地に大きな影響を与える。ただそこにいるというだけで。

 たとえそこが一度も斧が入れられたことのない原生林だろうと、風が荒れ狂う砂漠だろうと、毒に汚染された廃墟だろうと。

 元来そこにあった荒々しい自然を和やかで利用しやすい土壌、すなわち肥沃な農地へと変えてしまう。環境が変わればその土地の精霊も影響を受ける。


(森に宿る精霊の力を削いでこれか……)


 シャルラードは、エルフと精霊によって破壊されたゴーレム兵の残骸に視線をむけた。

 そしてまた、森に入ってから何度目になるかもわからない自戒と反省を繰り返す。

 神託を得るために祈りに集中しなくてはならない。余計なことを考えている暇はない。

 指揮官としての役目は信頼できる部下に一任してある。シャルラードが森でするべきなのは神の声に耳を澄ませることだ。


「……」


 威圧感のある静けさを備えた色黒のオークは援軍を求める合図を送った。




 ***




「おい、ダチュラ。スポンサーさまからの合図だ。盛大にコンサートやるぞ」


「いいね、いいね。うたうの だぁいすき」


 太鼓叩きのゴブリンのラムシェドは、自分よりずっと背の高いダークエルフの頭をくしゃくしゃとなでた。

 ダチュラは人懐っこいネコみたいに満足げに目を細めている。


「……それにしてもよ。市場の長がわざわざ敵地の真っただ中に突っ込んでかなきゃならんなんて、本当難儀なことだぜ! ……神の声を聞くためだかなんだかしらねえけどよ」


 その声はダチュラの長い耳には届いたが、その言葉に込められた思いまでは理解できない。かつてはマトモに動いていた時期もあった彼女の頭は、もう以前ほど明晰ではなくなっていた。


「わー、そろそろ おさけ まわってきたみたぁい」


 ダチュラが人間たちに飲ませていた甘く温かい果実酒には、ダークエルフの里秘伝の危ない薬草の成分もばっちりブレンドされていた。

 生き物として当然持ち合わせている恐怖感や痛覚がマヒして、思考も理性もグチャグチャになる。

 彼女が奴隷たちに与えたのは優しさではなく破滅。


「キシシッ! 市場の長はすげえヤツだ。これだけの使い捨ての聴衆を用意してくれるとは」


 ゴブリンが威勢良く太鼓を鳴らす。鼓動のリズムに合わせて。大海蛇の頭蓋骨で作った原始的な太鼓だ。

 奴隷の息遣いと太鼓がシンクロしたところでダチュラは檻番のオークに檻を開け放つよう合図を出す。


 奴隷たちの空っぽになった頭に響くのはダークエルフの歌声。その昔、混沌の神がその信徒を狂乱の闘争に駆り立てたという戦歌。

 土煙を上げ疾走する狂戦士の群れが禁足の森へとなだれ込んだ。




 ***




 壊れた武器。

 潰れたキノコと折れた枝。

 作動済みでもう動かない罠。

 戦いで命を落としたオークにエルフ。

 その他もろもろを踏み荒らしながら鉄屑芋虫キャタピラは森の中を進む。


 今のところエルフからの攻撃はない。

 森を守るために、もっと重要な相手に狙いをつけているのだろう。

 バザウたちは森の中の激戦地へとむかっている。

 側面に開いたのぞき窓から、バザウは外をうかがっていた。


(……森の様子がおかしい……)


 木々がざわざわと不穏にゆれているように見えた。憤怒に駆られている。


「後方で嫌な気配がする。速度を上げてくれ!」


 バザウの声とほぼ同時に、すぐそばでどんな動物とも似つかない奇妙な咆哮があがる。

 低く重い大きな音がバザウの内臓をビリビリと震わせた。

 同じく外を見ていたエメリが悲壮な笑顔で軽口をたたく。


「ないものねだりをしても仕方がないけど、マジでネメスの大鎌があれば良いのになー! って思ったね」


 森に出現したのは古木の巨人。

 貪欲の市場にあるどんな建物よりも背が高く、竜牙兵よりも屈強で、おそらく森中の樹木の精霊の力が集結されている。

 巨人が一歩足を踏み出すと……。

 足が折れた。


「……」


 大きくバランスを崩し、今度は腰から真っ二つ。

 泣き別れの上半身と下半身は、土煙を立てて地面に落下した。


「ネメスは俺に大鎌を授けたが、あの方が俺に本当にくださったのは大鎌がなくても困難を乗り越える真実の勇気……」


 進む鉄屑芋虫キャタピラの中でエメリは清らかな目をしている。

 古木の巨人は脆く不完全だった。


「……安心するのはまだだ。速度をゆるめるな」


 巨人の両腕は動いている。崩壊寸前の痙攣のような動きではなく、何かの目的を持った動作だ。

 うつ伏せになった上半身を腕の力で引きずり寄せる。ずるずる、ガラガラと。巨体が這い進む動きはじょじょに速くなっている。


 鉄の塊が、ガヅッと巨人の木肌にめり込む。

 誰かが力任せに投げた斧だ。


 野蛮な奇声を上げて獣のように駆けつけたのは、オークでもオーガでもレッドキャップゴブリンでもない。

 檻の中で沈痛な面持ちでうなだれていたはずの人間たちだ。

 身に着けているのはボロボロの服で防具らしいものは何もないが、手には思い思いの武器を持っている。

 森の周辺と内部には戦死者が使っていた武器がいくらでもゴロゴロしている。


 異常な興奮状態となった彼らは大きな動く目標に殺到した。

 押し潰されれば即死の重量差にもひるまず、追いかけ飛びつき刃を突き立てる。

 さながらそれは死にかけた生き物の傷口に群がる捕食者。

 目の前で仲間がトマトに変わっても戦いへの欲求が消える気配はない。


「どったのアイツら? レッドキャップの垢ねぶりの爪の垢でも飲んじゃった?」


「人間たちが凶暴化したのは、呪歌術師の歌の影響だ……」


 鉄板の上にリズミカルな雨音が響いた。

 矢が鉄屑芋虫キャタピラに当たった音だ。

 エルフの射程圏内に入ったということは、シャルラードの居場所は近い。


 粗雑な技術で作られた金属盾をやすやすと貫通してしまう威力がエルフの矢にはある。

 エルフとの戦いを重ねたオークは頑強な金属加工技術を発展させた。


「これしきの矢なんて屁でもないしー」


「ヤバイのミスリル! ミスリルの矢じり! あれぶち込まれると分厚い鉄板、穴が開く!」


「エメリ。矢除けの魔技型マギケはまだ持っているか?」


「……魔技型マギケは持ってるよ!」


 エメリは小さな水色の宝石がはまった金属台をバザウに見せた。

 宝石は死にかけのホタルのように力ない明滅を繰り返している。

 

「壊れているのか……?」


「酷使しすぎたね」


 道具は酷使すると壊れるのだ。




 ***




 近づいてくる鉄でできた機械が何なのかはそのゴブリンの頭ではわからなかったが、味方のものであるということは理解できた。

 小利口な頭などなくて良い。戦いに勝ち抜く才知さえあればそれで充分だ。

 頭部と顔面に黒い炎のイレズミをほどこした黒髪のゴブリン。

 自分の腕前を誇示し続けた彼は、流れ者のゴブリンでありながら一級の傭兵として貪欲の市場のオークたちに力を認められた。

 私兵と一級傭兵だけで構成されたシャルラード本隊の一員だ。


 鉄の芋虫はエルフに狙われていた。

 射かけられた矢から射手の位置を推測する。

 味方の傭兵数人と共に、潜伏しているエルフを叩き潰しにむかう。

 エルフの頭蓋骨を無残に陥没させ、細い首をずたずたにして、弓の名手の器用な指を輪切りにしたら、このゴブリンの魂は残酷な喜びで打ち震えることだろう。




 ***




 鉄板に降り注いでいた弓の音がふつりと途切れた。

 そして見えてきたのは精鋭部隊と三体のゴーレムと行動を共にするシャルラードの姿だ。

 豪華な服は汚れて軽い傷を負っている。神託を得るのにだいぶ難航しているようで、顔には焦燥の色が見える。


「目的地に到着ー! ご乗車ありがとーございましたー!」


「報酬! はずんで! 新しい機械の乗り物! 好きなだけ! 買えるくらい!」


「ありがとうな、助かった」


 バザウとエメリがハッチから抜け出すと、シャルラードは驚きで目を丸くした後で喜びに目を細めた。


「バザウよ、無事であったか。エメリも昨日とはまるで別人だな」


「ああ……。だがここにきたのは俺とエメリの元気な顔を見せてご挨拶するためじゃない。封印場所の情報を持ってきた」

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