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バザウ、君は賢すぎる  作者: 下山 辰季
第六部

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86/115

信奉者とヤドリギの戦乙女

(あのゴブリン、消えちまった。どこいきやがった?)


 不用意に接近してきたエルフを刈り取りながら、大鎌の主は小さな同行者の不在に気づく。


(どっかでくたばったか、それとも逃げ出したか。まあどうせ……、いずれこうなるのはわかってたけど)


 軽蔑と落胆と納得が複雑に絡み合う。

 状況が悪くなった時はこんなものだ。

 誰もがエメリのように約束に固執するわけではないことは理解していた。そんな作り物の契約を必死に守らなくても、優れた彼らはぬけぬけと生きていけるのだから。


(一秒……はさすがに無理でも、二秒だけでも注意をそらせれば、俺もトンズラこく自信はありますよ? でもねぇ……敵がとぎれねえんだよ! こりゃマジでキツいわ)


 たった一粒だけでも、壮健な人間奴隷の数倍以上の価値がある竜牙兵。

 出し惜しみもせずにばら撒いたのに、じょじょにエルフたちに押されはじめている。

 竜の牙から産まれ神の宿る森の土で育まれた戦士が弱いはずがない。問題は指揮者にある。

 エルフたちは巧みに連携し、剣持つ者に槍を扱う者、精霊の力で援護する者、と役割分担がなされている。得意の弓矢が封じられた状況でも士気は下がっていない。

 一方、竜牙兵は屈強かつ勇猛だが、その動きには統率や作戦といったものが欠けている。

 適切な命令を与えれば竜牙兵はそのとおりに動き出す。優秀な軍師が統率すれば、死を恐れぬ兵士はまさに無敵の組み合わせといえるだろう。

 だが指示を出すだけの才覚も能力も経験もエメリにはなかった。集団を指揮することなど、この男にはとうていできない。


(だから正面切って戦いたくねえんだよ)


 身を守る盾にして敵を自動で屠る剣でもある竜牙兵の数がだんだんと減っていくのを感じながら、エメリは樹上から飛びかかってきたエルフをたった一歩の足さばきでよけて大鎌の刃で転ばせた。

 戦場で無防備な姿勢をさらした者には竜牙兵が無慈悲に刃を叩きつける。


 革仮面で覆われたうなじにゾッとした悪寒が走る。


(あ。ヤベえ)


 理由はわからない。明確な根拠などない。だが、はっきりと危険を感じる。

 長年研鑽され続けた被虐の魂が肉体に警告を発している。


 それまで最小限の挙動で静かに淡々と攻撃をよけていたエメリが、受け身をとって大きく前に飛び退いた。

 氷が砕ける音を聞く。

 頼みの綱であり命綱であった竜牙兵の軍は、氷塊の中で制止していた。全滅だ。もう稼働しているものは一体も残っていない。


(氷漬けかよ! この森のエルフ、冷気の精霊なんて味方につけてたか?)


 梢をゆっくりと滞留する霧の流れと共に、女の姿がふっと地表近くまで降りてきた。

 長い金髪に青の瞳。頭にはヤドリギの冠。手にしているのはボロの剣。身にまとうのは白い可憐なドレスと勇ましき甲冑。


「皆の者、ご苦労だったな。邪神の狂信者は私が引き受けた。小鬼ゴブリンの処置も問題ない」


 すでに相手の勝ちが決まっているような口ぶりだ。


「ハッ! ずいぶんと余裕こいてくれちゃってるじゃないですか? 冷凍ビームはずしてっぞ、ぶぁあーか!!」


 鎧をまとった乙女は表情を変えない。


「時に閉じこめるすべは何も一つではないのだ」


「はぁん? 何いってっかわかんねーぞ、ブス! 死ねっ!」


 汚い言葉で敵を煽りながらエメリは全身で周囲を警戒した。

 状況は最悪。同行者として雇ったゴブリンは姿を消した。竜牙兵は機能停止。

 シャルラードの富で与えられた高価な秘密兵器はもう打ち止めで、手持ちの魔技型マギケで切り札となりそうなものはない。

 それでもエメリは信じていた。

 これまでにつちかってきた経験。

 いかなる強敵と対峙しても逃げおおせてきた場数。

 自分という命が積み上げてきた、絶対に覆されず、何者にも奪われない、時間という価値を。


 ヤドリギの戦乙女がその口元にかすかな笑みを浮かべた。




「へっくしゅん!」


 寒い。冷たい海の臭いがする。


「どこここ」


 禁足の森ではない。

 菌類に支配された森は消え失せ、代わりに寒々しい荒野と凍てついた海が広がっていた。


(わけわからん。こういう時のあのゴブリンがいたら、俺の代わりにあれこれ考えてくれるんだろうけど)


 スカウトとしての現実的な判断には優れているエメリだが、その理解をこえた超常の力に直面するとたった一つの結論しか導き出せなくなる。

 こんな風に。


(慈悲深きネメスが俺のピンチを救うためにどっか安全な場所に避難させてくださった! とか! とか!!)


 ピーンとひらめいて人差し指を立てるも、その指はすぐにへにゃっと丸められた。


(……んなわけないよね。ネメス信徒が夢見る天国ってのは、もっと温かな空気と豊かな食べ物とフリーダムなすっぽんぽんで満ちてるはず。残念! ここは天国じゃなかった!)


 エメリはしばらく周囲を警戒していたが、対応するべき危険は発見できない。

 今はひたすらに守る時ではなく情報を求めて動く時だ。

 周りに敵の姿が見当たらないのに同じ場所でじっとしているのもバカバカしくなり、エメリは見知らぬ地の探索に取りかかった。


 まずわかったのは、ここは孤島であるということだ。

 たどり着くには鳥のように空を飛んでくるか、凍てつく海を渡ってくる高度な航海技術と船が必要だ。


「飛んだ覚えも、お船に乗った記憶もないけどね!」


 おそらく島で唯一の建造物も発見した。

 苔むした茅葺屋根の小さな家だ。

 エメリは玄関に近い地面を入念に確認した。おそらく年単位でドアの開閉や建物への来訪はおこなわれていない模様。


(奇妙なのは……いや、この空間自体が奇妙の塊みたいなもんなんだけどね? 俺がいいたいのはそういうことじゃないの。このお家はそうとう古いもので手入れもされてないってのに、なんなの? っていうぐらい状態が良い)


 古いものでありながら一切の劣化は見当たらない。

 用心しながら窓に近づき様子をうかがう。

 最初エメリはその窓は木枠だけになっているのかと思った。近づいてみて誤解に気づく。


(ガラス窓……。それも水晶みたいに透明だ。あれまあ、高級品じゃないのよ。質素な家に見えたんだが、妙なところでえらい値の張る素材を使ってんね。ますます変なの!)


 貪欲の市場でガラス窓のある建物は、シャルラードの屋敷と大通りに立ち並ぶ高級店ぐらいのものだ。

 砕かれた星屑亭の窓にはガラスなんてものはない。羊皮紙がはられている。それが普通。


 透きとおったガラスごしにのぞいた室内は、暖炉のある居心地の良さそうな空間だった。

 暖炉のそばには椅子が置かれているがそこに座る者はいない。


「……」


 窓を破ろうかドアを開けようか一瞬悩んだ後、エメリはドアの方へと移動した。

 罠が仕かけられていないことを確かめてから飴色になった木製のドアに手をかける。

 どれだけひどくガタピシきしむかと思ったが、古びた外見からは想像もできないほど滑らかにドアは開いた。

 エメリが一歩室内に足を踏み入れると、天井に備えつけられた照明が自動で点灯した。


「!」


 慌てて全神経を使って周囲を警戒するも、やはり人の姿は見当たらない。


(……光の精霊か何かを閉じこめてある魔技型マギケの一種かな)


 丸い花のツボミを思わせる北欧出身の家具デザイナーが手がけたオシャレで幻想的なペンダントライトを見て、エメリはそう結論づけた。

 部屋をざっと見わたす。

 獣の骨格標本。ネコの爪とぎ台。絢爛豪華な黄金の角。男物のくたびれたカーディガン。怪しげな人面彫刻の銀の大釜。湿布薬と軟膏が入ったカゴ。神秘文字の刻まれた石碑。

 ネコを飼っている年寄りの住まいと博物館が融合したような場所だ。


 エメリが見ている前で、無人のイスがゆれ出してぼんやりとした人の形が浮かび上がった。

 長年の野良仕事で鍛えられたがっしりとした体格の老爺が膝の上に赤茶色の毛並みのネコを乗せている。


「アルヴァ、お前に新しいポストカードをあげよう。その銀の大釜は紀元前一世紀のものだよ」


 穏やかに、そしてちょっぴり誇らしげに語るその言葉は目の前にいるエメリには向けられていない。

 緑色の目をしたネコがヒゲをひくりと動かし、膝の上から飛び降りる。老人の姿は薄らいでいった。

 音もなく、影も落とさず、ネコはご機嫌にかける。

 エメリもその後を追って小さな家から外に出る。

 赤いネコはふさふさの尻尾を立てながら、ドレスの裾から伸びた重厚なグリーブにすり寄った。


「積み重ねた時間には何物にも代えられない価値がある」


 禁足の森で遭遇した氷の戦乙女がそこにいた。


「アルヴァ=オシラが真理を授ける。不動の過去。時の重みに頭を垂れるが良い」


「わけわかんない場所に俺を連れてきて、わけわかんないことをいう精霊だね」


「尊い理念が解せないか。ならばお前にもわかる話をしよう。私の要求を受け入れるのならお前を元の場所に帰してやっても良い。今ここで邪神の鎌を手放せば、お前の身を溶けることない氷に封じた上で禁足の森の外に出してやる」


 氷漬けで森の外に出されても意味はない。大鎌を敵の手にわたすなど論外だ。


「お断りします」


「それは残念だ」


 アルヴァは古剣を構えた。

 両刃の片手剣だ。いたるところに錆が浮かび、刀身はデコボコになっている。


「私は森のエルフたちとは違い、無益な殺戮も弱者をいたぶることも好まないのだがな」


「自慢じゃないけど俺は無抵抗の女子供だろうと殺戮いたぶりバッチコーイよ! ハッ! その錆びだらけのボロッボロのしょぼ剣でやろうっての? お嬢ちゃーん」


 戦乙女は涼しい顔で応えた。


「経年良化現象をしらないのか?」


「いくら学のない俺でも、そんなバカバカしいことはありえねーってのはわかるよねー」


「そうか。では実際に見せてやろう」


 エメリは剣にはさほど注意を払っていなかった。

 警戒すべきは竜牙兵を凍らせた冷気。

 古剣を見せて思わせぶりなことをいったのはブラフだと。エメリはそう読んでいた。


 だから、それが起きた時にエメリは何が起きたか理解できずにいた。


 アルヴァの剣に触れた大鎌は、折れた。


 言葉を失った。

 ネメスの大鎌が壊れた。

 エメリという男の心の拠り所は砕かれた。


「な……、なぁんで? だよ……」


「祖先より受け継ぎしこの剣は千年以上昔に作られ、空より落ちた鉄でできている」


 アルヴァは砕かれて地に落ちた大鎌の破片に一瞥をくれた。


「私が統べるこの世界では、より長く時を経たものはより優れた特性を得る」


 吹きすさぶ寒風が、キラキラ光る漆黒の粒をさらっていく。

 エメリは身を覆いかぶせてそれをかき集めようとしたが、ムダだということは自分でもわかっていた。




 アルヴァ=オシラがチリル=チル=テッチェと出会う前のこと。

 祖父のことが大好きで、暖炉の前で楽しい話に耳を傾ける時間が喜び。中でもアルヴァが好んだのは、誇り高く荒々しい先祖の武勇伝だ。

 アンティークの小さな机の引き出しにはポストカードのコレクション。博物館に展示されている価値ある品や先祖と縁深い土地の風景などがファイルされている。

 アルヴァは氷と海の国に住まう普通の少女だった。

 思い出の古い家が焼け落ちるまでは。


 不幸な事故だった。

 妻に先立たれた一人暮らしの老人が台所でスープを温めている途中に発作を起こしたこと。

 そこに孫娘のアルヴァが一人で訪れたこと。

 近所の人々は親切だが、この土地のご近所の範囲は物理的に遠いのだ。


 動揺しながらもアルヴァは大人たちに助けを呼ぼうと、カバンの中の携帯電話に手を伸ばそうとした。

 窓のむこう側で祖父の飼いネコが死に物狂いで暴れている姿が映る。

 反射的に、アルヴァは家のドアを開けた。ネコの逃げ道を作るために。

 アルヴァがドアを開けると同時に、家の中で燃えていた火は一気に膨らんだ。


 炎の勢いに怯むと同時に、開けたドアから祖父の体の一部が見えた。

 床にうつぶせに倒れている。


「お祖父さん!」


 家の外からいくら呼びかけても反応はない。


「……お祖父さんっ! お願いだから返事をして!!」


 彼女の体にはかつて海を支配した戦士の血が流れている。

 庭の手入れ用に貯めてあったブリキのバケツ一杯の水を頭からかぶり、燃える家に取り残された祖父を助けにむかう。

 それが簡単なことだと思えるくらい、ドアから祖父の倒れている位置は近かった。十歩と少しの距離だ。

 たどり着くまで数秒だ。火事でさえなかったら。


「すぐに助けにいくから!」


 アルヴァの決断は勇敢で、そしてその判断は無謀だった。


 老人は火事が起きる前に亡くなっており、ネコは尻尾と足に火傷を負ったものの逃げ出して、アルヴァは生きたまま炎に巻かれて死んだ。


 体の表面と呼吸気管が無残に煤けた少女の遺体に、意志の神はささやきかけた。

 磔にされた大工を信じる民にとって、神を名乗る異形のチリルは悪魔だ。

 けれどアルヴァは悪魔の手を取ることを選んだ




 アルヴァは惨めにうずくまる男に視線をおろした。


「お前たちの敗北は確定している。緑肌小鬼ゴブリンは処刑された。助けはこない」


「……そう。あのゴブリン、そんなことになったのか」


 あまりに素っ気ないエメリの態度に、アルヴァは怪訝そうに問いかけた。


「なんだ。お前の仲間なのではないのか?」


「一時的に行動を共にしてたってだけ。俺には仲間意識なんてない」


 バザウは、貪欲の市場最強でもなんでもないエメリの秘密が露呈しても見限らなかった。

 バザウは、エメリが素顔を見せずに水を飲めるようにさりげなく離れた場所で待ってくれた。

 バザウは、霧藻の罠に引っかかったエメリを罵ることもしなかった。


 エメリがバザウに対して抱いている感情は……。

 どこまでも身勝手で醜悪な、理不尽だと自分でもわかってはいても抑えることのできない……。


「アイツのことは、嫌いだよ」


 憎悪だ。

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