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ゴブリンとはじめてのお給料

 バザウはエルフをはじめて見た。

 たいていのゴブリンにとってエルフを見た時は死ぬ時であり、場合によってはその姿を目にする前に矢で射抜かれて息絶える。


(あれがエルフ族……)


 精悍な青年だ。整った顔立ちには敵意が深く表れて、切れ長の若葉色の瞳には誇り高き怒りが燃える。耳はゴブリンよりも細長い。

 肌はきめ細かくて透明感がある。でもシャルラードの方がお肌が白くてもっちりだ。

 着ている衣服は森の草葉をフェアリーの体から作った繊維でつなぎとめたもの。

 色素の薄い金色の髪はモヒカンに逆立てられている。


「その頭をぶっ潰してやる!」


 一人のオークが手斧を投げる。

 エルフはさっと身をかわしたので、バザウがエルフの血と肉の色をしる機会はなかった。

 俊敏な動きではあったがエルフの表情には焦りが見えた。森の付近とはいえ、樹木から離れて行動することに慣れていない様子だ。


「誰がアイツを先に殺せるか勝負しようぜ」

「頭の皮を剥いでやるよ」

「エルフのミンチだ!」

「サラダにしよう!」


 血の気の多い連中がエルフに殺到する。

 多勢に無勢の不利な状況だが、闘争心の苛烈さでは禁足の森のエルフも負けてはいない。


「ぜるめんえふごそせいてくあざり」


 たくさんの小さな鈴がついた板をシャンと鳴らし、エルフは風の精霊に呼びかける。

 巻き起こった疾風がオークの皮膚を切り裂く。


 森から飛来する矢。鋭利な石の矢じりは一人のオークの眼窩にガヅンと納まった。

 射手の姿は見えないが森から声が響く。少しも慌てず優雅な調子だ。


「伏せ屈りを見現みあらはさるる。遁逃とんたういたせ」


 姿を隠した射手に援護され、潜伏を暴かれた青年エルフが撤退する。


「よもや大鎌のがきたるとは思はざりしを」


 エルフの言葉はゴブリンのバザウにも大まかに理解できた。

 ゴブリン語やオーク語よりも発音が透き通った印象で、そして最大の特徴として言葉遣いがやたらと古めかしい。


 敵に逃げられ、オークたちは不満と憤怒の雄叫びをあげる。

 骨太狼に乗ったまとめ役が撤収を呼びかけて回る。

 市場の戦闘部隊は下品な捨て台詞と食べ物の包み紙や串といったゴミを撒き散らしながら引き上げていった。




 バザウの手の中で、平たいコインになったウサギが数羽ピカピカと無邪気に輝いている。

 森に麻袋を投げただけで報酬が出た。


「もらってしまって良いのか? あまり戦ったという実感はないんだが……」


「心配ならそのお金ちゃんは俺がもらったげる」


 エメリがぬーっと手を伸ばしてきたので、バザウは体を傾けてそれをよけた。


「そうそう。もらえるものはもらっておきなさーい。買い物にいくのも良いかもね。貪欲の市場ではゴブリンの体格に合う武器も豊富に取りそろえております」


「いや、武器なら……」


 武器ならもうあるから充分だ、といいかけてバザウは考え直す。

 危険な禁足の森に踏みこむのだ。準備は万端にしておきたい。バザウはこの機会に武装を整えることにした。

 エメリから森に適した装備のアドバイスを聞いて、バザウは武器類を扱うエリアに向かう。




 店の奥で二つの燐光が光っている。ゆっくり規則的に瞬くそれは生き物の目であった。 


「竜……?」


 にしてはずいぶんと小さい。


「それほど強大な力は持たない」


 暗がりから放たれた訂正の言葉は、竜と見間違えられたことに気を良くした風だった。


「私はコボルト」


「なっ!? なんてことだ! トカゲ化する呪いでもかけられたのか?」


 バザウの目前に大きく開かれた爬虫類の口が迫る。

 生白く湿った肉の奥から、シャーッと空気がかすれる音が聞こえてくる。


「その発言は私の気分をいちじるしく害した」


「う……。すまなかった」


 バザウがうろたえると、店主はけろりとした声で打ち明けた。


「かくいう私も、今と同じように失礼な反応をしたことがある。犬に似た姿でコボルトと呼ばれる生き物が存在しているとはじめてしった時に」


 多くの種族が集まる貪欲の市場には、犬と矮竜の異なるタイプのコボルトがいるようだ。


「……どういうことなんだろうな。コボルトという名前は、犬に似た種族と小柄な竜人の両方をさしているのか……」


「別種が偶然に同名。その考えは妥当であると私も思う。しかし、摩訶不思議で荒唐無稽な説もある」


 少し声をひそめて、ウロコにおおわれたコボルトはこんな話をはじめた。


「貪欲の市場にいるオーク。彼らを見よ。ある者は猪に似て、ある者は緑がかった肌をした悪鬼のようだ」


 バザウもオークの容姿のバリエーションには気づいていたが、それは個人差なのだと認識していた。

 だが、そうではないとコボルトはいう。


「姿の差異を確定するのは血よりも認識。オークとは猪人である、と信じるから、猪人になる。逆もまた然り」


 毛のない爬虫類の尻尾が、工具油でシミのできた床の上でパタパタと跳ねる。


「たまに空想する。私がもし、コボルトは犬人であると信じて疑わぬ者に赤子の頃から養育されたとしたら。今とは違う姿の私がありえた可能性」


 燐光の瞳が愉快そうに細まる。

 ただそう話している彼は本気ではなく、あくまでも奇譚を語って楽しんでいるだけだ。


「認識で種族の特徴が変わるなんて……。それは本当に摩訶不思議で荒唐無稽な話だな」


 ふと、バザウは認識で特徴が変わる種族の話を一つ思い出した。


(……ゴブリン族は……)


 自分たちは妖精の末裔だから寿命めっちゃ長い! と無邪気に思いこんでいる者は長生きする。

 その一方で、自分たちは非力な小動物同然に短命なのだと信じ切った群れのゴブリンはそのとおりの寿命を迎える。

 ウソか真か冗談か。事実はわからないが、ゴブリンの寿命に関してはそういわれている。


(人間がゴブリンのいい加減さを揶揄した与太話かと思っていたが……。もしこんなバカげた現象が本当だとしたら……?)


 店主が軽やかに手を叩く。


「閑話休題。本来の用件は?」


「……ああ……そうだった。禁足の森にいく前の身支度をしたい。扱いやすい剣と……身を守る装備は動いた時に物音がしない素材が良い」


「偵察部隊?」


「そうだ」


「了解」


 コボルトは店中の商品を引っ張り出す労力を惜しまなかった。

 品物を客にさっさと売りつけることよりも、自分の扱う道具がいかにすばらしいかを説明する方に喜びを見出しているようだ。商人気質よりもマニア魂が感じられる。


 虫の腸から作った服。驚くほど伸縮性があり着心地も良い。くすんだ紫色で見た目はリブ編みの生地に近い。

 その上に、胸部を最低限守るだけの軽装鎧を革のベルトでパチッととめる。

 動きを阻害しない長ズボン。膝を目いっぱい曲げてもひかがみに喰いこまない。

 そろいの脚絆と手甲は丈夫な布でできていて、中には金属の細い棒をセットできる細長いポケットがついている。布で覆われているので金属に光が反射してエルフに居場所を気取られることもない。

 足の指が自由に動かせない履物は、ゴブリンにとって忌まわしき拘束具にも等しい。泥地トカゲの皮で作った足の保護具を装着する。指が自由に動かせて、足の裏を守ることもできる。

 頭と首元を守る二本角の頭巾。整った丸や角ばったシルエットよりも尖った形状の方が森に溶けこむ。


 バザウが選んだ武器は取り回しの良い山刀。

 森での潜伏がメインであることを考えると、殺傷力よりも伐採をこなせる刃物が望ましい。もちろん緊急時には武器としても使える。

 他にもコボルトのオススメで、手の平サイズの小型ノコギリ、手甲と脚絆に仕こめる先端をとがらせた鉄の棒数本、目つぶし粉末の入った袋も購入しておく。


挿絵(By みてみん)


 値段と実用性から厳選されたバザウの新しい装備一式。

 今まで使ってきた短剣や森狼の毛皮のマントは修理のできる店に預けた。

 新しく買ったものは、自然の川の流れにさらしてから草の汁を丹念にすりこむと良い、とエメリからアドバイスされている。




 市場近くの川に向かうその前にバザウは80ブリスを握りしめて、ある店に飛びこんだ。

 古書店のオークは『チル教典』をちゃんと取り置きしてくれていた。


「お前さん、仕事を見つけたのか。おめでとう。これで市場の経済を回す一員だな」


 店主の言葉はバザウの耳に入らない。思考も感情も、両手にかかる心地良い本の重みに集中していた。

 バザウが巨大な神の一端をしるきっかけになり得る書。早く中身を読んでみたい。


 と、巨大な爆発音がとどろいた。

 バザウは大事な本を胸にかかえてかばいながら、素早く物陰に避難する。

 一方店主はうんざりした顔で平静な様子。


「なっ……!? エルフの襲撃か!?」


「落ち着け。どうせ魔技研が爆発したんだろ」


 その言葉を裏付けるように、店の戸口に黒焦げになったアフロ頭のゴブリンが吹っ飛んできた。

 虫の息でピクピクしている。一応生きてはいるようだ。


「……こういうことはよくあるのか?」


「しょっちゅう」




 バザウは貪欲の市場の門を出て川の上流へと向かった。装備品の臭いを洗い流す間にゆっくり読書をする予定だ。

 市場の中にも水場はあるにはあるが、オークたちの生活臭がしみついているのでダメだ。


 市場の門を出て川の上流へと移動する。

 装備品を入れた袋を川に浸しロープで固定した。


「よし……」


 周りに危険がないか調べてから、バザウは至福の読書タイムを開始する。

 ドキドキしながら革表紙をめくる。指先に感じるページの手触りに心地良い緊張と期待が高まる。

 バザウはこの書物に記された知識を余すことなく取りこもうと『チル教典』を読み始めた。


「……? ……これは前書きか? もっと読み進めれば……。……いや……やはり違うっ! 俺のしりたかったことは書かれていない!」


 『チル教典』は、チリル=チル=テッチェの信者が日々を生きるための地味な教訓などがひたすら載っているだけの本だった。

 バザウが期待していたのはチリルにまつわる神話の伝承などで、それを読み解いて神々の秘密や弱みを探り出すつもりだった。

 買ってしまったものを最後まで読まずに放置するのも惜しい気がして、バザウはしぶしぶ本の文字を目で追った。


 ――偉業をなしてこそ人は産まれた意味があるのです。

 ――明日のため、一年後のため、五年後のため、十年後のため、今の努力を積み重ねなさい。

 ――瞬間的な快楽に流れるようでは人間とはいえません。そんなことでは鳥やミミズと同じですよ。


 『チル教典』の著者はチリルを信じているようだが、チリルの教えと著者の意見がごちゃ混ぜになっている箇所も多い。


(俺がこれまで出会ってきた創世樹の宿主を見る限り……この神が最も重んじているのは意志の強さ)


 その意志を貫くことだけに価値があり、本人の幸福も周りの安全も二の次。

 宿主によって、愛や強さや萌えといった別々の真理が掲げられていた。


(だからおそらく……。宿主が抱いた真理の内容にはチリルはさして注目していない)


 ひととおり読み終えて、バザウはため息と共にページを閉じる。


「信奉者がわざわざこんな本を書き上げるほどの神でさえ……自分の言葉が正確に解釈されるとは限らないのか……」


 『チル教典』にはこう記されていた。

 ――自分以外の人の意志も尊重するべきです。

 創世樹を作り出したあのチリルが、そんなことを教義とするわけがない。




 市場に戻ったバザウはもう一度古書店を訪れる。

 陰気な風貌のオークは話を聞いて顔をしかめた。追い払うように手を振った。


「読みたい内容と違ってた? 帰れ帰れ。そんな理由での返金は受け付けてない」


「いや。そうじゃない」


 バザウは自分が求めている書物がないかまた探しにきたのだ。

 古書店を営むオークなら持っている本の知識は広いだろう。


「チリル=チル=テッチェとルネ=シュシュ=シャンテ……。これらの神にまつわる伝承を詳しくまとめた本がほしいんだ。手に入らないだろうか? できればオーク語ではなく人間族の大陸共通語で書かれたものがほしい」


 店主は考えこんで腕を組んだ。


「ふむ……。あいにく店の在庫に該当するものはないが、ほしい本の方向性がそれだけ決まってるなら仕入れ屋に注文しといてやろうか?」


「ありがたい! そうしてくれ! ……あ、支払いはどうなるんだ?」


「お前さんが次に店にきて商品を手にした時で構わんよ。先払いにしたところで……」


 店主は自分のあごをなでさすってバザウを見た。脅すような暗い笑いを浮かべている。


「雇われゴブリンの身じゃあ、品物が届いた時に生きているかわからんからなぁ」


「……それはご親切なことで。お気遣い痛み入る」


 ツンとすましたバザウの声と顔。

 店主は愉快そうに吹き出した。失笑でもあるのだが、ほんの少しだけバザウへの親しみが混ざったものだった。


「名前と滞在場所を聞いておこうか」


「ハドリアルの森の産まれ、震撼を呼ぶヘスメの十二番目の息子バザウだ。今は砕かれた星屑亭に寝泊まりしている」


 オークの店主は帳面に乱雑にメモをとった。顔を机にぐっと近づけている。彼は重度の近眼のようだ。


「ブローン古書店のブローンだ。仕入れ屋に連絡して商品が届くまで、ざっと二週間は待ってくれ」


 ただ、ブローンはルネの本まで手に入るかはわからないという。


「チルについて書かれた本には心当たりがあるが、シュシュとなると別だ。文字よりも吟遊詩人の口伝でもあたった方が早いんじゃないか?」




 バザウは広場や酒場に出向いて、旅芸人にいくらかの心づけと共に神話歌をリクエストする。

 ルネとチリルとの性格の違いを短い詩にしたもの。

 つかみどころのないルネの姿をなぞかけ形式で描写した歌。

 普段は神を信じていない者がトイレの中で助けを求めた時に、他の神々は相手にしないがルネだけは気まぐれで救済を与えることもある、というちょっと汚い笑い話もあった。


 ルネを信仰しているのは主に旅人、歌手と踊り子、泥棒などで、きちんと組織された教団は存在が確認されていない。

 そしてルネの信者ですら、本心からこの神を信じてはいないのだ。あてにならない幸運のお守り。押し花にした四つ葉のクローバーだとか、家具の引き出しに入れておくタマムシぐらいの扱いだ。

 ルネ=シュシュ=シャンテはそういう神だった。


 ある酒場のドアを開けた瞬間、バザウの全身はふつりと鳥肌におおわれる。

 魔術師ティモテ=アルカンシェルは、バザウに肉体の外側を取り巻く精神の層について説明してくれた。

 その層の一つに歌声がそっと触れ、共鳴して揺り動かされる。

 黄金色の夕日に包まれた時。懐かしい匂いをふと嗅ぎ取った時。ゾッとするほど美しい見事な織物を見た時。精神層が震えるこの感じは、心が動かされるくらいすばらしいものに触れた時の感覚だ。


 歌の響きの中心にいるのは客に囲まれた人影。白い髪はとても短く切られているが、声や顔立ちは女のものだ。

 貪欲の市場で女の姿を見かけるのは非常に珍しい。 普通の村や町とは異なり商売拠点にして基地であるという性質上、貪欲の市場にオークの一家がそろって暮らすことはない。

 女であること以上に珍しかったのは彼女の種族だ。顔立ちの印象はエルフに似ているがその肌は青い。


(……ダークエルフ)


 バザウは真剣な表情でダークエルフを見つめる。


(しかも胸が大きい……。だけど着ている服はなんだかダサいぞ……)


 まるで保護者に厚着させられた子供みたいにあれこれ着込んでいる。

 ミステリアスな魅力漂うダークエルフの歌姫というには少々セクシーさに欠ける。


(もっとも……歌のすばらしさの前では、それも愛嬌だな)


 周りの観客は彼女のことをダチュラと呼んでいた。すぐそばでは小さなゴブリンが楽器を演奏している。

 一曲歌い終えたダークエルフにバザウは近づく。ルネ=シュシュ=シャンテにまつわる歌を聴かせてほしいと頼む。


「いいよー。……あれー? ねー、ラムシェド。うたを リクエストされたときに もらうおかねは いくらだっけ?」


 名を呼ばれたゴブリンが答える。


「鶏印のコイン一枚もらっとけ」


 バザウは鶏貨幣をピンと指ではじき、ダークエルフはそれをパシッと空中でつかみ……損ねた。床の上を転がるコイン。演奏ゴブリンは口に手を当ててキシシと笑う。

 バザウは気恥ずかしさで口をもごもごさせながらコインをひろって、今度はちゃんとしっかり間違いなく確実に手渡した。


「すまん……。ムダにかっこつけた……」


「きにしないでー」


「そうそう、ダチュラはいつもドン臭い! キシシッ。手先を動かす練習しとけよ」


 歌っている時はしっかりしているように見えたが、ずいぶん気の抜けるしゃべり方だった。表情にも締まりがない。


(トロンとしている……。酔っているのか? でもコイツから酒の匂いはしないし、顔色も素面のようだが……。……まあ良いか)


 そろそろ歌がはじまりそうだ。

 ダチュラはバザウのリクエストに従って、とっておきの歌を披露してくれた。


「それじゃあ、シュシュがむかし しんでんに こーりんして しんじゃに うたって きかせた うたー」


 ヘロヘロと間延びしたダチュラの声は、歌が始まると同じ人物とは思えないほどしっかりした声へと変わった。

 ダークエルフの歌声とゴブリンの太鼓が絡み合う奇妙なリズム。

 バザウは最後までその歌を聴くことができなかった。

 というのも、歌が佳境に近づいたところで事件が起きた。酔って半眠りになっていた客が、隣にいたオークの頭を突然酒ビンで殴りつけたからだ。

 それを皮切りに誰かの顔面に拳がめり込み、太った腹にドスッと蹴りが炸裂。酒場は一瞬で阿鼻叫喚の大乱闘となった。

 貪欲の市場の決まりで私闘が禁じられている場所にも関わらず。


 バザウは砕け散ったビンの破片に魅入られたように手を伸ばした。

 宴に参加するには武器を手にしなくては。


(……いやいやいやっ!? なぜ俺は嬉々として争いに交じろうとしたんだ!? おかしいだろう……。面倒事に巻きこまれる前に逃げるに限る!!)


 逃げる間際にチラリと振り返れば、ダチュラは酒ビンが砕け散る中で頭をゆらして楽しそうに笑っていた。太鼓のゴブリンは椅子と倒れたテーブルでバリケードを作って、そこにダチュラといっしょに避難しようとしている。


(アイツの歌の影響で……、あんな騒ぎが起きたのか?)


 深く酔っていた者ほど歌の影響は強く作用したようだ。

 素面のバザウは完全に歌に飲まれずにあの場から逃げ出すことができた。


(ルネはなんという歌を信者に聴かせているんだ……。……信者……? 神殿の信者にあんな歌をルネ自ら聴かせる……って、どういう状況だったんだ……?)


 これまでバザウが調べたところでは、現在ルネを祀る教団は存在していない。

 ダチュラに詳細を尋ねようにも、まさか修羅の戦場と化したあの酒場に舞い戻るわけにもいかない。いくら好奇心と探求心の強いバザウとはいえ。


(そもそも神話や伝承は……)


 本当に正確に伝えられているのか、という問題もある。




 砕かれた星屑亭に戻ってきたバザウをエメリがおかしな身振りで出迎えた。


「……一つだけ確認するぞ。俺はケンカを売られてるわけじゃないんだよな?」


「違うよ! これはハンドサインだよ、バザウちゃん! 今日はエメリお兄さんといっしょに、殺意にあふれたエルフがいっぱいの中で、お友達とこっそりステキにコミュニケーションがとれちゃう便利な方法をお勉強しようねっ! わー、どんなことをやるのかな? 楽しみだねー!」


「音を出さない伝達方法はたしかに禁足の森では必須だろうが……その無意味な小芝居は必要なのか」


「無意味じゃないよ。俺が生きていく上で必要」


 森で使うハンドサインを一とおり教わった後で、バザウがこう切り出す。


「新しい装備の調子を確認したい。模擬戦に付き合ってくれ」


「ええー……。面倒臭いなー」


 エメリが難色を示した。


「やめよー。市場の協定で公共の場での私闘は基本的に禁じられてるし、ね?」


「市場の外なら自由だ」


 ジャガイモの皮をむいていたカスラーが、手を止めることなく口をはさんだ。


「普段無口なのにこういう時だけ話に入ってくるんだからー」


 バザウが畳みかける。


「組む相手の戦力を把握するのは重要だ……。戦い方のクセもわかる。殺意にあふれたエルフまみれの森で俺たちが生き延びるために必要なこと……だろ? さあいくぞ」


 エメリはため息をついて、いかにもやれやれ……といったポーズをしてみせた。


「……大鎌のエメリと戦いたいだなんて……。しらないからね? 後悔しても」


「ククッ、自信満々だな」


 エメリが強いということはキアンコからの評判でわかっている。

 バザウがしりたいのは、実際どういう風にエメリが戦うのか、ということだ。

 それを理解しておかないと、いざという場面で息を合わせて共闘できない。


「強情だな……。仕方がないね」


 いつもはうるさいほどにおしゃべりなエメリが、それきりめっきりと口数を減らした。




 市場の門を出た近場の荒れ地で手合わせをはじめる。

 エメリは無言でネメスの大鎌を出現させた。


(虚空から取り出すというよりも……地面から見えない力を吸い上げて形にしているのか)


 大鎌はエメリの手の中で、静かに漆黒の光を放っていた。黒い刃はちらちらとオーロラ色の輝きを見せる。

 エメリの構えは堅実そのもの。静と動でいえばまさに静。

 右手を柄の中央に、左手を柄尻に。刃の先は左に向けて地面からすれすれの位置に。力みを抜いた自然な姿勢。

 熟練の農夫が収穫前の畑に佇んでいるかのようだ。戦いの気迫がまったくないその静けさにバザウはむしろ油断ならない凄みを感じた。


(……これは……ククッ、ウカツに動けないな。エメリの間合いに一歩でも踏み込めば、雑草同然に刈り取られる)


 しかもエメリの攻撃範囲は、実際に見えている大鎌の刃が届く距離よりも広い。

 目測の狂いが間合いの狂いを生み、調子の狂いは敗北という結果に帰結するだろう。

 バザウはエメリの手がかすかに大鎌を引くのに気づいた。


 斬撃はバザウの予想どおり地面に沿って這うように襲ってくる。

 鋭い一閃は荒れ地に砂煙を立てる。

 その上をバザウはひらりと跳んだ。


 初撃は難なくかわせた。バザウは身軽だ。けれどいかに身軽であとうと、重力はその支配下にある者を必ずつかまえにやってくる。


(あ……)


 バザウは自分が犯したミスに気付いた。

 だがもう遅い。かわせない。次はかわせるわけがない。地面に足がついていないのだから。

 エメリはバザウが着地するまさにその瞬間を見計らい、ムダのない動きで第二波を放つ。

 足首に強い衝撃を感じて、天地がぐるっとひっくり返って、背中がドサッと地面についた。


「悔しいが……あっけなく勝敗が決したな……」


 ネメスの大鎌で払われた足首からは一滴の血さえも流れていない。

 あの一瞬でこんな高度な手加減までやってのけたことに、バザウは驚嘆を覚える。

 バザウが無様に寝転がっているところにエメリの声が降ってきた。


「俺の前で跳ねるのは悪手だね」


「……落ちたところを的確に刈られる、というわけだな」


 革の仮面がこくりと頷いた。

 こうして見上げていると、手が届かないほどの巨人に見える。


(いつもくだらないことをしゃべっている時は、てんで滅茶苦茶なヤツにしか見えないのに)


 静かにしている時のエメリはがらっと雰囲気が変わる。

 神から賜った大鎌を操る者に相応しい、謎めいて底の見えない強者の風格さえ漂っていた。


「気は済んだ? じゃあ帰ろうか」


 踵を返したエメリ。

 仰向けに転がっていたバザウはがばりと起き上がった。


「も……もう一回戦だけ頼む!」


 エメリはゆっくりと振り返る。


「何度やっても、同じことだと思うけど」


 渋々、といった様子でエメリは再戦を受け付けた。


(貪欲の市場で最強といわれる男……か……)


 オーク好みのわかりやすい強さではないが、堅実で的確で抜け目ない戦いをする男だ。

 エメリともう一度手合わせができる喜びにバザウは牙を見せて笑う。

 バザウも戦士だ。自分の力量がどこまで大鎌のエメリに通用するのか、できるところまでやってみたい。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 知識がどんどん増えていく感覚はとても気持ちよい。 [気になる点] ミアズマとか知識の端っこに引っかかってたものを引っ張り出す感覚も楽しいです。 [一言] この小説はすごくすごい
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