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バザウ、君は賢すぎる  作者: 下山 辰季
第六部

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80/115

ゴブリンとお祭り強襲

 大通りの先の一等地にあるシャルラードの屋敷に挨拶に向かう。

 屋敷で働くオークは、シャルラードの用事が済むまでここで待つようにと二人を小応接室にとおした。

 案内オークの態度の端々からは侮蔑が伝わってきた。


「……」


 応接室は豪奢で、砕かれた星屑亭とは床や壁からして質が違う。

 高級品が惜しげもなく使われているが、ゴテゴテとした大げささが美を損ねている。いうなれば……。


(……悪趣味……)


 壁に陣取った大鹿の頭がうつろな黒いガラスの目でバザウとエメリを見下ろしている。


 冷淡な顔で召使いがドアを開け、その後ろからゆっくりと屋敷の主が顔を出す。

 肉。

 まずバザウが認識できたのは、シャルラードの目でも口でも鼻でもなく、たぷっと震える肉であった。

 一歩踏み出すたび、全身の肉にさざ波が立つ。

 色白の肌はなめらかで、他のオークの男たちの傷だらけの荒れた皮膚と同じものだとはとうてい思えない。

 カロリーにしてコレステロール。セルライトとメタボリックの体現者。彼こそが貪欲の市場を治める豪商シャルラード。

 専用のソファにその身をずしっと沈める。


「すまんな、エメリ。牧場勢との話し合いに少々手こずってしまってな」


 シャルラードが右手をあごに当てたことで、バザウにもあごの輪郭が判別できた。

 むっちりとした指には嫌味なほどに豪華なたくさんの指輪で飾られている。どれも大ぶりの宝石つきで、その色は指ごとに違う。

 ただの指輪にしては土台の金属部分がやけに大がかりで、まるで何かの装置のようだ。


「私に会わせたい者がいるそうだな」


「うん、そう。こちらが禁足の森に同行するバザウちゃんでーす」


 エメリは上半身をぐにゃっと曲げて、腕と体で矢印を作った。


「ゴブリン!? ……そう、か。オークではなく」


 シャルラードの表情は一瞬ごとに変化した。驚き、納得、悲観、そして挑発めいた顔へと。


「てっきりソイツは新しいペットか召使いか何かだと思ったぞ。ゴブリンのちっぽけな体ではどうあがこうともその辺のオーク一人にすら勝てまいに。うん?」


「腕力よりも隠密行動が重要な仕事だと聞いている。その辺のオークよりは森の中でひそかに動く自信はある」


「フホホッ! こんな安い挑発に乗りはしないか。ふむ、ゴブリンらしからぬ冷静さだ。たしかに少しは見どころがある。……ああ、エメリは……」


 切れ長のシャルラードの目が、バザウの姿を映したまま細まる。

 真実を見透かそうとするかのように。


「ゴブリンらしくないゴブリン、というところに共感したのか」


「……人の心を勝手に解釈するのはやめてくれません?」


 エメリの声のトーンは明らかにイラだっている。

 どういう意味かとバザウは気になったが、どうもエメリにとっては触れてほしくない話題らしい。


「バザウよ。ネメス復活を目指し森の調査に従事してくれるな?」


「ああ」


 バザウ自身はネメスへの信仰心は薄いというか皆無だが、その過程で神に抗う方法を見つけられるのではないかと期待している。

 そういう意味ではオークたちに協力するつもりだ。


「皿を」


 シャルラードの従者が進み出てバザウに絵皿を渡す。

 貪欲の市場の門で立ち入り手続きをした時にも、同じような皿をこうして持たされた。


「けっこう。皿は割れなかった」


「……これはまじないか何かか?」


「この世に残されたネメスの慈悲だ」


 シャルラードが手にしたネメスの神器。それがこの皿だという。

 料理を乗せても良いが、誰かの手に乗せることでも変わった効果を発揮する。虚偽や悪意を感知すると皿は勝手に落下して砕け散る。信頼できない者を見破ることができる。

 皿の神器は増殖可能だ。食品をかたどった粘土をオリジナルの神器の上に一晩乗せて放置する。そうすると神器は新たに小皿を一枚生成する。増えた分は市場の門などに送られ、そこで敵対勢力が入り込まないように活用中。


 エメリがひらっと手を挙げた。


「先生! うっかり手を滑らせて皿を落とした場合はどーなりますか? 柱に打ち付けられて死んだ後もさらし者にされますか?」


「落とそうが踏みつけようがヒビ一つ入らない。通常の方法では神器は傷つかない。……お前もしっているはずだが」


 シャルラードに次の予定が控えていると告げる従者の声が面会終了の合図となった。

 立ち去ろうとするバザウの目を見てシャルラードはいった。


「エメリのことをよろしく頼むぞ。かわした約束だけは全力で守る男だ。私を裏切ることはない。お前のこともな」




 砕かれた星屑亭の二階は宿になっている。

 ただ眠りにつくためだけの簡易寝台がずらりと並んだ大部屋。通称、雑魚寝部屋。宿から提供されるのは、薄っぺらい布団と微妙に臭い枕、それから荷物を放りこんでおくだけの行李箱。

 お世辞にも清潔な環境とはいえないが、バザウは特に不満はない。野宿や馬小屋で寝るよりはずっと贅沢だ。

 宿の亭主のカスラーがバザウを案内する。


「今空いてるのは、右列の一番手前と左列の手前から二番と三番目。この三つの寝台だな」


 ほとんどの客は出払っていたが、左の手前の寝台に一人だけ残っていた。うつぶせの姿勢で自堕落に寝転がっている。

 くすんで灰色がかった緑の肌。バザウよりも華奢で小柄でいびつな体。しわくちゃの顔に奇妙に幸福そうな笑みを浮かべている。その頭には赤い尖り帽子。

 レッドキャップゴブリンは寝台の上で嬉しそうに鼻を震わせた。


「嗅いだことのない新しい命の臭いだよぅ。不思議だねぇ」


 にちゃりと開いた口からは黄ばんだ牙がのぞく。

 カスラーはいたって平静に両者を紹介する。


「このゴブリンの爺さんは垢ねぶりって呼ばれてる。頭はおかしいが良い戦士だ」


 オークの街では、腕の良い戦士であれば性格の欠点はさほど問題視されないということか。

 思えばエメリも面相を仮面で隠した不審者スタイルに、おかしなテンションでべらべらしゃべりだす不審者トークに、奇妙な身振り手振りを多用する不審者ムーブと怪しさ満点であるにも関わらず、市場の有力者のシャルラードから仕事を任されている。


(……ただシャルラードの従者達からは、あまり歓迎されてはいないようだったが……)


「垢ねぶり。コイツはバザウだ。今度大鎌のエメリと組むことになった」


 垢ねぶりは聞いているのかいないのか、床に落ちている汚れた濡れ布巾を凝視しながら笑っていた。

 布巾には床にこぼれた酒でもしみこんでるようで、臭いに引き寄せられた羽虫が飛んでいる。


(……必要以上に関わり合いたくない)


 バザウがドアに一番近い寝台の前に立つと、羽虫を観察したまま垢ねぶりがいった。


「前にそこを使ってたコボルトは、森のエルフの矢でハリネズミにされて死んだよぅ」


「……」


 一歩進んで二番目のベッド。


「頭と運の悪いオーガだった。自分が振り回した特大のフレイルが脳天に当たってご臨終」


「……」


 案の定、三番目でも垢ねぶりは聞きたくもない情報を教えてくれた。


「そこのオークはグズでノロマで逃げ足が遅くってねぇ。エルフの巫女に生きたまま木に変えられて、毒蛇の薬で体は元に戻ったがぁ……。恐怖で頭はいかれたまんまぁ」


 バザウは頭痛のする額を軽く押さえた後、選んだ寝台をカスラーに申告する。


「……ここにする」


 左側の三番目のベッド。

 あの気味の悪い先客から距離をとれるのはここだ。


「よぉおろしくぅ。ゴブリン同士、仲良くしようじゃあないかぁ」


 レッドキャップは自分のベッドの上に座り直し、帽子を脱いで人差し指でくるくる回し始めた。フケ、あるいは他のおぞましい何かが帽子から飛び散った。

 垢ねぶりのハゲ頭にはいくつかのコブがあり、そこから長い毛が数本ばかり伸びている。

 大部屋のあらゆるものに、ここで寝泊まりしてきた大勢の客の汗とヨダレと垢と鼻クソがしみこんでいるようだった。

 この宿の客のほとんどは無頓着さと金銭的な都合から雑魚寝部屋を選ぶが、エメリは星屑亭にごくわずかしかない個室の一つを自分の根城にしている。


(ちょっとうらやましい……かもしれん……)


 貪欲の市場では金を持っていればいる分だけ選択肢が増えるのだ。




 バザウがカスラーと共に階段を降りると、一階の食堂でテーブルについているコボルトと目が合う。控えめな笑顔で軽く会釈を返された。

 少しだけ白の入った黒い毛並みがキレイなコボルトだった。薄い笑みを浮かべてはいるがその表情は力なく、漂う空気はどこかアンニュイ。


「なんだ。帰りがずいぶんと早いな、キアンコ」


「カスラーさぁん……。僕、もう仕事の自信なくしそうです……」


「気が晴れない時はホカホカのイモでも食べることだな。俺にしてやれるのは、それくらいだ」


「うう、カスラーさん、ありがとうございます。……それ、おごりですか?」


 白黒のコボルトはちょっとだけズルい顔つきになって冗談っぽく尋ねた。


「寝言を……。代金はいただく。対価と公平。それが砕かれた星屑亭のモットーだ」


 カスラーがそう答えることはわかっていたようで、キアンコは気楽に笑う。

 無理をした作り笑いではなく自然な表情だった。


「それじゃ肉団子で腹ごしらえすることにします。ソースはクリームが良いです」


「……マッシュポテトもあるぞ」


 スカウトの仕事を正式に引き受けたバザウは、三日分の宿と食事を確保できた。

 バザウが完全に無一文だとしったシャルラードの計らいだ。砕かれた星屑亭でかかる最低限の費用を立て替えてくれている。

 なんでも、困っているヤツに恩を売るのがコスパが最高、ということらしい。


「ボイルしたソーセージの盛り合わせを出してくれ」


「……揚げたジャガイモは……? オススメだぞ」


 バザウは首を横に振る。ほしくないものに払う金はない。

 武骨なカスラーの顔に切ない影が落ちる。宿の亭主はしょんぼりした足取りで、厨房で働くホブゴブリンを手伝いにいった。


「新しくこの宿にきた方ですか? 犬族コボルトのキアンコと申します」


 コボルトが犬に似た容姿をしているのは当たり前のことなのに、わざわざ犬型と付け加えるのがバザウには不思議だった。


「そうだ。よろしく。俺はハドリアルの森の産まれ、震撼を呼ぶヘスメの十二番目の息子バザウだ」


「バザウさん、貪欲の市場での暮らしには慣れましたか? 僕は市場にきてかれこれ三年目ってとこですけど」


 まだここにきたばかりで、よくわからないこともたくさんある。

 バザウは軽く首を横に振った。


「これからおいおい慣れていく……という段階だな。今はとりあえずエメリとの仕事を上手くこなせるように専念するだけだ」


 にこやかだったキアンコの顔に、微妙に嫌悪の表情が浮かんだ。


「エメリ……さんですか。あの仮面の」


「そのエメリだな」


 バザウが頷くと、キアンコは同情するような眼差しになった。


「エメリさんってウザ……いえ、賑やかすぎていっしょにいると僕なんかは疲れちゃうんですよね」


 良い機会だ。エメリの評判を探ってみる。

 シャルラードからの信用は得ていたようだが、判断をくだすための情報は多い方が良い。


「ククッ……、そうだな。普段のあの様子からじゃ、エルフの森から生還できるような実力者にはとても見えないが……」


「あんな風でも、任務っていうか契約とか約束には意外と忠実みたいですよ。ネメス神への信仰も深いですし。あと……」


 キアンコは周りにオーク族がいないことを確認してから、細長い犬の鼻づらをバザウの耳にこしょっと寄せてささやいた。

 

「貪欲の市場で一番強いんじゃないかっていわれてます」


 湯気の立つ料理の皿を持って、カスラーが厨房から戻ってきた。

 喰い意地のはったゴブリンと落ち込み気味のコボルトは、お腹に美味しい料理を詰め込むことにした。

 まくまくと肉団子を頬張るキアンコに、バザウは小さく声をかける。


「……元気は出たか?」


 キアンコは何も刺さっていない木のフォークをもてあそぶ。


「……ちょっと仕事で壁に当たってしまって……。今までつちかってきた技術も経験を駆使しても、歯が立たないし目処も立たない。こんなんじゃ市場にきた意味があるのかな……って」


「自分の特技で金がもらえるのは、とても割りの良い取引だと思う」


 バザウは自信をなくしかけているコボルトを励ましたくて、自分が考えたことを静かに言葉にしていく。


「外で肉がほしければ……獣を仕留めるしかない。狩りが達者であろうとなかろうと……。薬が必要なら……自力で薬草を探すしかない。薬草の知識があろうとなかろうと……。自力でなんでもやるしかない」


 市場にきたばかりのバザウはたいして偉そうなこともいえない。

 キアンコの仕事の悩みに的確なアドバイスもできやしない。

 だから、バザウが貪欲の市場にきて感じたことを伝える。

 この場所でこれまで働いて生きてきた者に。


「貪欲の市場は……狩りが下手でも薬草をしらなくても、自分が得意なことを他者に提供することで肉や薬を手に入れることができる不思議な場所だ。多彩な種族の色んな特技が入り混じっていて、外にはない自由と可能性がある……」


 バザウはふっと目を伏せた。

 貪欲の市場に自由と可能性を感じたのは、自分が金が不要な外の暮らしをしっているからだろう。

 金がないと生きられない者にとって市場は不自由と閉塞感の象徴になるのかもしれない、とバザウは思った。


「キアンコが持っている特技は、この市場をより豊かに鮮やかなものにしている……。ここでどんな仕事をしているんだ?」


 小首を傾げたバザウに、小さなコボルトはパタパタと尻尾を振りとびきりの笑顔を見せてくれた。


「僕の仕事は、拷問官です!」


「……」


 やっぱり砕かれた星屑亭には風変りな客ばかり集まっているようだ。




 夜にはエメリとの打ち合わせ。


「明日はエルフ見学にいきまーす。これはまだ正式な偵察隊の仕事じゃないから気楽にね。バザウちゃんの肩慣らしを兼ねて戦闘部隊の戦いに便乗しちゃうぜ」


 貪欲の市場はたびたび禁足の森に小規模の戦いをしかけている。

 これは計画的なもので、疲弊させて森の戦力をそいでいく狙いだ。

 物資や戦闘人員に事欠かない市場とは異なり、閉鎖的な環境にいる森のエルフにとって一戦の負担は大きい。

 代理が簡単に用意できないという意味で森のエルフの命は貴重でかけがえのないものだが、傭兵ゴブリンや下っ端オークの命はいくらでも補充がきく。


「他の森のエルフが応援にきたりしないのか?」


「シャルラードもそれを警戒して対策してる。あと困るのは他種族の介入だよね。人間個人の力は弱いけど、アイツらアリんこみたいに大勢で行動するの得意でしょ。農場のオークと同じように人間には畑を耕す文化もあるから兵站の確保もしやすいだろうし……」


 バザウはこれまで出会ってきた人間を思い出して軽く目を閉じた。


「ああ……人間は敵に回すと厄介だからな」


「まーね。でもなんの利害もないのに正義感だけでオークを敵に回してエルフにつく、ってのも考えづらいよね。特に禁足の森の連中は他種族を見下してるから、もともとこの辺りの人間の有力者とは良好な関係を築いてない」


 多少の懸念はあるがシャルラードが立ち回っているのでそこまで心配しなくて良い、とエメリは請け負った。




 翌日、バザウとエメリは市場を出て戦場に立っていた。

 オークにゴブリン。荒っぽいことが好きなオーガ。コボルトも少しいる。リーダーシップをとっているのはオークだが、規律正しい軍隊ほど厳格な統率はなされていない。

 ずっと遠くに森が見えるが、この位置なら弓矢の雨が降ってくることはない。まだ安全圏だ。

 戦闘員だけでなく戦の準備を手伝う者たちもせわしなく働いている。あの白衣のゴブリンの姿がチラリと見えた。


「いよいよか……」


 決意を固めたバザウ。

 そして風に乗ってライ麦パイの匂いが漂う。

 近くで誰かがカルダモン入りのシナモンロールをほおばっている。

 焼き魚のサンドイッチを売る小柄なゴブリンがバザウの横をひょいっととおっていった。

 バザウの顔からすーっと力が抜けていく。


「……なぜ戦場でグルメフェスが……?」


 肩から商品の入った箱やカゴをぶらさげた売り手が傭兵の間を活き活きと渡り歩く。


「珍しい? いつもこんな感じだよ。さすがに補給が難しい激戦地とかだと事情も変わってくるけどね」


「そういうもの……なのか。俺の故郷の森でも、襲撃の成功後に宴を開くことはあったが……。オークは戦いの前からお祭り騒ぎなんだな」


 最初は気が抜けてしまったが、よく観察すると良い点もわかった。

 バザウがそうだったように気が抜けるというのがかえって良いらしい。特にゴブリンやコボルトといった種族に効果的なようだ。

 個人差はあるが彼らはオークやオーガほど根っからの闘争好きではない。そして一対一の勝負ではエルフ族に勝てる見込みはかなり薄い。

 大勢の売り子の存在は祭りに似た賑わいを作り出した。楽しいノリはゴブリン傭兵が臆病風に吹かれるのを防ぐ最良の特効薬。

 コボルト族はゴブリンほど楽観的な気質ではないが、それでも大規模襲撃への参加という緊張がほぐれて心理状態が落ち着くようだ。

 売り子は自分たちの商売活動が及ぼす副次的な影響をそこまで深く考えてはいないだろうが、結果として寄せ集めの雇われ戦士の士気安定に一役買っている。


「……バザウちゃん。とっても難しい顔してる。どれを食べようか真剣に考えてるんだねっ。どんな選択をしても、エメリはバザウちゃんのこと、信じてるから……っ。空腹に負けないで!」


 主人公の重大な決断を見守るヒロインめいたポーズをしながら背後で何やらエメリがつぶやいているが、ウザいので無視した。




 そんなエメリに声をかけたのはバザウではなく他のオークだった。

 少し離れた場所から、二人組のオークが悪意と侮蔑の混ざった言葉を投げかける。


「軟弱者め。ネズミ同然の腰抜け野郎が、よく本物の戦士の前で大きな顔をしていられるな」


「あの森の中に入れるだけの才覚を持っておきながら、何もしないでおめおめと生きて帰ってくる神経がしれねえよ。命尽きるまでエルフと戦わってこいっつーんだよ」


 わかりやすい武勇を尊ぶオークの価値観ではエメリの活動は受け入れがたいものだ。

 そのくせ市場を治めるシャルラードから特別な恩顧を受けているとなれば、反感はなおさら大きくなる。


「まあ、まっとうなオークとはいえない半端者にはお似合いの仕事だがな」


「違いねえ」


 エメリは何もいわずにくるりとオークたちに背を向けた。


(エメリ……)


 だが、立ち去る気配はない。二人組に背中を向けたまま腰にすっと両手を当てておもむろに腰の重心を下ろし……。


(エ、エメリ……?)


 キレの良いリズミカルな動きでエメリは尻文字を空中に書き出した!


(エメリーッ!?)


「クソッ、あの仮面野郎! 『あさごはん なに たべた?』だとぉ!」


「ミートボォオオル!!」


 二人組のオークは憤慨したがエメリに直接危害を加えることはなかった。

 というよりエメリに近づこうとしない。悪意と侮蔑、それだけではなく、警戒心。


(……一定の間合い以上には入ってこない……?)


「ネメスの加護を得たからといって調子に乗るなよ!」


「オークらしく戦って死ね!」


 罵りの捨て台詞を残して、本物の戦士にしてまっとうなオーク二人は何も手出しせずに去っていった。


「なあ……あんなふざけた挑発をするから余計に反感を買うんじゃないか?」


「ハッ! それじゃ、なんだ? 本当にお二人のおっしゃるとおりですー、俺は卑怯で軟弱な半端者のネズミですー、この世に産まれてきてごめんなさーい、ってすまなそうに頭を低くしてれば良かったってことか?」


 エメリは機嫌が悪そうな声で反論した。その声には余裕がない。

 言い争う気はバザウにはなかった。


「……いや。今のは俺が悪かった。……お前のことをよく見ずに、すっかり使い古された一般論を口にした」


 イラ立っていたエメリはこれで少し我に返る。


「別にまあ……バザウに対してはそんなに怒ってない……よ。っていうかあれだよ、大人げなく八つ当たり的なイライラをぶつけてしまった感はあるよね。えー……と、ごめんねバザウちゃん!」


 そう軽く謝った後、誰にともなくといった調子でエメリはぽつりとこぼした。


「どうせ何したって嫌われるんだよ」




 エルフ族は弓の名手だ。

 そういう相手に対しては、機動力の高い獣の背に乗って一気に距離をつめ、肉薄の乱戦に持ち込むのがオークの定石だ。

 傭兵団を率いるリーダー格のオーク複数名が骨太狼に騎乗した。

 骨太狼はバザウが見慣れた森狼よりもずっと大きい。森狼は大きめの犬くらいだが、骨太狼はよく肥えたオスの牛に匹敵する。

 気性は荒く気位は高い。自分が認めた相手しか背中に乗せることを許さない。

 鼻水を垂らしたアホなゴブリンやすぐに尻尾を足の間にはさむ臆病なコボルトなどは、骨太狼に乗ることはできない。


 一部のエリートオーク以外は、巨豚の引く大盾に乗り込むことになる。

 対エルフ兵器の一種で、戦用に訓練された巨豚の前方に分厚く頑健な金属製の大盾を取りつけたものだ。戦闘員が乗る荷台もある。

 狼の速さとは比べ物にならないが、これがあればエルフの矢を防ぎながら突撃できるという寸法だ。

 今日は十機ほど用意されている。どの大盾にも荷台部分に茶色い麻袋がドカッと積まれている。

 敵に突っこんでいくこの兵器に、お祭りモードでテンションが上がったゴブリンが群がっている。まるで人間の子供がポニーにでも乗りたがるような人気ぶりである。


 骨太狼も巨豚も妖精の系譜ではない。

 森の深部にまで入ることはできず、近づいてすぐ引き返すといった運用しか許可されていない。

 特に乗用家畜の巨豚と違って、骨太狼はオークと対等な同盟関係にある獣だ。狼の命を使い捨てるようなマネはできない。


「すみませーん、乗車券ください。大人二枚お願いします」


 たわ言に周りが白けた間にエメリは大盾に乗りこんだ。幼児が人を招くように、エメリはしきりに片手をパタパタ動かしている。


「バザウちゃーん!! こっち、こっちー!!」


「……」


 バザウは黙ってエメリのいる大盾に向かった。周りからはダメな意味で注目されて、いたたまれない……。

 他の大盾が動き出しバザウたちもそれに続いて出発する。


「老人一まぁい」


 大盾がゆっくりと動きはじめたところで、隙間に潜りこむイタチのようにぬるりと何かが荷台に這い上がってきた。垢ねぶりだ。

 バザウは増えた道連れを歓迎もしなかったが、邪険にすることもなかった。

 垢ねぶりのことは気にせずエメリに尋ねる。


「近づいて……、それからどうするんだ?」


「禁足の森には、ゴミクズゾールだけでなく偉大なるネメスもいっしょに封印されてるでしょ? そんな場所に大岩を投石器でぶちこむとか、一面の焼け野原にするってわけにもいかない。そーこーでー! これでーす」


 エメリは麻袋を示した。丈夫な紐がついていて、軽すぎず重すぎない量でまとめてある。


「投げやすそうな形状だが……これを森に?」


「ピンポーン。ある程度まで近づいたらこれを森に不法投棄します。もちろんエルフは怒ります。投げこんだらさっさとトンズラです。……作戦ではそうなのに、毎度まいど興奮して森に突っこもうとするバカが必ずいるんだよね」


「いきはよいよい、帰りは怖ぁい。兵どもがー弓の的ー」


 頭をゆすりながら垢ねぶりが機嫌良く歌う。


(十機の大盾が向かっているわりに森は静かだな。矢の雨が降り注ぐ勢いで抵抗があるかと思ってたんだが……)


 禁足の森は静まり返っている。

 森から微風が吹く。それは恐怖にさらされたか弱いウサギの吐息ではなく、怒りに角を震わせる誇り高く獰猛な七支ジカの息遣い。


 一番先行していた大盾がつんのめりながらストップし投擲の準備に入る。


「中身はなんだ?」


 バザウはそう尋ねて、紐を持って遠心力をかけて袋を森に向けて放り投げる。


「えー? わかんないの? マジでー? ウソー。ゴブリンなら臭いでわからない?」


 森の様子を見ようと大盾に開けている小さな覗き穴に垢ねぶりが顔を近づける。


「……金属だな」


 小さな覗き穴に的確に矢が打ちこまれる。矢じりが途中で穴につかえて、垢ねぶりの濁った眼球には届かない。

 垢ねぶりは麻袋を頭上に掲げると両手で投げ飛ばした。


「いらないゴミを適当に詰めてます。それと土も入ってるね」


 エメリはシュピッと親指を立ててみせた。


「森を荒らす方法は小枝を踏み折るだけじゃないってことが、いずれはバザウちゃんにもわか……」


 エメリは静かに横に振り向く。

 彼が腕を一閃させたかと思えば、そこには大鎌が握られていた。

 まったく飾り気のない、とにかく質素な鎌であった。その分、黒く静かに光る刃の妖しさが際立つ。

 大鎌なんて、そんなに大きくかさばる武器などエメリは持ち歩いていなかったはずなのに。

 手品か何かのようにいきなり現れた大鎌にバザウは目をぱちくりさせた。


(それよりも……エメリが向いた方向に、いや大鎌を振るった方向か……。地面が……)


 刃の大きさからも柄の長さよりもはるかに広大な範囲が、収穫後の麦畑のようにさっぱりしたありさまに変わっている。


「ふふふふふ……。驚かせてしまったかな、バザウちゃん。遠慮せずに素直に褒め称えて良いよ!! これがネメスから授かった大鎌の力。神に祝福されしこの大鎌は神の力以外に壊されることもなく、切れ味が落ちず、そして……草とかがめっちゃよく刈れる!! すごーい!!」


 エメリはゆるりと一点を指差した。


「草むらに潜伏したつもりのエルフを狩り出すのにも便利だね」

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