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バザウ、君は賢すぎる  作者: 下山 辰季
第六部

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79/115

ゴブリンとスカウト

 店内には広々とした金網の檻が置いてあった。見世物試合はそこで開催される。

 金網はそこそこ荒く、指が余裕でかけられる大きさだ。あまり編み目が細かいと観客の視界をさえぎって試合の様子が見にくくなる。


 ギャラリーのほとんどはオークの男たちだ。野卑な荒くれ者がそろっている。

 見世物試合に使う武器は会場側で用意されている。

 最もオーソドックスなのは取り回しの良い大きさの剣と盾の組み合わせ。

 変わり種の武器だと、ド派手に装飾されたムチだとか金属部分が刃になってるタンバリンなんかも置いてある。

 試合の手配係のオークは、バザウにネタ寄りの武器を持たせたがっているようだ。


「正統派な勝負も良いが、ゴブリンに対しては笑いを求めてる観客も多いんでね。受け狙い特化の武器も用意しているぞ。ほら、けん玉とかヨーヨーとか、小さなガラス玉を発射するカラクリ人形で戦ってみる気はないか? ん?」


「道化役はお断りだ」


 おかしな装備を押しつけられる前に、バザウは短剣二本を武器にしたいと宣言した。

 手配係は雑に武器を投げてよこした。


「ハッ! はした金目当ての見世物戦士のくせに、プライドのお高いことで」




 第一試合。バザウの対戦相手の武器は車輪だった。

 ゴブリンが内側に立ち乗って車輪を動かし、相手もろとも引き倒すといった戦法をとるようだ。


(これは奇抜な……。車輪の向きで軌道は読みやすいが、急加速には用心しなくては……。だが側面の防備が手薄だ。狙うのはそこだな……)


 ……などと対策を考えているうちに、相手のゴブリンが目を回して酔ってダウン。

 観客やや受け。バザウ、難なく勝利。




 第二試合。無傷で勝ち進んだバザウの前に、ホッピング使いのゴブリンが敵として跳びはだかる。

 車輪乗りのように勝手に自滅するかに思えたが、今度の敵はその予想を軽々と跳びこえた。

 ホッピングに乗ったまま腕の力だけで体を支えアクロバティックに蹴り技をきめてくる。

 躍進の勢いで怒涛の猛攻。

 その曲芸じみた派手なアクションに、観客のオークも陽気な声援を送る。


(コイツ……! あのバネ棒を自分の足同然に乗りこなしているだと……)


 バザウは体当たりで相手のバランスを崩そうとする。

 狙いどおりバランスは崩れた。が倒れない。

 よろめこうとふらつこうと、バネがまた床についた時点で体勢を修正される。

 上体への掌底。足払いの要領でバネ棒を引っかける。方法を変えてみても結果は同じだった。

 ホッピングに乗ったゴブリンは、いかなる妨害にも転倒しない。


 その程度の芸当はまだ序の口だったのだ。

 バザウの攻撃にホッピンゴブは不必要に大きく跳びのいて、そのまま天井をかすめるように宙返り。

 わき立つオークの声。

 金網の天井で顔面をすりおろしにするようなヘマはしなかった。

 宙返りで着地した後、まるで大砲の勢いで急角度の急接近。

 両腕はハンドルをしっかり保持。両足はペダルから離れて、バザウの胴を思い切り蹴りつけた。


「っぐ!」


 バザウは腕でとっさに守りの姿勢をとるが、ぶつかる衝撃自体をゼロにはできない。後ろにすべってしまう。

 勝負の風向きも観客の応援も相手の方に向いている。

 ホッピンゴブは得意げな顔をして観客へのアピール。余裕にあふれている。


(隙だらけではあるが……。やみくもに攻撃してもたやすく避けられるだけだ)


 相手は驚異的なバランス感覚の持ち主だ。転倒させようにもひらりとかわされピョインとジャンプされる。

 体当たりの際に短剣を深々と突き立てる……、という手段なら有効そうだがバザウはその方法をとる気はない。

 ホッピングと体術だけで戦っているゴブリンに対して、命を奪いかねない武器を使うのは嫌だった。賞金目当ての試合だ。それに、必ずしも対戦相手の命をとらねばならないという決まりはない。


 それまで観客に愛想を振りまいていたホッピンゴブの視線が変化したのをバザウは感じ取った。

 バザウは身をかわす。威勢の良いキックが空振りする。試合再開だ。


(俺にも考えがないわけじゃない)


 バザウは猫のごとき身軽さで一気に金網を駆け登った。脚力と背筋を使い、足を天井側に持ち上げる。長く力強い足の指が金網をしっかりつかんだ。自由になったバザウの両腕は、ジャンプ中のホッピンゴブの片手をとらえる。

 その動きは、サーカス小屋の空中ブランコ乗りを思わせるものだった。


 ゴブリンという種族は洞窟での生活を好み、小柄で軽い体と器用な足を持っている。

 バザウは少しでも手足をかけられる場所と勢いをつけるスペースがあれば、垂直な壁だろうと駆け登ることができる。ましてや手足をかけられるサイズの金網など舗装された道も同然だ。

 足指を自由に使えるバザウは床だけでなく壁と天井の金網部分を移動できるが、ホッピンゴブにはそれができない。四肢を駆使して金網を渡ることとホッピングに乗ることは、どんな達人でも同時に両立できない。

 ホッピング無効化!!


「……俺としては降参することを勧めるが……」


「あー! うーっ!」


 ホッピンゴブはぱたぱた暴れはしたが、バネの力が伴わないその悪あがきはさほどの脅威にならなかった。

 バザウは腹筋と腕に力をこめる。金網の壁に向かってホッピンゴブを投げつける。

 どんな体勢でもジャンプし続けたご機嫌なバネは、哀愁漂う金属音と共に金網に突き刺さる。

 楽しい遊具を失ったゴブリンはひどくガッカリして負けを認めた。




 バザウには三番目となるこの試合が今夜の出し物のクライマックス。

 現れた対戦相手の雰囲気がそれまでとガラリと変わる。

 片手剣と盾で武装したゴブリン。不機嫌そうに結ばれた口。その眼差しに宿っているのは戦士の憤怒だ。波打つ炎のような黒いイレズミが顔と頭部に入っている。ゴブリンの男には珍しく髪持ちで、黒い髪が脂で光っていた。


 試合開始の合図と同時に、バザウの肉を寸断しようと敵の剣が迷いなく振り下ろされる。

 身をかわしたが、薄暗い激情のこもった敵意の視線はバザウの速さに後れを取らずに追ってくる。

 野太い声援と品のないヤジが飛びかう中で、二人のゴブリンの戦士は向かい合う。


(やるじゃないか)


 対戦相手のゴブリンは殺し合いの刺激に魂をつかまれているらしい。

 獣じみた雄たけび。こちらの逃げ場を狭めようと盾が勢いよく突き出される。

 その盾を足場にしてバザウはキツネのように跳ねた。

 敵を蹴りつけ、そのまま一度距離をとる。


 オークたちは満足げに観戦している。

 ゴブリンのバカげた戦いぶりも娯楽として人気があるが、こういった本気の勝負も見応えがある。


 敵の手元で盾がクッと向きを変えた。面から横線へ。

 その意図を察すると同時にバザウの背中は金網に叩きつけられる。金属がきしむ。痛みが走る。

 バザウの首は、金網と盾の間にはさまれていた。


「ひゅは……っ……!」


 喉の軟骨が圧迫される。血の気が引く。目の奥でモノクロの砂粒がちらつきはじめる。

 時の流れが遅くなった視界に、剣の切っ先が迫ってくるのが見えた。


 両手で盾をつかんだ後、腹に力を入れて渾身の蹴りを見舞う。

 敵の体勢が崩れ首の圧迫がゆるんだところですかさず抜け出す。

 剣が金網に当たる不快な金属音が響く。

 バザウは呼吸を整える。追い詰められていた肺と脳を落ち着け、反撃に転じる。

 殺す気で攻撃してくる相手にまで慈悲をかけるほど、バザウは寛大ではなかった。


 酒場で借りた短剣を振るうと同時に、信じたくない嫌な感覚がした。

 おかしい。握った短剣の柄が頼りなく浮く異様な手応え。


 バザウに貸し出された武器はすでにガタガタの状態だった。

 

 狼狽するバザウの隙をついて猛然と襲いかかってくる敵の斬撃。

 それをかろうじてとらえて受け流したのが、貸し与えられたボロの短剣の最初で最後の仕事だった。

 柄の内部に収められている刀身の細い茎部分からポッキリといった。

 折れたタイミングも最悪。本当は使う前から武器自体が壊れかけの状態だったのだが、はた目にはバザウの防御の仕方がまずくて武器を壊したように映る。


 これまでの試合では武器を失うことは試合の終了を意味したが、今回ばかりは勝手が違う。

 見世物試合を取り仕切る酒場側も制止に入る様子はない。観客はナッツと麦酒を腹に詰めこみながら残忍な笑顔で見守ってくれている。

 対戦相手も戦いを続ける気だ。バザウの形の良い頭蓋骨を陥没させたくて、しなやかな首をとおる気管や食道をずたずたにしたくて、無意味に抗う手の指をプンッと輪切りにしたくてしたくてたまらない。と、そう顔に書いてある。

 

(……借りた武器のチェックが甘かったのは俺のミスだな)


 このところバザウは生き物の善意と美徳に慣れすぎた。

 貸し与えられる武器の状態は万全であるだろう、と無意識に信じていた。


 酒場の会場はすっかり処刑確定ムードだ。バザウを除いては。

 バザウは己の失態を認めたが、敗北まで認めるつもりはない。


(殺気を出さない。敵意は忘れる。腕力は不要)


 誰かの落とし物を拾ってあげるような気遣い。

 肩にひらりと落ちた枯葉を手に取る時の平常心。

 好きな香りのお茶を飲んだ静かな満足感。


 バザウは凶刃を振るう相手の腕をとらえた。異常なほど穏やかに研ぎ澄まされた精神で。

 それは素早くなめらかな所作で、死に物狂いの抵抗といった雰囲気はみじんもない。

 まるで軽い握手でもするみたいに。

 そのまま力は入れずに手をゆるく握って導いてやる。


 相手が気づいた時には。

 たしかに丸腰のゴブリンの命を奪おうと振るったはずの刃が、なぜか己の首筋にひたりと当たっているのだ。


 武装した敵を無手で仕留める技術をバザウは習得していた。

 ゴブリン族で一番邪悪で危険とされる存在。殺戮への欲求と衝動は、妖精族随一ともいわれているレッドキャップゴブリンの師匠から。


 その場に居合わせた者が状況を理解するのに数秒の間を要した。

 やがて、観客のオークたちの口からぽつりぽつりとつぶやきがもれ出す。


「何が起きた?」

「わからねぇ……。普通に戦ってるようには見えなかった」

「おいおい。まさかこんな地味な絵面で勝敗が決まったっていうんじゃないだろうな」

「はー……。つまらねえ」

「けっきょくアイツは何したの? すごいことをしたようには見えなかったんだが」

「何だよ、すっかり白けちまったな」

「ま、消化不良の試合だってことには変わらねえけどよ、俺は最後まで勇猛に戦った方のゴブリンを称えるね。ヤツはまっとうで立派な戦士だった」


 一人のオークがそういうと口々に賛同の声があがり、豪快な歓声が酒場を包んだ。

 バザウは身に着けた技によって金網の中での処刑を免れたが、荒々しい闘争を良しとするオークたちからは白い目で見られる結果となった。

 見世物試合のルールは観客の気分に大きく左右される。笑える試合ならゆるい雰囲気で、殺し合いなら殺伐とした空気に変わったように。

 観客の不興を買ったバザウが賞金を手にすることはなかった。

 裏口からバザウが立ち去る時に、酒場の店員はこんな感想と共に見送ってくれた。


「だから俺は忠告してやったろ? けん玉でも持ってった方が絶対気に入られたのに」


 冷たい罵りの笑い声。ドアは固く閉ざされた。




(上手くはいかないものだな)


 バザウは真夜中の路地裏で座りこんでいた。


(……疲れた)


 どうしたものかと考えようにも、じわりと広がる疲労感が集中力を奪っていく。


(寒い……。腹が減った)


 森狼の毛皮のマントをぎゅっと体に引き寄せる。


「ドーンマイ。惜しかったねー」


 かなり近くから聞こえた声にバザウはぎくりとした。接近されたのに気配をまったく感じなかった。

 いつの間にかすぐそばにいたのは革製の仮面をかぶった細身の男。荷馬車の上でバザウに手を振った人物だ。


「俺はああいうやり方も好きよ。大勢のマトモな皆さんからは、あんなもんは邪道だっていわれちゃうんだけどね」


「……そりゃどうも」


 敗者に励ましの言葉を伝えるためだけに、わざわざやってきたとは思えない。

 もちろん仮面の男にはメインの用件があった。


「あのね、ゴブリンちゃんに耳よりなお話を持ってきたの。貪欲の市場にきたからにはお金ちゃんがたんまりほしいよね、ほしいはずだよね、ほしいだろ、ほしいっていえ! 俺はエメリ。すばしっこくて機転が利いて腕の立つ妖精族の助っ人を絶賛募集中。俺が拠点にしてる宿があるからくわしい話はそこの一階で、何か軽くつまめるものでも腹に入れながら、ねっ」


「……」


挿絵(By みてみん)


 バザウは警戒した。不審者だ。


「平気平気、心配しないで。俺は全然怪しい者じゃないし、それに食事は……」


 仮面の男はピッと親指を立てた。


「全部俺のおごりだから!!」


 顔を隠しているエメリのことをいきなりは信頼できないし、仕事の内容についてもまだわからない。

 ただ、今のバザウは腹が減っていておまけに金がまったくない、ということだけは確かな事実だった。




 エメリに案内されたのは裏通りの店だった。

 見世物試合を開催していた酒場と比べて落ち着いた雰囲気だ。

 古びた木製のドアから温かな光と料理の匂いが闇夜に漏れ出している。

 前をいくエメリがドアを開ければ、店の熱気がバザウの顔に吹き付ける。

 多様な種族の体臭。店内に染みついた酒の芳香。腹をくすぐる煮炊きの臭い。


 カウンターのむこう側で大柄なオークが黙々と働いていた。

 身に着けた生成りのエプロンは少しばかり汚れが目立つ。


「ささー、どうぞどうぞー。このようなむさくるしいところで大変恐縮でございますが、お座りくださいませー」


「むさくるしくて悪かったな、エメリ」


 エプロンをつけたオークは一瞬だけ憮然とした表情をしてみせたが、すぐに酒場の仕事に集中した。

 わざとらしくひそひそ話ポーズを作りながらエメリがささやいた。


「ここの宿、砕かれた星屑亭の店主カスラーだよ。しっかり者のマスターなんだけど、俺の愉快な冗談を大目に見てくれない堅物で困っちゃうよねー」


 砕かれた星屑亭は一階部分に食堂を備えた二階建ての宿屋だ。

 オーク族やオーガやゴブリンの男たちがもそもそと体を動かす燃料を腹に詰めこんでいる。

 時々低く平坦な話声がするだけで、あまりバカ騒ぎをする者はいない。バザウとエメリのいる席が一番騒々しい。というか、エメリ一人がうるさい。


「それじゃー常識の範囲内で遠慮せずに好きなものを頼んでね! 俺の話を蹴っても、金返せ食べたもの吐き出せーなんていわないからさ。約束いたします」


 エメリは壁に貼ってあるメニューを振り向きもせずにひょいと指さす。

 横長の札状で簡単に取り外しができるようになっている。

 読めない文字だ。バザウが覚えた人間族の大陸共通語ではない。

 札には文字だけでなくシンプルな絵図も添えられている。オークが使う文字が読めない異種族への配慮でもあり、いちいち料理の内容を口で説明する手間をはぶくものでもあるのだろう。

 キノコや豚といった素材を表す絵文字と、蒸す焼く生でといった調理法を示す絵文字が組み合わされて記されている。


「肉料理で何かオススメを注文してくれ」


「えっとねー、エルフのサラダとかオススメ」


「サラダは野菜だろ……」


「オーク料理では、サラダは草食動物の消化器官を使った一品のことをさすよ! ちなハーフエルフは肉に臭みがあるから食用にならないよ!」


「……」


 バザウは揚げ焼きカツレツとスープを注文した。食材にエルフとかドワーフとか人間とかゴブリンの肉が使わていないことを確認してから。

 エメリの方は何も頼まなかった。食堂の席についても仮面を外さないその姿はバリバリに異様さを放っていた。


「さーて。食べながらで良いから、そのデカいお耳で話を聞いてね。この貪欲の市場はオークの交易場であると同時に、禁足の森へ攻め入る戦闘拠点でもあるわけだけど……」


 エメリは話し始めた。

 禁足の森はエルフの聖地であり、またオークが信仰する神が封印されている場所でもある。

 古くからオークとエルフは敵対関係にあり、長年の遺恨によりオーク側の無計画で散発的な戦闘が頻発していた。

 しかしここ数年では、貪欲の市場のオークたちの動きが統率のとれたものに変化してきている。

 変化のきっかけは、オークの豪商シャルラードが森を攻め落とすために指揮をとったこと。

 従来のオークの戦いでは個々の武勇に重きが置かれていた。シャルラードは英雄の活躍任せの旧来の方法を改め、それまで軽んじられていた長期的な情報収集や工作、兵站や補給線の維持といった地道で入念な戦闘準備に注目して改善をした。

 エメリもシャルラードから依頼されて偵察役を務めている。だがその仕事をこなせるオークはそうそういない。エメリは自分に同行できる仲間を探していた。


「つーまーりー。ゴブリンちゃんは斥候スカウト勧誘スカウトされたってこと」


 ゴブリンちゃん、という呼ばれ方は不快だ。

 カツレツの塊を飲み込んだ後で不満げな声で告げる。


「……バザウだ」


「バザウちゃーん! 主な仕事内容は、俺の行動の補佐だよ。特に、俺が調査に集中している間に見張りと護衛ができる同行者を探してるのね。あ、護衛といっても戦うのはマジで最後の手段というかできるだけ回避する方向でよろ! 見張りがメインね」


 求められるのは敵地でこっそり活動して逃げ帰ってくる能力だ。

 ゴブリンの体の小ささもプラスに働く。


「禁足の森について説明するね。明るく楽しい職場です!」


「ウソをつけ」


 禁足の森に入れるのは妖精の系譜に連なる種族だけだ。厳密には妖精以外も入ること自体は可能なのだが、死んでしまう。

 森に生息しているように見える虫や動物も、実際はそのような見た目に変身したフェアリーだ。ぼんやりと発光しているので普通の生き物ではないとわかる。

 エルフはもちろんのことだが、ゴブリンとオークも妖精族の一員だ。

 妖精族の絶対的な判定方法がある。菌類の毒を受けない、というのがどんな妖精にも共通する特徴だ。


 通常の生き物の侵入をはばんでいるのは、禁足の森だけに発生する有害な菌類だ。

 妖精族以外が森に近づくと、まずは目や鼻、ノドの異常を感じる。この段階なら引き返せば助かる。たっぷりの水で流し去れば後遺症もなくすっかり治る。

 だが体が発したそれらの警告を無視して森に入った先には、避けられない滅びが待っている。

 侵入して一時間もしないうちに露出した皮膚や粘膜の上に菌類のコロニーが形成される。皮膚の奥まで根をはっているから、いくら表面をぬぐい取ってもムダだ。

 菌糸はゆっくりと内部に入り込み肉体の支配権を乗っ取る。半日も森にいれば動けなくなり、一晩すぎれば立派なキノコの苗床に。


「だからオークがよく騎乗に使う巨豚や骨太狼は、森の中には入れない。現場への通勤方法は基本徒歩です! 交通費は出ません」


 森の中で機動力が高い獣の力が借りられないのは厳しい。

 エルフは弓を得意とする。射手を翻弄できるほど俊敏に動けなくては格好の的にされてしまう。

 死に赴くとしか思えない過酷な条件だが、エメリは単独で禁足の森の調査を済ませて生還するという離れ業を何度も実行している。

 ただ単独では調査に専念することが難しく、そのため見張りと護衛ができる補佐役を募っている。


「そしてお待ちかねの報酬の話をしよう! でもその前に……」


 エメリは仮面の前で右手と左手を交差させてから、しゅぴんっと腕を開いた。指をひらひらさせている。


「ゴブリンのバザウちゃんに、指を使って十数える方法をレクチャーするよ!」


「それはもう間に合っている。80ブリスくらいはもらえるのか?」


 エメリは指をへにゃっとさせた後、気を取り直し相変わらずのうるさいテンションで説明を続けた。

 椅子から立ち上がりムダにくるっと回って振り向きざまにビシィっと指をさす。


「結論、もらえちゃいます! 80なんてしけたこといわず、もっとドドーンと!! 任務内容の難易度によっては、さらなる高額報酬も夢じゃない! あなたの頑張り次第でガッポリ稼げるお仕事です!」


「……」


 コインのピカピカした輝きやチャリチャリいう音を気に入ったり、手に持った時のずっしりとした重みを好むゴブリンはいる。

 だがバザウは特にコインを収集する趣味はなかった。

 使い切れないほどの大金を望んでいるわけではなく、目当ての本が買えるだけの金があれば充分だ。

 バザウは貪欲の市場に縛られてはいない。野外をうろつき、獣穴の中で寝て、生き物やフェアリーをとっつかまえて食べる暮らしにコインは一切いらない。

 高額の報酬よりも、エルフを締め上げて古の神の記憶を聞き出せるかどうかの方が、バザウには重要だった。


「禁足の森はエルフにとっての聖地だといっていたか。……少し興味があるな」


 エメリは姿勢を正して椅子に座り直した。


「あの森の奥には二柱の神が眠っててね。エルフが崇める陰険クソ野郎のゾールが、豊穣と繁栄を司るネメスを封じこめている。俺の……依頼主シャルラードの望みはネメス神の解放だ」


 ゾールとネメス。どちらも聞いたことのない名前だった。

 頼んでもいなにのにエメリがやけに熱く説明してくれた。


 ニジュ=ゾール=ミアズマは妖精族の始祖とも伝えられている神で、カビやキノコが神格を得た存在だ。

 何をなした神なのかオーク側にはあまり逸話が残っていない。エルフたちならしっているのかもしれないが。

 前後のいきさつは不明なものの、我が身もろともネメスに封印をかけて今も禁足の森のどこかにいることだけは判明している。


 エヴェトラ=ネメス=フォイゾンは砂漠地帯を肥沃な農地に変えるほどの強力な農耕神である。オーク社会で厚く信仰されている神だ。

 他の神やその信徒からは、無知蒙昧の愚神でもあると非難されることもある。

 そんなことないけどねっ、とエメリはフォローを忘れなかった。

 汚濁、血反吐、腐った作物の中にその漆黒の体をくねらせて不浄を食す者。

 現存するエヴェトラの神話は性的な内容が多い。どこぞの王妃の寝室に忍びこんだとか、粗暴な男から彼の妻を奪ったあげく最終的に男の方も篭絡したとか、信奉者の乱痴気騒ぎの祭りに神自身も参加したとか、そういったエピソードには事欠かない。

 それらの逸話に関しては、豊穣神だから仕方がないねっ、とエメリはうんうんと頷いた。


「だいたいわかった。エルフどもだけならともかく……、封印にはニジュって神も関わっているんだろう? そんな相手を……神を敵に回すなんて……」


「シャルラードは本気でネメス復活を考えているよ。……俺もね」


 バザウはニヤリと笑う。

 ルネとチリル。ニジュとエヴェトラ。歯向かう相手こそ違うものの、神という大きな存在に噛みつこうという者たちが自分の他にもいるのが面白い。


「……ククッ、途方もない話だな。勝算はあるのか?」


「それは……ありまーす! 数多くの神話で示されているように、神を傷つけ屠ることができるのは神だけ。でーすーがー!」


 仮面の前でエメリは人差し指をピッと立てた。


「我らがネメスは封印される前に超便利な神器を残していったのでーす、有能! 依頼主のシャルラードも持ってる、すごーい! でもシャルラードの神器はあんまり戦いには向かない、大変! しかしご安心を! 市場勢力は、なっ、なんと! さらに別の神器所有者を確保しているからでーす! いったいどんな人物なのでしょう……!!」


「へえ……」


「……」


「……」 


「それは実は……俺でーす! てか、なんで何も聞いてくれないの? せっかくキメ顔で待機してたのに!」


「仮面をつけてちゃわかるはずがないだろう……」


「そーうーでしたー! もうっ、エメリってばおバカさん」


「……」


「……まあそれで、うん、あれです。ネメスの神器の力があるからゾールのヤツを討ち滅ぼすこともできるよ」


(神に……)


 理不尽で傲慢で残酷で横暴な神に、ちっぽけな妖精族の身で対抗する手段があるという。

 それが真実だという証拠はなかったが、エメリやシャルラードは神器の力を信じている。でなければこんな無謀な戦はしかけない。

 自分の目で神が討ち

倒される瞬間を確かめるチャンスだ。そもそもバザウが神々のことを調べているのは、ルネやチリルの思惑に自分自身で抗うためだ。

 禁足の森に踏み入るのが危険なことには変わりない。だがバザウが本当になしとげたいことに近づくためには、飛びこんでいかなければならない。


「わかった……。禁足の森の偵察に俺も加わろう」


「マジで!? やった!! バザウちゃん、なんでも好きなもの追加で注文していーよ!!」

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