ゴブリンと懐かしの友
(ここまで戻ってくるのに、だいぶ時間がかかってしまったな……。それだけ遠くまで旅をしてきたということか)
バザウは古びた石垣にそっと手を置いて、懐かしさをこめてなでる。
フズの境界線だ。
コンスタントと学者先生に会って話がしたいが、いきなりゴブリンが人間の村に顔を出すのは軽率だ。
あれから時間が経過しているので、もしかしたら二人が不在ということも考えられる。ここまできたのが無駄足になってしまうので、少なくともどちらかとは接触したいところだが。
まずは村に近いゴブリンの居住地に赴き、人間の村の様子をうかがうことにした。
かつては赤土の塗料で禍々しく縁どられていた洞窟はずいぶんと親しみやすく様変わりしていた。
小さなゴブリンの子らが好き勝手に描いた落書きや引っかき傷が、洞窟の外壁を賑やかに彩っている。
見張りについているゴブリンも、疲労で居眠りすることなく役目を果たしている。まあ、ゴブリンだけあって少々注意力が散漫だが。
「すまない。俺は前にこの洞窟の群れと交流があった旅のゴブリンだ。一族の者は達者か?」
「……あれ? もしかしてバザウの兄い?」
しゃがみこんで草笛を作るのに夢中になっていた見張りの若者は、名乗る前にバザウの名を呼んだ。
このゴブリンの若者は以前ピーチ・メルバたちに保護され、バザウといっしょに遊んだ子供の一人だった。
彼が立ち上がると、バザウより少し背丈が低い程度になっていた。もう大人の体格だ。バザウはゴブリンの中では背が高い方だ。
「うわあ、久しぶりだなあ。俺、兄さんが聞かせてくれるサローダーのバカ話がすっげえ好きで、よくせがんでたっけ……」
「そうか。どの話が一番好きだった?」
「どれも甲乙つけがたいっすね! ザリガニや毒バチも鉄板エピソードだけど、サローダーが珍しく根気と努力を見せた鼻クソボール作りの話が一番かなぁ」
しばし思い出話に花を咲かせると、洞窟の見張り番はバザウを快く案内してくれた。
族長が死霊術を使う老婆から若き女戦士に交代してから群れは活気を取り戻していた。
ピーチ・メルバは活発で、ベラドンナは気配りが上手く、ウィロー・モスは聡明だ。
(温かく迎えてはくれたが……、一度思いを断ったピーチ・メルバと再び会うのは少々気まずいな)
「バザウ。アンタがここにくるのはわかってたよ」
「うん?」
ピーチ・メルバはその場で流し目ウィンクと舌ペロスマイルでギャルルルンッとポーズを決めた。
「アタシと! ラブラブ生活をエンジョイしにきたんだろ? さー、ハグハグしよー! チューしろ!」
「はいはい」
「どうどう」
暴走する恋心を女友達二人がストップさせる。
二人に座らされ、長い髪をかき上げると、ピーチ・メルバはすでに落ち着いた表情に戻っていた。
「わかってるって。挨拶代わりの冗談だよ。バザウもくつろいで過ごしてくれよな」
ピーチ・メルバは自らバカをやることで気まずい空気を消してくれたのだ。
明るく豪快な性格は変わらないが、族長という立場に就いたことで周囲の反応を見ながら行動するように変わったらしい。
初対面では、バザウの顔が気に入ったという理由でいきなり強引なキスをしてきた女ゴブリンだったが。
「学者先生やコンスタントとも会いたいんだが、村にはいるだろうか?」
「たしか……、あの帽子の先生は春頃に大きなリュックを背負って出かけていきましたわ。色んな場所の自然や文化に触れるのが好きなようでしたし、研究の旅に出たのでしょう。いつ戻るかはわかりませんわ」
「キノコヘアのボーイなら、今は町の方で暮らしてるみたいだけどなー。だけどたまに村に戻ってくる。そろそろかな。しばらく待ってれば会えるんじゃね?」
バザウは洞窟のゴブリンたちの日々の仕事を手伝いながら、コンスタントが村に顔を出すのを待つことにした。
精霊術師のウィロー・モスに聞いておきたいこともあった。
「精霊術というのは、魔法とは違うものなのか?」
「ふご。そもそもあらゆる魔法は精霊が起こしている」
精霊使いも魔法使いも、本人が自力で魔法現象を発生させるのは不可能だ。二つの違いは精霊をどう扱うかの差でしかない。
精霊使いは自由な意思を持つ精霊に助力を求める立場だ。
魔法使いは精霊を封じた宝石を用いて、その力を支配し操作する技術をみがいていく。
どちらも本人の素養が必要であり、努力すれば誰にでもなれるわけではない。
「ありがとう、勉強になった」
「……バザウよ。少し雰囲気が変わったか?」
思い当たるふしが多すぎて、バザウはウィロー・モスの問いかけに曖昧な微笑みを返す。
様々な出来事が降りかかりそれらの経験は、水の流れが小石をけずるようにバザウを変えてきた。
ゴブリンの森での生活が七日ほど続いた後、村に向かう小さな道に人影を見た。
荷物をごっちゃり詰めこんだカバンを肩にかけて黙々と歩く青年。質素なアイボリー色の服に、しっかりとした生地で作られた実用的な紺色のマントをはおっている。
「……背が伸びたな、ペンスタンド」
茂みの中から声をかける。
懐かしく大人びた顔が振り向いた。
切れ長の垂れ目が、驚きで少しだけ大きく見開かれる。
「お前はあの日と変わらないのだな」
コンスタントは嬉しそうに微笑んだ。
村にカバンの荷物を置いてから、日が暮れる前に樹上の小屋があった場所で落ち合う約束を取り付けた。
久しぶりに訪れたコンスタントお手製の邸宅はほとんど跡形がなかった。
時の流れで自然に壊れたのではなく、コンスタントが片づけたようだ。その成長が嬉しくもありさみしくもある。
「豪華なもてなしができなくてすまないな」
「いいや気にしないさ」
バザウはチラリとコンスタントが持つカゴに視線を移した。
香ばしく焼かれたソーセージの匂いがする。
二人は林の中で適当に座れる場所を探して落ち着いた。
「バザウにわたすものを用意している」
「ほう……? なんだろうな」
とっくに気づいてはいるのにわざととぼけてみせる。
コンスタントは布がかけられたカゴに手を入れた。
その手にあるのはソーセージ……ではなく……。
「……なんだそれは……」
不細工な動物マスコット。
コンスタントが握る手の力を強めると、イヌともネコともクマともつかない異形の獣は舌をベロンと出してペプゥーと情けない音を立てた。
「……これはなんだ……」
「私から友への餞別だ」
バザウの手にナゾの動物が乗せられた。
しかしまだ希望は残されている!
「……あの、コンスタント。カゴの中に他にも何かあるんじゃないか……?」
「これは大事な届け物だ」
望みが絶たれた。バザウは現実を受け入れ、今にも消え入りそうな声をノドから押し出していく。
「……あ……、あ、りがと……う……」
少し前までは希望に輝いていたバザウの瞳には絶望が影を落とし、その声からは一切の喜びが失われた。
ゴブリンの浅はかな期待など無残に打ち砕かれる世の厳しさをバザウは深く重く噛みしめる。
「え……、そ、そこまで落ち込まなくても……。冗談なんだ! からかった私が悪かった!!」
もうダメだ、と思った時に救いが訪れることもある。
バザウは美味しいホットドッグにありつくことができた。
ソーセージは斜めの切れ込みが入れられ、こんがりと焼かれている。
バターが多めに使われたロールパンは軽くあぶられ表面がパリパリ。
新鮮なシャキシャキレタスも良いものだが、炒めたキャベツは焼いたソーセージとよく調和している。
ケチャップは加熱でさらに甘く香ばしくなっている。
「ああ……俺の舌と胃袋がこの世の幸福を謳歌している……。お前の母上にソーセージパンの礼を伝えてくれ」
ソーセージ一つで大げさに喜ぶバザウを見て、コンスタントは愉快げに目を細めて笑う。
「私が作った。ソーセージ好きのゴブリンどの御眼鏡にかなったようで何よりだ」
バザウは満足げに口元をペロリと舐めとった。
「最近は町の方にいるらしいな」
「ああ、あれから学校にいく機会を勝ち取ってな。町の学生寮暮らしだ。村の人たちに頼まれた買い物の品なんかを渡しに、時々こっちに戻ってくるけどな」
コンスタントの話し方はだいぶ自然になった。虚勢を張る感じがしなくなった。少年時代は威厳を出そうとわざと尊大な話し方をしていたのに。
昔はしばしば癇癪を起す不安定さがあったが、今の彼の言動には落ち着きさえ感じられる。
「どんなことを学んでいるんだ?」
コンスタントは少しだけばつの悪そうに口ごもった。
「その……本当は農業や林業の知識を学んだ方が、村のためになるとはわかっているんだが……。妖精学……を専攻している……」
「ククッ……、珍しい妖精をつかまえて世界に名を残す大発見をしたいからか?」
そうからかうバザウに、コンスタントは意外そうな顔をしてから曖昧に納得した。
「そういえばそんな風に息巻いていたこともあったな。今はもう……。好きな学問をやる楽しみもあるが、それ以上にこれから先どうやって食い扶持を稼げるようになるかで必死だよ。妖精学の知識が必要とされる職業もあるにはあるが、私がその仕事に就けるかは別問題だしな……」
ため息まじりにつぶやいた後コンスタントはバザウの方を見た。
さみしそうで、困ったような、情けない苦笑。
「私はもうすっかり私自身の夢を忘れていたのに、バザウはまだ覚えていてくれてたんだな」
お互いに近況を話した後で、バザウはコンスタントに頼み事を切り出した。
「ルネという神について教えてほしい」
「ルネ?」
いまいちピンとこない様子だ。
「……もしかしたら邪神に分類されているかもしれん。悪魔とか魔物とか……。ルネ=シュシュ=シャンテ」
「ああ、シュシュ神のことか!」
シュシュは感情と混沌を司る神である。双子のチルは理性と秩序を受け持つ。
正反対の性質を持つ二柱だが、どちらも心を象徴する神という点は同じである。
……ということをコンスタントは説明した。
シア=ランソード=ジーノームについても尋ねたが、その名は聞いたことがないとコンスタントは首を横に振った。
「バザウは神をそろった諱字司で呼ぶんだな。ゴブリンの習慣ではそうなのか? 私たち人間は普通、真ん中の字≪あざな≫だけで呼ぶ」
最初の諱≪いみな≫は神々や精霊などの間で使われる名。
人間は字≪あざな≫を呼ぶ。神の諱≪いみな≫は力が強いとされるため普段は口にはしない。絶対の禁忌というわけではなく、儀式をおこなう際など例外はある。
最後の司≪つかさ≫はその神が持って産まれた役目や特性を示している。
この三つが連なり神の正式な名称となる。神は自分の諱字司を持って世界に現れる。
コンスタントはバザウのしらない神々のことも教えてくれた。
医療や薬に携わる年老いたキツネの神。
集団の統率や規律を象徴するオオカミの神。
世界を飛び回り情報を集めるワタリガラスの神。
樹木、岩、風、光、土地や地形そのものの神もいる。
「この世のすべての存在が神たる資質を宿しているようだな……。と、ところでっ、ゴブリンの神はいるのか?」
バザウはちょっとソワソワしながら聞いてみた。
コンスタントは半笑いで返す。
「聞いたことがないな」
バザウのテンションが下がる。
「……なら人間の神は?」
コンスタントは真面目な顔になり腕組みをして答える。
「いや……人間の神の存在を示唆するかなり古い時代の神話が残っているくらいか。呼び名さえも伝わっていない」
ただ面白いことに、古の人間の神の聖体だという触れ込みで胡散臭い骨片などがあちこちの神殿や祠に置かれているという。
それも幼児の体格の骨から、明らかに年を経た老人の骨まで混合している。
「笑ってしまうだろう?」
「ククッ……。全部をかき集めたら、いったいどれだけ巨大で歪な骸骨ができあがるか見ものだな」
皮肉好きな二人はそろって揶揄の笑みを浮かべた。
だんだんと夕暮れが近づく。
晴れている時はさして気にならなかったが、吹く風が冷たく感じてきた。
「すまないな。色々話してもらって」
「友達のよしみで授業料は免除しておいてやる。ただ……私の話だけではバザウの探求心を埋めるには充分ではないみたいだな」
バザウが本当にしりたいのは、ルネやチリルに関する詳細な神話だ。
あまりに強大で立ち向かうことさえ無謀な挑戦に思える相手。その足元をすくい、出し抜くきっかけになり得る情報を求めている。
「ゴブリンが会うだけでも危険だから無理に勧める気はないが、古い知識といえばエルフが一番くわしいと思う」
「エルフ……か」
たとえ菓子折りを持っていって礼儀正しく頼んでも、プライドの高いエルフがゴブリンに知識を教授してくれるとは思えない。
バザウもエルフから教えを乞うなんてまっぴらごめんだった。
(だがエルフたちが持つ知識自体は魅力的だな……)
どうにかしてあの高飛車な妖精族から古い神秘の知識を吐き出させられないものかと、バザウは悪い顔であれこれ画策しはじめた。
そこにスッとコンスタントの右手が伸びてくる。
「バザウ。また何かあったら私のところにこいよ」
若い学生の中指にはペンだこができていて、親指と人差し指の爪の先は洗っても落としきれなかった青インクでうっすら汚れていた。
それはわずかな絆にすがりつく子供の手ではなく、対等な相手に差し出された大人の手だった。
「ああ。ありがとう」
指針は定まった。
洞窟のゴブリンたちに別れを告げてから、バザウは旅の一歩を踏み出した。




