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バザウ、君は賢すぎる  作者: 下山 辰季
第五部 あるいは 補部

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75/115

ゴブリンと虹の果ての少女

第五部 あるいは 補部 おしまい

 ウツボカズラが根城にしていたガラス張りの大きな温室。

 運動場や裏庭を一望できる屋上。

 顕微鏡や試験管が整然と戸棚に並ぶ理科室。

 響きは高尚だが実情は地味な生徒会室。

 プールを見下ろせる位置にある音楽室。

 ウサギとニワトリがいる飼育小屋。

 いつも消毒液の臭いのする保健室。

 窓際一番後ろの席があった教室も。

 豊富な蔵書数を誇っていた図書室も。

 もう世界のどこを探しても、あの場所は存在しない。


 七空学園の全ては消え果てた。

 春に萌え出たその芽は晩秋の訪れでとうに萎えており、温室という仮の盛夏で匿おうとも、小石がぶつかってできたかすかな亀裂から吹いた風にさらされて、創世樹の宿主は自分の衰えを認めた。

 永遠の春がないように、消えない虹もありはしない。


 瀟洒な校舎が壊れていく。

 星に変えられ学園に閉じ込めていた転入生たちの魂はあるべき場所へ。

 ずっと不自然にせき止めていた命の流れは、これで輪廻転生の渦へと戻るだろう。


 図書室が崩壊していく。

 リアルな立体感で彩色されていた本棚や机は、256色のドット絵に変貌し、さらには16色に。

 ハイクオリティの環境音は可愛くて切ないピコピコ電子音に変わってフェードアウト。

 ついに七空学園は黒字の画面に白いASCII文字だけとなる。バザウの足元には渦巻に似た@の印。

 最後に大文字のQが表示されたかと思えば、世界はプツリと完全に沈黙した。

 新たな入力を待つように、白いラインがチカチカと明滅している|




 次に瞬きをした後にはバザウは現実世界に帰っていた。ティモテと遭遇した時にいた場所だ。

 七空学園の男子制服はフッと消え失せて、いつもの旅装束に戻っている。

 ウツボカズラの創世樹は枯れ果てた。テォモテ=アルカンシェルの作品は削除された。


「……別れの挨拶もいわずにいなくなるとは、図書委員さまは本当に粗忽でいらっしゃる」


 いない相手にむける皮肉。思い出すのは、はじめて会った日にバザウが貸出手続きをする前に図書室から出ていってしまった三つ編みの後ろ姿。

 細かいところを気にする一方でそそっかしくもあり、強気な姿勢に出るかと思えば自信のなさが伝わってきたり。

 本来敵対する立場にありながら、バザウを救って消えていったり。


 彼女が触れた自分の手をに視線を落とす。

 おずおずと手を伸ばして指で抱擁するかのようにぎゅっと握り、それから彼女の体温は離れていった。


 バザウは学園≪せかい≫の秘密を解き明かそうとしたが、ティモテを討つ行動は何もしていない。それを成しえたのは彼女。

 しいて挙げるなら、バザウはただそこにいた、というだけだ。

 緑髪の三つ編みを二本ゆらして丸い眼鏡とソバカスを鼻に乗せた少女の、誰よりも一番近いところにいた。


「……死んでしまうなんて……」


「死ではない。二と三の次元がまじわる虚構空間が消失しただけで、彼女たちは生きている。学園の外に出てもゥお宅が生きているよォうに」


 虹の色をまとった老魔術師が佇んでいた。


「ティモテ=アルカンシェル」


 バザウはティモテが姿を見せた意図を探ろうと意識を研ぎ澄ませた。

 老魔術師の微妙な表情や姿勢からその内心を読もうと集中する。


「ウッフフ! このいたずらっ子ゴブリンめ」


 ティモテはスッと手を伸ばす。

 突如バザウの精神に膨大なイメージが津波のように押し寄せてとどまるところをしらずに拡張と縮小を繰り返す精神の領域の片隅に無人のイスがある灰色の牢獄に格子の窓から見えるのはネオンサインの肉欲芝居は制服を着た光の女神が分身変化で赤橙黄緑青藍紫の七人娘の萌斉唱《アニソン☆ユニゾン》朗々と響くハニーボイスが語る顛末では意志の移ろいそれが魔術師の結末。


「高齢喪男≪おじいちゃん≫の萌斉唱《アニソン☆ユニゾン》、これにておしまい」


 ティモテが手をパチンと叩いたことでバザウは脳に流れこむイメージの連鎖から解放された。

 バザウは後ずさり呼吸を落ち着かせる。どこからが現実の知覚で、どこまでが虚構の情報なのかさえもわからなくなる。恐ろしい。頭がくらくらする。

 七空学園で何があったのか。あそこがどのような初志で作られ、どういう風に歪んでいって、どんな結末を迎えたのか。空虚な学園生活の中で七人が何を思っていたのか。

 それらの記録が有無をいわさず強制的に叩きこまれる。目を背けたくなるようなことまでも。


「うぐ……」


 何よりバザウの脳を焼いたのは赤いサキュバスの激怒と紫のゾンビの諦観。彼女たち二人が学園の中で何をされてきたのかもバザウは理解した。

 砂糖菓子みたいな擬態で本性を隠したあの悪女から受けた苦痛と屈辱をバザウは忘れていないし許す気もない。

 だがあのサキュバスは他の娘たちを悪意ある欲望から保護するためにずっと、何度も、いつ終わるともしれず、繰り返し……。


「ふふーム? やはりィ思ったとォーりだったか。精神防壁もはらずに心理透視をしようとするとはァ……。危険領域の技術を無意識に習得してしまったか、フフゥン」


 相変わらずバザウには意味のわからない単語を使って、ティモテは一人で納得している。

 オーバーリアクションで老人は首を横に振る。


「最初に会った時も感じたが、やはり狂気の門が開きかけておるではないか。思考はやがて幻聴となり、推測はいずれ妄想となろう」


「……ご忠告どうもありがとうよ。イカれた……クソが!」


 ティモテは細長い手足を伸ばして踊るようにバザウの攻撃をあしらう。

 その動きはけして速いわけでも鋭くもない。古風で上品なバロックダンス。どう考えてもバザウの本気の剣閃をかわせるはずがないのだ。

 なぜ老人一人仕留められないのかバザウは気づく。


(……違う。遅いのは俺の動きだ!)


 無意識に。いつの間にか。気づかないうちに。

 バザウはティモテのゆったりとした動きに同調させられていた。

 その状態でバザウがいくら刃を振るっても、決められたダンスの振り付けのようにティモテはそれをひょいとかわしていく。


(あやつり人形にされてたまるか!)


 力づくでティモテの動きに抗う。

 体が重い。肉体は脳からの指示に困惑する。扱いなれた短剣はまるで鉛のこん棒で、足場の地面はタールの底なし沼だ。

 ティモテの流れに逆らうことは滝をさかのぼるようなものだった。

 憎悪をたぎらせ肩で息をするバザウを横目に、ティモテは単調な舞踊にほんの少しだけアレンジを加えた。前方に重心を寄せてステップ。


「っ!?」


 何もない場所でバザウは前につんのめり転びかける。

 老魔術師はモノクルを光らせながら優雅に一礼。

 バザウは体勢を立て直すと同時に鋭い眼差しを返した。


「まァだ踊り足りないのかね? 元気があり余っているのも困りものだ。小生はただ、創世樹が枯れて敗北を期した我が身の次なる道をしりたいだけなのだがねィ」


(踊り……)


 故郷ハドリアルの森の饗宴ならば三日三晩踊れた。

 真実の愛の箱庭の舞踏会では数回躍っただけでバザウは疲れ切ってしまった。

 最大の違いは、息を合わせる他者の存在。

 自分の好き勝手に動くのではなく、自分と相手の動きを同調させる。それはとても神経を使う作業だった。


(どういう仕組みかはわからないが、ティモテと俺の動作は呼応している……)


 流れに翻弄されていてはティモテの意のままになるだけで、流れに反抗すれば激流にもまれて自由がきかない。

 だからバザウは。


(流れに乗る。俺の勢いも加えて)


 くるくるとティモテは余裕の表情で動いている。なめらかではあるが、ゆったりとしたペースとリズム。

 バザウの短剣はまたしてもむなしく空を斬る。しかしゴブリンの足はティモテの動きの軌道に合わせたまま、一歩ごとにテンポを速めていく。

 予想どおりティモテの動きもまたバザウに共鳴するかのように速くなる。老人の顔から余裕が消えた。

 ティモテが使っている不可思議な術は未知の技だ。だがバザウはそれに近いものをすでに会得していた。赤帽子隊長の武術を精神の領域で仕かけるとしたら、きっとこんな感じだろう。

 速さについていけなくなったティモテの足がもつれる。へたりと尻もちをつく。


「おやおや。お年寄りはお疲れのご様子だ」


 酷薄な笑みを浮かべたバザウが差し伸べたのは手ではなく、抜身の刃。


「お宅、なかなかやるじゃないか。優秀で聡明で才能がある。だが制御できているとはとォてもいいがたい! 小生なら……」


 ティモテの瞳には賭けに出る者の切羽詰まった気迫が宿っていた。


「狂気の門にカギをかける方法を教えられる」


 ティモテのいうことに心当たりがあった。

 意識を強く集中すると、時々奇妙な感覚とイメージにとらわれる。

 ついさっきもティモテを観察しようとして頭が膨大な情報で焼き切れる感覚に陥った。

 あの奇妙な感覚についてバザウに教えてくれる者は世界中に何人もいないだろう。目の前の一人をこの場で殺せばさらにその数は減る。


「良い命乞いだ。わめかず騒がず利益を淡々と提示する。……お前が哀れみを買うためのセリフでもほざいていたら、俺はその見苦しい行為をサクッとやめさせてやっただろうよ」


 バザウは突きつけていた短剣を鞘に戻した。

 ティモテはホッと肩の力を抜く。


「なぜ姿を見せた? 俺に快く思われていないのはわかっていただろうに」


「フうーふ、小生はいったであろォウ。敗北者は逃げ道を探していると。無慈悲な意志の神に救済を求めるよりもォ、萌木の魂を持つ妖精の方がまァだァ当てになるというもの」




 魔術師はバザウの状態をこう説明した。


「何か感覚を研ぎ澄ませようとして、自己流の集中法を繰り返し使ったのではないかね? 外部を探るような……。それはある程度の成果を上げはしたがァ、同時に無防備な精神が外部の影響を受けやすくなる弊害をもたらした」


 バザウは相槌も打たず無表情に話を聞いている。自分に起きた奇妙な感覚と現象について、この時点では一切ティモテに話さなかった。

 しりたいのは事実と解決策だ。ティモテにとって都合の良いウソではない。

 生き延びるためにティモテが適当なことをでっち上げていると判断すれば、バザウはすぐにでも魔術師の心臓の串刺しを作るつもりだった。

 

「自身の肉体の範囲を超えて、見えざる精神の糸……違うな、網というべきか……、ふゥむ、なんと説明したものか……。オッフ! そーうッ、精神的な触手を伸ばしただろーゥ? んふッフ! 触手といってもエッチな意味ではないゾ。ンフフフッ。小生あんまり触手モノは好きじゃない」


「話を横道にそらすな」


「フッフ。アストラル体のさらに外側にある層がメンタル体なのだが、お宅はそれを……。ああ、この言葉では伝わらないか。肉体の外側にまで広がる実体なき精神の層、とでもいえば良いかね? しかしお宅はとても変わっている」


 モノクルの奥の瞳が改めてバザウをしげしげと観察する。


「肉体と精神体にかなりの差異がある……。こんなケースは初めてお目にかかる。この形は……尾羽を広げたクジャク? 角がたァいへんっなことになってるシカ? んんんっ、やはりこれはまさしくブロッコリィーッ!!」


「……」


 ティモテは自分の頭上で両手の指を大きく広げた。ブロッコリー。のつもり。


「小生に教えられる狂気の門への対処は二つだ。門を完全に塗り固めるか、カギを所有して自分の手で開閉を管理できるようにするか」


 何も情報は与えていないにも関わらず、ティモテの話は怖いほどにバザウの問題を言い当てた。


「……俺がカギを望めば……」


「地球式魔術の基礎の基礎を伝授しヨーウ!」


「それは火を噴くのか?」


「ノン」


「ポケットの中のビスケットを増やせたり?」


「ノン」


「ウソつきの鼻を伸ばす?」


「ノン」


「桃から生命を誕生させる?」


「ノン」


 バザウはがっくりと肩を落とした。


「……何ができるんだ」


「お宅はもうその力の一端を使ったではないか。地図を自在に拡大縮小して読めるようになり、自分が歩く道を新たに作り出すこともできるようになる術、とでもいっておこうかね。他人をダンスに巻きこめるのはただのオマケ」


 何本もの深いシワが走る目でパチリと愉快気にウィンク。


「生気、感情、理知、因果、無我、真我、梵源。それらが層となり渦巻く中でまやかしに足をとられずに、自分のいくべき方向を見出す技術と知恵。それが小生が教えられる魔術であり、お宅の前に開かれている道のひとぉつ」


 基本的な瞑想の方法と意識を深める呼吸法をレクチャーされた後、ティモテはバザウに精神の障壁をはる技法を教えた。


「精神触手の感覚性能はそのままに、薄い皮膜を形成するイメージを作り自己を防衛。やってごらん」


「……わからん。イメージがつかめない」


 赤帽子隊長から武術の動きを最初に習ったのも苦労したが、今回はさらに難解だ。

 体の動きはゆっくりやってもらえば目に見えるが、魔術師に教わっている技術は手本の型が目に見えない。


「仕方のない生徒だ。とっておきの秘密兵器を出してやろゥ」


 道具を持った腕を頭上にかかげ、わざと作ったしゃがれ声と独特の間延びしたイントネーションで。


「医療用手袋ー」


「……」


「イメージすることが難しいのなら、実際に体感してみるのが早ァい。精密動作を損なわない皮膜の感覚がつかめるはずだ」


 さっそくはめてみる。生地がペタリと皮膚に吸いつく不思議な手袋だ。ゴブリンの爪の鋭さでも薄い生地は簡単には破けない。

 そのままペタペタとあちらこちらに触れてみる。

 でこぼこの樹皮をなで、湿った土を一すくいして手の平の中で転がし、コロッとしたノウサギのフンをつまみ上げてみた。


「お宅はなんというか、面白いね。疑ってかかる慎重さも持っているし、物事を素直に感受して貪欲に吸収しようとする学習姿勢も持っている」


 秘密兵器のおかげでなんとかイメージを作ることには成功した。とりあえずはこれで不用意に情報の奔流に飲まれる事態を避けられる。

 後は心の平静をたもち、イメージに集中せずに自然とできるようになるのが今後の目標だ。

 二時間ばかりの魔術修行でバザウはずいぶんと色々なことを身に着けた。ゴム手袋だけでなく。


 事実をしり、解決策を習得した。

 目的を達した後もバザウはティモテを殺しはしなかった。


「はてさて魔術師は愚者となるか隠者となるか。運命の輪の審判はいかに? 冷酷なる意志の神は、塔から落ちた正義の逆位置を許しはしまい」


「……」


 ティモテはチリルを警戒しているようだ。


「……もし、チリル=チル=テッチェに追われることがあれば……。ここから北西の街道をずっと進んだ先にある大都市から、さらに西へ。真実の愛の箱庭を作ったビアンキという人物を頼ると良い。……彼女の周囲にいればチリルもやすやすと手出しはできない」


 ティモテはやっと地図上から次の目的地を見つけた旅人のような笑顔を浮かべ、モノクルに手をかけた。


「ありがとう、萌木の魂を持つ妖精。小生はその道標を探していたのだよ」


 ティモテがバザウを指導したのは、図書委員の意志や罪滅ぼしの意味もあったのだろうが、主な目的なティモテ自身の未来に繋がる運命のルートを見つけることだったらしい。


「まだ死ぬつもりはさらさらナァイのでね! 次のシーズンのアニメを視聴しなくてはならぬ!!」


「クソジジイめ」


「愛娘たちともう一度向き合う時間も、必要だ」


 バザウは目を閉じた。

 七空学園の図書室の貸出カウンターに陣取る、ソバカスが可愛らしい眼鏡の三つ編み娘の姿を思い描く。


「……そうだな」

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