七空学園と萎凋の時間
放課後の屋上に2657番目の転入生を呼び出した。
「……いったいなんの用だ」
「えへへ」
ターゲットは少し訝しんでこちらの出方をうかがっているものの、臨戦態勢というほどではない。
そんな相手の……。
「わ、すごい。ここ、ドキドキしてる」
心臓を手でつかむのは、簡単だった。
「!?」
ゴブリンの胸にラブリの右手がめりこんでいる。物理的に肉体を突き破ったわけではないので、血は一滴も出ていない。
「転入生くんってば、すごい顔! えへへ。びっくりしたかな?」
この程度でくたばるなよ? クソゴブリン。
こんなものは優しい前戯だ。本番はこれからのお楽しみ。頑張れ、頑張れ。歯を喰いしばれ。
「ラブリ自慢のサキュバス拳法~。名付けて、ラブリーハートアタックだよ!」
なんと! 皮膚や筋肉に阻害されることなく、狙いをつけたあんな内臓やこんな器官をもみもみねちょねちょできちゃう! サキュバスってすごーい。
本来は大人の秘め事に使う能力だが別の用途で使わせてもらっている。こんな風に力を振るえるのは限られた場所、ラブリの領域内だけだが。
のこのことラブリが支配する屋上エリアに無警戒で立ち入った時点で、哀れなコイツの運命は決まっていた。
「受け取ってほしいな。だぁい好きの……、ぎゅーっ!」
心臓を握る手に力を入れる。……すぐに殺してしまわないように力加減は心得ている。
何度もやってきたからな。
ゴブリンの体がビクッと痙攣した。
爪を立ててバリバリと腕を引っかいてくるのは、本能的な防衛反射だろう。
制服のボレロの生地が裂けるけれど、私の腕からは血は出ない。
喜べゴブリン。まだ死ぬには早いぞ。
単純に殺すことが目的ではないからな。
穢らわしいゴブリンの心臓から手を放す。胸を押さえたゴブリンは、脂汗をにじませてその場にしゃがみこんだ。
気力を振りしぼって顔を上げ、こちらに鋭い視線をむけている。勇ましいねえ。まだ良い表情ができるじゃねえか。いつまで気丈でいられるかな?
スカートをひらっとさせながら、親切なラブリは笑顔で簡単に状況を説明してやる。
「さあ、ラブリータイムのはじまりだよ! 痛い? 苦しい? 楽になるには、ラブリのことを好きになってもらわないといけないんだ」
痛めつけて、なぶって、辱めて。苦痛の果てにむこうから死という救いを懇願させるのが、ラブリの最終手段なんだ! これで落ちなかった男の子は今まで一人もいないよっ!
根性がねえんだよ。腑抜けどもが。あっ、腑はこれからラブリが抜いちゃうんだった! えへへっ。
「……っざけ……る、な……!」
荒く息をしながらゴブリンがこちらを睨みつける。威勢が良いな。
ああ。このゴブリンは良い目をしている。これは楽しみがいがありそうだ。可愛がってやろう。
こういうプライドの高いヤツを両極端な苦痛と快楽で骨抜きにするのが、この牢獄のような学園生活での数少ないラブリの癒やしタイムなんだ!
「えへへ! 焦らなくても、大丈夫! じきに、ラブリのことが好きで好きでたまらなくなるからね?」
最初にターゲットの心臓に触れるのは、もちろん苦しみを与える意味もあるが、楽しいラブリータイムの途中で勝手にショック死しないよう細工するのが主目的だ。激痛で気を失うことさえ許さないし、発狂して逃れようとしても無駄だ。
……苦痛のゴールが決められているだけ、転入生はこの学園のヒロインたちよりも幸福だろう。
しゃがみこんだままのゴブリンに、乳ゆれさせながらルンルンと近づく。
「……チッ!」
ヤツは回避行動のために体力を温存していたらしく、パッと飛びずさった。ラブリに心臓直もみマッサージをされた直後にしては敏捷な動きだと褒めてあげても良い。
逃げろ逃げろ。いつまでそうやってかわしきれるかな? 動くたびに心臓が痛むだろう?
そんなに懸命に抵抗されると、ついこちらも張り切っていたぶりたくなってしまうじゃないか。
「もう! 逃がさないんだからね!」
しばらくの間、ゴブリンとの追いかけっこに興じる。
「……っ!」
案の定無理な動きをしていたらしく、ゴブリンはバランスを崩して大きな隙を作った。
「えへへ! はい。つぅかまぁえた!」
後ろに回りこみ、ローファーで思いっきりゴブリンの背中を蹴り飛ばした。
立ち上がる暇を与えず素早く右手を伸ばす。
クスクス笑いながら、ゴブリンの背筋……その奥にある脊髄をカリッと指でかいてやる。
「は……、ぐっ……」
緑肌のノドが震え、小刻みの呼吸が肺から漏れている。
ゴブリンの反応で気を良くする。えへへ。ラブリご機嫌。
自分の右手の中指と人差し指に軽くキスをした。
その二本の指で背骨を上につたい、うなじの窪みを目掛けて一気に滑らせる。突き立てた指は、脳にまで達するはずだ。
さて、未知の感覚のご感想は?
なんだよ。おいおい、興覚めだな。どんな情けない悲鳴が聞こえるかワクワクしてたのに、このゴブリンは耐えやがった。くぐもった声がかすかに聞こえただけ。
ゴブリンは自分の腕に深く噛みついたせいで、白いシャツの袖には血がジワジワとにじんでいた。意地でも無様な声を漏らすまいとしている模様。少しは根性あるね!
ラブリも、一番最初に気乗りしない労働を済ませた時はそんな感じだったよ!
他の初心な子たちがそういう思いをしないで済むように、ラブリは超絶テクニックをみがいたよ。すごいでしょ!
クールを気取った転入生くんが無様にもがく姿を緑の文学少女にも見せてやりたい。百年の恋も覚める醜態痴態。
何よりラブリが気に喰わないのは、ヤツのせいで学園ヒロインの一人が存在の危機にさらされていること。
青の歌姫の悲劇を繰り返させはしない。絶対に。ラブリが守ってみせるから。
クソみたいな学園≪せかい≫でラブリが大切にしているのは、星の数でもなければ学園長でもないし、ましてやすぐに溶けてなくなる養分どもでもない。
他のヒロイン。一時性の好意で消耗され続ける苦しみを分かち合える魂の姉妹たちだ。
よーし。もっとサービスしちゃおうか。
「それじゃ、脳みそくちゅくちゅしちゃいましょうね」
「なっ……!?」
「かゆいところはありませんか? っと!」
右手を慎重に動かして目当ての神経細胞の塊を探す。左右に二つ、脳の前の方にあったはず。
なお、これだけむちゃくちゃやっても後遺症は一切残りません。サキュバスと遊ぶ際はどうぞご安心くださいませ。
「えへへ! 見つけちゃったぁ! わかる? 側坐核」
触れるか触れないかという絶妙のソフトタッチで、神経の表面をごく浅くなでる。
「ここねー。快楽中枢って呼ばれてるんだよ?」
ゴブリンがビクリと身震いするのがわかった。
サキュバスの右手で、小さな緑色の体を蹂躙する。
通常の感覚の範囲から大きく逸脱した、苦痛と快楽のジェットコースター。
刺激を与える場所を変える。
鍛えられた戦士の腹筋の下に秘め隠された、柔らかでか弱い小腸を慈しむような手つきでなでる。
ぷっくりとした健康な内臓の手触りは無防備かつ純粋無垢な印象で、憎い転入生の体でありながら可愛らしいとさえ思えてくる。
右手を腸から胸部へと移動させる。
肋骨部分は遊びがいがある。骨のコリコリとした手触りが面白い。窓のブラインドを弾くように、内側から肋骨をなぞるのが大好き。
「ねえ、平気? 息が苦しくないかな?」
時々優しい声をかけるのも、相手のまともな思考力を奪うのに重要だ。
「……」
ダメだ。このゴブリンはかなり難攻不落。
これだけやってもまだ絶望していない。この調子だと、死ぬ瞬間までラブリの裏をかく算段を立ててそう。
ムダに手がかかる。余計な作業の手間をかけさせるな。腹が立つんだよ。さっさと溶けろ。
仰向けに倒れたゴブリンを抑えつけ、その尖った耳元で甘くささやく。
我ながら反吐の出るようなメスくさい媚び声だ。
「痛みを与えてるのはラブリだけど、それから救うことができるのもラブリだけなんだよ。震える手でラブリの体に必死にしがみついて、助けてーってポロポロ泣きながらお願いしてごらん。そうしたら、一切の苦痛のない安らかで気持ち良い領域に連れてってあげられるよ」
左手でゴブリンの首筋を優しくさすり、右手では必死に歯を喰いしばっている唇をゆっくりとなぞる。
ガチッと、鋭い牙がかち合う音がした。
「あはは!」
右手に噛みつこうとしたらしい。残念でした。バカじゃねえの?
こちらからは好き勝手に触れられるが、相手はそうはいかない。じゃないと、目当ての臓器だけ狙って触る、なんて芸当はできっこないでしょ?
「暴れてもムダだよ」
剥き出された獣じみた牙は少しも恐れる必要はない。
嫌がるゴブリンの口内に指を忍ばせて、上顎や歯茎を丹念に触れていく。
舌をつまんで指の腹で乱暴にこする。ゴブリンの口の中の動きから嘔吐の気配を感じた。吐きたいなら吐けば良い。屈辱を与えるには好都合だ。おら、無様に口と鼻からゲロを垂れ流せ。
そうだよな。苦しくて吐き出したいよな。……わかるよ。好きでもないヤツの体の一部が口の中に入ってくるなんて最低最悪な気分に決まってるよな。
「ん、ぐ……ぅ!」
ゴブリンは不快そうに苦い逆流を飲み下し、指を引き離すために大きく頭を振った。
そんなことしてもサキュバスからは逃げられない。
だがこの状況で、嫌だ、という意思表示をすることに、このゴブリンは意味を見出しているのだろう。
……その気持ちも、わかるよ。
「わからず屋の転入生くん。ガマンは体に毒なのに」
こっちはガマンならない男どもの妄想のお相手仕事で、とっくにガマンの限界がきてるんだよ。
学園でのハーレム状態は、時に転入生を横暴な暴君へと変える。
ヒロインになら何をしても許されると勘違いしたバカな男は、さっさと消化して養分に変えるに限る。
ラブリがまだそういう境地に至ってなかった頃、青の人魚姫事件も紫の虐待事件も起きる前、史上最悪に嫌な男がこの学園にやってきた。
素直に学園ハーレムで能天気なお気楽青春ライフをしてれば平和に死ねたっていうのに、そのクソは何を目論んだと思う?
自分に自信がないのかしらないが、とにかくソイツは膨大な愛情表現と異常なまでの献身を全ヒロインに対して求めた。
ヤンデレぐらいじゃないと愛されてる実感がわかない、とかなんとかほざいてたかな。バカか。
七空学園のヒロインの方もご要望にお応えして、それらしく演技をしていた。星目当てでな。
あの日クソは屋上にヒロインを呼んでこうのたまった。今思い出しても虫酸が走る。
「俺の愛がほしいなら殺し合え。本気で愛してるなら命がけで示してみせろ」
何様だよテメーは。できるかボケが。精巣捻転症で今すぐ死ね!!
うん。あの時は考える間もなく、体が衝動のまま動いちゃったんだよね。ラブリ、もともと本性は短気で乱暴な性格だったんだけど、それ以来ずーっと野郎全般に対してキレ続けてる気がするな!
股間を抑えてもだえてるソイツを見て、自分のしたことを理解した。やっちまった……。
何やってんねん! 捻転だけに。……そんなこといってる場合じゃないですね、天然か。
……焦った脳内でふざけた一人会話が展開される。
ヒロインは転入生から好意を勝ち取って、星を集めなくちゃいけないのに、これはマズイ。
その場にいたヒロインの皆がそう思った。
内心の焦りを隠しながら、ヒロイン同士で殺し合いをさせるためにクソが用意した刃物や鈍器にチラリと視線を向けた。
特に深い意味はなくて、ただ困ってそっちを見ただけだったんだが……。クソは物騒なこの武器でリンチされると勘違いしたみたい。
そんな中、ヒロインの誰かが思いついたアイディアが頭に伝わった。
全員で武器を手にしてクソを取り囲んで告げる。
私たちの誰か一人を選んで好きになったら、痛い思いをしなくて済む。って。
はい、脅しです。正攻法じゃないのはわかってる。でもさっさと星をとって溶かしちまいたかった。
ドリルやノコギリに怯えたクソは、一番近くにいたラブリにすがりついた。よりによってどうしてラブリを選ぶかな!?
あのクソの思考回路を推察するのも嫌なんだけど……多分、ここでラブリを選ばないともっとひどい目にあわされるって思ったのかもしれないね! バカかな!!
やけくそでラブリがおっぱいでぎゅむーっと抱きしめたら、クソは緊張感を解いて無力な幼子のようにその身を委ねた。
極度の恐怖と命の危機の後に優しくされると、人間って危害を加えた相手にでも好意を抱くことがあるんだね。見境がないね!!
よーし! 今がチャンスだ! ラブリージェノサイドクラッシュ!
こうして、ヤンデレ一武闘会を要求してきたクソは無事に溶解することができました。
めでたしめでたし、といきたいところだけど、この一件が学園ヒロインのメンタルに与えた影響は無視できるものじゃなかった。
外の世界の男たちは、幸せなハーレム幻想だけでなく、病的な愛情や献身を要求してくることもある。あと性癖をこじらせていて、おっぱいぽいーんパンチラいやーん、では満足しない者もいる。困ったものだ。
そういう面倒な転入生への最後の手段として、ラブリがサキュバスゴッドハンドで男を溶かす任務に就いた。
他の学園ヒロインのメンタルを守るためでもある。
学園発足当初の「私」たちは姿形や色彩こそ違えど、意識のほとんどを共有していた。
「私」は七人の少女で、「私」たちは一人の少女だった。
でもこのままだと全員で共倒れになりそう。精神防衛の対策が必要だった。
人間も何かすごくつらい事件に直面すると、複数の人格を作って心を守ろうとするみたいだね。
「私」たちは学園生活のストレスで発狂するのを回避する措置として、精神を七つに分割した。
黄の「私」には自尊心を。青の「私」には優しさを。
ゾンビである紫の「私」には心の強さ。
情報を処理して冷徹な判断を下すのは、ゴーレムの橙の「私」が一番の適任者。
幼さゆえの無垢は藍の「私」に大切に預ける。
不器用な性格で要領良く男の好みに合わせられない緑の「私」だからこそ、彼女には自由を託した。
この「ラブリ」は汚れ役を担当し、「私」たちからは一歩距離を置くこととなる。
……青の歌姫と紫のツギハギ娘があんな風に変貌する前に、原因となった転入生を始末できなかったことは今でも心残りになっている。
苦痛と快楽の飴と鞭は屋上でないと使えない。抵抗する転入生を引きずってでも、この屋上まで連れてくるんだった……。
右手へ視線を戻す。
転入生2657番はラブリの支配する屋上にいる。
このゴブリンは小さいくせに強情で、なかなか弱音を吐かないけれど、ならば心が折れるまでじっくりいたぶるまでのことだ。




