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バザウ、君は賢すぎる  作者: 下山 辰季
第五部 あるいは 補部
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七空学園とモノクロの時間

 教室のドアが開いてバザウが顔を出す。


「……」


 モノクロになった私はいないも同然。

 もう彼から朝の挨拶をかけられることはなくて。

 バザウは黙って自分の席にカバンを置いた。モノクロ化した私にバザウは気づかない。

 別に透明人間になったわけじゃないんだけど、存在感の希薄さではそれに近い。

 バザウは私を特定の個人として認識できなくなる。ゴブリンの嗅覚や聴覚でも判別できない。その他大勢のわき役と区別がつかない。


 なんか、モブってすごくさびしいね。不人気とはいえヒロインの一人だった時にはこんな空虚な感覚はしらなかった。

 世界中から、お前なんていない、って無視されてるみたい。

 そんなネガティブな妄想にとらわれるぐらい、私の心はすっかり灰色に染まってた。


 多分、今夜にでもラブリは動き出すと思う。即効で終わらせる、っていうのはハッタリなんかじゃない。

 いったいどんな方法を使っているのかはわからないけど、彼女が本気を出すとどんな転入生も一夜のうちに溶解できちゃう。

 バザウがラブリの手にかかるのは嫌だ。学園長の指示だとしても。急な変更にだって納得がいかない。

 でも私にはどうすることもできないじゃない……。モブレベルにまで落ちたのに何ができるっていうの?

 モノクロをまといながら私は昔を思い返していた。




 あの頃はまだ、セーレは優しくてザンビナは正気だった。もっといえば七空学園さえなかった。あったのは学園長の若さと髪の毛。

 私をふくめてヒロインたちは仮初の肉体さえ持っていない。学園長の頭の中のイメージでしかなかった。


 若い頃の学園長の頭の中は色とりどりの想像でいっぱいで、現実世界では多種多様な創造物に囲まれていた。

 ティモテ青年は卓越した空間認識能力を持っていて、頭の中にある美のイメージを三次元的に出力するのを得意としている。奥行きのある複雑な風景画や緻密な模型なんかも上手く作れたけれど、彼が一番好きなのは彫刻だ。

 アトリエで手を動かして。

 ひたむきに、ひたすらに。

 ここではないどこかに必ず存在するはずの美を。己の芸術作品を触媒としてこの世界へと召喚する。

 よりイメージの質を高めるため、怪しい魔術の知識を集め出したのもこの頃だ。


 そんな暮らしを何年も何年も続けるうちに、チリル=チル=テッチェと名乗る幻影が現れた。空想の美を追求する意志の波長が別世界まで届いた、とかなんとかいってたっけ。

 優れた理想とゆるぎない意志を持っている人を応援してくれる神さまなんだって。

 胡散臭い……けど、壮年を迎えたティモテはこの神さまを嬉々として受け入れる。

 そうしてティモテ=アルカンシェルは、萌えが絶対的な価値観の世界の王となることを望んだ。




 萌える気持ちのどこがそんなに大切なのか理解できなくて、学園長に質問したことがある。


「それは暗澹としたどうしようもない灰色の毎日に、差しこんだ虹のようなものなんだ」


 モデリングに使う粘土をこねながら、イメージ内の私と会話する学園長。


「恋愛感情とは少し違うね。恋愛は相互の思いが向き合ってないと成立しない。でも、美を愛おしむ気持ちは一方的だろうと成立するんだ。たとえ美がこちらに気づいてくれなくても、高鳴る情熱の妨げになることはない。真なる美は観測者の粗末な認識さえも凌駕する」


 だんだんと学園長の口調に熱がこもってくる。


「萌えは狂気に通じる。自分でも制御できない陶酔! 年若い少年少女が、身の内の萌える衝動に突き動かされてたびたび見せるその狂態を賞賛しようではないか!! 理性という重い鎖から、人間の精神を自由に解き放つものだ!!! 狂気を恐れるな。萌えを侮るな。その先にこそ美のイデアがある」


 ……と、いうのがティモテ学園長の主張だった。




「……」


 この学園の現状が、あの日ティモテ学園長が熱弁していた理想の果てなのだろうか。

 こういう風に学園のあり方に多少の疑念や不満を抱くことはできても、学園ヒロインが一斉蜂起して内側からこの世界を壊すことはできない。ありえない。

 学園ヒロインが萌えという価値観を否定するために行動を起こすことは不可能。そういう設定を施されている。気力や根性や努力で覆せるようなものじゃない。

 人間だってDNAの設定上、生身で空を飛んだり、深海で生活はできないでしょ? そういうレベルで無理な話だから。

 このルールはモノクロ化して一時的にモブになってる私にも適応されている。


 ……うん。あきらめよう。

 私にはこの状況を変える力はない。考えなしに暴走したところでセーレみたいに失敗するだけ。

 学園のヒロインなら、こういうことにも耐えなくちゃいけないんだよね。きっと。


 その日は、教室で、廊下で、中庭で。

 私は何度もバザウとすれ違った。だけど彼は私に気づかない。

 ……どうせお別れすることになるなら、彼が溶けて消えてしまう前に最期の挨拶ぐらいはしたかったな。




 放課後になった。ラブリが動き出す時間がどんどん近づいてくる。

 私はいつもどおりに図書室にいく。図書委員のカウンター席に座る。

 これなら運が良ければ、図書委員のモブとして最低限バザウに関わることができるかもしれない。

 まあ、バザウの目にはその他大勢のわき役が映るだけなんだけど。カウンターでの貸出手続きが終われば一分もしないで忘れ去られるでしょうね。

 でも良いの。私は彼を覚えている。


 図書室で静かに読書するバザウの横顔を私は目に焼き付ける。こんなにジーッと見つめても気づかれないなんて、ちょっとお得かもね。なんて、自分のおかしな考えに笑ってしまう。


「転入生くーん!」


 ラブリが図書室のドアを勢い良く開けた。入口で立ち止まって、大きな声でバザウのことを呼んでいる。

 図書室の入り口はカウンター席の目の前だ。


「やっほー! ねえねえ。ラブリ、転入生くんに大事な用があるんだ! ちょっと屋上まで来てくれないかな?」


 無遠慮で場違いな大声にバザウが眉をひそめる。


「おい。図書室では静かに……」


「えへへ。固いこと言わないで! どうせここにはラブリと転入生くん以外は、誰もいないんだし」


 バザウは読んでいた本を閉じて立ち上がる。軽くため息をついてラブリの方へ向かう。


「いるだろ。とにかく他の生徒の迷惑になるから静かにしてくれ……」


 ……いる……? 迷惑になる……? って?

 聞き間違いかと思ったけど、バザウはたしかにそう言った。

 個人としての私を彼が認識できているはずがない。

 多分バザウは、ヒロインじゃないモブのこと……そこにいる誰かのこと……その他大勢のわき役を気にかけて振る舞ったってことかな。


「……」


 彼にしてみればとても些細なことだったんだと思う。

 でもモノクロ化した私にとっては、すごく重要なキーワードになった。


 私はいないわけじゃない。

 私はここにいるんだ。


 バザウの行動や考え方が好きだって、改めてそう思う。

 個人的な関わりが途絶えてしまってもバザウが死ぬところなんて見過ごせない。見過ごせるわけがないでしょ。何もしないでいたら後悔する。


 無策に突っ走っても、セーレの二の舞いになるだけ。

 たとえモノクロ状態でも、七空学園のヒロインは萌えという価値観を壊す行動を実行できない。

 ラブリやティモテの力は私よりも上。

 バザウは私を個人として認識できない。


 あらゆる状況が向かい風みたいに吹き荒れて、私が進みたい道をいくのを妨害している。

 私は眼鏡をしっかりとかけ直した。

 そして素早く抜け目なく現状を整理していく。バザウを助けるために。運命の抜け道を探し出すために。

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