七空学園と面会の時間
その部屋は快適な一定の温度にたもたれていた。外界の灼熱の日差しがこの部屋を暖めることはない。
ティモテ=アルカンシェルは年老いて乾いた親指を素早く動かしている。その手の中には瞬時にして世界の膨大な知識に接続できる小さなモノリス。
かつては仮想の大冒険に誘ってくれた娯楽は、色あせた苦行へと変わり果てた。ゲームが退屈になったわけではなく、ティモテの指と頭がついていけなくなっただけだ。
キャラクターの基本的な設定さえも脳にすんなりに入ってこない。若い頃は細かなデータまで暗記できたのに。今は主要登場人物の名前と顔を一致させるので精いっぱいだ。それすらおぼつかなくなっている。
テクニックよりも金がものを言う遊びに、ティモテはもっぱら興じている。それもただの暇つぶしにしかならないが。
戯れに大金をつぎこんだところで、ティモテの心は歓喜に動かなかった。虹色に輝く画面にチラリと一瞥をくれる。最高級のレアリティですら感動を呼ばない。
「……ふふっ」
無表情に画面を眺めていたティモテがほくそ笑んだ。
回線の向こうで、子供たちが嫉妬に狂った叫び声を上げるのが聞こえる。彼らは今ティモテが手に入れたものを渇望している。
限られた小遣いをやりくりしながら、ほしい宝物のために必死に手を伸ばす子供たち。彼らから噴出される未熟で激しい情念に触れることが、数少なくなったティモテの楽しみになっている。
ティモテはその時だけ、すっかり衰えた自分の魂がかすかにゆり動かされるのを感じた。
モノリスの画面を切り替え、今度は文字を追う。
子供たちが素朴な欲求のままに書きつづった物語を読むのも、ティモテの楽しみだ。
それらの作品は、どれほど優れた小説家のものよりもティモテを夢中にさせてくれる。
荒々しく乱れた文脈。注意散漫な誤字。神と人を気ままに行き来する視点。それらの向こうにくすぶっている、作者が放った青臭い情熱。
夏休みが終わると、子供作家たちは忙しい現実生活に追われ、たいていの物語は完結を迎えることなく放り出される。
ティモテはそれも含めて、若い感性で描かれた一夏の夢想を貪った。
この破壊的でさえある得体のしれない衝動は何なのか、ティモテは長い間考えた末に答えを見つけた。
次元すらも超越した至高のイデアに対する、人の魂の律動。
それがティモテが見出した萌え。
一人の人間が一生に費やせる萌えには限りがあるとティモテは実感していた。波長のように不確かで、熱が上がったり冷めたりもする。
いれたてのコーヒーが次第に冷めていくように。萌えは移ろいやすく、永続は困難だ。春に咲く日本の桜のように。特別な方法で保存しなくては……。
ひととおりの娯楽を終えた後、ティモテはようやく重い腰を上げて職務にとりかかった。自分で創った仮初めの学園の手入れをしなくては。
「フゥム……。どうしたものかね」
この前学園に招き入れたバザウが記憶の封印を解除した。
「……というのに、目立った動きは見せていないのが気がかりだがねェ」
バザウが何かを企んでいることはわかる。
だが、何をしてくるかまではわからない。
「限られた力の中で、んふーふ、彼は一番有利な選択をしたということか」
ヒゲを指でつまみながらティモテは対応を考える。
「ザンビナの強制溶解は……。ダメだ、使えない。発動条件を満たしていなァいではないか」
厄介な転入生をさっさと溶解するのにザンビナはうってつけの逸材だったのだが。
「地球では動きづらい。学園へと赴くとしよう」
ティモテが念じただけで次元が歪む。
自宅の椅子に座ったまま、ティモテは一歩も立ち上がることなく七空学園の学園長室の席についていた。
「おおっと! 録画予約の確認を怠っていた! 自宅に戻らなくては」
現代人が電気のスイッチをオンオフするほどの気安さで、魔術師は地球と異世界とを跳躍する。
地球の拠点で諸々の雑事を済ませた後、ティモテは学園長の椅子にゆったりと腰掛けた。
「さて。学園の秩序の維持に努めよーゥではないか」
***
「あれ?」
ポケットに入れた携帯端末に伝言が届いている。学園長から面会の呼び出し。
「どうしたんだろう?」
ラブリが首を傾げれば、トレードマークのポニーテールもさらりとゆれた。
学園長からの緊急通達を受けて学園のヒロインは全員温室に集合する。
少女会議をやり直すというのは普通はないことだけど、今回は他でもない学園長直々の要望だ。前に藍の泣き幽霊が駄々をこねた時とはわけが違う。
「学園長からの指令をまとめると……」
冷静な橙の人造娘でさえ異例の事態に困惑しているようだった。
「転入生2657番の溶解は緊急を要する。より効率的な星の搾取を実行するため……」
人造娘の大きな単眼に、緑と赤の色彩が交互に反射している。
「メイン担当者を交代せよ。との仰せ」
「Take it easy!!! ……できなEィイイ!?」
「わーい! ウルルのお願い叶ったのー」
「それとこれは無関係じゃないですか? なんでもかんでも自分の都合の良いように解釈するのは、どうかと思います……」
「あーもう、騒々しい。黙っておれ」
三つ編みを二つさげた小さな体の肩がかすかに震えている。無言で俯いて。
学園長の決定に異議を唱えられるような権限は誰にもない。それでも彼女の沈黙は精いっぱいの否定の表現だった。
「……」
眼鏡越しの目が問いかけるようにこちらを見てくる。
彼女のあらゆる態度から、あの転入生に好意を寄せているのがわかって、それがとても癇に障った。
「えへへ! そういうわけだから、これからはラブリが代わりに頑張るね!」
自分の両頬を人差し指で突いたポーズで、ラブリは緑の文学少女にとびきりの笑顔をむける。
「が……、学園長の判断を否定するわけじゃなくて、これは単なる質問なのだけれど……」
か細い声を上げる。それが彼女に許されたわずかな抵抗。
「急に担当者を変えても向こうも混乱するというか……、余計に時間がかかってしまうんじゃないかしら」
「時間なんてかけないよ!」
弱々しい反論を明るくさえぎった。文学少女のアイツへの思いもいっしょに断ち切れたら良いのに。
「時間をかけて思いを育む必要なんて、これっぽっちもないよね? 大丈夫! パパッと済ませちゃう。……転入生くんとの間にある感情は、愛なんかであるはずがないでしょ?」
クソ忌々しい作業だ。
ラブリが担当になったからには即効で終わらせてやる。
最速最効率の極まったRTAで攻略してやる。
「萌えには旬がある。魂の収穫時期を見誤ったら何も得られない」
七空学園は萌えの収集と恒久的な保存を目的として、魔術師ティモテ=アルカンシェルの手によって創立された。
「恋人気分で自惚れてたら、いずれ裏切られて悲しい思いをするだけ。そこはちゃんと割り切ろうよ。ヒロインは消耗品。大事にされる『俺の嫁』でいられるのはどれくらい? せいぜい数ヶ月? 長い人でも数年ってとこかな? 情熱が何十年も継続する人はごく一握り」
一瞬の輝きを永遠に閉じこめるために、こうして生命力と共に星を奪っている。こんなものに真理を見出した学園長の頭の中は理解できない。
もしそれが可能なら、ハートのポーチの中身を今すぐぶちまけて踏みにじってやりたいほどだ。だが与えられた役割をまっとうするしか道はない。
この学園に送られてきた男どもへの恨みつらみはたっぷりとあるが、可愛くて従順なヒロインなら絶対口にできない過激な内容だからラブリだけの秘密にしてるんだ! えへへ!
「文句をいわないで。もう決まったことなんだよ! そんな風に非協力的な態度だとラブリも困っちゃうな」
「別に私だって協力を拒んでいるわけじゃ……」
「うんうん! そうだよね! 当然、協力してくれるよね! ……わかってるよね? 他の選択肢なんて、ないもんね……」
……そんな救いを求めるような目をしないでくれ。この場にいる誰も差し伸べる手は持ち合わせていない。
可哀想だけど、これがこの学園の校則≪ルール≫。
転入生の消化が完了するまで、元メインだった彼女には一時的に消えてもらう。
消える、というのはヒロインは学園から出ることはできないからだ。なので、その存在を転入生に認識できないようにする。
モノクロ化。一時的に学園内での存在感をモブレベルにまで落とす。過去の記憶をいじるのではなく現時点での知覚を誤認させるので、仮に記憶封印が破られていたとしてもあの転入生をあざむける。
目障りで、小賢しく、いけ好かないゴブリン。
「ね……悲しそうな顔しないで」
悲しみを表現する方法などとうに忘れた。
この笑顔の裏はいつも憤怒が燃えたぎっている。
「ラブリがすぐに終わらせてあげるから」




