ゴブリンとおばあちゃん
バザウは大量の強敵に囲まれていた。
絶望的である。
逃げ出すことなど不可能な状況。
「旅の若者ってのはアンタかい?」
「あ……。はい」
「いき倒れてたんだって? ちゃんとご飯食べてるの? おばちゃんがなんか作ってあげようか?」
「……大丈夫です。食べてます。それに、空腹で倒れたわけではなく……」
「まあ、そうよねえ。見てよこのぶ厚い胸板ったら。ああん、もう! すっごいわよ! ちょっと奥さん、コレ! 触ってみなさいよ!」
「あら、本当? キャー! 良いじゃなーい? 引き締まったお腹ねー」
「やだ羨ましい。アタシの贅肉、わけてやりたいわー」
「……っ。く、くすぐったいです。あまり触らないで、ください……」
「あらヤダ。この子ってば照れちゃってる? うふっ、可愛い」
「本当にアタシ好みの良い男だよ。惚れ惚れするねぇ。アタシがあと百歳若けりゃ食べちまうところさ。ヒッヒッヒッ!」
平均年齢が高めのハーレム。すなわち婆レム。
バザウはその中心にいた。
若いゴブリン娘は、おばちゃん連中の勢いに怖気づいて一切そばにやってこない。
もちろんプロンもいない。
「すみません、ご婦人方……。そろそろ解放していただけると、ありがた……」
「キャーッ!! ねえねえ今の聞いた?」
「ご婦人方ですって! そんな風に呼ばれたのって初めてだわぁ!」
「お兄さん、もう一回言ってー!」
「……」
今日は特に用事はない。
赤帽子隊長との訓練もないし、プロンの狼講座もない。
ここのゴブリン達の生活を見物しようという、軽い好奇心での散歩のはずだった。
それが、井戸端会議をしていた数人のおばちゃんゴブリンに声をかけられて足をとめたのが運の尽き。
彼女たちのちょっとしたおしゃべりに誘われてバザウが腰をおろしてから、だいぶ時間がすぎていた。
(……この包囲網を突破しなくては)
決意を固めてバザウは立ち上がる。
周りはおばちゃんだらけだ。満足な足の踏み場もない。すんなりととおしてくれそうにもない。
でこぼこした洞窟の壁と天井にサッと視線を走らせた。
(いける……! か?)
膝を曲げてからの伸びやかな跳躍。
バザウは壁を蹴った。
空中でネコのように体を丸める。
洞窟の天井。足指の筋肉で体を支えてぶらさがる。
振り子式に体をしならせ、安全圏に着地。
(……良かった。失敗しなくて……)
高年齢ハーレム包囲網から見事抜け出す。
「いやーん!! お兄さーん!! 格好良ーいっ!!」
(うう……。このノリは、苦手だ……)
おばちゃんゴブリンズの歓声に耳を赤くしながら、バザウはその場を走り去る。
「失礼しますっ!」
洞窟の中を夢中で走っていたせいで、バザウは危うく小柄なゴブリンとぶつかりそうになった。
「!」
ぶつかる寸前でストップしたものの、だいぶ相手を驚かせてしまったようだ。
相手が持っていた袋から食材らしきものがこぼれ落ちた。
「あ、もっ、申し訳ありません。俺の不注意でした。おケガはありませんか……?」
小柄で細身でとても儚げな……おばあさんだ。
どういうわけか、今日はやたらと老女に縁のある一日だ。
そのおばあさんゴブリンは穏やかな物腰でひかえめな性格だった。
「すみませんねえ」
「いえ。居住区の中で走った俺が悪いのですから……」
おばあさんが落としてしまった荷物を拾う。
集めてみてわかったが、かさばるし意外と重い。
「……」
背中の曲がった老女。
その手はシワだらけだ。
歩く時、ちょっと危うげにフラついている。
「あの……もしご迷惑でなければ……」
荷物を運び入れて、老婆の家にお邪魔する。
あちこちものだらけでゴチャゴチャした玄関だ。
珍妙なセンスの置物や、わけのわからない道具が雑多に置かれているところに、ゴブリンらしいセンスが光る。
どうにかものを置けるスペースを見つけて、バザウは荷物をおろした。
「ありがとう。親切な若い方」
スカーフを頭に巻いた老女は、少し戸惑ってから遠慮がちに尋ねてきた。
「私、これから毒キノコバターをこしらえるつもりなのだけれど……。その間、お茶でもいかが? 日干しミミズ茶と、カビ胞子茶なら、どちらがお好みかしら?」
バザウは、鼻腔にまで広がるカビの風味を堪能する。これはなかなか上質のカビだ。
手作りの布コースターには、何かのシミと黒カビがナチュラルな模様を描いていた。
おばあさんは毒キノコをすり潰すのに忙しい。黄色い汁が飛び散った。
「昔ながらのゴブリンの食事を作る者もずいぶん減ってしまったわ」
老婆のため息。
「今時の若い方なんかは、伝統的な毒キノコや腐りミルクの料理なんて、見向きもしないでしょう?」
「そういう風潮はありますね」
カビ茶のカップを置きながらバザウが答えた。
「まったく。最近の若いゴブリンときたら! ……あら、ごめんなさい。もちろん、あなたのような好青年は別よ」
潰した毒キノコをグッチャグッチャと練り上げながら、おばあさんの話は続く。
「やれ、ジューシーなソーセージがどうしただのと! あんな正体不明の果物なんて、軟弱なフェアリーにでもくれてやれば良いのだわ!」
大人しい性格だけに、おばあさんは色々とストレスをため込んでいたご様子だ。
「ゴブリンの伝統を絶やしちゃいけないのよ!」
熱っぽく宣言した老女が、お茶を飲んでいるバザウに振り返った。
「そうだわ。あなた……。お料理してみる気はない?」
いつの間にやら、すっかり老女のペースになっていた。
「今日は、毒キノコバターを作ります。ではまず、レシピは……」
(……会話の腰を折ってでも、適当なところで切り上げるべきだった……)
後悔しても遅かった。
(でもまあ……。こうやって、できることが増えていくのは……、良いことだ)
その分バザウ一人でもやれることが多くなるのだから。
おばあさんは、完成した毒キノコバターをお土産に包んでくれた。
荷物運びのお礼として、ちょっとしたお菓子もいくつか。
コケ団子のススまぶし。フルーツ味のスライムキューブ。穀物を砂糖で固めた物体。いかにも老人好みのお菓子のラインナップだ。
「こんなにいただいてしまって……。なんだか悪いです」
「良いのよ。ようやく一安心できたんだから」
「?」
「お兄さん。私のお料理の作り方を覚えてくれたでしょう? 私にお迎えがきても、昔ながらのレシピがこれでちゃあんと残っていくのね」
老女は目を細めて笑った。
「私は、それがとても嬉しいの」
もらった食べ物はバザウ一人には多すぎたので、プロンにも消費を手伝ってもらった。
ついでに今日あった出来事も話す。
「ゴブリン伝統の味の継承ねえ。旅人のあなたに教えたところで、あまり意味がないように思えるけど」
コケ団子をチビチビかじりながらプロンがつぶやく。
「バザウ。いっそのこと、ずっとここにいれば?」
しばしの沈黙。
「……目的のある旅ってわけじゃ、ないんでしょ?」
「ああ」
もといた群れにうんざりしただけ。
周りの仲間となじめなかった。
自分の居場所がそこにない。
「しいて動機をでっちあげるのなら……。ソーセージの技法を探求する旅……、とでもしておくかな」
あまりのくだらなさにバザウは自分で失笑した。
「目的はないけど旅はやめる気はないってわけね」
「ここは良い街だ。……でも学ぶべきことを学び終えたら、俺は別の場所に移ろうと思っている」
「別の場所ってどこ?」
「まだ決めていない」
「やれやれ。こっちが近づこうとしてもするりと腕から抜けていくところが、本当にザンクとそっくりね」
ザンク。
黒銀の毛をした、孤独主義者の狼だ。
「でも、もうしばらくはここにいるのよね?」
少し考えてからバザウはうなづいた。
「……そうだな。何日かは」
次の日。
プロンがケーキを持ってバザウの仮住まいにやってきた。
「昨日、お菓子をわけてくれたでしょ? これはそのお礼ってわけ」
多すぎるもらいものをわけただけだ。
それにしてはプロンのお返しは立派だった。
「お味はどう?」
バザウは味を評する言葉を頭から引っ張り出してきた。
美味しい塊をキレイに飲み込んだ後で、じっくり考えながら丁寧に感想を伝える。
「木の実とドライフルーツがふんだんに入っている。豪勢だな……。しっとりとしたケーキ生地から、ほのかに……ラム酒が香り立つ。木の実のカリッとした歯ごたえと、ドライフルーツの食感が、アクセントになっている。使っているフルーツの種類が多いので、変化する味に飽きがこない。甘すぎない繊細な風味で、対象を選ばずに好まれる味だと思う」
「高い評価をいただけて光栄だわ。でも私は、もうちょっとシンプルなお返事がほしかったの」
プロンは少しだけイジワルな顔をしている。
「……え、あ……。すまない。ベラベラとしゃべりすぎたな……」
「美味しいか。美味しくないか。さあどっち?」
そんなシンプルで主観的な二択でなく、詳細に分析した考察の方が価値があるのに。
バザウはそう思ったが、反論はやめておいた。
「……美味しい」
「そう。その言葉が聞けて満足したわ」
「あの、プロン。このケーキ、とても気に入った……。材料と作り方を教えてもらえないだろうか?」
「レシピ? 極秘よ。教えてあげない」
プロンはニヤリと笑う。
「あなたはなんでも自分一人でやろうとするんだから。ちょっとぐらいできないことがあるのも良いものよ。またこのケーキが食べたくなったら私にお願いしなさい」