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バザウ、君は賢すぎる  作者: 下山 辰季
第五部 あるいは 補部

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七空学園とプールの時間

 ティモテ=アルカンシェルの記憶封印を解除したが、バザウはそこで油断しなかった。

 あの老爺はバザウもしらない妖しい術に精通しているようだ。記憶の封印が解かれた喜びに浮かれていると、すぐに足元をすくわれかねない。未知の脅威を想定し、用心深く振る舞うべきだろう。

 まず今度の動きを決めるために考えておくことがある。ティモテの記憶操作能力がどれだけのものなのか、バザウはいくつかの仮設を立てる。


(脅威度、小。ティモテは記憶封印しかできず、自分の力を過信していて、封印を破られるとは夢にも思っていない)


 もしそうならバザウは有利に反撃ができるが、あくまでもこれは希望的観測だ。


(脅威度、中。敵は記憶や認識の操作に長けており、封印が解除された場合にはそれを感知できる。ティモテは俺が記憶を取り戻したことに気づく)


 ティモテが使う術の仕組みや理論はまだ解明できていない。

 それでも感覚的に、ここは魔術師ティモテの影響下にある空間だということはわかった。

 ティモテと遭遇したあの晩に、瞑想中のバザウが自分の精神的な縄張りに侵入されたことを意識したのと、ちょうど逆の状況だ。


(脅威度、最大。ティモテはこの学園に存在するすべての存在の頭の中を自在に読める。つまり今俺が考えている内容さえも把握している)


 打つ手なし。詰んでいる。

 一番効果が期待できる策は、偶然に任せることぐらいだろうか。

 バザウは考えた。敵の実力がわからない中でどう動くのが最良の手になるか。


(封印にかかったフリを続ける……のが、状況への応用性が高いな)


 脅威度、小。

 ティモテが無能なイージーモードなら、これで不意をつくのがさらに容易になる。


 脅威度、中。

 封印を解除したことが察知される前提なので、バザウが演技をしていることはすぐに敵に見破られるだろう。

 しかしバザウがいつその演技をやめるかまでは、ティモテにわからないはずだ。これなら上手く立ち回れば隙をつける。


 脅威度を最大に想定したケースでは、どんな作戦も意味を成さない。抵抗はムダである。強力すぎるので対策のしようがない。考えれば考えるだけティモテに有利になるので、いっそサローダーぐらい頭を空っぽにしていた方がまだ勝ち目がある。


 今後の方針がひとまず決まったところで、バザウはベッドに身を投げだして眠りについた。

 夜はついあれこれ思索にふけりたくなる時間だが、睡眠不足で頭の回転が鈍くなったら本末転倒だ。

 明日も七空学園の転入生として振る舞わなくてはならないのだから。




 翌朝。

 バザウは普段と同じように生活しながらそれとなく学園内の地理を頭に叩き込んだ。本当はじっくりと探索がしたいのだが、いきなり行動パターンをガラリと変えるのは封印にかかったフリを継続するという指針に反する。


(一般生徒の立ち入りが厳重に禁じられているのは、学園長の執務室と庭の温室の二つか……)


 ティモテ=アルカンシェルと学園長が同一人物であることは、推理を働かせなくても楽にわかった。学園に飾られた肖像画とブロンズ像が雄弁に教えてくれた。


(ティモテが創世樹の宿主だと仮定して……。ヤツの信じる価値観はなんだ? どんな真理を掲げている?)


 バザウが考え事をしながら廊下を歩いていると曲がり角でウルルとぶつかった。

 華奢な体がよろけてぺちんと尻もちをついた。すべすべとした膝小僧が見える。


「ふわわ……」


 一向に自力で立ち上がろうとしないウルルにバザウは黙って手を差し伸べる。

 だがウルルはその手をとろうとしない。


「うん? 何しておるんじゃ」


 背後からかけられた声。

 バザウは立ち上がりざまに振り向く。


「……っ!?」


 顔にぶつかるんじゃないかというほどの至近距離にヤコの胸があった。なんでわざわざそんなに近くに立つのか。

 彼女の制服のシャツは夏の暑さでわずかに汗ばんでいた。

 内心焦りながらバザウが目をそらすと、ヤコは愉快そうに尋ねてきた。


「のう、転入生! お色気ムンムンの大人な女と、初心であどけない女子おなご。どちらが好みだ? 正直に答えるが良いぞ」


 正直どっちもごめんだ。


(本物の美女ならともかく、コイツらは……リアルじゃない)


 ウルルとヤコから逃げるようにその場から立ち去る。


「私の色香に耐え切れなくなったと見える。仕方のない純情少年シャイボーイじゃな」


「色香って何? 加齢臭とは違うものなのー?」




 逃げ込んだ空き教室。カーテンは閉め切られていて薄暗い。

 女子生徒の制服がバザウの視界に入る。嫌な予感。

 中身不在の茶色のボレロや黒いボックスプリーツスカート、首元のリボンなどが畳まれていた。

 バザウは気づいた。

 机の上に人の頭部ほどの何かがポツンと置かれている。

 近くの椅子には、頭と四肢の一部が欠損した女の体。


「……バラバラ死体……?」


 机の上の首がキュルッと音を立てる。


「失礼ね。ただの着替え中。一度パーツを分離しないと、体操着に着替えられないから……」


 レムだった。文字どおり陶器のような肌のほとんどを露わにしている。


「俺は、何も見ていないっ!」


 それだけ叫んで即脱出。


(油断ならない場所だな!)


 ティモテ=アルカンシェルの思惑はまだ不明な点もあるが、これだけは確実にわかる。

 学園にいる女たちはおかしい。

 こんな世界を作るティモテもまたおかしい。




 人気のないプールサイド。薬品っぽい独特のにおいがする。

 バザウはプールの縁に腰掛けて本を読んでいた。

 足を締め上げるだけの窮屈な革靴は脱いで素足になる。制服のズボンを折り上げて、透きとおった水にポチャリと足を浸す。少しぬるいのは不満だが水の感覚自体は気持ち良い。


 図書室や教室ではあまり本を読む気にはなれなかった。隣の席にいる図書委員のことはそれとなく避けている。

 他の女子生徒を騙し、あしらい、ウソをつき、演技して接するのに抵抗はない。彼女たちの親密な態度はしょせん上辺だけのものだ。

 だが、あの三つ編みのホブゴブリン娘は……。


「……」


 カン違いだ、とバザウは自分をいいふくめる。

 好かれている、などと思うのは誤りだと。




 ***




 バザウはどこにいるんだろう? ソーセージを埋めてた裏庭にもいないなんて。

 今朝から微妙に避けられているような気がするのよね。気のせいだって思いたいけど、こういう時の嫌な女のカンってよく当たるっていうし……。

 私が何か怒らせるようなことしたなら、ちゃんと謝りたいのにな。


 とりあえず色んな場所を探してみる。

 保健室は……ザンビナが体をガクガクさせながら隅っこでうずくまっているだけ。

 飼育小屋ではウルルがウサギにエサをやっていた。のどかー。

 教室を手当たり次第に探しているとジャージ姿のレムがいて、普通の制服に着替えるのを手伝ってほしいって頼まれた。一応レムは自力でも着替えられるけど時間がかかる。彼女には日頃お世話になってるから、ちょっと面倒だったけど引き受ける。

 次に音楽室を覗いてみた。


「あら? 珍しいお客さんですね」


 ピアノを弾く手を少し休めて、セーレがこっちを見てきた。


「あはは、どうも……。あの、バザウがどこにいるかしらないかな? 転入生のゴブリンなんだけど」


「転入生さんですか? いいえ、私は特には……」


「そっか、ありがとう! 演奏の邪魔して悪かったわね。それじゃ……」


 厄介事が起きる前にそそくさーっと退場しようとする私。

 だけど、セーレがガタンとヒステリックに立ち上がる方が早かった。彼女は眉をハの字にして、その手はブルブルと小刻みに震えている。

 あ、これヤバイパターンだ。


「私、傷つきました! そういうことが平気でできる人って、やっぱり世の中にはいるんですね。悲しいです……」


 勝手に顔を曇らせて私へ軽蔑の眼差しを向けるセーレ。


「私が抜け駆けすると疑っているから、わざわざそんなことを聞きにきたんでしょう? 疑われた方がどれだけ不快な気持ちになるか、想像できないんでしょうね……。どうしてそんな無神経で心ないことができるのか、私には理解できません」


 案の定、セーレさんお得意の被害妄想が発動しました。

 だからこの娘とは必要最低限しか関わりたくないのよ。

 こうなる前は、おっとりしたお姉さんタイプだったんだけど……。常識的で思いやりもあって……。セーレの歌声を聞くと心が和んだ。

 でもそんな昔のセーレだからあんな悲しい事件が起きたんだと思う。


 セーレは過去にある事件を起こしたことで、ティモテ学園長からヒロイン設定を改ざんされた。その一件は学園ヒロインの間では人魚姫事件って呼ばれてる。

 かつてセーレは禁忌を犯した。ある転入生のことを本気で愛してしまって、セーレは彼をウツボカズラの蜜で溶かすことができなくなった。

 セーレは自分の立場もかえりみず彼を学園から逃がそうとしたの。

 でもそんなこと、許されるはずがないじゃない……。


 セーレが企てた未熟な計画は未遂で終わった。

 ティモテ学園長は面白くて優しいけれど女の子からの裏切りは絶対に許さない人。

 年老いた魔術師はセーレの心を修正した。誰かを愛した気持ちごと。

 今のセーレがこんなに自分本位の性格になったのは、もう二度と誰かのために自分を犠牲にすることがないようにと。学園長がそう変えたから。


 ネチネチと恨み事を投げかけ続けるセーレ。彼女の姿を私はしっかりと目に焼きつけておくことにした。

 学園のヒロインが本気で転入生を愛してしまった時、その先に待っている末路はお伽話のようなハッピーエンドなんかじゃなくて、こうなんだって。

 私は深く心に刻みつける。戒める。




 音楽室から出たところで、ラブリがひょこっと現れた。


「大丈夫? 大変だったね!」


 偶然にしてはタイミングがばっちりね。待ち構えてたの?

 なんて、ラブリには怖くていえないし……。


 ラブリは笑顔のままで、ぐっと顔を近づけてきた。

 ちょ!? 近いんだけど……っ!?


「あのね。転入生くんならプールにいるよ」


 耳元でそれだけささやいてラブリは顔を離した。

 まったく! ただ内緒話をするだけでも、いちいち誤解を呼ぶようなまぎらわしいアクションをしかけてくるんだから。私のことを完全にバカにしているとしか思えないわ。

 いや、今はそんなことは置いておきましょう。気になるのは……。


「……どうして教えてくれるの?」


 真剣な質問は明るい笑顔で返される。


「ラブリはたいてい屋上にいるから、学園のことがよく見えちゃうんだ」


 赤いポニーテールがくるりと弧を描いて、黒いスカートはふわりとひるがえる。ラブリは踊るように離れていった。

 甘ったるい笑い声と残り香を置き土産にして。




 半信半疑だったけど、ラブリの情報どおりバザウはプールにいた。

 彼は素足だった。プールサイドにはローファーが脱ぎ散らかされていた。


 ぱちゃ、と軽い水音。バザウの肌が水を弾いて新鮮な果実みたいに水滴ができている。

 つ……、と水滴の一つが内側のくるぶしから落ちて、ゆるやかなアーチを描いた土踏まずへと流れる。それからゆっくり、ゆっくりと、水滴は大きさを増しながら足の指へと向かい、バザウの親指からポトリとプールに還っていった。

 ああキレイだな、と私はぼんやりと彼の肌を彩る水滴を見つめていた。


「……安心しろ。借りた本を濡らしたりはしない」


 こっちを見向きもせずに、バザウはそっけなくいった。


「っと……隣に座っても、良い?」


 遠慮がちに聞いてみる。

 しばらくの沈黙の後で。


「……ご自由に。プールサイドに指定席なんてものはない」


「……」


 私も何かいい返そうとして、けっきょくやめた。

 バザウとの皮肉の応酬はいつものことなんだけど、なんだかこれは、いつもと違う気がする……。

 バザウの隣に座る勇気はなくて。でもここまできて何もせずに引き下がるのも嫌で。

 私は机三個分ぐらいの距離を置いてプールサイドにしゃがむ。バザウと違って靴は脱いでないから体育座りでちょこんとね。

 バザウは私のことは気にかけずに静かに本を読んでいる。

 思い切って座ってみたけど、正直、ちょっと気まずい。




 いったいどれくらいそうしてたんだろう。

 本を読み終えたバザウが立ち上がった。片手に本を抱え、もう片方の手で革靴と靴下をまとめて持っている。そのまま颯爽と歩いていく。


 ボーッとしてた私は、ワンテンポ遅れた動作でバザウについていこうとする。

 立とうとしたら頭がクラッとした。

 目の前がチカチカして何も見えなくなる。

 めまいに翻弄される。

 平衡感覚が完全になくなった。

 良くてプールに真っ逆さま。最悪、プールサイドで頭を打つかも。


 バランスを失った私の体を受け止めたのは、プールの水でもなければ、固いコンクリートでもなかった。


 強い力で、バザウの体に引き寄せられる。

 とっさに助けてくれたんだ。私の耳と頬が熱くなっているのは、きっと太陽の日差しのせい。


「ごめん。急に立ちくらみがしちゃって……」


 バザウが一瞬ホッとした顔になるのが見えたような気がしたけど、すぐに冷ややかな表情に戻っていた。


「意識があるなら……一人で歩けるな」


 確認というより、命令でした。

 私を支えてくれた腕が離れていく。

 お礼をいいそびれてしまう前に、慌ててバザウの背中に声をかけた。


「あっ、ありがとっ!」


 反応はないけど、声は聞こえているはず。


 って、なんかバザウの後ろ姿に違和感が……。何かが足りないような?


「あの……。ねえ、靴は?」


「!」


 驚いた様子でバザウは自分の手を凝視した。持っていたはずの靴一式がない。

 バザウのローファーと靴下は、プールでぷかぷか泳いでいた。


「ああ……さっき、夢中で……」


 顔をしかめているバザウ。

 私を助けてくれた時に、つい手放してしまったらしい。


「ごっ、ごめんね! 本当にごめん! バケツか何かですくえないかな……」


「いや……。けっこう吹っ飛んだから、バケツじゃ手が届かないだろう。……持ち手のついた網か、せめて棒がないと無理だ」


「網、網ー。うーん、見当たらないなー……」


 代わりにバザウはデッキブラシを二本見つけてきた。手際が良いわね。

 一本は私の方に投げ渡してパスしてくる。


「それで手伝え」


「うん……、手伝う。元はといえば私のせいだし」


 まずは靴を引っ掛けて回収する。引っ掛ける部分のあるローファーはわりとスムーズにいったんだけど、難関なのは水を吸った靴下だった。

 二人であーでもないとかこーでもないとか、そっちじゃない下手くそだとか散々言い合いながら、苦労と協力の末になんとか靴下の救出に成功する。

 バザウは二言三言文句をいっていたけれど、さっきまでと違ってちょっと打ち解けた雰囲気になっていて、それが私は嬉しかった。


 音楽室から戒めるようにセーレのピアノと歌声が聞こえてくる。

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