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バザウ、君は賢すぎる  作者: 下山 辰季
第五部 あるいは 補部

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七空学園とテストの時間

 教室で配られたプリントをしげしげと眺めてから、バザウがいった。

 彼の小さなつぶやきが聞こえるのは、隣の席になったメイン担当者の特権かしらね。


「俺の名前だ」


 紙の上に印刷された文字をしっかりと指でなぞる。

 バザウは時々こういう幼稚っぽい動作をする。まるで赤ん坊が少しずつ世界を確かめていくように。


「不思議な感覚だな。自分を示す名称が、いつのまにかに記され、複製されて配られる」


「生徒のプライバシーを主張したいの? 近頃の流れじゃ、学生名簿の管理なんかもだいぶ厳しくなってるらしいけど」


 らしいけどというのは、ここは現実の学園じゃなくて、あくまでも学園というイメージに基いて構築されたティモテ=アルカンシェルの創世樹だから。


「個人情報がどうというより……」


 バザウは印字された名前から目をそらさずに。


「……俺の名前が誰かにつかまれている……ような」


「気にしすぎだってば」


 勘が鋭いのね。私は眼鏡をかけ直す。

 転入生の名前を掌握するのは、ティモテ学園長の常套手段。

 バザウの直感は当たってる。名前は強力な魔術原理の一つ。


「うーん……」


 バザウは考えこんでいる。

 頑張ってるようだけど残念ね。彼にいくら知能があろうとこの難題は解けないわ。

 ティモテ学園長が施した記憶の封印。それは複数のロックで閉ざされていて、もしも偶然一つの鍵を解除できたとしても、すぐに残っている他の封印によって記憶は適切に修復される。

 この仕組があるから、転入生の記憶がよみがえりかけたとしても気のせいだとか奇妙なデジャブとして、すぐに忘れちゃうんだって。


 私が観察したところ、バザウは難しいつづりや長い単語もスラスラ書けるくせに、どういうわけだか自分の名前を書くのが苦手みたい。よく書き損じてる。

 こういうケースははじめて見た。これは別に学園長が施した封印の影響じゃないと思うんだけど……。じゃあ、何が原因なのかしらね?




 コツ、と西洋ブーツが床を踏む音がした。

 そちらに視線を向ければ、少し和風にアレンジされた制服に身を包んだヤコの姿があった。彼女は袴とブーツを愛用している。

 ヤコはこの学園の生徒会長役。ティモテ学園長以外の教師が事実上力を持たない世界なので、ヤコの仕事は多岐にわたる。


「ちと良いか? 転入生にテストの結果のことで話がある」


 ジトーっとした目でヤコはバザウを見ている。

 ヤコから呼び出されバザウは特別生徒指導室へと連行されていった。


「いってらっしゃーい」


 救いを求めるような目で見てきたバザウに、私はヒラヒラと手を振った。




 ***




「なんという惨憺たる結果か! 全問不正解など、狙ってやったとしても逆に難しかろうに……。ふざけておるのか?」


「……これでも真剣に考えたんだが、さっぱりわからなかった」


「それはちゃんと授業を聞いていないからじゃろうが!」


 転入生に出された問題は、かなり簡単な部類だったんじゃがのう。

 七空学園のテストはだいたいこんな内容になっておる。


 語学テスト。次の空欄を正しい文章で埋めよ。

 問一。月に代わって(  )よ。

 問二。ウソみたいだろ(  )だぜそれ。

 問三。親方! 空から(  )が!


 数学テスト。

 Q1:私の戦闘能力は53万ですが、たった三匹のアリが勝つために必要なアリ一匹あたりの戦闘能力を求めなさい。

 Q2:ジェノバからブエノスアイレスまで少年が母をたずねて旅をすると、何kmの道のりになるでしょう?

 Q3:3kgのアンパンを50mの距離から投げた時、顔を交換するためには時速何キロで投げる必要がありますか?


 どれもこれも、基礎的かつ重要なことばかり。いくら転入生とはいえども、この程度の難易度ですんなり回答できない体たらくでは大いに問題ありだ。

 転入生が元いた文化圏ではこういったものに馴染みがなかった、という言い訳はつうじぬわ! 学園では、学園長の考えた最高のカリキュラムに沿って授業をしておる。授業を真面目に聞いておれば、こんなひどい点数は取らずに済む。


 私はつい、やれやれ、とつやめいた嘆息。

 おっといかんいかん。無意識に大人な魅力を発してしまったわ。

 おい、ゴブリン。無視するな。


「……俺はテストを受けるより図書室で調べ物をする方が好きだ」


「悪いのう。個人の好き嫌いは、評価の対象にはならんのでな」


 運動が得意だろうが。

 たくさん読書をしようと。

 部活動に熱心に取り組んでも。

 そんなものはこの学園では価値がない。

 マンガの知識。どれだけディープにアニメを語れるか。人気に過敏な感性と売れる作品を見抜く眼力を育む教育プラン。


「さあ。補習を続けるぞ。これより、アニメ有名シーン九十分連続視聴を開始する」


 ゴブリンのヤツが私を見た。うんざりしておる。

 あの顔ときたら! まるで娯楽というエサを無理やり飲まされ、肝を患うガチョウのようではないか。そうそうティモテ学園長はフォアグラを食すのを好む。


「ご機嫌な補習だな! ……こんなことをして楽しいのか?」


「根本的に間違っておるぞ、転入生。楽しいかではなく、正しいかの問題だ」


 私はニィと笑って、ゴブリンの耳にイヤホンを顔には幻燈装置ディスプレイをつけてやる。


「さて。ふむぅ……。これはどうやって使うのだったかな? 電源はこれか?」


「っぎゃあああっ!?」


 ゴブリン、耳の管を乱暴に取り除ける。

 獣医のところに連れていかれたネコのような暴れぶり。


「なんだ、このいきなりの大音量は! 鼓膜が破れるだろう!?」


「あー。あいすまぬ。許せ許せ」


「なあ、確認しておくぞ。これは補習という名の……拷問とかリンチの類ではないよな?」


「人聞きの悪いことをいうでない。著しく成績の悪い生徒に、生徒会長たる私が直々に指導をおこなっておるのだ。多忙な私の時間を特別に割いてやっていることに、もっと感謝の念を持つべきじゃな」


 転入生はしぶしぶ映像装置一式を装着し直した。


「忠告しておくぞ。寝過ごそう、などと考えるは愚の骨頂。視聴が終わったら、次は感想文の提出が待っておるからのう」


 ゴブリンのヤツめは絶望的な顔を浮かべよった。




 九十分経過。

 幻燈装置を外した転入生は額を抑えた。


「うー、疲れた……。目の奥がチカチカする……」


「ほれ。感想文、感想文」


 レポート用紙を数枚渡す。


「……」


 転入生は、少しぎこちなく己の名を書いた。

 名前は魔術原理の一つだ。学園長が施した記憶の封印にも利用されておる。

 別にこの程度のことで封印がゆらぐことはない。学園生活というシチュエーションで自分の名前を筆記しただけで解けてしまう設定の封印などお粗末すぎる。それでは速攻で解除されてしまうではないか。


 ゴブリンはあれこれ思い出して時々考えこみながら、白いレポート用紙を自分の言葉で埋めていく。

 提出するのは意外と早かった。

 内容をザッと呼んだ限り、手抜きをしたという感じではないな。理屈っぽさが鼻につくが理解しやすい文章といえる。斬新な視点から独自の解釈を破綻なく展開している。

 ふむふむ。これは……。


「没」


 几帳面な文字が書かれたレポート用紙をつまみあげ、ピラピラとはためかせた。


「この感想は間違っておる」


 転入生の目の前に新しい紙をスッと滑らせる。


「再提出じゃ。正しく書き直せ」


 ゴブリンは意味がわからない、というように沈黙している。

 ノーヒントではつらかろう。親切な私は助け舟を出してやるとするかのう。ただ厳しいだけでは生徒会長は務まらん。年上ならではの包容力というものも大切なのじゃ。

 そうと決まれば携帯可能な情報端末をさっそうと取り出し……、えー……、電源はどこかいな。ああ、触っているうちに勝手に起動しよった。アナログのマニュアルを確認した後、一本指で操作。こんなややこしい機械のどこが便利だというのか。

 よし! 目当てのデータを表示することに成功したぞ! 転入生が閲覧できるように端末を机に置く。


「模範解答集を渡してやるから、それを参考に正しい感想を学ぶが良い」




 ***




 学園の敷地内にある男子寮へバザウはふらふらになりながら帰ってきた。学園の中には便利な施設がそろっている。

 ここから外に出なくても、たいていの用事は学園内で事足りる。卵の中のように快適だ。

 だがその快適さを味わう暇はない。退屈でうんざりするような課題がかせられていた。正しい感想の書き直し作業だ。

 ヤコよりも器用な手つきで端末を操作して、バザウは情報の海に触れた。


(なんの価値も感じられないが……、有効活用はできる)


 模範解答例があれば、課題を早く終わらせることができる上に、今後の学園生活を無難にすごすために役に立つ。

 その知識をただ表面的に利用するだけなら、別に心からその価値を信じる必要はない。

 どれだけ正しい感想の模範解答を書き写しても、バザウの本当の感想は間違ったままでいられる。

 ヤコは熱心に補習を手伝ってくれたが、バザウは七空学園の優等生にはなれそうにない。




 書き直しが終わった頃には、もう夜もふけていた。

 これで完成、と気を抜いた後で気づく。名前を書いておくのを忘れるところだった。


 名前。

 名前を書こうとすると、いつも自分のものではない別の名前が頭に浮かんでくるのだ。

 バザウは気をつけていないと、うっかり間違った方の名前を書きそうになる。

 狂った補習授業のせいでバザウはだいぶ頭の働きが鈍っていた。

 眠気に半ば飲まれながら名前を記そうとペンをとる。朦朧とした意識の中で、手にしみついた動きでその単語をつづる。


 バザウが一番最初に書いた名前。

 嫌になるほど練習帳の文字をなぞって覚えた名前。

 つい手癖で、コンスタント、と書いていた。


 ティモテ=アルカンシェルは魔術原理に基づいた複数の鍵を用いて、転入生の記憶に封印を施している。

 一番目の鍵は肉体の動作。現実世界で意識的に学習した動きだ。

 二番目の鍵は他人の名前。それは現実世界でつちかってきた絆。

 三番目の鍵は言葉の意味。

 三つある鍵を一度に一つだけ解除しても無駄だ。三つの鍵を同時に解除しない限り、封印は解かれることはない。


 「不変の」意味を持つコンスタントの名を筆記することは、動作、名前、意味からなる三つのロックを一度に全て突破した。


 現実世界での思い出や人間関係の記憶は封印しているが、体に馴染んだ動作の記憶まではティモテ=アルカンシェルには消せない。

 名を上げることに熱を上げていたコンスタント少年は、賢いゴブリンに文字を教える際、何よりもまず先に偉大なるコンスタントの名を練習させた。

 自分の名前よりも自分以外の名前の方をここまでくどく入念にしつこく優先的に書かされた者がいる、というのはティモテの想定外だった。


「……」


 バザウは書いた文字を丁寧に指でなぞる。

 そしてこの少年に手ひどくつねられたことのある耳を懐かしそうに触れた。


「すっかり眠気が覚めた」


 自分一人しかいない寮の部屋でバザウはククッとノドを鳴らした。

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