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バザウ、君は賢すぎる  作者: 下山 辰季
第五部 あるいは 補部

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七空学園と読書の時間

 しどろもどろになりながら私はなんとか言葉を出す。


「ええと……、図書室にようこそ。本は自由に閲覧して構わないわ。図書室の外に持ち出せるのは、このカウンターで貸出手続きを済ませた三冊までだから」


「わかった。ありがとう」


 短いやりとりの後、彼は再び本棚の方に向き直った。

 いくつかの本棚を見てまわり、その中から気になる書物を一冊選び出して、大きなテーブル席に着いて静かに読書をはじめた。

 図書委員用のカウンター席で私はそれとなく様子をうかがったけど、特に不審な動きはない。

 ……並ゴブリンしては基本的な礼儀作法を身につけているようね。


 と、私が安堵した時だ……。

 前触れもなく、冥府の地鳴りのような低く深い音が静謐なる図書室に響き渡った。

 簡単に言うと私のお腹が盛大になった。


 どうして……。どーしてこのタイミングで鳴るのよっ!?

 ハッ! そういえば、図書室の番をするために朝からここにこもりきりだったわね。

 腕時計を見る。……もう放課後だったんだ。お昼を食べるのも忘れてた。そりゃお腹も空くわ。


 私は耳まで真っ赤だった。

 今感じているのは、乙女的な恥じらいなんかじゃなく単なる恥である。


「……ククッ」


 ノドを鳴らすようにして、並ゴブリンのヤツが笑った。

 きーかーれーてーるー!!


「腹が減っているのか?」


 自分の頭をちぎって与えてきそうなセリフを口にして、ゴブリンはこちらに近づいてきた。

 アンパンの代わりに差し出されたのは、個包装されたチョコレートバーだった。学園の購買で売ってるやつ。

 やだっ、優しい! 温かい気遣いにハートがきゅん! ……ってなるかぁあああっ!

 チョーコーレイトォオオオオ、ですって!?

 図書委員である私の前に、よくそんなものを出せるわね! ご存知かしら!? そのビターかつスイートでダークブラウンの物体は、夏の気温でドロドロのベタベタに溶けるのよ! おわかりかしら!? 本に汚れがついたらすっごく大変なんだからね!


 ……って叫びたい衝動を抑える。

 うん。相手はきっと善意でしたこと。ヒロインたるもの、いかなる事態でも寛大な態度で転入生を褒めねばならぬ。耐えねばならぬ。

 高等テクニックとして、あえてツンツンしたり、冷たくあしらったり、というのもあるらしいけど、それって私には無理ね。

 ……そういうのは、よっぽど美人な娘じゃないと成立しない。

 ああ。私の鼻がバケットパンぐらい高くそびえていたら、その美貌でゴブリン族の男全てを虜にできたものを……。でも、そこまで鼻が大きくなったら、ゴブリン族以外からは引かれちゃうかもね。ただでさえニッチ需要枠なのに!

 第一、本を読む時も不便そうだし。

 妄想はたいがいにして、目の前のトラブルを上手く回避しないと。あくまでヒロインとして感じ良ーくお断りするわよ。ラブリみたいにね。


「いりません。図書室での飲食は禁止されてるから」


 ……。

 マズイ、これはマズイ。

 自分でもそれはないだろうと思うぐらい、冷たくて堅苦しくて重い口調になってしまった。

 本当はもっと可愛らしくいうつもりだったんだけど、口が上手く回らなかった。悔しいけど、やっぱり器用なラブリみたいにはいかないな……。

 こんな初期の段階でターゲットを怒らせたくはない。

 なんとかこの状況からリカバリーしなくちゃ!

 必死に次のイベントの流れを考える。


「あのっ! そ、そうだー! せっかくだし、今からいっしょにカフェテリアにいかない? 美味しいオススメメニューとか教えてあげるけどっ! ……、どう?」


 しらじらしい笑顔に薄っぺらい誘い文句で唐突な提案。

 鏡を見なくたってわかる。

 醜いって。


「……今からか?」


 彼は困ったような顔をした。その表情を見れば、何を考えているのかわかった。彼はただ本が読みたいのだ。初対面の図書委員と学食にいきたいわけではない。


「あ、ううん。ごめんなさい。……話しかけてごめんなさいっ」


 その場にいることが耐えられなくなって、ついに私は図書室から走り去る。

 メイン担当ヒロインでありながら、歓待するべき転入生に背を向けて私は逃げ出したのだ。




 その足取りで、廊下を走り抜け、階段を駆け上がり、気づけば屋上に出ていた。

 夏の匂いがする風が吹いている。

 ため息をつきながら屋上のフェンスを軽くつかんだ。


「あれぇ? どうしたの?」


 後ろから声をかけられる。

 屋上にはラブリがいた。


「あなたがこんなところにくるなんて珍しいよね。違ってたらごめんね? ……転入生くんと、何かあったのかな?」


 さすがに察しが良いわね。

 何もいってないのに的確に当ててくる。だからラブリのことは苦手。


「うーん……。あの転入生くん、ラブリの見た感じでは割りと性格良さそうだと思ったんだけどなぁ」


「……」


 転入生の性格は良さそう。それなのにトラブルを起こすのは、つまり私の性格に問題があるって、遠回しにそういってるように聞こえる。

 ……いわれなくたってわかってるわよ。


「何か困ったことがあったら、ラブリが話を聞くよ。助けになるからね!」


 明るい笑顔の言葉に、私は曖昧に頷くことしかできなかった。

 ラブリから視線をそらして屋上から学園の敷地を見下ろせば、転入生の姿を見かけた。緑肌に尖り耳のシルエット。他のモブと見間違えるはずがない。


「悪い! 急用ができちゃった! ええと、だから……じゃあ、またねっ」


 フェンスからバッと身を離してダッシュでむかう。

 あの方向に進んでいるなら、転入生は裏庭に出るはず。

 あんな無様な失敗をした後でまた会ってみようと私が決意できたのは、彼がキョロキョロしながら歩いていたからだ。

 まるで、いなくなった誰かを探してるみたいに。




 裏庭というと一般的には日陰で薄暗いイメージだけど、建物の配置の関係でこの学園の裏庭はとても日当たりが良い。

 たくさんのクローバーが青々と葉を茂らせていた。

 転入生はそこで野良ネコを見つけたらしく、いっしょに遊んでた。ネコは可愛い。ヒロイン労働ですさんだ心に一服の清涼剤だ。

 バザウはネコよりも早く私の気配に気づいた。

 私の姿を見て彼はニッと笑う。白い牙がのぞいた。


「……あれから学校の中を散々探したんだが……。あきらめたところでまた会えたな」


 やっぱり彼は人を探していたんだ。私のことを。

 ただそれだけのことなのに私の感情はゆれ動く。

 勇気を振りしぼって彼を追いかけて良かったって、心からそう思う。

 夕暮れ時が迫ってくる気配はするのになかなか日が沈まない。頭上にはそんな夏の空が広がっていた。


「わ……私のこと、探してくれてたんだ……」


 緊張をほぐすために、左手で自分の三つ編みをいじる。髪がはねて変な風になってたりしないかな?


「ああ。あちこち探したとも。こっちには借りたい本があるというのに、貸出手続きもしてくれないで、突然姿を消してしまった図書委員さまのことをな」


 乙女モード即解除。

 反射的に言葉が口から飛び出していた。


「それはごめんなさい? まさか並ゴブリンのあなたが勤勉な愛書家だなんて、思ってもみなかったことだから」


 ……やっちゃった。

 こんな生意気なことを言ったらもうおしまい。気に入られることはない。

 またとない名誉挽回のチャンスをこんなことで潰すなんて……。

 だけど私の返事を聞いたバザウの顔は、どことなく楽しそうだった。


「そう。俺は意外にも本好きなんだ……。数多くの文章に触れることで、皮肉も冴え渡るというもの……だろう? 嫌味を考えつくのに読書がどれだけ優れた効果を発揮するかは、すでに図書委員さまが実証なさっておいでだ」


 コイツ……、皮肉家か! なんて活き活きとした顔をしているの! 類は友を呼ぶって言うけど、私と同じ趣味してるじゃない!

 会心の皮肉をベストなタイミングで言えた時、私もきっと今のバザウと同じような表情をしてるんでしょうね。


「で、カフェテリアとやらにはもういったのか?」


 嫌味の応酬から普通の会話のトーンに戻ってバザウが尋ねた。


「ううん。結局ドタバタしちゃって……」


 まだお腹はペコペコだ。


「そうか」


 バザウはさっきのチョコレートバーを差し出した。


「もらってくれ。調子に乗って買い過ぎた。……さすがにこの裏庭まで飲食禁止だなどとはいわないよな?」


「ええ。その心配は無用よ」


 私はしぶしぶといった感じで彼の手からチョコバーを受け取る。

 ほんの少しだけ、バザウの指に触れた。切り出したヒスイのような指の先に、黒曜石みたいにつややかな爪が生えていた。

 ホブゴブリンや人間族の丸っこい肉色のヤワな爪とは違う、野性動物みたいに鋭い爪。嫉妬するくらいキレイだった。


 バザウはクローバーの上に座りこんでチョコバーをもぐもぐしはじめた。

 さっきの野良ネコが寄ってきたけど、しばらくするとそっぽを向いて去っていった。ネコの体にはチョコは毒だっていうしね。

 私はいっしょに座るのを少しためらった。だって雑草の上にそのまま座ったら、制服とか汚れちゃいそうだし……。

 バザウはわざとらしくため息をついた。


「ホブゴブリンのお嬢さんは本当に育ちが良くていらっしゃる」


 そういうなり制服のポケットから何かを取り出した。それをふわっと広げて草の上に敷く。青と灰色のチェック柄のハンカチだった。


「どうぞ」


 貴族みたいに洗練された手の動きでハンカチの上に座るようにうながしてきた。


「そんな気取った仕草、一介のゴブリンがいったいどこで身につけたのやら」


 私の言葉にバザウは一瞬固まった。

 あれ、マズイこと言っちゃった!? 不安で心臓がきゅうっと痛んだ。


「そうだ……俺はどこで……身につけた……? ……ダメだ……。記憶の深い部分にモヤがかかってるみたいだ……。その向こう側に何かあると、漠然とわかっているのに……モヤが晴れることがない……」


「思い出せない、わからない、をすごく格好つけて言うとそうなるわね」


 バザウは一瞬こっちをジトーッと睨んで、最終的には無力感漂うため息を吐いて、顔を伏せた。


「……これ、ありがとう。座らせてもらうね」


 しずしずと、彼が敷いてくれたハンカチの上に腰を下ろす。

 こんな風に丁寧に扱われるのは緊張したし、ちょっと私なんかには分不相応な気もしたけど……。そうね。嫌な気はしない。

 正直にいえば嬉しかった。でもここできゃあきゃあと喜んだりなんかしたら軽薄なノリの女子だと思われそうで、私は頑張って涼しい顔を維持していた。


 私はしばらくチョコバーを握っていたけれど、体温でチョコがどんどん溶けていく感触がパッケージ越しに伝わってきた。

 ペリっと包装を開けて、少し慌てながら溶けかけのチョコバーを食べた。

 ゆっくりと暮れていく夏の夕方の中。

 一面のクローバーが茂る裏庭にて。

 バザウの隣で。

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