ゴブリンと警備隊
棍棒を手にした大柄なゴブリンがバザウと向き合っている。
「どぉ」
野太いかけ声。
体重の乗った打撃が迫る。
バザウは退かずに前へ出た。
棍棒の一撃よりも速く接近。
そのまま相手の膝裏に押し込むような蹴りをいれる。
巨体はバランスを崩してすっ転ぶ。
「キヒィッ」
別のゴブリンががむしゃらに剣を振るった。
刃の軌道を素早く読み取る。
斬撃をかわし、バザウは相手の利き腕をつかんだ。
その手をひねり上げる。
たまりかねた相手は剣を取り落とす。
「うおおぉ! その首もらうぞ!」
次の相手の武器は斧。
両腕を振り上げている。
重い一撃をもらわないようにひらりと立ち回って翻弄する。
腋下に流れている動脈を狙い、バザウはナイフをぐりりと突き上げた。
「おふっ、ひょっ! ぐわぁああっ! 勇猛と名高いこの俺が、よもや負けようとはーっ! 不覚! ぐふっ」
死人にしては緊迫感のない断末魔で、斧使いのゴブリンは大げさにバターンと倒れた。
「うひひ。今のはくすぐったかった。耐えられん!」
「……死体はしゃべらないでください」
バザウは、洞窟の見張り番たちに模擬戦につき合ってもらっていた。
警備隊員の数は全部で五人。それぞれ得意な武器が違う。
射手のゴブリンは、今は洞窟の見張り役についていた。
穏やかだが隙のない視線がバザウをとらえる。
長槍……のつもりの布巻き棒を構えるのは警備隊の隊長だ。
小柄な中年ゴブリンで、先の尖った赤い帽子がトレードマーク。
バザウもまた油断なく、愛用の短剣二本……の代わりに小さな木の板二枚を握りしめる。
攻防は唐突に始まった。
仕掛けたのは隊長から。
隊長が持っているのはまぎれもなくただの棒である。
それが隊長の手の中では不気味なほどに目まぐるしく姿を変える。
体長が持ち方やさばき方をほんの少し変えただけで……。
棒は、ムチになった。
遠心力が産み出す破壊力から、バザウはギリギリで逃れる。
棒は、ムチから槍へと姿を戻した。
突撃してくる点をバザウはかろうじて避けた。
無理な方向に体を動かしたので、筋肉と骨が苦情を叫ぶ。
棒は、槍から剣へと転じた。
空気を裂いて襲いかかる。
(受け流してから……、挟み込む)
バザウは両手のナイフを駆使し隊長の攻撃に応じる。
(とらえた!)
自分の武器を封じられたはずの隊長が、温厚にして凶悪な笑みを浮かべた。
瞬時。
棒は、隊長の腕の延長となった。
二本のナイフの間をぬるりと抜けて、毒蛇よりもしたたかにバザウの背中へと這い進む。
(っ!?)
バザウの左手から、武器がはじき飛ばされた。
そして。
「はい。勝負がついた」
隊長の声は、背後から聞こえた。
槍を滑り込ませる間に、移動していたらしい。
気配はまったく感じなかった。槍に付属する影のように静かだった。
「君は死んでしまったよ」
赤い帽子は真横にいた。
隊長の両手がバザウの右手を掌握していた。
右手に持っていたナイフは、腹の前でとまっている。
「私の背がもう少し高ければ、首を狙うところだけどねえ」
武器を持つ手を狙うのは戦いを有利に運ぶ定石の一つだ。
バザウは蹴ったり、叩いたり、ひねったりして、相手の武器を落とす。
だがこんな技は、バザウはこれまで見たことがなかった。
隊長がどう動いたのかも自分に何をされたのかもわからないうちに、ただ勝負の決着だけがついていた。
とても奇妙で複雑な動きだった。
とても興味をそそられる。
「おう、バザウ。死体はもう起きて良いだろ?」
「死体退屈だー。運動したから腹も減ったど。飯まだー?」
「キヒャ。俺、ゴブリンゾンビになっちゃうもんね。ぐるるるる、肉喰わせろっ」
死体たちの要望により、のどかなお昼の休憩となった。
昼食の間ずっと考えていたが、あの攻防の最中に隊長が何をしたのかわからなかった。
「あれは……、どうやったのですか? 最後の決め手の技は……」
「相手の腕に自分の手をそっと添えてあげてね。優しく動かすんだよ」
隊長の口からはそっと添えるだとか、優しくとか、およそ戦いの技術とは思えない単語が並んだ。
「あんまりギラギラと殺気を放ってちゃあ、上手くいかないんだ」
隊長はそうつけくわえた。
「むしろこう、ね。あなたの動きをサポートしてさしあげますよ、っと、そんな親切な気持ちでやると良い。そうすると相手は自分の武器でひょいと死んでるんだなあ」
「これはゴブリンの体の特性を利用した技なのですか? つまり、人間やドワーフのように、微妙に体型が違う者には、効果がないということは?」
「二本足で歩く生き物ならゴブリン以外にも通じると思うよ。私はこのやり方でエルフを片づけたことがあるから」
「……エルフを!」
ゴブリン族のウワサ話によれば、エルフはお高くとまった嫌なヤツらだという。
ほとんど虫みたいで貧弱なフェアリーとは違って、エルフは魔法の力と弓の技でゴブリンを血祭りにあげる。
危険な妖精族だが、幸運なことにこの辺りの森にはエルフは暮らしていない。エルフはもっと深くて古い森に居つく。
「でも関節や筋肉や神経の作りがあまりにも違う相手だと、技が上手くかからないかもしれないね」
相手の動きを操る魔法ではなく、赤帽子隊長の説明によればこれは体術の一種であるらしい。
「興味深い……、です。あの、もう一度俺に技をかけてもらえますか? 先ほどは、まったく動きが読めなかったので……」
きちんと覚えたい。
自分も同じ技を使えるようになりたい。
そうバザウは望んだ。
この方法ならこちらが丸腰の状態でも、武器を手にした敵に対応できる。
「君は」
「はい?」
「君は貪欲なのだね」
思いもよらぬ言葉にバザウはキョトンとした。
「ちょっと頭蓋骨を見せてもらっても良いかな?」
バザウは少しだけ躊躇した。
「大丈夫。ほら。座って、座って。私は背が低いんだから」
腕に手で軽く触れられた。
そう思った時には、体はすでに地に伏せられていた。
座ったのではなく座らされた。力づくなどではなく、もっと別の方法で。
「怖がることはない。見るといっても、頭皮をはいで中を見るわけじゃないからね。リラックスしていて良いよ」
リラックスできる状況ではない。
という反論はぐっと飲み込んだ。
「私は占いが趣味でね。骨とか内臓とかで未来を占うのが好きなんだ」
隊長の指がひたりと頭に触れた。
丹念に。丁寧に。
バザウの頭骨を使って占っている。
「ふむ。この中に、君は世界の全てをしまい込もうとするだろう。そういう骨の形をしている」
するする動いていた隊長の指が、急にとまる。
「あ。今、……君の運命が少しだけ見えたよ」
隊長がバザウの顔をのぞきこむ。
赤い帽子の下には、柔和な笑みが浮かべられていた。
「苦しみを背負いさすらう運命だ! 孤独な旅になるだろうね。ふふっ。なんて羨ましい、災いに満ちた定め! 私と君の運命を取りかえられたらなあ」
ようやく頭を解放される。
「……あの……」
「うん? 私が身につけている体術なら教えてあげるよ。君がこれから生きていくのに、必要となるだろうし」
バザウは自分の腕をみがくことに熱心だった。
赤帽子隊長の恐怖のプレッシャーにも耐える。
不気味なゴブリンだが彼から学べることは多い。
新しい知識を覚えたりできることを増やすのが、バザウはもともと好きだった。
何かを修得するたびにバザウは安堵する。
達成感とは少し違う。
自分一人の力でやれることが多くなるだけ、他の誰かの助けを借りる必要がなくなる。
バザウは、それがとても嬉しかった。
バザウは鍛錬に集中した。
そんなバザウをプロンは冷ややかな目で見守る。
洞窟の壁にもたれながら彼女はこんな不平を言った。
「汗臭ーい。オマケに泥臭ーい」
「……そうだろうか? これでも体の臭いには、気をつけていたつもりなんだが……」
「まあ、ワイルドな暮らしぶりにしては身ギレイにしている方よね。その心掛けは評価するわ」
一般的なゴブリンの衛生面のだらしなさについては、今さら説明するまでもないだろう。
「しかし泥臭いというのは、逆に……、良いかもしれない」
「え? あなた、何いってるの?」
「あえて泥浴びをすることで、自身の体臭を周囲の土地に溶けこませるのだ!」
バザウは活き活きとした表情で、プロンを見た。
プロンは泥のように濁った瞳で、バザウを見ている。
「ど、どうだろう? 上手くいくと思うか?」
「しらないわよ」
「そうだな。実際にどれだけ臭いを隠蔽する効果があるのか……。想像だけの検証には、限界がある。実験してくる!」
今すぐ出かけようとするバザウ。
プロンは慌てて毛皮のマントをぐいっと引っぱり、バザウを引き止めた。
「バカ! そんなことしなくて良いの!」
「いや、しかし……。鋭敏な嗅覚を持つ敵を相手にした時、わずかな体臭が命取りになる危険が……」
「それもそうだけど。じゃあ、何? 蛇なんかは熱を感知してるっていう話だけど、そしたらあなた、いちいち体温をさげる方法を考え出すの? 超音波の反響を利用しているコウモリが相手なら、どんな対応策を立てるんでーすーかー?」
「ん……。それは……、手強い問題だ。自身に偽装をほどこすより、相手の感覚器を撹乱する作戦の方が現実的……、なのだろうか。プロンはなかなか難しい問いかけをする」
「あなたって、理知的なバカね」
プロンがため息をつく。
そしてバザウのそばに近づいた。
「?」
「しゃがんで」
バザウは片膝を立てて、言われた通りにその場にスッと座る。
赤帽子隊長でさえ、バザウをひざまずかせるには体に触れる必要がある。
この小さなコボルトの娘は声だけでバザウを座らせることができる。
もちろんそれは、彼女のちょっとした命令をかなえる意志をバザウが持っているからだが。
この関係に、バザウはなんとなくほのぼのとした滑稽さを感じた。
(それにしても……)
自分を座らせて何をするつもりなのだろう。
バザウがそんなことを考えていると。
ぽす、とふわふわの鼻が肩に当たった。
体に軽く抱きつかれる。
プロンはしばらくじっとしてから、うずめていた顔をゆっくりと離した。
「はいはい。嫌な臭いなんて、少しもしないわよ。コボルトの鼻にかけて証明したわ。だから全身に泥を塗りたくなんておバカな実験は、無期延期にしておくことね」
「……」
「返事は?」
「……わかった。そうする」
「よろしい。そうしなさい」
プロンは去っていった。
「……」
バザウは無言で自分の肩をさすった。
先ほどプロンが触れていた場所には、まだ彼女の温度と良い香りが残っている。
彼女がバザウの体に残したぬくもりも匂いも、いずれ消えていく。
そういうものだ。
プロンの体からは、木の実と花のエキスに小犬の一吠えを合わせたような、そんな匂いがした。