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バザウ、君は賢すぎる  作者: 下山 辰季
第四部

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59/115

ゴブリンと記憶の化石

 長い間洞窟に閉じこめられていたバザウの手は、すっかり土で汚れていた。

 指で触れれば、乾いた泥はパラリと手から剥がれ落ちていく。

 土といっしょに、バザウの皮膚の表層も垢となって剥がれ落ちた。


「……」


 かつて自分の体の一部だったものが、パラパラ落ちていくのをバザウはジッと見ていた。

 それから、石のように固く冷たくなったデンゼンを見る。




 バザウがデンゼンの亡骸を静かに見つめていると、急に洞窟の外が騒がしくなった。

 たくさんの生き物の気配がする。

 うつろな頭で、バザウはぼんやりと外の音を聞く。

 誰かが岩をどけているようだ。大勢で手分けしている。慎重かつ力強い仕事ぶりからするに、きっとドワーフだ。

 おそらくルネがデンゼンの死亡を確認したのだろう。

 まだ生きているバザウを洞窟の外に出すため、なんらかの形で働きかけたに違いない。




 閉ざされた洞窟の中に、涼やかな風が入りこんでくる。

 ドワーフたちの作業が着実に進んでいる証拠だ。


 太陽の光が差しこんできた。

 その眩しさにバザウは思わず目を細め、その温かさに自然と心がゆるむ。


(俺はまだこの世界で生きていられるんだな)


 体の奥底から背骨をさかのぼるように、生への欲求が沸き起こってくる。

 だがすぐ傍らに横たわるデンゼンの瞳には、もはや太陽の光が届くことはない。


 よろめきふらつきながらもバザウは自分の力で洞窟の外に出た。


 瓦礫だらけの岩山には大勢の男たちの姿があった

 土埃に汚れた大勢のドワーフ。風の呪術師テオシント。父親をデンゼンに殺された若輩村長リコ・ピン。

 少年としてではなく一族を率いる者として、リコが重々しく宣言した。


「黒い流れを生きる悪魔は滅びた」


 その場にいたドワーフ全員が独特なリズムで足踏みをしてみせた。

 文化の違うバザウにも、その足踏みの動作がドワーフ族にとって厳かで深い意味のある動作だということがわかる。

 リコもドワーフたちも心からの歓喜に打ち震えていた。

 忌むべき人喰いのケダモノが息絶えたことに。

 バザウだけがデンゼンの死を悼んでいた。

 テオシントが小さく声を投げかけた。


「……デンゼンと関わる者は皆、不幸になる」


 以前聞いたものと一字一句違わないセリフ。

 あの時は、単なる言いがかりにしか聞こえなかった。

 だが今なら、テオシントの真意がわかる。


「狂った虹は、あまりに過酷な役目をお前に背負わせた……。あの黒いケダモノに心を無惨に引き裂かれるのは、血の因縁で結ばれた私だけで充分だというのに」


「……お前は……」


 テオシントは純然たる責任感から、バザウが黒い流れを生きるデンゼンに深入りしないよう警告をしていたのだ。

 かつてのテオシントは穏やかで優しい男だったという。

 彼個人の思いとしては、バザウを巻きこむことに抵抗感があったのだろう。

 残念ながらルネ=シュシュ=シャンテの企みを覆すだけの力は、この不器用なシャーマンにはなかったが。


「この薬草茶を飲むと良い。体に活力をよみがえらせる」


 そういってテオシントは木製の水筒をバザウに差し出した。

 ためらいの後、バザウはそれを受け取る。濃厚な植物の臭いが鼻をつく。

 ゆっくりと口をつければ、茶というよりも飲み薬というほどの口当たり。良薬口に苦しの法則に当てはめれば、かなりの薬効が期待できそうだ。


「小さきヒスイよ。私の力が及ばないばかりにすまないことをした」


「……やめろ。お前が謝ることじゃない」


 力なくつぶやいて、バザウは視線を外した。

 申し訳なさそうに頭を垂れるテオシントの姿を見るのが、嫌だった。

 これまでの自分とデンゼンの歩みまでが誤りだといわれているようで、嫌だった。


「穢れた悪魔の死体を地の底へ封じよ!」


 リコは大勢のドワーフに対して物怖じすることもなく、天空の山岳の民を統べる者として堂々と振舞っている。

 弱々しい少年という人物像は、男性的な強さに異常に執着するデンゼンをあしらうための演技で、今の状態こそがリコの本当の性格なのかもしれない。


「……デンゼンの死体を埋葬するのか?」


 テオシントに問いかける。


「魂は空へと帰るもの。通常ならば、特別な地へ遺体を運び、鳥葬をおこなうのが本来のしきたり」


 だがデンゼンは違う。


「重大な罪を犯した者は石埋めにて処罰される。天の鳥を通じて空に帰ることも、地の草木と変じて風にそよぐことも許されぬ罪深き者は、冷たい岩によって封じられる」


 ドワーフたちは着々と作業を進め、デンゼンの遺体がある洞窟に石を投げ入れている。

 デンゼンの躯が石に封じられていく。


(そうだ……。俺は、奇妙な石を見たんだ)


 この山地でデンゼンと出会う前に。

 バザウは石に封じられた貝を見つけた。


(たとえデンゼンが石の中に閉じ込められて、あらゆる者たちから忘れ去られても……)


挿絵(By みてみん)


 自分は必ずデンゼンを見つけられるだろう。

 バザウはそんな気がした。

 デンゼンから渡された黒曜石のナイフをそっと両手で包み込んだ。

 彼の魂の居場所はここにある。


 テオシントは何かをいいかけたが、目を伏せて黙した。




 夕暮れにもなると岩場から人気もなくなった。バザウは一人きりで食事をしていた。蒸かしたジャガイモを黙々と頬張る。

 シャーマンのテオシントが、一包みの食料と薬草茶をバザウのために置いていった。

 デンゼンという宿敵さえ絡まなければ、あのシャーマンは温和で親切なのだ。


「はいはいバザウ~! ご苦労さーんっ!」


 食べものが急にまずくなる。

 朱色と紫の混じった空をバックに、ヤツが姿を現した。ルネ=シュシュ=シャンテだ。


「進めや、進め! いざゆかん!」


 朗々と嘲笑するような節回しでルネが歌う。


「天空に集いし男たちは、誰しも英雄たらんとした!」


 この山の男たちは誰もがそれぞれの形で英雄であろうと、もがき生きた。

 強さに囚われた転生者デンゼン=ヤグァラがそうだったように。

 姉の息子の魂がすり替わったことをしり、本来の優しい性格を捨て去ってまでデンゼンに対抗したテオシント。

 悲劇的な形で父を喪ったリコ。自己の責務を果たし仇への憎悪をひた隠しにしながら、最後は悪魔を村から追い出した。

 武勇と名誉を重んじるドワーフたち。

 そしてデンゼンが人喰いの獣になって村を襲った時に、果敢に戦い散っていった戦士の命。


「吟遊詩人は称えよう! その蛮勇! その悲劇!」


 わざとらしく不快なルネの振り付け。


「天空の山岳に響く叙事詩エピック。これにて、おしまい」


 目を三日月みたいに歪ませて、ルネはにんまり微笑んだ。


「一つの舞台の幕が下りた。チリルの計画をまた一つぶち壊してやった。ねえ! 食事中に悪いんだけどバザウ、さっそく次の演目のスケジュールがあるんだけど」


「断る」


 ルネは一瞬だけ目を泳がせてから、クキッと芝居がかった動きで首を傾げた。


「ンーフン? あぁ! 今は疲れてるからしばらく休養したいってことだね? バカンス休暇をお望み?」


 バザウはずっといいたかったことを明確に言葉にした。

 自分よりも強大な力を持つ相手に。

 自分の出生に深く関わった相手に。


「俺はもうお前のあやつり人形でいる気はない」


「アッハァ! ……おい、なんだそりゃ」


 ルネは眉をしかめ歯をむき出して下劣な笑みを浮かべる。


「それってアタシを不機嫌にさせるためだけのジョークかい?」


「俺の本心だ。なんなら読心術で確認してみるか?」


 ルネは舌打ちをしロコツに苛立ちの感情を示した。

 けれどルネの怒りはすぐに破壊的な喜びの念へと早変わりする。

 派手な色で塗られたルネの指。ルネは右手の人差し指と中指の二本をついばむように浅く自分の口に含んだ。チュッと軽いキスの音がした。


「ククッ! それじゃあ、その大きな頭をイジッてあげよう! おとおかあさんのいうことを聞く、良い子になるようにねぇ」


 そういって驚かすように指をオドロオドロしく動かした。おどけた口調だが、こけ脅しではない。

 ルネ=シュシュ=シャンテは心を司る神だ。かつて実際にバザウの記憶を一部改変したこともある。

 普段はふざけていてもルネは気まぐれで残酷な神の一柱。ダンスのステップを踏む気楽さで、生き物の尊厳を踏みにじる。

 邪悪な神と対峙しているプレッシャーで、バザウの心臓は不穏に脈打った。


「……創世樹計画の妨害は続行する。だが……」


 ルネ=シュシュ=シャンテの目を見ながら、バザウははっきりと告げた。


「これから先は俺自身のやり方で、だ」


 デンゼンの体が冷たくなった時に、バザウはそう決意した。

 ルネ=シュシュ=シャンテの手駒として動かされるのではなく。

 チリル=チル=テッチェの行為に対し、自らの意志で抗おうと。

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