ゴブリンと憎しみの行方
洞窟の中はゴブリンにとって最適な環境だ。
(ただし……自由に出入りができるなら、という条件でならな)
バザウとデンゼンは洞窟内に閉じこめられていた。
入り組んだ空洞内を何度も探索したが、地上への出口は見つからない。
「待たせたな。残念ながら……出口になりそうな場所は見つからなかった。だが、とりあえず水は確保できたぞ。飲むと良い」
たぷっと音を立てる革袋をデンゼンへと渡す。
「ん」
そう返事をしたものの、彼はなかなか口をつけようとしない。
「ああ、デンゼン。節水にご協力していただかなくても平気だ。俺が見つけた水源は広大な地下泉だ。水不足には悩まされずに済む。……だから何も遠慮することはない」
冗談めかしていったがバザウは気づいていた。
地下に閉じこめられてからデンゼンはほとんど何も口にしていない。
この状況下で生き残るには、もちろん水や食べものを大事に温存しておくことは重要だ。
しかしあまり無理に食事をガマンし続ければ気力や体力が奪われていく。
デンゼンは革製の水筒から水を飲んだ。
水を飲んで多少気持ちが落ち着いたのだろう。
張り詰めていた彼の空気がフッと和らいだ。ぐるる、と空腹が唸り声をあげた。
普段なら笑いを誘う音だが、今の二人に笑う余裕はない。
「……水場に、何か食べられるものもあれば良いんだがな」
太陽の光が届かない空間で、どんな生物がいるのかは不明だ。
水をくんだ時には特にそれらしい気配を感じなかった。だが徹底的に探したわけではない。
「どうして」
デンゼンがつぶやいた。
「俺は、どんな戦士よりも、強くなったはずなのに。どうして、今、何も、思いどおりに、ならないんだろう」
閉鎖された暗闇の中でデンゼンは痛感していた。
無類の強さを誇るはずの自分が、いかに無力かを。
「……」
デンゼンには伝えていないが、バザウは落ちてきた岩からドワーフの臭いを嗅ぎとっていた。
岩の崩落は自然に起きたものではなく、殺意がこめられたものだと。
もし直接戦えるのであれば、武勇に名高いドワーフたちが敵であろうとデンゼンは打ち倒すことができただろう。
デンゼン本人の強さを追い求める意志と、チリル=チル=テッチェが与えた加護によって、彼は人間離れした強さを手に入れた。
そして転生を繰り返す。誰かに殺されようとも、デンゼン=ヤグァラは別の肉体を器によみがえる。より強くなって。
(デンゼンを本当の意味で殺したいのであれば……、戦いで命を奪うのは無意味なこと。再び転生するだけだ)
悪意に満ちた考えをバザウは静かに頭から追い払った。
ルネの企みに巻きこまれたジョンブリアンは死を免れた。
創世樹の宿主ネグリタ=アモルには執着からの解放と幸福がもたらされた。
(そうだ。だから……)
デンゼンにも生き残る希望はあるはずだ。そう思っていたい。
「また泉を見てくる。何か……、喰えるようなものがあるかもしれない」
飲み水はすでに充分確保した。
それでも何かしら理由をつけて動いていないと不安に飲みこまれそうになる。
「ん。バザウ、気をつけて」
再度訪れた泉には変化があった。
闇の中にぼんやりと動く姿がある。
(……だがコイツばかりは、煮ても焼いても喰えそうにない)
「はぁい。陰鬱な地下世界に優雅に登場! ルネちゃんでーす」
水面の上に不快な鳥が浮かんでいた。
その面の上には愉悦の笑みを浮かべて。
バザウは警戒した。
ルネ=シュシュ=シャンテとはお互いを利用する関係だ。
それも完全に対等なものではない。両者の関係ではルネの方がしばしば優位に立つ。
「サバイバル生活は順調かい?」
ルネは水面をちょんと指の先でつついてみせた。
「これだけのミネラルウォーターがあれば、ゴブリンの生命力も考慮して、それなりの期間は生きられるだろうね」
くつろいだポーズをとりながらルネが右手をくるっとねじる。
何も持っていなかったはずのその手には、水の入った容器が握られていた。ガラスよりも薄く透きとおった不思議な材質で、ルネがちょっと力を入れて持つだけで表面が軽くへこんだ。
「極限状態のピンチだけど、くじけるんじゃないよ。バザウ、お前は生き残れ」
「フン。いわれなくとも……」
いいかけて、嫌な予感に凍りつく。
「……お前、は……?」
「うん。お前は。殺す必要もないしね」
ルネ=シュシュ=シャンテは今度は赤や黄色の小袋をどこからともなくとり出して、一人でパリポリ食べ始めた。
イモの薄切りを油で揚げたものだ。
「デンゼン=ヤグァラより先にくたばるんじゃないよ。創世樹の宿主の死亡を確認次第、お前の今までの働きに免じてこの洞窟から出してあげよう。お前がまだ生きていたらね」
油と塩で汚れた指をルネは軽く舐めとる。
「強さに取り憑かれた創世樹の宿主を駆除する準備が整った。バザウ、お前のおかげだよ。ありがとう」
「誰を……駆除、するだと? 謀ったな! デンゼンを殺しても、意味はないはずだっ!!」
「ノンノン、バザウ。それはヤツを力で負かして殺した場合さ」
童話を語るような口調でルネは高らかに歌う。
「ああ。なんたることか。どこまでも強さを追い求めた悪魔にトドメをさすのは、他の誰かの強さではなく飢えと衰弱だったのでした。こうして悪魔は強くなったはずの自分がいかに無力でちっぽけかをしるのです。最期には自力でクソをひり出すことさえもできずに、嫌われ者の悪魔は惨めにさびしく死んでいくのでした。ジ・エンド」
バザウは理解した。
どうしてルネが、バザウにデンゼンと深く交流するようにうながしたのか。
「お前は黒い流れを生きる悪魔に、人間の心を与えてやった。アタシはヤツに、とことん惨めな死を贈ろうじゃないか。ククッ! ケダモノの心じゃあ、絶望することもできやしないからねぇ」
ルネは水面を滑るようにこちらに近づいてきた。
「ああ、バザウ。何をそんなに悲しそうにしているのさ? お前の命は助けてやるっていったろう? 大丈夫だ。ここにはお前の食べものはあるけど、ヤツの腹を満たせるものは何もない。弱っちいゴブリンごときの肉じゃ、とうてい戦士の肉とはいえないだろうし」
洞窟内のとある小道をルネは指さした。
バザウは顔を上げる気力もなく、その方向を見る余裕はなかったが。
「あっちに猛毒のキノコが群生してる。通常の生きものなら、ちょいとかじっただけでも七転八倒もだえ苦しむような代物だけど、ゴブリンは妖精族の末裔でキノコの毒は効かない。存分にキノコバイキングができるぞ」
嫌悪感でバザウのノドには吐き気さえこみ上げてくる。
怒りで牙がガチガチ鳴った。
「ルネ=シュシュ=シャンテ……お前は……、感情の神だというのに、他の者の心を踏みにじる天才だな」
極彩色の狂った虹の鳥はさも愉快そうに哄笑する。
「アッハハハハハッ! そりゃそうさ! アタシが一等大切なのは、このアタシが感じている世界だけだもの!」
他者の感情などは一切考慮しない暴挙。
チリルの創世樹計画を妨害するルネの手段は、まったく容赦のないものだった。
バザウとの交流でデンゼンに人間的な感情を芽生えさせてから、強さの価値観を打ち砕くために、無力さを痛感させながら、閉じこめて餓死させる。
「お前は……、なんということを……」
表情を歪ませるバザウをルネは面白そうに眺めている。
「カワイソーなデンゼンをイジメるアタシが憎いのかい? だけどデンゼン=ヤグァラを憎んでる者はそれこそ大勢いるよ。お忘れでないよ。奴は人喰いの獣だってことを。むごたらしく殺されたって、文句をいえる立場じゃないだろ。アイツがこれまでに、どれだけのことをやってきたかを考えればねぇ」
「……チリル=チル=テッチェとの戒律が問題で……。デンゼンはそれ以外の肉を口にしても、飢えを満たすことができない。他の生命を奪い、糧にすること。それは生きる上で、俺も……誰もがしている行為だ。デンゼンの場合は……、口にする肉に、特殊な制限がかかっている、だけ、だ……」
そう反論するバザウの語気は消え入りそうに弱々しかった。
デンゼンの食事に対して、まったくおぞましさを感じていない、といえばウソになる。
「バザウ。お前はヤツの特別お気に入りのゴブリンだ。デンゼンに頭からバリボリ喰われるなんてことは思ってないから、そんなことがいえるんだろうよ。でも実際にデンゼンの恐怖にさらされている者たちには、今のセリフは通用しない」
「……」
「岩山の崩落を引き起こしたのはドワーフの技能集団だよ。お前たちが通りかかったら岩雪崩を起こすよう、事前に大がかりな準備をしておいた。上手いこと洞窟に閉じこめられてくれるよう、ドワーフはこの辺りの地形を入念に調べて計算していたよ。アタシの助言もあったけどねぇ」
とっさの判断で亀裂に逃げこむことさえルネに予測されていた。
バザウは怒りで我を失って叫び出さぬよう、手を強く握りこんだ。黒くとがった爪が掌に深くくいこむ。
「ドワーフってのは頑固な種族でね。意志の神であるチリル=チル=テッチェを崇めて、感情の神のアタシはまるで気まぐれに悪意を振りまく邪神あつかいさ! 失礼しちゃうよ」
ルネ=シュシュ=シャンテの振る舞いでは、邪神と思われてもおかしくはない。
「だけどさ、アタシをぞんざいにあつかっていたドワーフでさえ、アタシの話には耳を傾けた。シャーマンのテオシントと若きリコ・ピンと結託して、ある目的のために一丸となって頑張った。全てはデンゼン=ヤグァラを滅ぼすためだよ」
「リコやドワーフにまで手を回していたのか!?」
「当ぉ然! アイツらにだって、デンゼン=ヤグァラを恨むだけの充分すぎる理由があるんだもーん。前村長の死因をしりたいかい? 被害者遺族にルネちゃんが教えてあげたのさ。この山を恐怖に陥れた、本当の人喰いの獣の正体をね」
「……」
「何を意地になっているのさ」
それまで軽薄だったルネの声に、ほんの少しだけ真剣なニュアンスがまじる。
「悪魔は衰弱死。強さの創世樹は枯れる。この地に平和が戻る。お前は助かる。それで万事OK。ハッピーエンドだろう? 違うかい?」
「……」
「ん。バザウ、おかえり。何か、見つかったか?」
「……いや」
「俺は、ムカデを見つけた」
頭が叩き潰されたムカデの死骸をデンゼンはつまみ上げる。
「岩が崩れたところ、空間がある。虫やトカゲぐらいなら、入れるぐらいの、小さな隙間」
人間はもちろん、小柄なゴブリンの体格でもとおれないだろう。
無理に岩をどけようとすればバランスが崩れて非常に危険だ。
「何か、いつもと、違う気がする」
死んだムカデを放り投げながら、デンゼンが低い声でつぶやいた。
「これまでなら、邪魔な誰かをブチのめせば、どうにかなった。けど……」
ゴツゴツしたデンゼンの拳は固く握られていた。
暴力を叩きつける相手を探し求めるかのように、時折軽く震えた。
「誰を殴れば良い? わからない……。今の俺は、役立たず」
デンゼンは困惑していた。
彼の心に深く根ざした価値観の木が揺らいでいるようだ。
「……俺にも、一発殴ってやりたいヤツが一人いる」
一発といわず何度でも。そして一人ではなく、二柱というべきか。
だが矮小なゴブリンごときの力では、振りかざした拳は傲慢な神々に届きもしないだろう。
「ん。その時は、俺もバザウに手を貸そう」
わかっているのか、いないのか。
子供めいた無思慮さでデンゼンがそう受け合った。




