ゴブリンと相棒の旅路
夕暮れ時。デンゼンのボロ家屋でバザウは考えあぐねていた。
デンゼンは不在。あの狩人はよく家を空ける。
バザウは一人きりで膝を抱えて押し黙る。
今のところ、デンゼンの食料は地下の貯蔵分でどうにかまかなえている。
それにデンゼンは本当に必要な分しか食べない。
空腹感は、天空の山岳に豊富に自生するコカの葉を噛んでまぎらわしているようだ。
(だがそれは……、根本的な問題解決にはならない。食料のたくわえに余裕がなくなれば、デンゼンは誰かの命を奪い、むさぼるのだろう)
村人たちは、もう人喰いの獣は倒されたものとすっかり安心している。
ドワーフの精鋭部隊もこのところ姿を見ない。もう麓にある彼らの集落へと帰っていったのだろうか?
(そんな状況で……また犠牲者が出れば、村人たちはさらなる恐怖と混乱に突き落とされる)
急にバザウの耳がピクッと立った。
背後から、からかうような挨拶。
「はぁい、バザウ。ご機嫌いかがかな?」
耳障りな声への返事は決まっていた。
「今しがた悪くなった」
不愉快さを隠すこともなくバザウは振りむく。
「そう邪険にしないどくれよ。せっかく朗報を告げにきたってのにさぁ」
「朗報だと?」
ルネ=シュシュ=シャンテはニンマリと笑って、コクコクと調子良く頷いた。
「うんうん! デンゼンのことなんだけどさ、お前のおかげで良い方向にむかっているよ」
「……そう、なのか?」
喜びは押し隠し、あくまでも頑なな態度で応じる。
ルネは信用に値しない。
しかしルネが口にした言葉は、悩んでいたバザウにとってまさしく朗報であった。
「あのケダモノに、少しずつ人間らしい感情が芽生えはじめてきている。このままいけば、チリル=チル=テッチェの定めた転生の渦から、アイツは抜け出せるかもしれない。ヤツがとらわれていた価値観がゆらげば、それに根ざしていた創世樹も枯れるってもんだ」
「そうなれば……。もうデンゼンはもう、あの戦士の肉……とやらを食べずとも平気になるのか?」
「ふう、やれやれ。チリルも厄介な戒律を定めたもんだねぇ。あんな何もわかってないようなガキに、そんな約束をさせるとは」
ルネはため息をついた。
「チリル=チル=テッチェは強固な意志の力を求めている。だけど人間の意志なんてものは、ちょいとしたことですぐに変わるものさ。だが、チリルはそれを許容できない。だから人間を縛る。戒律を与え、誓願を立てさせる」
強さを求めたデンゼン=ヤグァラに課せられたのは、強者の命を奪い、その肉だけを口にするという決まりだった。
「よくもまあ……、ロクでもないルールを思いついたものだ。ルネ、お前のおかげで神の身勝手さと傲慢さを体験させてもらったが……、チリル=チル=テッチェの方もたいがいだな」
「チリルはより強い意志を選別したいと思ってる。どれだけ真剣な価値観なのか、心を試す意味合いもあるんだろうさ。チリルは意志を司る神。創世樹の宿主じゃなくたって、ヤツは誓いを立てて約束を守り抜いた者に加護を与える。ククッ! まあ、たいてい契約は途中で破られる。人間の意志は、脆い」
極彩色の化粧で縁取られた眼差しが、バザウにむけられる。
「よくやってくれたね。お前の存在によって、あのケダモノの機械的な行動パターンに変化が生じた。暴力的な強さこそが最上だと信じきっていたデンゼンの価値観を崩せそうだよ」
「……そうか」
バザウはすました顔で軽く流した。
心は安堵と喜びで満ちていたが、それをルネに悟られるのは癪なので。
「でも、そう悠長なこともいってられそうになくてね。それをしらせるために、アタシはきたのさ」
ルネはやれやれとでもいうように首を横に振り、肩をすくめた。
「テオシントがデンゼンのことをめちゃくちゃ恨んでるのは、お前もしってるだろう? 奴はなかなか頑固でねぇ。どうしてもデンゼンの命を奪わなきゃ気が済まないらしいんだ。あの二人の男には、それだけの因縁もあることだしねぇ」
「……」
「力じゃ、デンゼン坊やの方が上さ。だけどシャーマンのテオシントおじたんは切れ者だよ~? アタシの予測だと、両者が戦えばデンゼンは死ぬね!」
バザウは、自分をヒスイの神と称えるデンゼンに協力し、助けになりたいと思っている。
だが一般的な人間の立場から見たら、デンゼンがどれだけ忌むべき存在なのかも理解していた。
ましてやテオシントは姉をデンゼンのせいで喪っている。その憎しみは簡単に消えるものではない。
「お逃げよ、バザウ。デンゼン=ヤグァラを連れて」
(……と、ルネの奴はいい残していったが……。デンゼンの性格からしてテオシントから逃げる……、なんてことをすんなり受け入れるとは思えんな)
あれこれ考えながらもバザウは出立の準備を進めていく。
やがて夕暮れから月を伴った真の闇に変わり、さらに太陽が顔をのぞかせる薄明へと移ったころ。
デンゼンの家のドアが開き、音もなく一人の男が入ってきた。
「遅かったな。……待ちくたびれたぞ」
「ん? バザウ、どうしたその格好」
バザウは飾り玉に彩られた豪華な服から、ゴブリン製の粗野な服へと戻っていた。背には森狼の毛皮のマント。
二本の短剣は、リコ・ピンの屋敷からこっそり取り返してきた。
爪先を柔らかく包んでいた白い靴は脱ぎ捨てられた。黒々とした鋭い爪が五本、ニュッと突き出ている。
「この村をたつことに決めた。デンゼン、俺の供をしろ」
有無をいわさぬ口調。高圧的な態度。バザウはデンゼンに命じた。
旅の供として、デンゼンは忠実にして有能だった。
彼は山岳地帯での移動に熟達しており、野営の手際も良い。
「……風が少し肌寒いな」
デンゼンは無駄口もきかずキビキビ動く。いきなりの旅立ちに反論どころか疑問の一つさえ口にしない。
あまりにも口数が少なく表情も乏しいので、デンゼンのことをよくしらない者なら、怒っているのかと勘違いしそうなほどだ。
(……村を離れたのは良い判断だったな)
戦う相手や対立する者がいない環境は、デンゼンの心にひとまずの安定をもたらした。
もちろん彼本来の暴力的な気性が消えたわけではない。
それでも村を出てからのデンゼンは、穏やかで満ち足りているようだった。
「バザウ? どうした」
「何がだ?」
「嬉しそうな、顔、してた」
「ああ。俺は今、機嫌が良いんだ。旅路が順調なのでな」
しかし気になることがある。
先ほどからデンゼンは何をそんなにせわしなく動いているのだろう?
(何かを集めている……? 食料……、ではなさそうだが)
デンゼンは乾いた岩場をうろつき周り、小枝や枯れ草などを確保していた。
充分な量をそろえると、バザウのいる場所へと戻り荷物袋から道具を取り出した。木でできた板と棒だ。火と煙の臭いがしみついている。
「? デンゼン、いったい何を……」
「待って。今、集中してる」
デンゼンはその大きな掌で棒をは挟みこみ、板に押しつけるようにこすりつけている。
たくましい腕は休むことなく動き続け、ひたすら繰り返されるその行為には、どこか儀式めいた妖しさがあった。
「……」
バザウは不思議に思いながらも、デンゼンを邪魔しないように大人しく作業を見守る。
やがて棒とこすり合わせた木切れから煙の臭いのする黒いススができた。
デンゼンは慣れた手つきで、ほぐした枯れ草で黒いススを包みこみ、勢い良く腕を振る。
ボッと低い音を立て、枯れ草の団子から炎が吹き上がった。
バザウは大きく後ろにのけぞった。
(コイツッッ!! 火、火を……、火を発生させただとっ!? クッ、何がどうなっているんだ……!?)
人間との生活の中でバザウは火には慣れていたつもりだった。
カマドや暖炉で燃える火なら、もうすっかりおなじみだ。
だがバザウは、最初の火をどうやって起こすのか、そのことについてはまだ無知であった。
あえて詳しくしることを避けていたのかもしれない。
炎の発現は、どうしてもバザウの心にあの冒険者の女魔術師を思い出させるから。
(……落ち着け。冷静に推察するんだ……。デンゼンの叔父、テオシントは風を操るシャーマンだ。転生で乗っ取ったデンゼンの体には、テオシントの血も少し入っている。デンゼンにもシャーマンとしての才覚があったとしても、なんらおかしくはない……はずだ!)
冷や汗をたらし、驚愕しつつも、バザウはなんとか頭を働かせる。
「ん?」
うろたえるバザウをよそに、デンゼンはいたって平常運転。枯れ草の火を小枝へ移し少しずつ焚き火を大きくしていた。
デンゼンは拙い言葉で火起こしの仕組みを説明してくれた。
「……魔術、ではなかったのか」
「ん。摩擦、だな」
夜風が吹く。
デンゼンは静かに座り場所を変えて、風をさえぎるように風上に陣取った。
武骨な手で木の枝をへし折りながらバザウに問いかける。
「バザウ。まだ、寒い? もっと、火、燃やすか?」
何気なくもらしたバザウの言葉をデンゼンはちゃんと聞いていたらしい。
デンゼンはバザウを過剰に神聖視しており、ヒスイの神として崇め、とても大事に扱っている。
ほんのささいな不平をこぼしただけで、デンゼンはすぐにバザウのために行動を起こした。
「……いや」
この特別待遇を単純に喜ぶのは浅薄というものだ。
純粋な信仰心が、不幸なドワーフたちの命を奪ったことも、バザウは忘れてはいない。
デンゼンはブルッと体を震わせると獣人の姿へと変じた。戦いの時だけでなく、ただ単に寒い時にもデンゼンはこの姿になることがある。
バザウは剛健たる獣人に遠慮なくもたれかかった。こんな猛獣をソファ代わりにしているゴブリンは、おそらく世界でバザウただ一人だろう。
どこかで小石の落ちる音がした。
バザウは耳をそばだてる。
近くに危険な気配は何も感じない。どうやら夜行性の小動物が活動しているようだ。
「……」
何の気なしに空を見上げる。
小石とは比べものにならないほどとてつもなく巨大な岩石が、ぽっかり空に浮いていた。
ぼんやりと黄色く光る、月だった。いずれ新月になるのだろう。
旅をはじめて数日目。静かな午前中。
(この先を抜ければ密林地帯だ)
前方には、岩がちな渓谷が広がっている。
バザウが目指しているのは天空の山岳を下った先に広がる湿った森だ。
森には多くの命が息づき、デンゼンの相手になるような大型の肉食獣もいた。
(デンゼンはそこで……、森の命の一員として生きていけば良い)
バザウがデンゼンにとって一番良いことは何かを考え続け、導き出した結果がそれだった。
天空の山岳には人間とドワーフが住んでいるが、この密林には在来の住人の姿はない。
確率的にゼンデンが人を殺してしまう危険性は少なくなる。
(あの森の肉食獣にとっては、とんだ災難だろうがな……)
密林へと通じる渓谷には常に追い風が吹いていた。
(……風向きが一定なのは地形の影響か? 落ち着かないな……)
ゴブリンの嗅覚は優れている。
風が運んできた臭いで、行方に何があるのか推し量ることもできる。
しかしこの風の中ではその能力は発揮できそうにない。
パラリとまず最初に小さな落石が起きた。
それを皮切りに、斜面を多くの岩が転がり落ちてくる。
あの岩を全部避けるなんて妙技は、どんなに優れた武術家にだって無理だ。
「チッ……!」
どこか身を隠せそうな場所を探す。
岩壁に亀裂があった。それなりに奥行きのある空間が広がっているようだ。
バザウはそこに小さな体を突っこんだ。
「何してる! お前もこい!」
バザウは腕を伸ばしてデンゼンを引き寄せる。
彼は敵意に満ちた表情で、逆光となった崖の上を睨みつけていた。
「ダメだ……。抜け道はないようだ」
亀裂内は広い空洞になっていた。複雑に枝分かれした天然の地下空間だ。
地上への出入口は一つしかなく、そこも落石によって塞がれてしまった。
「岩はなんとかなりそうか?」
デンゼンは首を横に振った。
重たい岩がいくつも重なり合い、危ういバランスで出口を覆っていた。
デンゼンほどの怪力があれば岩を動かすことは可能かもしれない。
だが、そこから連鎖的に引き起こされる崩落は防げない。
ふとバザウの鼻が天敵の臭いを嗅ぎとった。
(ドワーフ!? 近くにいるのか!?)
いや、かすかに臭いがするだけで、そばにドワーフがいるわけではなさそうだ。
「……」
入り口を塞いだ岩。
その岩にドワーフの臭いが残っていた。
(一人だけじゃない……。大勢の臭いがする。残留具合から判断すると、この臭いがついたのはそう古くはない。とても新しい臭いだ)
情報を噛み砕くとこうだ。
複数のドワーフが徒党を組み、渓谷を進むバザウとデンゼン目がけて岩を落とした。
明確な殺意がなければできない行動だ。
順調だった二人の旅に、大きな影がよぎりはじめた。




