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バザウ、君は賢すぎる  作者: 下山 辰季
第四部

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55/115

ゴブリンと人喰いの獣

 クソみたいなスラムには、クソみたいな川が流れていた。

 川を挟んでむかい側。南の方には大きな街がある。

 あれがこの国の首都だという。

 よその国から物好きがやってきて、やれ遺跡見物だの、やれアルパカだのと、楽しそうだ。


「……」


 ペットボトルやビニール袋が浮かぶ汚れた水に膝まで浸りながら、幼いデンゼンは川で何か価値のあるものを探していた。

 大人たちがいうようにこの川は首都とスラムの境界だ。

 だから時々、思わぬ高級品がゴミに混ざって流れていたりする。


「!」


 少年の瞳が光をとらえる。


 汚濁の中にあってさえ、それは美しく見えた。

 植物の命を閉じこめたような透きとおる緑。

 平たい石で、ふちは滑らか。


(キレイで小さな……、不思議な石)


 きっとこれは宝石というものだ。

 幼稚な頭でデンゼンはそう判断する。


 実際のそれは、水の流れで角がとれた緑色のビンの破片にすぎなかったのだが……。

 スラムに産まれた子供の目には、そんな事実は映らなかった。


 俺は宝石を手に入れた。

 素晴らしい宝物。

 これを大事に大事に持っていれば、俺は大金持ちの王さまだ。


 俺を王さまにしてくれる宝物。


 キレイで……。

 小さな……。

 緑の……。




「……」


 デンゼンは軽くまばたきをした。

 ベッドに半分寝そべったくつろいだ姿勢で、デンゼンはコカの葉を咀嚼している。

 いつでも使えるように乾燥させた葉が常備してある。


 コカの葉を噛んでいると、時々不可思議なことが起きる。

 自分のしるはずのない情報が頭にフッと浮かんでくるのだ。

 さっきの光景もそうだ。


 そう、たとえばデンゼンはこんなこともしっている。


 今、口の中にあるコカの葉。

 この村では民間薬にもなる健康的な嗜好品として広く愛用されている。

 コカの葉は老人を壮健にし、農夫の疲れを癒やし、狩人の空腹をまぎらわす。

 大地の力を蓄えた神秘の葉。天空の山岳の民は誰もがそう思っている。


 だがデンゼンの頭には、別の認識も存在していた。

 この葉から依存性のある悪質なクスリを作ることができること。


(純度の高いものは、高価。スラムでは、あまり、手に入らない……)


 コカの葉から精製されたコカインに、さらに有害な不純物を混ぜた劣悪なシロモノが、スラムには蔓延していた。

 恐怖も空腹も寒さも、この世界のわずらわしさも、忘れさせてくれるのだという。

 ドロリとした目の若者が、まだ幼いデンゼンに語って聞かせたことがあった。


(恐怖も、空腹も、寒さも感じなくなるクスリ)


 そんなに良いものなら俺にもくれ、とねだってみたが、面白半分に蹴り飛ばされて終わりだった。


(あのクスリは変。他の薬とは逆さま。使った奴は、すぐに死ぬ。不思議)


 コカの葉を精製することで、そんな奇妙なクスリができる。

 そんな知識は、シャーマンのテオシントも持っていないだろう。


(テオシント。嫌なヤツ。俺をずっと、殺したがってる)


 テオシントとの因縁は、デンゼンがこの土地に産まれ落ちた時からはじまった。

 天空の山岳のシャーマンは、すぐにデンゼンの本性を見抜いたようだ。

 自分の姉が腹に宿している者の正体を。

 デンゼンの母となった女が出産後に死亡したのは、不幸な偶然ではないことも。


(でも、もうテオシント、怖くない。俺、とても強くなった。アイツていどの力じゃ、俺を殺せない)


 獣との戦いでデンゼンの体は弱っていたが、それも一時的なものだ。

 何より重要なのはデンゼンが成人となったこと。


(……俺、大人になった。やった。上手く大人になれたの、これが初めてだ)


 デンゼンは鼻の傷に軽く触れてみた。

 神であるバザウがデンゼンを大人と認めた印。


(あ。バザウだ)


 ふと見れば、戸口に緑の人影があった。

 バザウはよく助けてくれた。こんな風に親切にしてくれる生き物はバザウだけだった。敵でもないし、獲物でもない。


(バザウ帰ってきた。嬉しい)


 コカの葉を吐き出して、デンゼンは快く視線をむける。


「おかえり!」




「……お前、その……」


 詰問するつもりでバザウはこの場に戻ってきた。

 そう固く決意をしたはずが、あからさまに自分を歓迎するデンゼンの声に一度抱いた敵愾心がかき消されそうになる。


「……お前。ドワーフの商隊に何をした?」


 それだけの質問を口にするのに、バザウは膨大な気力を必要とした。

 その問いを投げかけられた方はというと、なんの躊躇もなくケロリと答える。


「ん? 全員、殺して、肉は下」


 デンゼンは地下室を指さした。


「ああでも、一部は、俺の、腹の中」


 そういって胃袋の辺りをトントンと叩く。


「……っ」


 吐き気とめまいが、バザウを襲う。

 あらゆる情報が、デンゼンは不審だと告げていた。

 だがバザウはそれらを無視し、それ以上詮索することはなかった。

 そこから導き出される、あまりにもおぞましい結論から目を背けていた。

 地下室の冷気が低く床を這う。

 足首をつかまれたような気がしたのは果たしてバザウの錯覚だろうか。


「どうして、お前……、そんな……」


「どうして? んん……。そういわれても、俺は困る。生きていくには、何か食べないと。バザウも、そうだろう?」


 デンゼンには少しも悪びれた様子が見られなかった。

 バザウが問えば、平気な顔をして自らの所行を明かす。


「俺、強い肉を食べないと、生きていけない。んっと。生き物は、喰う、喰われる、するだろ? 俺の糧になるのは、強い肉だけ。戦士の肉だけ。弱い肉は食べない。食べても意味ない。そういう決まり。約束した。チルルルルと」


「……」


「この村にある食べ物、もうロクなもの、残ってない。強い力を持つ肉は、あらかた食べ尽くした」


 人喰いの獣が出るようになり、村からは壮健な男たちの姿が消えたという。

 男たちは戦いの過程で偶然命を落としたのではなく、はじめから捕食者が強い人間だけを狙っていたとしたら……。


「……違うだろう……」


「ドワーフの心臓は、とても良い。力が満ちる」


「違うっ! デタラメなことをいうな!」


 ベッドの上のケガ人に飛びかかる。

 バザウ自身が巻いてやった包帯を乱暴に引っつかみ、デンゼンの顔をのぞきこむ。

 制御できない感情がこみ上げてきて、バザウの牙はガリガリと鳴った。


「ドワーフを襲撃したのも、村人を喰い殺していったのも、獣の仕業だ。お前がその手で討ち倒した獣だ!」


 もはや理論の正当性など考えていられない。


「ん。アイツも人喰いだった。多分、食べ残しの、味をしめたか。そうじゃなきゃ、俺に散々追い回されて、自然な狩りが、できなくなって、おかしくなったか」


 しばらくして、つけ加える。


「バザウ。まだ肉、残ってたか? あの獣の肉なら、俺、食べられる。アイツも、戦士。強い獣」


「……デンゼン。お前は人間で、この村の英雄だ……。獣のはずがない」


 わずかな希望にすがるような。

 頑固な幼子をなだめすかすような。

 バザウはそんな声で、問いかける。


「……んん……。バザウ? 怒ってる?」


 デンゼンは取り乱すバザウを不思議に思っているようだった。

 だが、彼の疑問はそれ以上進まない。どうして普段は冷静なはずのバザウがここまで動揺しているのか。そこまでデンゼンの頭は回らない。

 デンゼンにできることは、全てを偽りなくさらけ出すことだけだった。


「ん。チルルルルは、弱かった俺に、新しい姿と特別な名前、くれた」


 デンゼンの筋肉に異様な力が入る。

 異変を察し、バザウはとっさに飛び退いて、距離をとった。

 用心深くこっそりと武器に手をかける。

 皮肉にも、それはかつてデンゼンから渡された黒曜石のナイフだった。


「バザ……ウ……。待って。逃げ、ないで、ほしい」


 ゴキゴキと骨をきしませて、デンゼンが姿を変える。

 苦しげに歪められた口元から、人間離れした鋭さの牙が並ぶ。

 脈拍のリズムでデンゼンの肉体は膨れ上がり、体毛がざわりと逆立った。


「そこに、いて。そこで、見て。バザウには、見せるから。俺のこと、全部……、見せる」


 デンゼンのノドから低い唸り声が漏れる。

 もはやどこから見てもその姿は人ではなくなっていた。


挿絵(By みてみん)


「俺は、デンゼン=ヤグァラ」


 デンゼンの声で、獣が口をきく。

 デンゼンの眼差しで、獣がバザウを見つめる。


「チルルルルに選ばれた魂。ひたすらに、強さを追い求め、何度も、何度でも、何度でも、より強くなるために、生と死を繰り返す。それだけの存在。それが、俺」


「転生者……か」


 傲慢なるチリル=チル=テッチェが、こことは違う別の世界から魂を選び取り、死を超越した生を与える。

 真実の愛の箱庭で出会った、愛にとり憑かれたネグリタ=アモルがそうだった。


 だが、ネグリタとデンゼンには大きな違いがある。

 ネグリタには生きた人間のようなしっかりとした肉体がなかった。彼女は幻影のような存在だ。

 デンゼンは違う。この村の一人の女の腹から産まれてきた。生身の体を持っている。


「ん。俺、転生した。何回も。まず魂だけの、俺がするのは、狙いをつけた赤ん坊の、魂を残さず喰らうこと。腹を借りている間に、女の魂も、ちょっとずつ、いただく。そうやって、少しずつ、強い肉を食べていく」


 女の胎へと魂を忍びこませ、本来産まれるはずの赤ん坊の命を奪い、母体の命をも糧として、デンゼン=ヤグァラは血と肉でできた体を得る。

 チリル=チル=テッチェは自らの目的のため、本来の輪廻転生のサイクルからはずれた別の渦を作り出した。


 デンゼンを産んだ女は、テオシントの姉でもある。

 このおぞましい事実をしっているとすれば、あのがシャーマンがデンゼンを憎悪するには充分すぎるほどの理由だ。

 以前は大人しく穏やかな男だったという村の呪術師が修羅へと変わるのも頷ける。


「俺は、強くなりたい。大きく育ちたい。木が芽吹き、枝葉を茂らせ、大地に深く、根をはるように。もっと、強く」


 他のヒナを巣から突き落とすカッコウの子に、邪気はあるのだろうか。

 獰猛な肉食獣であるジャガーが、獲物を狩るのは残酷だと反省するだろうか。

 人間としてはあまりにもおぞましい行為の数々は、デンゼンにとっては自然なことで、生活の一環でしかない。

 カッコウのように産まれ、ジャガーのように生きた。それがデンゼン=ヤグァラ。


「ん。これで俺、バザウに隠し事、何もない! ……喜んでくれたか?」


 バザウの心の痛みなどデンゼンはまるでわかっていない様子だ。


(問われれば全てを愚直にさらけ出した。デンゼンは……、俺を騙しているだとか、欺いているつもりは、毛ほどもなかったのだろうな……)


 バザウは怒りのやり場に困っていた。

 そして油断すればノドから逆流しそうになる吐き気にも同じぐらい悩まされていた。


「バザウ? ……まだ元気ないか?」


 大きな体を縮めて、デンゼンは心配そうにバザウを見ている。


「……」


 バザウはついに、密かに握っていたナイフを抜き放つことはなかった。

 代わりに体の力を抜く。


「……なあ、デンゼン。何もかも投げ出して記憶喪失になるには、どうすれば良いと思う?」


「ん? わからないな」


「……俺はいっそのこと、滑って転んで頭を打って、もう全てを忘れてしまいたい……」


 自暴自棄な気分でデンゼンの体に頭を押しつけた。


「……本当に世界は……容赦ないな。賢くあろうとあがく、ちっぽけなゴブリンの願いなどは……、たやすく押しつぶされてしまうほど」


 毛皮に半ば顔をうずめてバザウは小声でぼやく。


「以前、俺がお前に……秘密を明かしたことがあっただろう」


「あったっけ?」


 緊張感のない声にバザウの神経が逆なでされる。


「あったんだ! 俺は怒ったお前にぶち殺される覚悟まで決めて、ゴブリンという生き物が本来どういう存在なのか打ち明けた!」


「思い出した! 俺、思い出した。だから、バザウ。尻尾を引っ張るの、やめて」


 ゴブリンという種族の正体をしっても、デンゼンのバザウへの信頼は揺るがなかった。

 獣に姿を変えても、デンゼンのバザウへの態度は変わらなかった。


(……凶暴な本性を俺にむけてくれた方が、まだマシだったかもしれんな。それなら、コイツの心臓に黒曜石の刃を突き立てる決心もできたのだが……)


 バザウはパッと尻尾から手を放した。


「他の者が……お前のことをどう思っていようと……、俺の目に映っているのは……」


 デンゼンはキョトンとした顔で、バザウを見返した。

 その大きな口には獲物の息の根を止める牙があり、分厚い手の指の先には自然が作り上げた殺しの道具がそろっている。

 人の特徴と獣の特徴が入り混じったその姿は、まさしく怪物の名にふさわしい。

 強者を打ち倒し、その肉だけを喰らう化け物。

 女の腹に宿り、赤子をとり殺す悪魔。

 この世から排除すべきケダモノ。


「……でも俺の目に映っているのは、他の者たちが見ているのとは少し違うデンゼンなんだ。ああ……。まったく、困ったことにな」


 腹立ちまぎれにバザウはわざとらしく大きなため息を一つ。


「バザウ。目がおかしいのか? そういう時は、涙を流すと、ゴミがとれるぞ」


「……アドバイスをどうも」


 肩をすくめて受け流した。




 村で一番小高い場所に立ちながら、バザウはぼんやりと物思いにふけっていた。


(……俺はデンゼンに肉を喰うなともいえないし……)


 それは彼に死ねというのと同義である。


(ヤツに喰われた者たちを生き返らすなんて奇跡は起こせやしない)


 バザウはただのゴブリンだ。そんなことは不可能だ。軽快な足音をバザウの耳が聞きつけた。

 村の子供だろう。

 少し離れた場所からこう声をかける。


「バザウさま、お一人ですか?」


「ああ」


「そっか、良かったー。そこで何してるんです?」


 安堵の息をついてから人懐こい笑顔で小走りに近づいてくる。

 黒いおさげ髪が尻尾のように揺れている。

 バザウはこの村に住む全員の顔と名前を覚えていた。

 この娘は、子供たちの中では年長の利発な少女だ。母親の仕事をよく手伝い、家畜の世話が上手い。

 父親が死んで不安定になった家庭を子供なりに懸命に守っていた。


 バザウが一人かどうか確認したのは、デンゼンがいないか不安だったのだろう。

 ケダモノの本性がしられていなくとも、彼は子供たちから怖がられて村人からは嫌われている。


「景色を眺めていた」


「景色ですか。そういえば、こんな風にじっくり周りを見たことって、最近なかったなぁ……」


 少女が声をあげた。


「わっ。やだ、ハエが!」


 うっとうしそうに手で払う。

 ハエはプンと羽音を立てて旋回する。


「……」


 根拠はどこにもなかったが、あのハエはデンゼンが殺した獣の死体を食べて産まれ育ったのだと、そうバザウは感じとった。

 元気良く飛んでいたハエだが、終焉は急に訪れた。

 長い舌がヒュッと伸びたかと思うと、ハエはカエルの口の中へと消え失せる。

 と、思ったのも束の間。

 小さく俊敏な獣の爪が、カエルの頭を押さえつけた。

 村でも評判の悪たれネコだ。


「あー。またアイツはカエルを……。どうせなら、納屋にいるネズミを食べてほしいのに」


「……」


 ごくわずかの間に起きたその一連の出来事に、バザウはすっかり思考を奪われていた。


(……捕食の連鎖と循環……。全ての……。全ての命は……)


 ネコの前足がバザウの足に触れた。その感触で我に返る。

 そこには喰いかけのカエルの一部がチョコンと置かれていた。


「キャーッ! ほっ、本当にあのドラネコはバザウさまになんて失礼なことをーっ! コラーッ!!」


「ククッ……、まあまあ、そう怒ることもない。きっと俺におすそ分けをしてくれたのだろうから」


 バザウは食べかけのカエルをつまみ上げた。


「……自分よりも」


 ぽと、と小さな小さな心臓が草の上に落ちる。


「自分よりも弱い者の命だけを奪っていれば、きっと責められることもなかったろうに」

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