ゴブリンと一悶着の予感
「別に、大したことはない。バザウは、大げさに、考えすぎる。俺は、ほんの少し、奴らを驚かしただけ」
デンゼンはそういったが、事態は彼が思っているよりもずっと深刻だった。
たしかにドワーフの行商人は村にやってこなかった。
代わりに一日とあけず、村にドワーフの一団が訪れる。
彼らは武装しており、険しい表情をしていた。
ものものしい空気がリコ・ピンの屋敷に充満する。
「……」
バザウは姿の隠れる緞帳の中で、リコとドワーフたちのやり取りに耳を傾けた。
「同胞が山道で襲撃を受けた」
唸るような低い声。ドワーフのものだろう。
なるべく感情を抑えようとしているようだが、吐き出す言葉には憤りがこもっていた。
「我らの望みはただ一つ。報復である」
ドワーフはハッキリとした声でそう告げる。
(……デンゼン。お前は……なんということをしてくれたのだ……)
バザウの胃と頭がキリリと痛んだ。
そして、ゴブリンの小さな心臓も。
(もしもお前を庇いきれなかったら……)
ドワーフたちは絶対に復讐を諦めない。
仲間を襲った者を許しはしないだろう。
「この村にしばし逗留させていただけないだろうか」
言葉の上では提案の形をとってはいるが、それはドワーフたちの断固とした要求だった。
「唾棄すべき悪しき獣の討伐。そのための拠点として」
バザウは困惑した。
(悪しき……獣だと?)
ドワーフは敵を獣と認識している。
例えの表現などではなさそうだ。
「この山の岩場にかねてから、鋭い爪と牙を持つ獣が住んでおることは、我らも承知している。金の毛皮に黒点を散らした強き獣」
金の毛皮に黒い点。
その特徴は、最初にバザウが山にきた時に遭遇した獣と合致する。
バザウはもう少しであの生きものに食べられるところだった。
「だが奴輩が我らドワーフを襲うことは、これまでに一度たりともなかった。我々は強く、勇敢で、夜の山でも支障なく移動できる目と足を持つがゆえ」
(……いいや! ドワーフの肉が臭くて硬くて、まったく喰えたもんじゃないってだけだろう)
獣に餌とみなされた屈辱を晴らすため、バザウは心の中で思いっきりドワーフをけなしておいた。
「だが今回は違った。この山で、何か異様な事態が起きている」
ドワーフたちが一斉に足を踏み鳴らす。
「復讐を!! 友の魂に安寧を!!」
バザウは、リコ・ピンの家の床が抜け落ちるのではないかと思った。
「頂の民! 同じ山に命をゆだねし古き盟友よ! ともに手を取り、憎き駄獣を討ち滅ぼそうぞ!」
「……その件につきましては……」
色めき立ったドワーフたちとは対照的に、リコは落ち着いている。
どことなく冷めてさえ見えるほどだ。
「こちらでもすでに……、いくつかの対抗策をとりました。……成果はありませんでしたが……。あの悪魔は殺せなかった……。現在、別の方法を検討しているところです」
いくつも並んだ毛深い顔の中で、怪訝そうに眉毛が持ち上がる。
「? それは……、やけに対応が迅速であるな……。むう……?」
ドワーフたちは、獣の罪状は今回の行商人への襲撃だけだと思っているらしい。
ため息混じりでリコが補足する。
彼の吐いた息には、いったいどんな感情がこめられていたのだろう。
バザウにはわからなかった。
「その魔物は、すでに我が村に大規模な厄災をもたらしているのですよ」
いくつもの目が、驚きと怒りで見開かれる。
「……頂の民よ。そなたらの誇り高き族長は……?」
リコは静かな調子で答える。
「あの悪魔に挑んだ結果、父は空へと帰っていきました」
「小さく新しい長。それはまことに痛ましいことであるな。……しかし、そうか……。うぬらはあの異様な獣の存在をしっておったか。しっておったのだな!」
ドワーフの口元は怒りでわなないていた。
「ならば、なぜ伝達がなかった!? 呪術師は何をしていた!? よもや、奴の操る風までもが獣の腹にのまれたなどと、稚拙ないいわけはするまいな」
テオシントは風の精霊と心をかよわせることができる。
その力を使えば山の麓へ、たやすくメッセージを送れるはずだ。
(……だが、テオシントはそうしなかった)
屋敷の広間に危険で不穏な空気がただよいはじめる。
「そのような異常事態を把握しておきながら、こちらに一切報告がなかったのは、どういうわけか! あの獣の存在をしっておれば、無策無防備なままで商隊を送り出すこともなかっただろう。そのせいで、商隊は……っ!」
そこでドワーフは頭を横に振り、口ごもった。
その目には深い悲しみが浮かんでいる。
(ドワーフの行商人たちはどうなったんだ……?)
バザウはしっている。
バザウだけがしっている。
獣の仕業だと誤認されているが、それはデンゼンがやったことだと。
ドワーフは、バザウの疑問を解消してはくれなかった。
深い悲しみに包まれたまま、ドワーフは重く口を閉ざしたので。
不幸な行商人たちの末路はご想像におまかせされてしまった。
「……ワシらは戦う。奪われたドワーフの誇りと名誉を取り戻すために、悪魔の獣を討つとそう決めた」
討伐隊の代表から、思いがけない名が上がる。
「我らの決意に、高潔なる意志の神チリル=チル=テッチェの加護あらんことを」
ドワーフの一団は村にとどまることになった。
(デンゼンは行商人を脅かしただけだといっていた。だが、ドワーフどもはまるで同族が獣に襲われて死んだかのように行動している。……これはどういうことだ?)
とても嫌な予感がする。
バザウはこの問題を深く考察することを躊躇した。
デンゼンを問いただせば、簡単に真実にたどり着けそうだったが。
しかしバザウは他のことに意識をむける。
考えるべきことは盛りだくさんだ。
(獣の脅威はテオシントも周知していたはずなのに、ドワーフへの連絡を怠った。……ルネはあのシャーマンとも接触していたな。ルネの指示か? だが、なんのため? どんな意図が隠されている? それから……チリル=チル=テッチェ)
一方、ドワーフたちは熟考するより先に迅速な行動に移っていた。
名誉ある戦いをはじめたくて、うずうずしているらしい。
「これよりこの家を我ら討伐隊の拠点とする」
「うへっ!? そ、そんな勝手に決められても……。困っちゃうんですけどー。もしもーし?」
ドワーフの精鋭部隊は村の中でも、リコ・ピンの屋敷を仮の住処として選んでしまった。
それなりの広さがあり、重厚な建築が彼らを惹きつけたらしい。
リコとしては別の場所を提供するつもりだったようだが、もはやここに泊まる気になっているドワーフたちを追い出すことは不可能だ。
「うむ。他の乱雑なレンガ積みの壁と違い、さすがに見事な職人の技を感じる立派な壁である」
「屋根を支えているのは、木の柱か。我らなら石を使うところだが、脆弱な素材で重さを支える工夫自体は興味深い」
「しかし、いくらなんでも家の中に布が多すぎる。これはいただけないな」
ドスドスという足音が遠慮もなしに響いていた。
彼らの頑固さの前では、リコの嫌味も回りくどい毒舌もまったく無力だ。
「獣退治は頂の民にとっても有益な偉業と思われる。よって我々は相応の支援を要求する権利があるはずだ。そう、つまるところ……、食事を用意してくれんか?」
「部屋割りはどうするんじゃ?」
「荷物の置き場所がないぞ」
「アイタッ! 誰じゃ! 今、ワシの爪先を踏んづけた者は!!」
ビヤ樽体型の男たちが武装して大勢で押しかけてきたのだから、狭苦しくて当然である。
ついでに絵面も暑苦しい。
対応に追われるリコも大変そうだ。
「ええい、なんじゃ。この布っきれの区切りは。邪魔っけな」
一人のドワーフが、バザウがいる緞帳の布に手をかける。
「触れるな」
バザウは居丈高にいい放った。
「無礼者」
できる限り傲慢に。
ありったけに尊大に。
ドワーフは驚愕し、目を見張る。
「こ、こやつは? 妖精族……? なんとも奇妙な……緑の……緑の肌をしとる。草木の精か……?」
バザウは鼻でせせら笑ってやった。
「ククッ……。そう見えるか?」
「むむっ! 否……、否っ! 騙されぬぞ! その容姿っ、まごうことなくゴブリ……っ」
「口を閉じろ。騒々しい」
うろたえているドワーフを尻目に、バザウはあくまでも堂々と振舞う。
嫌味なほどに気品ある仕草で、周りの者たちを睥睨した。
「やたらむさ苦しい客が増えたではないか。まったく……これでは息が詰まる」
「小さき長よ! こ、この者はいったいなんなのだ!?」
「ああ、えーと、その方は……。ヒスイの肌をお持ちのバザウさまです」
ドワーフたちは困惑の面持ちで、バザウとリコへ交互に視線をむける。
「な、何を申すか! こやつは……」
「ヒスイの化身。この村の守護神だ」
当然の真理を告げるがごとき口ぶりで、バザウはいけしゃあしゃあとウソをつく。
それから呆然とするドワーフたちには目もくれず、スッと立ち上がる。
「フン……。退け。道を開けろ」
優雅な足取りで。
自然で落ち着いた動作。
「あのー、バザウさま? どちらへ?」
「俺は他の場所へ移る。こう無粋な輩に囲まれていては、思索もロクに進まないのでな……」
こうしてバザウはリコ・ピンの屋敷から去っていった。
「……」
バザウはそのまま村の中をツカツカと歩いていく。
「……」
リコの屋敷から充分離れた路地でバザウはようやく歩みを止める。
(……こっ、殺されるかと思った……!)
膝を折り、くたっとしゃがみこむ。
(で、でも大丈夫だ。俺の心臓はまだ動いているぞ! ……少しばかり、脈打つのが早いようだが……。それに耳だって、刈り取られずにちゃんと頭にくっついている)
バザウは無事だ。傷一つない。
精鋭ぞろいのドワーフの戦闘集団を前にして、ここまで堂々と逃げおおせたゴブリンはそうはいないだろう。
(さて。リコにはああいったものの、俺がいくあては……)
バザウが宿を頼めば、この村の者たちが断ることはないだろう。
(……だが、迷惑がかかる)
ルネ=シュシュ=シャンテの気まぐれ災禍や、ドワーフたちとの因縁に巻きこみかねない。
バザウがそういう迷惑を気兼ねなくかけられる者は、この村には一人しかいなかった。
デンゼンの家は村はずれにある。
より正確にいえば、彼の家は村を囲む城壁と一体化していた。
「……」
同じ村の中だというのに、彼の家の周辺だけ空気が違う。
寒々しく、荒れ果てた印象。
地面に突き立っている無数の枯れ木や杭。その多くに傷がつけられている。
おそらく狩猟の練習か何かに使ったのだろう。
バザウの頭にふと連想が起こる。
野生の生きものは自分の縄張りを主張するために、木の幹に傷をつけたりする。
この荒れ果てた寒々しい場所一帯は、たしかにデンゼンの縄張りだった。
少し緊張しながらも、バザウは彼の縄張りに進入する。
バザウは日干しレンガでできた粗末な家に近寄った。
「デンゼンは……、留守のようだな」
中に人の気配はない。
(狩りにでも出かけているのか? ……不在では仕方がない)
デンゼンが帰ってくるまで待つしかない。
バザウは家の壁を背にして座りこむ。
そこからデンゼンの縄張りを見渡す。
(これがいつも……、デンゼンが見ている景色……)
視界には何一つとして、動くものの姿は映らなかった。
どれほど時間がたったのだろう。
バザウの耳は人が動く気配と物音を感じ取る。
誰もいなかったはずの家の中から。
「……デンゼン。中にいるのか?」
不思議に思いつつも、声をかける。
数秒もせずに、出入り口からデンゼンが顔を出す。
「ん。バザウか」
「ああ。さっきも声をかけたんだが……」
「ん……。気づかなかった。俺は、地下室に、いたから」
気になる言葉がバザウの耳に飛びこんできた。
「地下室だと? お前の家には、地下室があるのか?」
「ん。ある」
「ん、ってお前なあ……」
真顔でうなずくデンゼンに、バザウはほんの少しだけ腹を立てる。
「ああ、もう! お前という奴は……。そんな便利な場所があるなら、どうしてもっと早く教えてくれなかったんだ?」
ドワーフの目から逃れるために、バザウは散々苦労した。
あの滝裏の洞窟よりも、この家の地下室の方がずっと手軽で身近な隠れ家になったはずだ。
「俺もお前もこれほど苦労することはなかったのだぞ! 俺を地下室に入れてくれさえすれば」
そしておそらくドワーフの行商人が不幸な目にあうことも。
「……ん?」
デンゼンは無表情のまま、何度か目をまばたかせた。
バザウがいったことを頭の中で反諾して、何やら考えているようだ。
やがて彼はゆっくりと口を開く。
「ダメだ。バザウ。それは、ダメだ」
視線をバザウの目からそらすことなく、大きな手を伸ばして、緑肌の手首をとらえる。
「地下室に、入っては、いけない」
デンゼンの力は強い。
その手を振りほどくことはできなかったし、彼が近くにいるというだけで威圧感があった。
「かっ…………」
バザウの舌が、こわばって、もつれた。
「……勝手に入ったりはしない」
まだデンゼンは腕をつかんでいる。
「手を……離してくれないか?」
「ん? ああ」
パッと手が解放された。
ほぼ無意識のままデンゼンは手首をつかんでいたらしい。
「……」
バザウの手首はズキズキと痛んだ。
皮膚は火傷をしたようにヒリヒリした。
「ん。それで、俺に、何か、用事か?」
どこまでも平坦な声でデンゼンが尋ねる。
村を取り巻く複雑で厄介な事情とは、皮肉なぐらいに正反対だ。
「リコの屋敷が窮屈になったので、他に寝泊りのできる家を探している……。俺を家に置いてくれると助かるのだが……」
「!」
デンゼンがわずかに目を見開いた。
元から黒目の小さな四白眼が、さらに強調される。
「リコの家、壊れたか? それは、大変だ。バザウ、ガレキで、ケガ、しなかったか?」
「……」
「もしかして、バザウは、変身すると、体が、とても大きくなるのか? 今は、こんなに、チビッこいのに。不思議」
「うー……。違う、違う、違うっ!」
デンゼンの単純極まりない発想に、バザウは軽い頭痛に襲われる。
「そういうことじゃない! 色々と……面倒なことになっている……」
バザウは現在の状況をデンゼンに教えた。
もちろん彼の頭でも理解できる言葉と表現で。
「ドワーフ? またきたのか? こりない奴ら」
「……」
「バザウ、どうする? 俺が、追い払って、やろうか?」
「やめろ、デンゼン。その必要はないから」
今度はバザウがデンゼンの腕をつかんで制止する番だった。
ゴブリンの体格では、それはつかむというより、すがりつくだとか手を添えると表現した方が的確だが。
「必要ない? よくわからない。邪魔な相手、放っておくのか?」
心から不思議そうな顔をするデンゼンを見て、バザウの心にいくつもの感情が沸き起こった。
躊躇のない暴力性への、恐怖や嫌悪。
人でありながら人ならざる性質を持って産まれた彼の境遇への、同情や慈悲。
方向性こそ違えど、その異常性ゆえに同族になじめない彼への、共感と親密さ。
バザウはデンゼンから手を離した。
そして静かに語りかける。
「……俺に考えがあるんだ。だからお前がドワーフたちと争う必要はない。わかったか?」
「ん。わかった」
バザウはデンゼンに暴力以外の方法を教えたかった。
その試みは徒労にも思えた。
(だがそうすることで……)
強さという価値観に縛られたデンゼンの魂が、創世樹から解き放たれるのなら。
(俺はデンゼンに教えたい……。たとえそれが困難でも。どれだけ時間がかかっても)
デンゼンはバザウを室内へと招いた。
「ん。ここなら、雨風を、しのげるぞ」
「……」
ホコリっぽい。あまり掃除をしていないようだ。
というのに、それほど散らかっていないように感じるのは、全体的にものが少ないからだ。
デンゼンの家には、彼の生活に必要な最低限のものだけが置かれていた。
その様相はまるで。
(檻の中……。あるいは、飼育小屋……)
バザウはデンゼンの部屋を眺める。殺風景。その言葉がぴったりだ。
この部屋にデンゼンはずっと住んでいた。
そう考えると、いいしれぬやりきれなさがこみ上げてくる。
「……なんだかここは……、外よりも寒い気がする」
「そうかもしれない。地下は、とても冷たいから」
地下室への出入り口は、簡素な扉によって封じられている。
その隙間から、冷気が漏れ出ているのだろう。
「もともと、自然の洞窟。それを利用してる。洞窟が先にあって、後から家を作った。夏でも、食べものが、腐らない。中は広いし、便利だ」
デンゼンは狩りをして暮らしている。
夏期でも低温にたもたれた地下室は、肉を貯蔵したり獲物を解体する時にも使えそうだ。
「ああ。たしかにそんなに寒いのなら、隠れ家には適さないだろうな。こごえてしまう」
潜伏するには毛皮のマント一枚では足りないだろう。
そういうことか、と納得してバザウは一人でうなずいた。
デンゼンも、バザウをマネて首をコクコク揺らす。
「ん。それに、俺の地下室は、とても汚れているから。バザウにまで、汚れがつくのは、嫌だから」




