ゴブリンと森狼
「……う」
ゆっくりとバザウの意識が覚醒する。
気がつけば見知らぬ洞窟にいた。
シダの葉を敷き詰めた寝床が、疲れ切った体には心地良い。
洞窟はちょうど小部屋のようになっている。やや窮屈に感じる。
出入り口に小さなドアが一つあるだけだった。ゴブリンの体格でもこのドアを通り抜けるには屈む必要がある。
「……」
もう体は平気のようだ。
病気でもケガでもなく、過度の疲労で倒れたのだから、一眠りすれば体の調子は元どおりになっていた。
(何か異常が残る方がおかし……)
片目の視野が、白くぼやけている。
「!?」
一瞬冷や汗をかいたが、バザウの視力になんら問題はない。
眼帯だ。なぜか眼帯が右目にかけられている……。
目元をケガしたわけでも、目蓋が腫れていたわけでもないのに。
邪魔な眼帯を取り外そうとして、そこでみしっと腕に走る違和感。
……添え木が当てられている。
もちろんバザウは骨折などしていない。
羽織っていた毛皮のマントも、革の小手もはずされている。
身につけているものは、植物の繊維を織って作った簡素なズボンだけだ。
バザウの荷物は部屋の隅にきちんとまとめられており、武器の短剣も二本そろえて置いてある。
(それにしても……)
胸と肩にかけて包帯がくるくると巻かれていた。そこはケガをしてないのに。
頭に、十字に交差した絆創膏がペタリと。そこはケガをしていないのに。
独特の異臭が背中から漂ってくる。この臭いは湿布薬だ。
足の泥がキレイに洗い落とされていたのは嬉しいが、なぜか足裏に薬草と樹木の欠片を混ぜ合わせた健康シートがはられている。しみ出した樹液でベットリする。独特の臭いがあるので泥よりひどい汚れかもしれない。
「……」
バザウは頭を抱える。こんな見当違いな手当てをするのは、きっとゴブリンに違いない。
しかし脱がされた衣服や武装がやけに整然と並べられているのが気にかかる。
腑に落ちない。ゴブリンならこんなにきちんと服をたたまない。
洞窟のドアもゴブリン製にしてはずいぶんと精巧にできている。
などとバザウがしげしげと観察してると、そのドアが開いた。
「ようやくお目覚めかしら?」
ゴブリン族よりも小柄な体。
全身をおおう獣毛。
犬に似た顔。
コボルト族の少女だ。
頭部の被毛の一部が長く伸びていて、可愛らしく二つに結ばれている。
白い毛の口吻は短く丸っこいので、どことなく子犬のような顔つきだ。
着ているものは質素なオレンジ色のワンピース。腰のベルトは小物入れのポーチつき。
曲がった釘や中途半端な長さの麻糸が、ポーチから顔をのぞかせる。
強いとはいえないゴブリンよりもさらに弱いと人間から見なされているのがコボルトの一族だ。
だからといってコボルトを侮ってはいけない。
コボルト一体一体こそ非力だがその集団統率能力は卓越している。
また臆病で陰湿とされる性格は、えげつないワナや新種の毒の開発を促進させた。
弱いからこそ油断のならない相手。
それがバザウのコボルトへの印象である。
「寝ぼけ頭がしゃっきりしたら、私の話をその緑のとんがり耳で、よーく聞きなさい」
少女は自分自身を指さす。
「良い? 私はあなたを助けた命の恩人なの。命の恩人。はい、ここ、重要ポイントね。覚えておくこと」
コボルトの少女はピッと指を立て、今度はバザウを指さした。
肉球つきの短い指では、いまいち手の動きがわかりづらいが。
「森狼がいき倒れているあなたを見つけて、私にしらせてくれたの。で、私があなたをこの集落まで連れてきたわけ。手当てをしたのは薬師のゴブリンだけど」
そういって小さな胸を張る。
かと思えば急に真顔でこちらにふり返り、こう問いかける。
「さて、ここで問題です。ちゃんと覚えているかテストするわよ。私はいったい何者でしょう?」
「俺の命の恩人だ」
バザウは洞窟の空気をゆっくりと鼻に吸い込む。
コボルトの少女がこの小部屋入ってきた時に、開いたドアから外の空気もいっしょに入ってきた。
老若男女のゴブリンと狼の臭いが複雑に入り混じっている。
その一方でコボルト族の臭いはあまり感じない。目の前の少女のものだけだ。
「ここはゴブリンの洞窟だな。……かなりの大世帯だ。主に壮健な男女で構成されているが、老人や子供の数も多い。洞窟内で狼とも共生しているのか。それだけの口を養えるだけの、良い環境にあるらしいな」
バザウはドアつきの小部屋を眺める。
ゴブリンの性格では扉なんてものを作りたがらない。開け閉めが面倒だからだ。
もし作ったとしても、ずっと開けっ放しにしておく。すぐにとおりやすいように。
ドアがあるということは、ここはちょっと特別な役割の部屋らしい。
「この空間は、隔離部屋だな。病人のための部屋か、捕虜用の部屋かはわからないが……。いや、捕虜というのは冗談だ」
バザウをつかまえておくメリットなど、ここのゴブリンにはない。
「森狼やコボルトと共同生活を営めるほど、豊かな群れだ。生活の余裕からくる、旅人への純粋な厚意だと……、そう素直に受けとるべきなんだろうな」
この群れがバザウを警戒していないことは明白だった。
その証拠として。
「素性もわからぬ俺の武器を押収していないのには、驚かされた。親切なのはけっこうだが……不用心では? それに君は、俺がいる部屋に一人で入ってきたが……」
バザウはコボルトの少女をジッ……と見据える。
「仮に……、俺が恩を仇で返す悪人だとしたら、どうするつもりだった?」
少女がかすかに肩を震わせた。かと思う間もなく、次の瞬間にはもう全身で威嚇していた。
「そっ、そうしたら、すぐに洞窟中の狼がかけつけるわよ! 私に何か変なことしたら承知しないんだから!!」
変なこと? バザウは軽く疑問を抱く。
首をかき切られるとか。
背骨をへし折られるとか。
心臓を一突きにされるとか。
そういった命の危機をコボルトの娘が変なことと言い表した点に、若干の違和感を覚えつつバザウは会話を続ける。
「安心して良い。仮定の話だ。君にもこの集団にも、危害を加えるつもりはない。俺はただ、相手を過度に信用するのは、危険だと……、そう言いたかっただけで……」
いつもどおりの涼しい顔で話している途中で、急に言葉に詰まる。
思案する時のクセで、バザウは口元に黒く鋭い爪のはえた指を当てた。
「……」
バザウの脳は、数秒前の自分の発言をかえりみる。
そして気づく!
バザウが意図していたのとは、別のニュアンスにも受け取れることに!
「ッ!! ち、違……! 断じてっ、断じて不純な意味合いで言ったのではないっ!」
めちゃくちゃ取り乱す。
「エホンッ! お、俺は、あくまでも戦いに身を置く者として心構えを説いたまでのこと。ただ、それだけだ……」
咳払いでその場を仕切り直す。
直そうとする。
強引に直した。
「……先ほどの見苦しい姿は、忘れてくれ。醜態をさらしてすまなかった。忘れてしまうのが一番だ。頼むから忘れてくれ」
ようやく顔の火照りが抜けかけてきたところで、マジメな話を切り出す。
「助けられたことには本当に感謝している。君にも、森狼にも。この群れの族長に厚く礼を申し上げたい。悪いが、その旨を伝えてもらえないだろうか?」
コボルトの少女からは返事がない。
そういえば先ほどの威嚇以降、彼女はずっと沈黙している。
「ああ、すまない……。名乗るのが遅れてしまったな。たび重なる非礼をわびよう」
敬意を示すためバザウは軽くひざまずく。
「俺はハドリアルの森の産まれ、震撼を呼ぶヘスメの十二番目の息子バザウだ」
「わ、私は……、プロンよ。コボルト族のプロン。そ、それよりあなたっ! 思ったより重症だったのね! 安静にしてなきゃダメ!」
「え? な、なぜだ?」
「だって、どう考えても、絶対に! 頭を強く打ってるわ! 当たりどころが悪くて、あなた、頭が良くなりすぎてる!!」
プロンの誤解を解くのに、バザウはかなりの時間を必要とした。
誤解を解いた後で、族長への挨拶は無事に済んだ。
バザウが望むのならしばらくここに留まっても良いとの歓迎の言葉ももらえた。
「お話は終わった?」
族長がいる大空洞を出ると通路でプロンが待っていた。
ゴブリンによって乱雑に置かれた木箱の一つに、ちょこんと腰かけている。
「ああ。滞在の許可もいただけた」
「それは良かったわね。ねえ、あなたにちょっと用があるんだけど。私についてきなさい」
そう言ってプロンは木箱から飛び降りる。
バザウの返事を待たずにスタスタと歩いていく。
歩くたびに左右に揺れる小さな尻尾を眺めながら、バザウはその後に素直に従った。
「あの子を紹介したかったの」
洞窟を出てから少し歩いた場所にある岩場。
一匹の狼がいた。近くに他の仲間はいない。
銀にも黒にも見える美しい毛並みをしている。
「彼の名前はザンク。倒れているあなたの第一発見者よ。彼に感謝なさい」
バザウが何か言う前に、ザンクはすげない態度で岩場の向こうへと姿を消してしまった。
「……礼をする間もなかったぞ」
「気にしないことね。ザンクは気難しくて孤独主義者で変り者なの」
軽いため息がプロンの口からもれる。
「ここの狼たちは私の大切な仲間。もちろんザンクもその一員なんだけど……。私にも他の子にも、ザンクは心を開いてくれないの」
ここでプロンがバザウの方を見た。
「そんなザンクが、倒れているあなたを助けようとした。だから、私はあなたに対して警戒しなかったわけ」
ザンクとの顔合わせはほんの数秒にすぎなかった。
それでもバザウの心に深い印象を残す狼だった。
しばらくすると、ザンクとは別の森狼が三匹ほどプロンを慕って近づいてきた。
自分よりずっと大きく屈強な狼に、プロンは堂々と接している。
プロンと狼たちは互いの心がわかり合っているかのようだ。
バザウの故郷のゴブリンも、狼の群れと結託して人間や家畜を襲撃することがあった。
が、ここまで密接に狼とコミュニケーションがとれる者はいない。
「見事なものだ。秘訣があるのか?」
「バザウ、狼と仲良くなりたいの? この子たちの社会のルールを覚えれば簡単よ」
プロンのそばで森狼が尻尾を振っていた。
狼も尻尾を振るのか。と、バザウは妙なところで感心する。
「俺にも、できるだろうか……?」
一人で生きていくことは難しい。狼の力を使いこなせれば、今後生き抜くことが少しは楽になるだろう。バザウはそう考えた。
「フフン。良いわよ。私が先生になって教えてあげる」
プロンは得意げな顔をして、狼の流儀を教授すると請け合った。
「コボルトも森狼も、そしてゴブリンも。たった一人では、か弱い存在でしかないわ。だからこうして群れて力を合わせて生きていくの」
屈託のない笑顔でプロンはそう言った。
狼たちは彼女のそばでくつろいでいる。
とても満ち足りた光景だった。
「……ああ……。そう……、なんだろうな」
心がざわざわと波打つ。
バザウは、言い表しがたい居心地の悪さを感じていた。
それは自分でも説明の難しい感情だ。
だがバザウにとってなじみ深い感覚だ。
バザウの周りだけを取り巻いている冷たい空気。
氷の欠片が心臓に打ち込まれ、どこまでも自分の血が冷え切っていく。
慣れ親しんだのは、そんな感覚。
バザウが故郷の群れの中で何度も感じ、旅の途中でたまに感じるもの。
今はまだ、その感覚を的確に表現する言葉を見つけていない。
まとわりつく冷たい何かを追い払うべく、バザウはしばし目を閉じる。
そして、なんとなく……。さっき岩場から立ち去っていったザンクの後姿を思い出していた。