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ゴブリンと一口の供物

「……」


 落ち着かない気持ちのままでバザウはデンゼンを待つ。待つことしかできない。

 バザウが浮かない顔で天幕の外に出ていると、数人の子供たちが駆け寄ってきた。


「あーっ、バザウさま!」

「見て見て! 私の赤いステキな帽子! お祭りの日に着るために、お婆ちゃんが編んでくれたの」


 年齢も様々な子供たちに取り囲まれた。

 それぞれ、祭りの屋台で買ったらしい菓子やオモチャを手にしている。

 楽しい時間は間もなく終わってしまう。それでも子供らはきゃあきゃあと声を上げ、非日常の名残りを楽しんでいる様子だった。


「バザウさま。そこは寒いでしょう。何をなさっているんですか?」


「……デンゼンを待っている」


 バザウの発した言葉は子供たちを静まり返らせた。

 やがて小さな口からめいめいの感想がもれる。


「アイツ嫌い」

「いったいどこで何をしてるのかしら? 大事なお祭りに顔を出さないなんて」

「ええと……。あの人にはあまり関わらない方が良いって、大人たちがいってました!」


 デンゼン、散々に酷評される。


(子供は正直だな)


 これで彼の普段の素行がうかがえよう。無骨な乱暴者は、村中の嫌われ者。

 そんな彼にも。いや、そんな彼だからこそ、バザウは祝福を授けたいと思っている。

 もちろんそれは、神の身に奉られた傲慢なゴブリンの自己満足でしかないことも理解していた。


「……」


 バザウは静かに顔を伏せる。

 落日の黄金がヒスイの肌に深い陰影を落とす。


「見てきてあげる!」


 一人の少年がパッと駆け出した。抱えていた菓子やオモチャは、そばにいたチビに押し付けるように預からせて。

 少し走ったところでくるっと振り返る。

 

「アイツを探して呼んでくる! 入れ違いになるといけないから、バザウさまはそこにいて!」

「それじゃ私も、一っ走り村を見てくるね」

「僕もいく!」


 また一人、また一人と、子供たちが村の四方へと散っていく。


「バザウさまが天幕でデンゼンのことを待ってるんだよって、伝えてくるから! そしたら、きっと間に合うから!」


 離れた場所で手を挙げながら、少年が声を張り上げた。


「だから。だからそんな……、悲しそうな顔してちゃダメだよ。バザウさま」


 バザウはハッと気づいて自分の頬に手で触れてみた。冷え切った頬をなぞるのは、こごえた指先。


(……我ながら情けない話だ。今の俺は、あんな幼いヤツらに心配されるほど、思いつめた顔をしていたらしい)




 子供たちはしょぼくれた様子で戻ってきた。

 報告を聞くまでもなく探索の成果は明白だ。


「デンゼン、村のどこにもいなかったよ」

「絶対おかしい! 手分けして、ほうぼう探したのに!」

「村の外に出てるのかな? もうすぐ日暮れだっていうのに……。何してるんだろう」


 バザウは西方を見つめた。

 朱色の光は、すでに山のむこうへと隠れてしまった。

 それは、祭りの終焉をしらせている。


「バザウさま……」


 おずおずとした声にバザウは振り返る。

 一番最初に走り出した子供がうつむきがちに立っていた。


「力になれなくて、ごめんなさい」


「……」


 バザウはなめらかに膝を曲げて静かに屈みこむ。


「最初にお前が走り出した時は、何事かと驚いたぞ。……俺の気持ちをくんで行動してくれて、嬉しかった」


 子供の手を取り、両手で包む。

 村中を駆け回ってきたという手は熱く火照っており、かすかに汗ばんですらいた。

 バザウは周りの子供たちを見回した。めいめいの顔を見ながら、柔らかな声をかける。


「皆、ありがとう」


 そしてバザウはサッと立ち上がる。


「陽が沈んだな。楽しい祭りはおしまいだ」


 バザウは普段と変わらぬ素振りで。

 いや、いつもよりも明るく気さくな表情をして子供たちを追い立てる。


「ほらほら! もう風も冷たくなってきたぞ。家に帰りなさい」


 空は赤く染まっている。

 黒いシルエットが影絵芝居のように浮かび上がる。

 物悲しく、不気味で、妖しい夕暮れの景色。

 子供の一人が、ふいにつぶやく。


「……デンゼンだ」




「バザウさま。デンゼンがきた!」


 何もかもが赤黒い色彩に染まった黄昏時に、彼はようやく姿を現した。


(デンゼン!)


 バザウは小走りで屈強な人影に近づいた。


「……何があった?」


「バザウ。キレイで小さな俺の神。俺は告げる。良くない報せを」


 デンゼンはバザウの前で、かしこまったように姿勢を正す。


「俺は、悪い悪い神に出会った。あれは、狂った虹の色。あれは、まやかしを歌う鳥。人の心を惑わす、悪い神」


「っ!」


 バザウの脳裏に、あのカンに障る笑い顔が思い浮かぶ。

 ルネ=シュシュ=シャンテ。


「不思議な場所に連れられて、悪夢に似た幻を見せられた。おかげでひどく、頭が痛む」


 デンゼンは軽く目を閉じて額に手を当てる。

 

「それで、気づいたらこんな時間」


 太陽はすでに山のむこうへと没している。

 デンゼンは夕日を浴びながら、つぶやく。


「神の心臓。温かくて清らかで聖なるもの」


 神の心臓の代用品。祭りの時にだけ振舞われる神聖な食べ物は、もう特別な意味を失ってしまった。

 それは聖なる性質を失い、単なる素朴な芋団子へと変容する。


「多分、俺にはそれを口にする資格がなかったんだ」


 彼はそう結論づけた。


「きっと、そうだ。俺の強さが、まだ足りないから。俺がもっと強ければ、狂った虹の鳥をすぐに殺して、祭りに間に合った。俺が、殺そうと思ったのに、あの鳥は、殺せなかった。俺は、それがとても悔しい」


 ポツポツと語るデンゼンの口調は、他人事のように淡々としている。


「全部、俺の強さが、足りなかったせい。だから俺は、温かくて清らかで聖なる神の心臓を、得られなかった。ただそれだけのこと」


 固い無表情をたもった彼の顔は、どこか悲しげだった。




「ふへー。そういうことがあったんですかー」


 バザウからの話を聞いてリコ・ピンは鷹揚にうなずく。

 暖かく堅牢で清潔に整えられた石の家。

 村の女たちが織り上げた見事な布が家具を飾る。

 若い村長と緑肌の神の手には、それぞれ薬草茶のカップが握られていた。


「人の心を惑わす、狂った虹の鳥ですか。村の古い伝承にも記録がありますね。気まぐれに禍福を運ぶ、信用できない者として描かれています」


「この村の伝承はなかなか正確に伝わっているらしいな。当たっているぞ。そう、アイツは性質が悪い。できることなら、ヤツとは関わらない方が良い……。が、むこうから姿を見せてきたか」


 リコ・ピンが興味深そうな眼差しでバザウの表情をうかがう。


「おや。その口ぶりだと、もしかしてお知り合いだったりしますか?」


「……そうだな。ヤツとは顔見知りだ」


 バザウは無難に肯定しておいた。

 ルネ=シュシュ=シャンテとはなんの関係もない! 赤の他人だ! とでも断言できたら爽快なのだが、残念なことにそれは事実とは異なる。

 下手に無意味なウソをついて、後でリコ・ピンから矛盾を指摘されることは避けたい。


「ふーむ。ヒスイの神と狂気の禍鳥。この短期間に二柱の神に相まみえるとは……。いやはや、凄いことです! そんな神話的な遭遇が二回も起きるなんて、いったいデンゼンって何者なんでしょう?」


 リコは探るような目つきでバザウの挙動を注視していたが、バザウは軽くため息をついただけだった。


「さあな……。デンゼンもさぞかし厄介な運命を背負って、この世に産まれてきたのだろうよ」


 リコには聞こえぬよう心の中でバザウはつけ足す。


(俺と同じで……)


「はあ。本来ならシャーマンのテオシントさんの意見も仰ぎたいところですが、デンゼンはそれを拒否するでしょうし……。困りましたね」


 バザウはかねてからの疑問を口にする。


「あの二人は……、どうしてあれほど険悪なのだ?」


 小さな村を二分するほどの仲違い。

 デンゼンのことを呪われた子だと罵るシャーマン。

 並大抵の因縁ではないはずだ。


「……うーん。そうですねえ……」


 珍しくリコが口ごもった。


「彼らの関係は叔父と甥。デンゼンを産んだ女性は、テオシントさんの姉なんです。……村の誰もがしっていることだから話しちゃいますけど……、デンゼンの母親はお産の直後に命を落としています。その後も不幸が続いて父親も死去。デンゼンだけが残されました」


「それで……呪われた子、というわけか」


 彼の家族が相次いで不幸に見舞われたことはたしかだが、その責任はデンゼンにはないはずだ。


「ま、陰気な話はこの辺にしておきましょう」


「……そうだな」


 これ以上会話を続けたところで、特に解決の糸口が見つかるとも思えない。


「バザウさま。本日は祝祭のお役目、まことにお疲れさまでございました」


 リコ・ピンが軽く頭をさげる。


「一日中、天幕にいて窮屈だったでしょう。で、僕からプレゼントがあります。バザウさまのお口に合うかはわかりませんが、お祭りの屋台の食べ物をいくつか買っておきましたよー」


「何っ!? それは本当か!?」


 バザウの耳が興奮気味にパタパタ動く。


「本当ですよー。良かったら召し上がってくださいね」


 磨き抜かれた木目のテーブルの上に、リコ・ピンは祭りの菓子を広げる。


 タルト生地にメレンゲとレモンクリームをのせて、こんがり焼き色をつけたレモンのパイ。

 ナッツが入った揚げパンにたっぷりのハチミツを染みこませたもの。

 キャラメル状になるまで甘く煮詰めた家畜の乳をはさんだクッキー。


「こっ……、心の友よ! その気遣いに感謝するぞ!」


 感極まってバザウは叫んだ。

 リコの手を取りブンブンと振る。


「こんなに喜んでもらえるとは、予想外でしたー」


 バザウはこの思わぬ幸運を堪能しにかかる。


「はうっ!! 虫歯でなくても歯に染み入るような、キャラメルクッキーのドギツイ甘さ! カロリーこそが正義といわんばかりの揚げパンも極悪だ!」


 平素ならば、あまりにもベタベタくどすぎる甘味はノーサンキューだ。

 がこのところ質素な食事が続いたバザウの体は、焼けつく糖分ととろける脂質を熱烈に欲していた。


「その点、こっちのレモンパイは甘さでマヒした舌の口直しにちょうど良い。柑橘の風味とメレンゲが、甘さを抑えこんでいる。うん、けっこう好みの味だ。……ああでも、その分ついたくさん食べてしまうな……。これは恐ろしい罠だ!」


 バザウは再び、キャラメル入りのクッキーへと手を出す。

 モグモグと無心で菓子をむさぼるその姿は、他の一般的なゴブリンたちと大差はない。


挿絵(By みてみん)


「美味しい! 美味しいっ! はあ……、俺は今とても幸せだ……」


「いやー。良い食べっぷりです。食べ物がからむと、バザウさまは八割ぐらいバカになりますね!」


「おいっ!? 今もの凄く不敬な言葉が聞こえたぞ!」


「えー? なんのことでしょう? バザウさまの聞き間違いじゃございませんかー?」


 素しらぬ顔をされる。


「……」


 釈然としない思いを抱えつつも、さっきよりもお上品な仕草でバザウはクッキーを口に運ぶ。

 少しテンションが落ち着いたところで、考えるのはデンゼンのことだ。


(……アイツには、こうやって美味いものをわけてくれるヤツがいるのかな)


 デンゼンは前に、自分にとって食事は体を動かすために仕方がなく食べるものだと答えた。

 そのことはバザウもしっている。


(でも俺は……食べものがあれば幸せで、美味いものを贈られれば喜ぶし、気に入ったヤツにはちょいとご馳走したくなるんだ)


 小さな神は若い村長に命じた。


「おい、リコ。菓子をもう一人前用意してくれ」


「は? 今しがたバザウさまが食べ散らかした分で終わりですが?」


(は? っていった! は? っていったぞ、コイツ!)


「いやー、ごめんなさい。さっきのが最後だったんですよー。屋台で売れ残っていた余り物を買い取ったので、もう残ってるものは何もないです」


「う、売れ残りの余り物だったのか……。そういうことは黙っておいてほしかったぞ……」


 リコの軽やかな毒舌にあてられつつも、バザウは次の案を出す。


「それならせめて……、材料はないのか?」




 砂糖に小麦粉、それから村の家畜から得たバターと卵。味つけはイチゴジャム。

 あり合わせの素材と簡素な調理器具で、一口サイズのストロベリーパイを作りにかかる。


(……想像していたよりも、だいぶ見た目が悪くなってしまった……)


 焼き上がった菓子を見て、バザウが第一に抱いた感想だ。


 故郷の森にいた時から簡単な料理なら自分で作っていたし、箱庭での生活で人間の貴族好みの美食文化に触れた経験もある。

 そこそこの出来栄えのものなら作れると思っていたのだが。

 完成したのは無残で不格好な焼き菓子。一部は生白く、別の部分は赤いジャムがにじみ出し、少々グロテスクなありさまだ。


(うーむ……。素材の計量が正確でなかったのか……。あるいは、薪の火加減の調節が上手くいかなかったのか……)


 問題点を省みたところで、やり直すだけの材料はもうない。


「……」


 バザウは恐る恐る味見をしてみた。


(まあ、食べられないことない! ……な)


 そう結論づけてバザウはカゴにパイをつめた。

 ホコリで汚れないように上からふわりと布をかける。


(これでよし、と)


 デンゼンを探しにバザウは出かける。




 もはや見慣れて馴染んだ村の中で、滅多に姿を見せない人物の姿を見つけ、バザウは足を止めた。

 長い白髪を陰気な顔の上に垂らした村の戦士にして呪術師。


(……テオシント)


「ヒスイの肌を持つ者。私はお前に忠告しておく。これ以上あの呪われた子と関わるな」


「ほう。呪術師が語るそのありがたいお言葉は、よもや俺への脅しのつもりなのか?」


「いや。親切心と責任感からの純然たる助言だ」


 バザウの皮肉はシャーマンにいなされた。


「デンゼンと関わる者は皆、不幸になる。小さなヒスイの神。今ならまだ黒い流れから抜け出せよう」


「……」


「デンゼンが作り出した呪われた運命に巻きこまれる者は、もう私だけで充分だ。あの悪魔は私が責任を持って地獄へと送り返す」


「それは立派な志だな。で、一つ聞いておきたいんだが、具体的にデンゼンが何をしたというんだ? それほどまでに迫害されるだけの理由はあるのか?」


 シャーマンは口を閉ざした。眉間に深いシワが刻まれる。

 長い沈黙が続いた末に、バザウは肩をすくめた。


「悪いが……、俺はもういく。次に話しかける時には、もう少しマシな話題を用意しておくことだ。もったいぶっただけの世迷言や占いでは、俺を説得するのは不可能だ」


 大柄の体を追い越す。


「わかってもらえなくて残念だ」


 呪術師の低い声。

 バザウは背中でそれを聞いた。


「常人には見えぬものが見え、聞こえぬものが聞こえるのが呪術師だ。それゆえ抱えるこの苦悩は、そちらも身に染みてしっているだろうに」


 テオシントが低い声でつけ足す。


「いと賢きゴブリンなればこそ」


「!」


 バザウは振り向く。

 だが、一陣の風が舞っているだけで、すでにシャーマンの姿は消えていた。


(……山岳の民はゴブリン族の存在をしらないはずだ)


 村は外界とは隔絶している。

 現物にしろ情報にしろ、地上のあらゆるものは一度山の麓のドワーフの町をつうじてもたらされる。その中にゴブリンは含まれない。


(ゴブリン、という名称をしっているのはデンゼンだけだが……)


 秘密の名だと口止めしてある。よりによって彼の仇敵のテオシントにバザウの秘密を教えはしないはずだ。

 それにデンゼンは、ゴブリンという名をしっているだけだ。ゴブリンがどういう存在なのかということまでは教えていない。


(テオシントはなんらかの手段で、この地の民がしるはずのない知識を得ているらしい……。それは間違いない。問題は……)


 バザウは少し苛立ったように、こめかみを指の腹でトントンと叩いた。


(誰がその知識を与えたか、だ)


 極彩色の羽毛で彩られたあの鳥の哄笑が、バザウの脳に鳴り響く。




「……」


 頭の中ではあれこれと考えごとをしながらも、バザウの足はある場所へとむかっていた。


「やはりここにいた」


 村で一番高い場所。崩れかけた日干しレンガの壁にデンゼンはもたれていた。


「バザウ。俺に何か用か」


 先ほどのテオシントとの遭遇を聞かすべきかと逡巡したが、バザウは黙っておく方を選んだ。


「昨日は災難だったな」


「俺は別に、気にしていない。全ては、俺の弱さが招いたこと」


 粗雑な乱暴者に見えても、デンゼンは伝承の神に対して篤い信仰心を持っている。

 ヒスイの神だと彼が思いこんでいるバザウへの丁重な対応に、その篤信はよく表れている。

 そんなデンゼンが、ルネのちょっかいのせいで村の宗教祭事に参加できなかった。


「心臓を食べ損ねた若者のことを神は哀れに思ってな。まあ、いわばこれは……、神の心臓の代用品のさらに代理だとでも思っておけ」


 バザウは食べものの入ったカゴを抱え直す。


「食べろ。お前のものだ」


挿絵(By みてみん)


「こ、れ……。俺、に、くれるのか。バザウ」


 壁に背を預け無造作に地べたに座っていたデンゼンが、居住まいを正す。

 うやうやしく頭を垂れて、おずおずと手を差し出す。

 バザウはその手に、不格好でちょっと焦げついていてイチゴの香りのする神の心臓を授けてやった。


 村の誰からも恐れ嫌われている武骨で粗暴な男が、ヒスイの神たるバザウに対してだけ見せる、敬虔で従順な姿勢。

 そんなデンゼンの姿はバザウに様々な感情を沸き起こさせた。


 特別扱いを受ける優越感。

 それだけ信奉されていることに対する責任感。


 自分を慕う者への親愛と慈しみ。

 そんな純粋な相手を騙しているのだという後悔と苦しみ。


 色んな思いが互いに交差し、バザウの中で入り混じる。


(……悩みの種はそれだけじゃない)


 デンゼンとテオシントの対立。

 村人をおびやかしている人喰いの獣。

 またしても何かを企んでいるらしいルネの挙動。


 思い悩むバザウの目の前には、壮麗で雄大な眺望がどこまでも広がっていた。

 可愛らしく並んだ日干しレンガの家々の屋根。

 緑と茶色が織り成す畑のパッチワーク。

 人を拒むような切り立った岩肌。

 視線をさらに伸ばせば、鬱蒼とした樹冠の海が見える。

 

(この山のどこかに人喰いの魔物が潜んでいる。風の呪術師は気がかりな言葉を残して姿を消した。ルネ=シュシュ=シャンテの動向にも注意が必要だ)


 バザウはそっと傍らの青年をうかがう。

 デンゼンはやや機械的な動作で菓子を食べていた。


(俺もコイツも……、カタをつけねばならない問題と、呪いと災いの宿命を背負っている同士だ。でも今は……)


 バザウはひょいと座りこみ、パイのカゴに手を入れた。


「腹が減った。おい、デンゼン。俺にも少し喰わせろ」


「ん」


 見下ろす家々からは煮炊きの煙が上がっていた。

 子供たちの笑い声やのんびりとした家畜の鳴き声が山合に反響して聞こえてくる。


(でも今この瞬間は……、穏やかで温かな流れに身をゆだねておくとしよう)


 バザウは不格好な出来のパイを口の中に放りこんだ。




 遠くの空で一羽のワシが滑空するのを見て、デンゼンが思い出したようにぼやく。


「狂った虹は、変なヤツ。蹴っても、殴っても、手応えがない。グネグネ動いて、気持ち悪い」


「まったくだ……。忌々しいことにヤツには刃物もきかない」


「武器もダメか。やっぱり。俺も、試してみたけど、ムダだった」


「ああ、本当に憎たらしいヤツなのだ」


「バザウ。狂った虹が、嫌いか」


 大げさにうなずいてみせる。


「殺せなかったのが、残念だ。俺が、奴を仕留めていれば、バザウは喜んだか?」


「……」


 バザウは数秒ほど品行方正かつ清浄無垢で慈悲深いヒスイの肌のバザウさまの表情をした後で。


「まあな!」


 ゴブリンらしく邪悪に牙を剥き出しニヤッと笑った。


「次は、ちゃんと、仕留められるよう、俺も、腕を磨く」


「それは心強い。だがヤツには俺も手を焼いている。戦士としてむこうの方が実力が上というのなら……、まあ……、負けたとしてもこうまでは腹は立つまい?」


「だが、そうじゃない」


「そのとおりだ! アイツは本当は軟弱でヘロヘロなくせに、奇妙な術を使うから始末が悪い!」


 デンゼンはコクコクとうなずいて同意を示した。


「狂った虹は、テオシントのようだ。ヤツも奇妙な術を使う。杖を使って」


「突然消えたり現れたりするところも似ているぞ。思わせぶりなセリフをほざいて、勝手にいなくなったりな」


 バザウとデンゼンの話は大いに盛り上がった。

 主に物騒で野蛮な方向に。

 ゴブリンは食べものがあれば、それだけで幸せになれる。

 その上気の合う友でもいれば、なお最高というものだ。

 一息ついてバザウが宣言する。


「……俺には夢がある。いつかヤツの羽をむしってむしってむしりまくって、つもりにつもった憂さ晴らしをするつもりだ……。この夢は叶える。なんとしてもだ……」


「バザウ。それはとても良い考えだと、俺は思う。俺も、ぜひその手伝いがしたい」


「ありがたい。この上なく嬉しい申し出だ。その時はお前の手を貸してくれ」


「わかった。俺、デンゼンは約束する」


 デンゼンは真っ直ぐな目でバザウを見た。


「バザウが狂った虹に挑む時、俺はいつでも、この手を貸そう」

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