ゴブリンと偉大な勇者の作り方
バザウの予想は見事に外れた。
山岳の村の人々は驚きと畏敬を持ってバザウを迎えた。
バザウの姿を見て深々と地に平伏す老人たち。
井戸端で会話に花を咲かせていた女たちもピタリと口をつぐんだ。
子供たちは興味津々といった顔でバザウを見つめていたが、やがて母親にいわれて地面に寝そべるような格好で服従した。
(う……。こうも歓待されると……、なんだかプレッシャーが……)
どんな野蛮で血に飢えた戦闘民族が出てくるかと警戒していたが、村の住人たちは柔和で働き者の温厚そうな人々だ。
平地ではあまり見かけない風変わりな家畜を飼い、やはりこの地独特の作物を栽培している。
村の住居や住民たちの服装などをざっと見回せば、きちんと培われた技術や叡智が見受けられる。
自然に囲まれた素朴な暮らしぶりだが、彼らは伝統的な文化を大切にしている知的な人々のようだ。
「はあ、すごい……! こんなにキレイな緑の肌、今まで一度も見たことがないです!」
民族衣装に身を包んだ歳若い少年が、バザウの肌を見て感嘆の息をつく。
村で一番立派な建物が彼の住居だ。バザウとデンゼンはその家に招かれていた。
「ほわー。本当に不思議な色合いですね。透き通った春の若葉のような。涼やかに流れる夏の清流のような。とても神秘的で、美しい緑色。驚いたなあ」
(……ゴブリンの緑肌がそんな風に見えるのは、世界中探してもこの部族だけだろうよ)
あまりにも褒め倒されたので逆に居心地が悪くなる。
照れと気恥かしさと謙遜の気持ちから、バザウはふいと目をそらした。
その視線の意味を少年は違う風に解釈してしまったのだろう。彼は慌てて謝罪の言葉を口にした。
「あっ! た、大変失礼致しました! お目にかかれて光栄です。リコ・ピンと申します」
リコ・ピンが深々とバザウに頭を下げる。
「今は僕がこの村の族長ということになってます。えっと、若輩者でまだ村の古老たちの助言を受けながらですが……、族長の仕事頑張ってます!」
頑張っているとはいうもののリコ・ピンは相当若い。
(この子供が族長だと……? いくらなんでも、若すぎる)
バザウの思考をリコ本人も察したようで、さみしげな苦笑を顔にたたえながら事情を話した。
「……父は……。前族長は、空の高き場所へと帰っていきましたから」
「すまない。つらいことを思い出させてしまったな」
「いえ……」
陰りがちなその場の空気を傍若無人に払拭したのは、デンゼンだった。
「いなくなった者の思い出話は、ムダな時間。話すだけの価値があるのは、今、生きている者のことだけだ」
リコは黙ってうつむく。
小さな拳はぎゅっと握られていた。
(デンゼン……。お前というヤツは……)
戦士の傷を授ける前に、デンゼンには別のものを与えなくては。
(良い子のための教育的指導が絶対必修科目だ)
バザウはそう固く決意した。
「リコ・ピン。俺は、新しい神を連れてきた。もうあのシャーマンの力、村には必要ないはずだ。役立たず。そうだろう?」
村長の座に就いている少年は困惑気味の表情を浮かべた。
「はうー……。そ、そういわれましてもー」
「この村から叩き出してやれ」
リコは曖昧な態度でデンゼンの要求をかわす。
「うー、勘弁してくださいよ、デンゼンさん。暫定族長の僕の意向だけでは、そのような重要な決定を独断では下せないんですよ」
デンゼンが口を開く。
配慮というものが微塵も見られない言葉をリコにむけた。
「一人では決定できない長。じゃあ、お前も役立たずだな、リコ・ピン」
「おい、デンゼン」
バザウはデンゼンをいさめようとした。
この気弱そうで貧弱な体つきの少年は暴言に耐えられない。そう考えての行動だった。
「いやー、まったくもって面目ないです」
リコ・ピンがデンゼンに気圧されることはなかった。
厄介事を問答無用で抑えこむ強引な笑みを顔に張りつけ、背筋を伸ばして立っている。
「まあ、そんなことよりも! 今はバザウさまのことを考えましょうよ!」
明るい調子でリコは話題を切り替える。リコは再びバザウの姿を見つめた。その視線がバザウの足元で止まる。
「はるか遠方よりいらしたご様子ですね。えっと、畏れ多くも申し上げると、御御足に泥土がついておりますよ。すぐにキレイな湯を用意させますね」
リコ・ピンはバザウの返事を待たずに、村の女に湯桶を持ってくるよう頼んだ。
適温の湯の入った桶が用意できると、リコ・ピンは純白の上等な布を手にして問う。
「バザウさま。湯桶で泥を落とすために、そのヒスイの肌に触れてもよろしいですか?」
「構わない」
承諾する。バザウが断る理由もない。
しいてあげるなら、若い族長にそこまでしてもらうのはなんだか申し訳ない、といったところだ。
「ではでは、失礼しまーす」
少年村長は慎重な手つきでバザウの足を洗った。
(……ふうん。コイツ、ただの優柔不断のチビではないな)
バザウはこの少年の抜け目のなさを見逃さなかった。
少年の真剣な目つきと何かを確かめるように白い布をたびたび見つめる仕草で、バザウはリコの意図に気づく。
リコはあばこうとしているのだ。この突然現れたヒスイの神の肌が、染料で意図的に塗られたものではないかと。
(……リコがそういう疑問を抱くということは、ゴブリンの存在をしらないという確固とした証拠でもある。本当にこの辺りの人間は、ゴブリンの緑肌というものにお目にかかったことがないらしい)
もちろんバザウの肌は生まれつき。いくら洗っても緑のままだ。
(用心深い性格だ。……それに、相手を疑っていることを一見悟らせない器用さも持ち合わせている)
デンゼンはリコを役立たずだと罵ったが、バザウはそうは思わない。
(それに……)
村人の誰もがこの緑肌の異人の姿を見て、なんの疑いも持たずに平伏した。
リコ・ピンはバザウに対して丁重な姿勢こそ見せたが、地面に額づくようなマネはしなかった。
(こう見えても、本来の気位は高いのだろうな)
「はい、完了です! バザウさま、これですっかりピカピカになりましたよ!」
ペコッと頭を下げる。少年村長は、この得体のしれない来訪者をヒスイの肌を持つ神として認めたらしい。とりあえず今のところは。
リコは無邪気そうに見える笑顔と人懐こそうな態度を示している。
「ああ。感謝の意を示そう」
だからバザウも、せいぜい神聖で威厳あるフリをして答えておいた。
そんなやり取りをデンゼンは相変わらずの無表情で、ただ眺めていた。
バタバタしながらもリコは村長として指示を飛ばし、女たちはすべて心得た様子で手際よく働く。
バザウという大切な客をもてなすため、村長の住居には大勢の人が出入りし、様々な用事をこなしていった。
そんな温かな喧騒から、まるで取り残された者がいる。
デンゼン。彼は仲間はずれにされた子供のように、部屋の隅にぽつんと立っていた。
「……デンゼ……」
「そうだっ、バザウさま!」
リコ・ピンが何かを思いついたようだ。
「お召し物を変えてみませんか? うん、変えましょう! 村一番の針子とその孫娘を呼んであるんですよ~」
「あっ……、おい」
小さなリコ・ピンに半ば強引に手を引かれ、バザウは別室へと連れていかれた。
年老いた針子とまだ童女といって良い彼女の孫娘が、うやうやしい手つきでバザウの肌に真新しい布をあてがう。
衝立のむこうにいるリコがおもむろに話を切り出す。
「さて。バザウさまはもうお見とおしだと思いますが、現在この村は深刻な問題を抱えています」
「そうだろうな」
悲しげな一呼吸を置いてリコは話を続ける。
「第一に、シャーマンのテオシントとその甥にあたるデンゼンの激しい対立。そのせいで村にはピリピリした空気が張り詰め、団結を欠いた状態です」
衣装変えというのは口実で、リコ・ピンはバザウと別室で会話をしたかったらしい。
「次に、人喰い魔物の脅威。主に月夜の晩に現れて人を喰い殺していく獣です。村人たちは常に命を脅かされながら生活しています」
「人喰いの獣……」
「勇敢な男たちが何人も魔物の犠牲になりました。現在生き残っている住人のうち、この魔物を退けられるほど猛き戦士は、テオシントかデンゼンぐらいでしょう。父の仇を討とうにも僕などでは論外ですね。情けないことですが」
「……」
リコの父、この村の前の族長は人喰いの獣に敗れて死んだらしい。
バザウはデンゼンと出会った時の状況を思い返していた。獲物に強い執着を見せた、あの獣。
バザウが獣に体を引き裂かれる前にデンゼンがやってきたのは、彼が魔物を追跡していたからだろうか。
「そんなタイミングでバザウさまが我が村にいらした。デンゼンに伴われて。いずれにせよ、あなたの存在と言動がこの村の状況を大きく動かすことになるでしょう。僕はそう思っています」
二人の衣装係は口をつぐみ無心で手を動かし続けている。
「この村の運命が良い方向へと流れるように……。期待しておりますよ! バザウさま」
(俺はただ温かな食べ物と寝床がほしかっただけなのに、ずいぶんと大事になってしまった)
老婆と童女が、宝玉のついた装飾で緑肌の神を飾り立てていく。
(う、動きづらい……)
豪華な衣装の重みのせいでバザウは少しフラついた。周りの人間に気づかれないようにグッと足を踏ん張る。
装飾だらけの重たい衣装は、身の丈に合わない大任を偽っているということを改めてバザウに実感させた。
それからこの狡猾で欲張りなソーセージ大好きゴブリンは、神としての役を演じてみせた。
これまで積んできた様々な経験が、バザウを助けた。
専門の薬師には適わないものの、バザウは薬草の知識が豊富だ。
またゴブリンはキノコ採りの名人でもある。
病んだ村人のために、バザウは希少で薬効の高いキノコを採取して村にもたらした。
コンスタントのもとで文字を習ったのは、何事にも代え難い財産となった。
村の日常生活で文字を使う機会は少ないが畏敬の念を集める材料にはなる。
たまに村人が家の奥で眠っていた古い本など持ってきて、読んで欲しいとバザウに頼むこともあった。
真実の愛の箱庭では嫌というほど対人スキルを磨かされた。
相手の顔色を読み、自分の醜い本音は覆い隠して、表面上は円滑な関係を維持する。
この技術は特にリコと行動を共にする時に非常に役立った。
そんな感じでバザウは割と頑張った。
東に夜泣きの子供があれば、いって寝るまで抱っこしてやり。
西に疲れた主婦がいれば、いってそのグチを聞き。
南にさみしい老人がおれば、いって二人でゆっくりお茶を飲み。
北に暴れるデンゼンがいたら、すぐにいってシャレにならないからやめろといった。
「またテオシントとの小競り合いか」
村はずれの乾いた岩場。
ガッシリとした石垣が積まれており村を外敵から守っていた。
「違う。殺し合いだ」
黒髪の青年は、悪びれた顔もせずに訂正する。
バザウはため息をついた。
争いの痕跡だけを残して、風の呪術師はすでに姿を消した後。
「ヤツとお前の間に遺恨があるのはしっている。理不尽な扱いに腹を立てる気持ちはわかるが……」
デンゼンに対して、どれだけ自分の言葉が届いているのかは疑問だ。
それでもバザウは口にせずにはいられない。
バザウはデンゼンに、教えたかった。
「あまり無闇に……、その拳を振るうな」
村人たちと接している内に、デンゼンの評判は嫌でもバザウの耳に入ってくる。
一番ひかえめな表現で、冷たい心の乱暴者。
心配性なある村人などは、粗暴なデンゼンが心優しく高貴なバザウさまにいつか無礼な仕打ちをするのではないか、と気が気ではない様子であった。
テオシントに共感している者たちは、デンゼンは呪われた子だと断言した。
その後で、自分がそういったなんてことは絶対デンゼンには伝えないでください、と懇願するのも忘れなかった。
程度の違いこそあれ、デンゼンが村人たちにとって恐怖の対象であることには変わりない。
「……村の者たちの中には、お前のそういった姿を恐れている者もいる。躊躇いもなくその力を振るうお前が……、怖い……と」
「俺が怖い? そういったのは、どこの軟弱者だ? 男か? なら、俺が殴って黙らせてやる。戦士の強さは、尊ばれるもの。力を恐れるのは、臆病者」
力と強さ。デンゼンが人々から避けられている原因でもありながら、それらは同時に戦士として称えられるべき美徳でもあった。
「……」
その価値観を否定するだけの言葉は、バザウの口から出てこなかった。
バザウもまたゴブリン族の男であり一人の戦士だ。
「そうか。デンゼン、強さとは尊ばれるものなんだな?」
「当然だ」
「なら……、そのような尊いものをやみくもに振るうべきではない」
「……」
デンゼンからの返事はなかったが、少なくとも反論はしてこなかった。
バザウは耳をそばだて、鼻を立てて空気の臭いを嗅いだ。
「……近くに人の気配はないようだな」
デンゼンのそばには滅多に人が寄ってこない。
今のバザウにとってある意味安住の地だった。
「はあ……、やっと落ち着ける……!」
バザウは無造作にその場に座りこんだ。
「四六時中、神々しさを演出するのも息が詰まるものだな。ウカツにアクビや伸びの一つもできやしない」
聖なるバザウさまの正体は単なるゴブリンにすぎない。
嫌われ者のデンゼンの前でだけバザウは本来の自分に戻った。
「もっとも、その面倒さも折込で俺が選択した道だがな。どれ、今度はお前を英雄にする道を組み立てようじゃないか」
無意識に口にした言葉だったが、どことなくルネ=シュシュ=シャンテに似た口ぶりになってしまった。
なんとなくバツが悪くなりバザウは軽く自分の唇を噛む。
「デンゼン。お前の得意なことはなんだ?」
「ケンカ」
「……」
即答され、バザウはしばし頭を抱える。
「いや……、俺の質問の仕方が悪かった。デンゼン……、お前が得意なことの中で、村の大勢を喜ばせたり驚かせたりできそうなことはあるか?」
少しの間を置いた後、先ほどよりも小さく平坦な声でデンゼンが答えた。
「……狩り?」
「おお! それはなかなか良いんじゃないのか!?」
ここでの扱いに不満はないが、提供される食事はくる日もくる日も変わりばえのしないイモ料理だった。
村には動物がいることにはいるが、まさか自分の腹を満たすためだけに貴重な家畜を屠れとはいえない。
……バザウが命じれば、多分村人は泣く泣く家畜を殺し、その肉で料理を作るのだろうが。
「もっとも、ただの平凡な狩りではいけない。村の誰しもがお前を認めざるを得ないような……、価値ある獲物を仕留めなくては。そんな獣に心当たりはあるか?」
「ある」
「ほう。どんな獣だ?」
乗り気のバザウは身を乗り出す。
「知恵が必要なら、力を貸してやらないこともないぞ」
「バザウ、賢き者。だが、助けは不要だ」
デンゼンはバザウの申し出を丁重に断った。
「俺一人でやる。狩りでは、多くの血が流れる。バザウに血の汚れがつくと、いけない」
バザウは苦笑を浮かべる。
「そうだったな」
険しい山岳地帯での行動では、時としてバザウはデンゼンにとって足手まといにもなりかねない。
大人しく村で待っていた方がこの若い狩人の邪魔にならずに済むだろう。
「デンゼン」
バザウは手を伸ばす。
短く切られた黒い髪を軽くなで、硬い頬にそっと触れ、太い首筋を降りていき、逞しい肩にポンと手を置いた。
「デンゼン、お前は強い。その力を使って、偉大なことを成し遂げよ。そうすれば、俺はお前を祝福しよう。正しい道さえ選んでいけば、村の皆もいずれはお前こそが真の英雄だと褒め称えるようになる」
青年は素直にコクリとうなずいた。
バザウはすでに村一番豪華で温かな寝床を手にしていたし、イモ尽くしのメニューとはいえ腹を満たす食事にありついていた。
デンゼンとの約束をうやむやにすることもできたし、問題を抱えたこの村からさっさと立ち去ることもできた。
それを実行しないのは、善意や責任感というよりもデンゼンへの興味からだ。
(デンゼンはほんの少しだけ……、昔の俺に似ている気がする)
忘れられないあの日。未熟なバザウは冒険者ギルドによって大切な大切なものを打ち壊された。
バザウの心に芽生えた怒りと殺戮の衝動。目に焼きついた灰色の景色と赤いシミ。
村の誰もが口をそろえてデンゼンが恐ろしいといった。
粗暴で、短絡的で、人間的な感情に乏しい青年。嫌われ者で乱暴者。
(だが……。村人がありがたく祀っているこの俺の中にも……、デンゼンと同質の心が確かに存在している)
バザウにとって、デンゼンはあの日の自分の象徴であり、己の内に潜む凶暴性の投影先であった。
だからこそ、教えたいとバザウは思う。
会話の楽しさ。花の香り。雲を産み出す森の神秘を。
デンゼンに。




