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ゴブリンと一欠片の堆積岩

 豪雨の中をバザウは進んでいた。雨宿りをする場所などはない。

 ここは霧深い密林。樹木の葉による天然の屋根があったが、それでも驟雨は地上へと降りしきる。

 この地域では突発的に激しい雨が降る。

 豪雨に慣れない間、バザウはそのたびに歩みをとめていたが、もはや雨の中の強行突破も常態と化した。毛皮のマントを頭からひっかぶる。

 どうせこのひどい雨では濡れずに済む場所などないのだ。


「……」


 雨音に気配をまぎらわせて、大きな獣がこちらを見つめている。

 バザウはすぐに危険を察知した。視線をそちらへとむける。

 巨大な捕食者は小さなゴブリンが振り返っただけで、狩りを中断した。


(奇妙な獣だ……。この辺りには、俺の故郷では見たことがない生き物が多い)


 濃緑の草葉に姿を隠しているのは巨大なネコのような獣。

 その体は森狼よりも強大で、ゴブリンを殺すことなど造作もないはずだ。

 ただこの獣はとても用心深いらしく、獲物に先に感づかれただけでもう狩りを諦めてしまう。

 この時の巨大ネコも、まるでバザウを襲う気など最初から少しもなかったかのように大人しく森の奥へと消えていった。


 突然に始まった雨は、やはり唐突に降りやんだ。

 雲が流れて太陽が顔を出す。密林はたちまち湿った熱気に満ちあふれる。


「この気候にはかなわないな」


 バザウの口から思わず不平がこぼれる。

 傘代りに頭からかぶっていた毛皮を勢いよく振って水気を飛ばした。

 それでも衣服には水がしみこみ、ぐっしょりと濡れていた。水を吸った生地が肌にペタリとくっつき不快でならない。


「……また薬が流れてしまったか」


 この森を快適に進むには、虫除けの薬を肌にしっかり塗りこんでおく必要がある。

 特別な毒キノコの汁と森の泥を練り合わせたものだ。これさえ塗っておけば、しつこい血吸いヒルも凶悪な肉喰いバエもしばらくは近寄ってこない。

 だが密林の豪雨はすぐに泥薬を落としてしまう。今日一日だけでバザウはもう七回は塗り直している。


「んもう! 嫌になっちゃうわぁん。お化粧が崩れちゃったぁん」


「お前な……」


 泥薬を入念に肌にすりこんでいるバザウの隣でルネ=シュシュ=シャンテは白粉の粉をパフパフいわせていた。

 わざとらしい香料の匂いと森の湿気が混ざって、むせるような空気を作り出す。


「……わざとか? わざとやっているのか?」


「うふっ! そんな風に怒っちゃイヤーン」


 ルネ=シュシュ=シャンテは幻影のような存在だ。雨に濡れることもなければ、毒虫にわずらわされることもない。


(幻影ならば、森の霧のようにひっそりとしていれば良いものを……)


 目が痛くなるような絢爛豪華な色彩をまとって、この幻影はバザウにあれこれとちょっかいをかけてくるのだ。


「緑肌の旦那さん。ちょいとその耳貸しとくれ。アタシがさえずるこの歌に」


 ふわりと跳躍してルネは樹上に飛び移った。その姿は巨大な鳥そっくりだ。鳥は朗々と歌い出す。


「進めや、進め! いざゆかん! 天空に集いし男たちは、誰しも英雄たらんとした! 吟遊詩人は称えよう! その蛮勇! その悲劇! 天空の山岳に響く叙事詩エピック


「天空の山岳……?」


 バザウは周囲を見わたした。密集した木々のせいで視界が悪い。高い山など、どこにあるというのだろうか。

 そんなバザウの疑問をくみ取って、ルネが遠方を指差した。


「もうちょっと歩けば、たどり着くさ。この密林を通過すると、いずれ山地が見えてくるはずだ」


 宙に浮いた幻影は気軽にいってのける。

 バザウは地道に一歩一歩、自分の足で悪路を踏みしめ進んでいくしかないのだが。


「山か……」


 初めてルネと遭遇し、山へと導かれた記憶がバザウの頭によみがえる。


「今回の山にも特別な存在がいるのか?」


「ふんふんふーん。プッピドゥ~」


 ルネの返事は不作法な口笛だ。

 その唇はやたらとテカテカ光るオレンジ色で塗られていた。


「質問をはぐらかすということは、なんらかの厄介事がひかえていると解釈させてもらうぞ」


「ま、特別じゃない山の方がめずらしいさ。どういうわけかはしらないけれど、神ってのは山へと惹きつけられるものらしい」


 自分も名だたる神々の一柱でありながら、どこか他人事のようにルネが語った。


「……あんな高みに登る必要なんてないんだ。ただ毎日楽しく過ごせれば、それで充分じゃあないか」


「ルネ?」


 いつもは軽薄なルネには似つかわしくない沈んだ声音に、思わずバザウはその名を呼んだ。

 混沌の神は即座に反応した。振り返った時、ルネの髪が鳥の翼のようにひるがえった。

 それから、いつもどおりの軽々しさで。


「そうそう! 高所では空気は薄くなる。過酷な環境となるだろうが、バザウ、お前なら大自然の試練を乗りこえられるだろう。ゴブリンの環境適応能力と生命力はゴキブリ並みだって、アタシは信じているからね!」


 一瞬の違和感はすぐに消え失せて、いつもの憎たらしい鳥に戻っていた。


「このまま道なき道を進んでいけば、黄金の山脈にぶつかる。ああ、いと麗しき山よ~。その高き頂には独自の文明を持つ人間たちが暮らし、山麓には屈強なドワーフの集落が……」


「ドワーフだと!?」


 唐突にバザウが声を張り上げる。


「そうか……。ドワーフがいるのか!!」


 愛用の短刀を引き抜き一閃させた。

 バザウの手の中で二振りの刃が獣のような殺気を放っている。

 バザウ自身も赤眼をギラギラさせ、ゴブリンらしい好戦的な表情を浮かべている。


「あのぅ、バザウさん? ずいぶんと殺る気満々のご様子ですが?」


「当然だ! ゴブリンとドワーフが出くわせば、次に何が起きるかは火を見るよりも明らかだろう……。熾烈な戦いの開幕だ」


 ドワーフは閉鎖的な性格の一族だ。地下生活を好む小型の知的二足歩行種。頑健な肉体を持ち、その手先は器用で優れた技術を発揮する。

 彼らの多くがエルフを嫌っている。人間のことはあまり信用していない。そしてゴブリンやコボルトは見つけ次第、問答無用で殺しにかかってくるのがドワーフの流儀だ。


「それがヤツらにとっての名誉であり、勲章だという。……クソ忌々しいヒゲ樽共め」


 ゴブリン族の子供が聞く昔話には、粗暴で傲慢なドワーフが悪役としてよく登場する。

 ゴブリン達が語り継いできた物語の中では、特になんの力も才もなく、自ら工夫や努力もせず、性根が善良でもないゴブリンが、超低確率のありえない幸運に恵まれて、いけ好かない悪役ドワーフや偉そうにしているだけのエルフや、てんで脆弱なフェアリーなんかをけちょんけちょんのぎったんぎったんにぶちのめして、めでたしめでたしで終わるのだ。

 バザウもドワーフの身体能力や技術力の高さは評価している。だが客観的な能力の評価と、主観的な好悪の印象となれば、話は別だ。


「ヤツらは地下の正当な支配者は、自分達の一族だと思っているらしい……。ハッ、まったく傲慢なことだ!」


 バザウの怒りにルネはあくびで返答した。


「どうでも良い。アタシから見れば、目クソ鼻クソの争いだ。どちらもはるか古に血肉を得た妖精族の末裔だろう。ヒゲのモグラ親父とハゲのチビ地虫のケンカなんて、アタシのしったことじゃあないね。ああ、つまらない。ケンカの野次馬をする気にもならないよ」


「……ッ!」


 バザウは反射的に自分の頭に手を当てた。


「……違う。……ゴ、ゴブリンの男には、頭髪が生えない体質の者が多いというだけだ。そしてたまたま俺はその多数側に当てはまったというだけのことにすぎない……」


「あらん? やっだー、ごめんなさぁい? コンプレックスだったのねー。変に人間文化の影響を受けたせいかしらー?」


「フンッ! 真の戦士たる者には、毛髪などという軟弱な飾りなどは必要ないのだ……。それに引き換え、ドワーフときたら呆れたものだ。あのバカげた長いヒゲを刈り取ってやる! 残虐なドワーフのヤツらが、屠ったゴブリンの耳を切り取って集めるようにな!」


 派手な色が塗られた手の爪をいじりながら面倒臭そうにルネが尋ねた。


「それじゃ、バザウ。お前に道を選ばせてやろう。これから実際に進む道のことだ。ドワーフの住む大空洞を突っ切る地獄いきコースと、奴らの本拠地を迂回して山頂を目指すルネちゃんのオススメ秘密の抜け道ルート。さあ、どっち?」


「……」


「むこうは大勢で、お前はたったの一人きり。あ、ちなみにアタシは傍観者」


「ふっ……。何もむざむざ暑苦しいビヤ樽の群れに、単身で乗りこむ愚行をおかすこともない」


 バザウはやたらと格好つけた動作で抜いたナイフを収めた。

 ネコの照れ隠しのように。




「それにしても……、こんなにひどい雨が降るなんて……。心配だな」


「何が?」


「どう考えても異常な天気だ。箱庭の花々はこの豪雨のせいで色あせていることだろう。コンスタントのいる村では、畑がどうなっているかも気がかりだ。ピーチ・メルバの洞窟はちゃんと排水対策がしてあるのか。故郷の森近くの川だって、氾濫していてもおかしくはない。これだけの雨が降っているのだから……」

 


 そう心配するバザウを見てルネは笑いを押し殺した。



「ククッ! お前、意外なところで無知なんだねえ」


「?」


 バザウは、雨というものは世界中同時に天から降りそそいでいると思っているのだ。




 そうこうしている間に空が急に暗くなる。

 たちまち、どしゃ降りの雨が叩きつけるように落ちてきた。

 バザウが苦労して塗り直した泥薬が雨に打たれて流れていく。


「……最悪だ」


 そう悪態をついたのはこれで何度めだろう。

 バザウは鬱蒼とした森を進んでいく。




 数日ほど歩き続けると湿潤な森はとぎれがちになり、荒涼とした岩場が広がるようになった。


(ルネのいったとおりか……)


 見とおしが良くなった眼前には、バザウが今まで見たことのないほど高い山がそびえていた。

 以前シア=ランソード=ジーノームと会うために登った山よりも、はるかに高い。山の頂は雲を貫いている。


(これを登れというのか……。ずいぶんと険しい道のりになりそうだ)


 頭上を悠々と飛んでいく鳥たちに、バザウは羨望と苦笑の眼差しをむける。




 明け方。薄明の中バザウは動き出す。

 バザウは岩場の石を慎重にどかして、底にたまった水滴をぬぐい獣のように舐めとった。


(少し土臭い……。だが、ノドの乾きに苦しむよりはずっとマシだ)


 太陽が昇れば貴重な夜露はすぐに蒸発してしまう。

 もっとも朝日が出れば、それはそれでまた別の糧が手に入る。

 体温を上昇させるために岩場に爬虫類が顔を出しはじめた。

 まだ体が温まらず動きがおぼつかないトカゲをバザウはやすやす捕まえる。


 生のまま、皮を裂き、その肉をむさぼる。咀嚼して、嚥下して。トカゲの肉はバザウの腹へと落ちていった。

 口もとの血をこすりながら、バザウはふと眼下に広がる光景を見た。


(すごい眺望だな。はるか遠くまで見わたせる……)


 高いところでは見晴らしが良い。そのことは木登りをした経験からしっていた。

 だが、これほどまで広大な景色を見下ろすのは初めてだ。

 バザウは岩の上に腰をおろし、その風景を眺めた。

 遠方に広がる色濃い緑はバザウが歩いてきた森だろう。


(……?)


 白い霧のようなものが、森の一部分にだけかかっている。

 もっとよく見ようとバザウが目をこらしている内に、白い蒸気は水となって大地に降りそそいだ。


「……」


 はるか高みで、バザウは地上に雨が降る瞬間をその目で見た。


挿絵(By みてみん)


 バザウはその場にとどまり、飽きもせずに地上の様子を観察した。

 雲は散っていき、また別の場所で新しく雲が産まれ、大地をうるおす。

 森に降る豪雨の仕組みの種明かし。


(ああ。雨は……、世界中で同時に降るわけではないのか……)


 バザウは身じろぎもせずに、流れる雲を見た。吹きつける風を感じた。自分の鼓動に耳を傾けた。

 ゴブリンの小さな頭には収まりきらぬほどの思考が渦を巻く。それをバザウはどうにか捕まえて、頭の中へと取り入れる。


 やがて太陽が地のかなたに沈んでいった。

 西の方から順番に闇に包まれていくのが、バザウのいる場所からはハッキリとわかる。


(夜は……、世界中で同時に訪れるわけではないのか……)


 空に星がきらめきはじめてもバザウは岩棚から動かなかった。

 一晩中眠らずに空を見ている間、様々な考えや知識が浮かんではバザウの中へとすっと溶けこんでいく。


(事象は別々に起きる……。だがそれらは完全に独立してはいない。連動している。どこかで、繋がって……)


 バザウは深く息をついた。

 感嘆の息だった。


(……それが世界なのか……)




 徹夜の後には、また変わらぬ朝が訪れた。


「……」


 バザウはようやく体を動かし、昨日と同じ場所に夜露をすすりにいった。

 石に触れたところでバザウはそれに気づく。昨日もまったく同じ石を目にしたはずなのに。昨日のバザウは、それをまったく気にも留めていなかった。


(なんだ? 石に……、妙な模様が……)


 さらに注意深く眺めれば、それは貝のようでもあることが見て取れた。

 バザウのしっているものの中では、カタツムリの殻が一番近い。


(誰かが石を彫りこんだのか?)


 周囲にはそんな貝が刻まれた岩がゴロゴロしていた。

 特に意味のある所業とも思えないが、生きものは有意義なことばかりするとは限らないのだ。


「……」


 バザウは片手で持てる大きさの石を一つ持ってみた。

 指先で石の表面に浮き出た巻貝をなでる。

 非常に興味をひかれたが、これがいったいなんなのかを判別するだけの情報は見つからない。

 すでに丸一日、バザウはこの場で足をとめている。

 これ以上旅をぐずぐず遅らせれば、ルネ=シュシュ=シャンテにせかされるかもしれない。


(いくか。あの小うるさい鳥がやってこない内に……)


 ふいに、けたたましい猛禽の鳴き声が岩山に響く。


「!」

 

 バザウの手から貝の石がすべり落ち、固い地面へとぶつかった。

 大きな翼を持つ鳥が遠くの岩場から飛び立っていく。

 黒っぽい茶色をした鳥だ。シルエットは勇壮だが、どちらかといえば地味な色をしている。

 その鉤爪には小さな動物がだらりとぶら下げられていた。


(ルネ……ではないな。ただの鳥だろう。アイツなら、もっと派手な鳥を化身に選ぶはずだから)


 平静さを取り戻したバザウは、落ちて砕けてしまった石を何気なく拾い上げた。


「……」


 割れた石の中にも貝の形があった。

 たった今、砕けたばかりの面だ。


(これは……、誰かが石を彫ったものではない)


 ドワーフの技巧をもってしても、完全にふさがれていた石の内部に彫刻をするなど不可能だ。


(ならばこれは、石に閉じこめられた貝の名残か)


 そう考えるのが道理だろう。

 なぜ貝の殻が、これほど乾いた高い山の石の中から出てきたかまではわからないが。


(……今まで疑問に思ったことはなかったが……。そもそも石や山というものは……、どうやってこの世に出現したのだろう?)


 その瞬間バザウの脳がざわついた。

 それはコンスタントから文字を教わった時の感覚をもっともっと強烈に複雑にしたものだ。

 ただのグニャグニャした図だったものに、音と意味を見出した時のように。


(ああ……。俺はこれほど途方もなく巨大な世界の一部として、ここにいるんだな……)

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