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ゴブリンとカエル王子の呪い

 ネグリタ=アモルの精神領域で展開されたのは見るも無残な愛憎劇。


「……夫は粗暴なところがあるけれど、怒った後に優しい言葉をかけてくれる時もあります。私が優しく愛情を示せば、きっとわかってくれるはずなんです」


 肥え太ったカエルにひたすら奉仕を続ける一人の女。


「私の献身的な愛が、本当の彼を目覚めさせるんです」


 醜いカエルを王子さまに変えるべく、お姫さまはキスを続ける。


「うふふ。ほら、見てくださいな。元気な女の子ですよ! これからは二人で力を合わせて、幸せな家庭を作って、……え? なんで男の子を産まなかったのか? ……ごめんなさい……」


 カエルへの口づけは長年にわたった。


「こんなにも忍耐強く待てるのは、私の愛情がそれだけ深いから……。そうに決まっています……」


 それでも一向にカエルが王子さまに変わる兆しはない。


「え? 私が不幸? うふふ……。何をいっているの?」


 気がつけばお姫さまのドレスはヨレヨレの割烹着になっていた。頻繁に胸倉をつかまれるせいで、襟の周りはほつれている。




 ネグリタが人生の伴侶として選んだ相手は、卑俗な男だった。

 口だけは大きく、態度も威圧的でありながら、実績は何もない。

 家の中で自分より弱い者には横柄に接し、家の外で強い者の前に出ると卑屈な笑いを浮かべてやりすごす。

 そんな情けない男だったが、家庭内ではゆるぎない王者の座へと着いていた。

 古びたボロ屋敷が彼の城だ。暴君が支配する悪夢の城。


 二人の間に産まれた娘は、早々に城から逃げ出した。

 自慢の黒髪にとうとう白髪が混じりはじめたお姫さま。

 まだ飽きもせず暴君のヒキガエルに奉仕を続けていた。


「こんなウスノロを女房にしてやるなんて男はそうそういないぞ? お前は俺と所帯を持てて幸せだったな」


 それが夫の口癖だった。


 真夏の、うだるように暑い夕暮れのこと。

 いつものようにカエルはゲコゲコ叫んでいる。

 お風呂に入ろうと思ったがどうやら温度がお気に召さないご様子だ。

 醜悪な半裸をさらしながら怒鳴りつける。


「おいっ、どうなっているんだ!?」


「ごめんなさい、ごめんなさい」


 理由がわからなくても怒鳴られれば謝る。

 そういうクセがしみついていた。


「こんな暑い日に、この俺に熱湯に入れというのか!?」


「大変申し訳ありません。あの、……今、水で薄めますから」


「このバカ女っ!!」


 カエルはノドをふくらませる。

 口からアブクがパチンとはぜる。


「俺はそういうことをいってるんじゃあないよ! お前、頭が悪いんじゃないのか?」


「……え? え?」


「ったく、ふてぶてしい女だよな。自分の失敗をごまかそうとして。お前は昔からそうだよ。そういう厚かましい性格をしている。俺がいくら注意してやっても直さないんだからよお」

 

 まったくもって不毛なやり取り。

 何一つとして役立つことはない会話。

 日常の中のちょっとした不満を相手の人格の問題に結びつけてねちねちとなじる。


「あ、あのう……。私は、どうすれば……」


 おずおずとした声のせいだったのか。

 おびえた表情のせいだったのか。

 何がカエル男をあそこまで怒らせたのか、きっと誰にもわからない。


 理不尽な暴力は唐突に爆発した。


「だッ、からっ、そういうことをいってるんじゃないって、いってるんあえぇっ!!」


 文字では表現できない奇声と怒号。

 黒く長い髪が乱暴につかまれる。

 細く弱々しい体が、風呂場のタイルの上に投げ飛ばされた。

 大きな手で、つかまれた頭。

 湯のはられた浴槽へと、強い力で押しつけられる。


「なあ? まず俺の不満を受けとめるのが一番の優先事項だろ? どうすれば良いかなんてなぁ、頭の弱いお前がいちいち考えることじゃないんだよ!」


 頭がポチャンと湯につかる。

 アブクがたくさん、苦しそう。


 カエルを王子さまだと信じ切ったお姫さま。

 最期の最期まで、醜いカエルを王子さまに変えられるのだと、自分の愛を信じていた。

 息絶えるまで。




(悲惨なものだな)


 根源世界を介してバザウの頭の中にネグリタ=アモルの人生が叩きこまれた。

 その陰鬱さにうんざりする。


「素晴らしいでしょう? 素晴らしいでしょう! 私は死ぬまで健気な妻でした」


 童女の姿でネグリタが跳びはねる。


「その後チリル=チル=テッチェさまが現れました。私の清らかな魂を認めてくださったのです。チリルさまは、私の人生はとても立派だったといってくれました!」


(特に痛ましいのは、本人がそんな人生を幸福だと思っていることだ)


 ふと、バザウは自分の意見に違和感をいだいた。


(痛ましい? 俺は痛ましいと思ったのか? おかしいな……)


 バザウは価値観はそれぞれ異なる、ということを心得ている。

 いくらバザウの目から不幸に見えたとしても、本人が喜んでいればそれで良いはずなのだ。

 幸せだと公言にする者に、バザウが憐憫を寄せることは本来ない。


(それなのに……。どうしてネグリタ=アモルを見ていると、胸が痛むのだろう?)


 バザウは首を傾げる。

 何かがおかしい。


「愛のために捧げられた私の人生は、とても崇高なものなのです。そうに決まっています。世界中をこの愛で、染め上げてしまいたいほど」


 彼女はあんなにも、自分の愛を肯定しているというのに。


「すべての人が、私の愛を称える世界を……。この手で作り上げるのです」




「目を覚まして。愛しい人」


 ネグリタの陶酔に口をはさんだのは、他でもない彼女の代行者だ。


「あなたがいくら愛のこもったキスをしても。それを何年続けても。醜いカエルは王子に変わらない」


 落ち着いた声と真摯な言葉。


「……嫌な子。あなたもあの子と同じことをいうんですね」


「わかってもらえるまで、何度でも繰り返すよ」


 人形のような一途さで銀眼は目をそらさない。


「許せない……。あなたもしょせん、あの子と同じ。裏切り者……」


(あの子と同じ?)


 二人の動向をうかがっていたバザウは、ネグリタ=アモルから憎悪が噴き出すのを察知した。

 黒髪が敷き詰められた床がぐわんとうごめく。


「っ!」


 バザウは跳躍し、比較的動きの少ない場所へと退避した。


(まったく、気味の悪い場所だ……)


 という感想だけで済んだバザウはまだ幸いだったらしい。


 ビアンキは自在に動く黒髪の標的にされていた。

 踊るような身のこなしで次々に襲いくる髪と戯れている。ビアンキから反撃する気はなさそうだ。


(じきに疲弊して、黒髪の餌食になるだろう……)


 バザウの予想どおり、ビアンキの左手が黒い呪縛にとらわれた。


(……加勢すべきか?)


 バザウは短剣へと手を伸ばしかけ、とめた。

 ビアンキが笑っているのだ。

 ネグリタ=アモルから猛攻を受けながら。


「嬉しいよ。これが、あなたの感情なのだね」


 左腕に巻きついた黒髪に、ビアンキは愛おしそうに頬を近づける。

 よほど強い力でしめあげられているのだろう。

 ビアンキの左手の指先は血の気を失い、かすかに痙攣している。


「でも、まだ足りないんだ……。もっと……、もっと、あなたの心に触れてみたい」


 いつも人形を抱いていたビアンキの左手がネグリタへと伸ばされる。


「ふふっ。ねえ、腕になんて巻きついてどうするの? その黒髪で、私の首を絞め殺してはくれないのかい?」


 ネグリタ=アモルは、ビアンキの挑発には乗らなかった。

 するりと縛めを解いてしまう。


「……殺してなんて、あげません」


「そう。それは残念。私の前にあなたが初めて姿を現して以来、私の心はあなたと共にあるのだけれど」


 ビアンキは自分の腕に残ったアザに軽く口づけた。




(なるほど……)


 ネグリタは、ビアンキを殺せないのだ。

 死をへた愛こそが真理と説くネグリタ=アモル。

 ビアンキが愛のために死ねば、それは永遠の愛となる。永遠の愛になってしまう。

 ネグリタはそれを受け入れられない。


(皮肉なものだ。数多の恋人たちの死を糧にしておきながら、自分へむけられた愛は、受け取ることができないのだから)


 もっとも、あれだけ純粋かつ強烈な愛情をむけられるのは恐怖でもあるだろう。

 同性からともなれば拒否感もなおさら強まる。ネグリタは生前に異性と婚姻しており、同性に対して恋愛感情を持つという文化に属していなかった。


「これはこれは。意外なところにジョーカーカードが潜んでいたもんだ」


 事態を傍観していたルネ=シュシュ=シャンテは、ククッとノドを鳴らした。

 ルネにとっては愛憎渦巻く人間模様も、カードゲームと変わらないらしい。


(……ネグリタ=アモルの語る真理は、もともと欠陥だらけだ)


 独りよがりの極端な価値観でしかない。

 とうてい真理とはいい難い。


(問題は……)


 なぜ、そんな歪んだ真理をあそこまで盲信できるのか。

 彼女の真理を否定するにはまずそれを探らなくてはならない。


(……最初から否定するために、相手を理解しようとするのか)


 バザウは自嘲した。

 自分の行動も、矛盾と皮肉で満ちている。




「愛のために命を落とすことが、最も尊い人生なのです」


 ネグリタ=アモルの狂った演説は続く。


「悲劇的かもしれません。ですが、それゆえ崇高で美しいのではありませんか」


 彼女が永遠の愛の真理を語るたびに、床を覆い尽くした黒髪の間から、紫色の花が一つまた一つと咲いていく。


「生ある者は死からは逃れられない。一度きりで不可避の運命である死。それを愛のために捧げることで、人は永遠を手にすることができるのです。存在がより高位なものへと昇華するのです」


 その狂った理論に賛同するように、紫色の花が風もないのに一斉にざわめいた。


「そう! 私こそが永遠の愛を捧げる者、ネグリタ=アモル」


 それをただ黙って聞くバザウ。

 一見ネグリタがその場の支配権を握っているかのように見える。

 だがそれは違う。


「……」


挿絵(By みてみん)


 バザウは相手の言葉から、その裏に隠された心理を注意深く探り続けていた。

 ネグリタに一切反論しないのは、圧倒されたわけでも、納得しているわけでもない。

 その心に斬りこむための、ほころびを見つけようとしているのだ。


「私はこんなにも深い愛情を持ちながら死にました。これはとても名誉で、素晴らしいことじゃありませんか? でも……残念ながら、それを理解してくれない人もいるんです……。信じられません。何を考えているんでしょうね?」


 流暢に洗脳の言葉を並べていたネグリタが、突然そこで口ごもった。


「……私の……娘もそうでした。あの子には失望しましたよ。裏切り者……、許せません」


(ああ、そういえば……。女の赤ん坊を産んでいたな)


 バザウは頭の中で情報を整理する。

 ネグリタにとって、ビアンキと実の娘は許しがたい裏切り者であるらしい。


「あの子は……、私のことを……。可哀想な人って……いったんですよ!! 母親である私にむかって! 娘は私のこれまでの人生が、意味のないものだともいいました!! どうしてですかっ? 私は女として、これ以上ないほど立派に役目を果たしたはずですよね!? 称賛されるべき対象ですよね!?」


 童女の姿には不釣り合いな、悲痛な言葉を吐く。


「あら……、うふふっ。嫌ですね。つい大きな声を出しちゃいました。根源世界ではどうも精神が昂りがちです。でも、間違っているのはあの子の方……。だって私にはこんなにも味方がたくさんいるんですもの!」


 紫色の花がゆれ動く。

 愛を貫き死んでいった恋人達が、彼女の心を支えている。


「もちろん、あなたも……。私が歩んだ人生の正しさを認めてくれますよね?」


 ネグリタの瞳がバザウへとむけられる。


「ゴブリンに正しさなど問うものではない。それでも俺の見解を求めるなら……答えよう。俺にとっては、そんな生き方は耐えがたい。最悪だ」


 媚びるように同意を求める童女の視線をバザウは一蹴した。


「……これ以上、茶番につき合わされるのはごめんだ」


 ルネ=シュシュ=シャンテからも、望んでもいない芝居の脚本を押しつけられているのに。

 その上ネグリタが作り出した虚構まで相手をしてはいられない。

 彼女が続けている悲しいママゴトに、そろそろ終わりをもたらす時がきた。


「ひどい……。どうしてそんなことをいうんですか?」


「お前も本当は気づいているはずだろう。お前の語る真理は、絵空事でしかないことに」


 肥え太ったカエル男がゲゴッと鳴いた。

 ネグリタが語れば語るほどに、永遠の愛のメッキはボロボロとはがれていった。


「……え? 困ります。いいがかりはやめてください。だって、ほら。よく見てください」


 黒髪を苗床に根を張った紫色の花々。

 ネグリタ=アモルは両手を広げる。


「これだけ多くの魂が、永遠の愛へと昇華されたのですよ? これだけ多くの魂が、私の価値観に共鳴したということなんですよ?」


(……まだ幻想にしがみつくのか。自分から目を覚ます気はないようだな)


 彼女が長年にわたって作り上げた都合の良い楽園。

 ただし根本に重大な欠陥をかかえている。

 バザウはそれを崩壊させる。


「それほど自分の人生の結末に自信があるなら、なぜ幼い子供の姿をしている? 大人の姿でいれば良いだろう」


 ネグリタ=アモルは童女の姿でいることが多い。

 まだ男女の恋とは無縁な、とても幼い姿で。


「何より……。他者の承認で常に塗り固めていなければ、維持できないようなものが……、真理になどなり得ない」




 そうなのだ。

 本心から自分で自分を信じている者は、そうなのだ。

 他者の賛同というお墨つきをもらわなくとも、確固たる世界を構築できる。


 ネグリタ=アモルには、偽りの真理が必要だった。

 自分の人生に価値を与えるために他者からの称賛が必要だった。

 ビアンキや実の娘を敵視したのは、これまで作り上げてきた価値観をゆるがされるから。


 配偶者を献身的に愛し続け、良き妻であり続けること。

 暴力を振るわれても。

 命を落としても。


(そうでなければ……)


「私の……、私の一生は……」


 ネグリタの幼い体がガクリと揺れた。 


「いったい……なんだったというんですか……っ?」


 彼女の慟哭に呼応するかのように、紫色の花は花弁を舞い散らす。

 天井はボロボロと崩れ落ちる。瓦礫は絆創膏、消毒液をふくんだ脱脂綿、包帯に変化してゆっくりと落ちてきた。

 四方の壁はハリボテが倒れる時のようにあっけなく、パタンと外側に開いて消える。

 偽りで固めておかなければすぐにも崩れ落ちてしまうような、もろいもろい価値観。


「悲劇に見舞われた弱者、という刃を振り回すのはやめろ」


 泣き崩れるネグリタにバザウは冷徹な言葉をかける。


「永遠の愛の創世樹か……。お前の悲しみで、世界中を埋め尽くす気か?」


 ネグリタは深い悲しみを背負っていた。

 だからといって、何をしても許容されるわけではない。


「お前の心情はわかる。だが……」


「さっすがはバザウだー! よーくやったぞー!」


 深刻な空気を無視してぴょっいーんと飛びついてきたのは、ルネ=シュシュ=シャンテだ。


「おい、ルネ!」


「おおー、すごいすごい! 創世樹がみるみると枯れていくー!」


 ルネはひょいっとバザウから離れた。

 鋭い蹴爪で枯れていく花々を次々に蹴り散らかして遊んでいる。


「お願いです! やめてください! ……もう私の創世樹は、どの道ダメですから……。そんなことをしなくても、いずれは萎れて消え去ります……」


 ネグリタの懇願が聞き入られることはない。


「イェイ! ミッションコンプリート! こーしてルネちゃんは、悪のチリルの野望を一つ打ち砕いてやったのでしたー! 次回に続くっ!」


「……ルネ。少しは黙っていろ」


「何クールぶってるのさ? 無事に目的を達成したんだぞ! お前は嬉しくないのかい? アタシはとっても愉快な気分だよ。後で自分へのご褒美に、限定コフレでも買っちゃおうかな。箱がとびきり可愛いやつ! あ、ネイルサロンにもいきたーい!」


 バザウの制止も混沌の神はおかまいなしだ。

 ネグリタを気遣う様子は微塵もない。


「この仕事をこなしてる間、アタシはエステもバカンスもショッピングも我慢してたんだ。ダメ男に見切りをつけることもしなかったバカ女が、このアタシに余計な手間をかけさせやがって」


 ルネが花を踏みにじるのはネグリタに対する鬱憤晴らし。

 混沌の神は自分の欲望のままに動いている。


「あの人をこれ以上悲しませないでほしいな」


 有無をいわさずに実力行使に出たのはビアンキだ。

 穏やかで落ち着いた口調でありながら、レイピアを抜き放ち、迷うことなくルネへと鋭い一撃を放つ。

 躊躇も容赦もありはしない。


「っ! おっと、危ない」


 素早い刺突だったが、すんでのところでルネは身をかわす。

 バザウはその一連の様子をつぶさに観察していた。


(……一瞬だけ、ルネが余裕を失ったな)


 ルネは体を動かし攻撃を避けたのだ。


(腑に落ちない。なぜ必死に避ける必要がある?)


 以前に何度か、バザウはルネ=シュシュ=シャンテに危害を加えようとしたことがある。

 が、結果は幻影を相手に格闘するようなものだった。

 とらえどころのないルネの体にはどんな攻撃も通用しない。


(はずだった……。が、例外があるのか?)


「格の違いってものを理解してないようだね。王子気取りのイカレ女ごときが、アタシに剣をむけるとはねえ! これは傑作だ!」


 ルネは嫌みたらしい笑みを浮かべて好き勝手にしゃべっている。

 レイピアの攻撃が確実に届かない高みへと避難してから。


(安全な場所まで浮き上がって、一方的に挑発とは……。なんというか……、つくづく卑怯で腹立たしいヤツだな)


「ククッ! よくそこまで忠実でいられるものだよ。代行者として選ばれたものの、その後はほったらかしにされて、見返りはなし! お前は箱庭を作り上げるために、ただ都合良くネグリタ=アモルに利用されただけじゃないか」


 自分の所業は棚に上げそういってのける。


「関係ない」


 レイピアをかまえたビアンキは宙に浮くルネに切っ先をむけた。


(無理だ……。届くわけがない)


「……どうせあなたが何をしたところで、無意味ですよ。その人に、何をいってもムダですし……」


 枯れゆく花園をぼう然と見つめながら、さもどうでも良さそうにネグリタが投げやりな忠告する。


「うん。でもそれも関係ない」


 カチリと金属音を立てて、ビアンキはレイピアを構える。

 高みを飛ぶルネには届くことのない武器を。


「アハハッ! 格好だけは勇ましいねえ。お前はアタシに手出しできないっていうのに」


「それも……、私には」


 ビアンキは銀眼でしっかりとルネを見すえた。


「関係ないんだ」


 バザウの耳は何かの音を聞きつけた。

 軽快でリズミカルな振動。


(これは……)


 まぎれもなく馬の蹄の音だ。

 白馬が駆けつけた。手綱も鞍もつけていない。

 ビアンキが当然のようにまたがると、白馬もまた当然のように天に昇る。

 馬にはいつの間にか翼が生えていた。


「……くっ!?」


 明らかにルネが動揺を見せた。

 当然バザウも驚いた。

 ずっとうつむいていたネグリタでさえ、ハッと顔を上げたほどだ。


「この世の誰がなんといおうと、関係ない。私はあの人を愛している。守りたいと思い、触れ合いたいと願う。ただそれだけのこと」


 ビアンキがしゃべる間も攻撃の手は休めずにルネに狙い続けている。


「人間風情がっ、なかなか……っ! 面白いマネを、してくれるっ、じゃないかっ!」


 ルネは高速で飛翔し攻撃を避けていた。

 あれほど真剣なルネの姿を見るのはバザウはこれが初めてだ。


(たしかここは……、創世樹の根源世界といったか。ネグリタ=アモルの心から産み出された空間だと……)


 バザウは一つの推論を出した。


(……精神領域では、ルネへ直接的な干渉が可能なのか? だから攻撃を避ける必要があるということか?)


 ルネ=シュシュ=シャンテへの直接的な干渉。

 たとえばグーパンチでぶん殴るとか、みぞおちにフックをかますとか、ひたすら両頬をビンタしまくるといった、物理的な干渉が精神世界ではできるのかもしれない。


(だが、ビアンキのあの力はなんだ? ヤツはただの人間のはずだが……)


「相手がなんだろうと、愛しい人を傷つけるのなら、私は戦うまでだよ。負けはしない。私は自分を信じている」


 地面を覆っていた黒髪が少しずつ薄れて消えていく。

 そして舞台は早変わり。

 陰気な家は完全になくなり、気がつけば貴族風の豪華な室内になっていた。


「! 元の場所に戻ってきたのか……?」


 バザウは真実の愛の箱庭へと移動したのかと思った。だがそれはカン違いのようだ。

 ここはまだ精神世界の中だ。だが空間の支配権を握るのはもはやネグリタ=アモルではない。

 壁にずらりと並んだ人形はそろって右手にミニレイピアを持ち、それぞれカエルのオモチャを串刺しにしていた。……まれに焼き鳥やBBQの串を持っている人形も混ざっている。

 人形の合間にはドアとも窓とも額縁ともつかないものがあり、そこからビアンキの過去の記憶が見え隠れしていた。

 シュールな空間であった。


(間違いなく、ビアンキの心を反映した世界だな……)


「だからこういう心の持ち主は大嫌いなんだ!」


 高所からルネの声が降ってきた。

 思いっきり見上げても天上は見えない。円柱の壁面いっぱいに人形が並んだ空間がどこまでも伸びている。


「ルネ……。お前ひょっとして弱いのでは……?」


 一方的に逃げ回る姿からは神の威厳は感じられない。


「アタシが弱……っ!? バカいってんじゃないよ! あの女が異様なのさっ! だいたいお前は、この戦いに参加することもできないくせに! せいぜい安全な外野から、『むっ……!? まさか、あの技は!』とか、『なんてハイレベルな戦闘なんだ……! 俺の目では動きが追えない!』だの、親切丁寧に実況してりゃあ良いんだ!」


(……これだけ追いつめられても、性格は変わらないな……)


「ああ、忌々しい女だねっ! あんまり調子に乗るんじゃないよ!」


 グンと飛行速度を上げて、ルネはビアンキから距離を確保した。

 宙で制止して態勢をを整えている。


(反撃に出るつもりか……)


 ルネ=シュシュ=シャンテは胸の前で両手を握った。

 ゆっくりとした動きは少しも攻撃的な動作には見えない。

 それから静かにその手を開いていく。


 その掌中にあったのは小鳥の死骸。

 ニタリ、と笑う。


「誰が駒鳥殺したの?」


 歌声と同時に鳥の群れが出現する。

 バザウはその数と羽音に圧倒された。

 様々な種類の鳥たちが集まっている。


「私、と雀がいいました」


 小さな茶色の小鳥がルネのそばに近づく。

 鳥の群れはいつの間にかすべてスズメへと変化していた。


「私の弓矢で、私が殺した!」


 それまでビアンキに視線をむけていたルネが、くるりと向きを変える。

 視線の先にいるのはネグリタ=アモルだ。


「えっ?」

 

「アッハハ、ハハハッ! お前の信念をくじくには、これが一番だよねえ?」


 ビアンキとネグリタの間は離れている。

 攻撃に対処し守りきれる距離ではない。


 ……現実世界の物理法則でなら。


「彼女には、傷一つつけさせないよ」


 ネグリタの小さな体をしっかりと抱きかかえ、ビアンキは凛々しくたたずんでいた。

 彼女たちの足元には白い花が気高く咲き誇っている。

 放たれた無数の矢は二人に届く直前に、祝い事用に華やかに着色された米粒に強制的に変化した。

 しかもどこからともなくスポットライトが点灯して二人だけを照らし出している。


「卑劣な手を使った上に、負けるなんて……。お前、やっぱり弱いんじゃ……」


「だっ、断じてちっがーう! アイツが異常なんだ!」


 ルネのいいわけ。


「本来ならば、あの女ごときがアタシにかなうはずがない。でもここは創世樹の根源世界だ。人の心が作り出した精神領域なの! チリル=チル=テッチェが理想とする世界。ここでは意志の強さがそのまま反映される。ファック!」


「ああ……。お前はいかにも意志が薄弱そうだものな」


 ルネはあからさまに不機嫌な顔になる。


「あっちの思いこみが激しすぎるのさ。アタシが心の隙間に入りこもうにも、そんな余地もないぐらい信じ切っちまってる。ああ、やだやだ。ネグリタ=アモルがそんなに大事かねえ? 本当はくたびれたおばちゃんじゃないの」


 ふとルネは唇をゆがめた。

 また小細工でも思い浮かんだのだろう。

 猫なで声でビアンキに語りかける。


「その女に肩入れしたところでどんな意味がある? ソイツは被害者ぶっているが、自分のクソみたいな人生にメッキを塗りたくるためだけに、多くの恋人の魂を犠牲にしてきた。ロクでもない女じゃないか。ソイツはとんでもない悪党さ。これっぽっちも正しくなんてないんだよ!」


「正しい……?」


 無表情をたもっていたビアンキの顔に、ぽつり、と彼女の感情が浮かび出した。


「私は正しいという評価だの、周りの称賛や共感を得るために……」


「あ、ヤバ」


 対峙しているルネは、しまった、という顔で固まっている。


「ネグリタ=アモルを愛しているわけじゃない!!」


 まばゆいばかりの閃光が空間全体にあふれる。




「う……」


 バザウが目を開けた頃には混沌の神の姿は消えていた。

 心の戦いに勝利したのは、純粋と真摯を貫いた狂人王子の方だ。


(……消し飛んだか?)


 じつに悪役にふさわしい末路である。

 

「バザウ、君は……、どうするつもりなんだい?」


 ビアンキの銀眼がバザウをとらえている。


「どうもこうもない。降参するよ。俺は戦力外通知をされた、ただのしがない解説役だ」


 敵意のないことを示す。

 ネグリタ=アモルの創世樹は崩壊しつつある。すでに目的は達成された。

 バザウがビアンキと敵対する理由もなければ利益もない。


「無抵抗の相手を無慈悲に刺し殺すのは、騎士道にもとる。そうだろう? 王子さま」


「ふふっ。君のいうとおりだね」


 ビアンキは軽くうなづきレイピアを収めた。




 ネグリタ=アモルの精神世界は様変わりしていた。

 カエル男が支配する陰鬱な屋敷は跡形もない。

 黒髪の呪縛はなくなり、永遠の愛を象徴していた紫色の花弁は散っていく。

 辺り一面には白い花が咲いている。


「この花は、色によって意味が違うのだったな」


 前にビアンキが話していた。

 白は失恋、そして新しい恋。


「……」


 ネグリタ=アモルは沈黙している。

 うつむいた小さな姿からは、どんな表情をしているのかは推し量れない。


「うん。花言葉には様々な意味があって、時代や地域によって、意味が変わってくることもあるんだ。あまりしられていないけれど、こんなメッセージもあるよ」


 ビアンキはそこで一呼吸おいた。

 一つ一つの音を大切そうにノドから産み出す。


「長く、待ちました」


 シンプルな花言葉に、狂気的なまでに純粋な彼女の思いがこめられていた。

 ものいわぬ人形を抱き続けていた彼女の左手には、今、小さな手が握られている。




「今度こそ、帰還だな」


「そうだね」


 真実の愛の箱庭にバザウとビアンキは立っていた。

 曇天の空はもう雨を降らしきった後のようだ。

 バザウは両足でしっかりと大地を感じる。黒髪屋敷にいた後では、ぬかるみの感触さえも今は嬉しい。


(はあ。マトモな地面がこれほど恋しくなるとは!)


 ここは現実の世界だ。

 誰かの強い思いによって、ぐにゃりと天地が揺らぐことはない。

 誰かの気分に呼応して、お花がポコポコ咲いたり散ったりもしない。

 バザウが生きる過酷で辛辣な世界。

 それでもバザウが愛した世界。


「……中庭の花。全部枯れてしまったな」


「そうだね」


 ネグリタ=アモルの創世樹。恋人たちの魂から作り出した永遠の愛の花。

 永遠であるはずの花は茶色く萎びて枯れていた。


「庭師にいって球根や種を植えておくさ」


 悠然と立つビアンキの傍らで、ネグリタはどこか不安げな様子で立ち尽くしていた。

 彼女はもはや創世樹の宿主ではなくなった。世界を創り変えるほどの力はもう持っていない。

 今のネグリタは前世の記憶を持つ精神体でしかない。平たくいえば有象無象の幽霊だ。


「私の部屋には人形がたくさんあるんだ。どれでも好きなボディに憑依してかまわないよ。数体か、いわくつきの子もいるんだ。みんな良い子だから、きっと仲良くやっていけるんじゃないかな」


 さわやかな笑みと優しい美声で、トチ狂った内容をしゃべるビアンキ。


「ぶっ、不気味なことをいわないでください! 私は別に……、何も。どこかの物影でジッとしてますから……」


 あげくの果てに幽霊からも気味悪がられている始末。


「それじゃあ今度、二人きりでずーっと物影にいよう。あなたが気に入るような、最高の心霊スポットも見つけておくよ」

 

 ビアンキはどこまでも自分のペースだ。


「あ、あのっ! わ……、私の話もちゃんと聞いてください!」


「うん? 何かな?」


 ネグリタは数秒ほど躊躇してから、やがて決心して口を開いた。


「じょ、女性の方から、そういう風に思われるのは……。私には、ちょっと……受けとめられません」


 視線を泳がせていた黒い瞳が、一瞬だけビアンキの顔を見上げる。


「その、今は……、まだ……」


 ビアンキは優しく微笑んだ。


「愛しい人。あなたがそうやって、自分の考えを素直に話してくれて、私は本当に嬉しいんだ」


(ん……?)


 二人から距離をおいて、雨上がりの地面に出てきたミミズの観察に没頭していたバザウが耳だけを動かした。

 ビアンキと初めて対面した日にバザウは同じような発言を聞いていた。


(そうか。あれは人形への言葉ではなくて……。ネグリタへの言葉だったのか)


 どこまでも一貫した愛情だ。


(……時々、寒気がするほどにな)


「ふふっ。これからは毎日が楽しくなりそうだよ」


 曇天の空の間から陽光が差しこんだ。




 歩き慣れた廊下をぺたぺたと素足で歩く。

 足裏の泥はぬぐったつもりだが、それでも廊下にはバザウの足跡がついてしまった。


(掃除係の人間には気の毒だが……)


 自分の歩いた軌跡が残るのはどこか楽しいものだ。


「……ご機嫌そうじゃないか。バザウ」


「ん? なんだ……、無事だったのか……」


「そこであからさまに残念そうな顔をするんじゃないよ……」


 物影からフラフラと出てきた人影は、ルネ=シュシュ=シャンテだった。

 気力を使い果たした様子で反論の声にも威勢がない。

 その姿はまるで幽霊のようでもある。


「消し飛ばされたかと思っていたが……」


「アタシがそんなヘマするかい。あの忌々しい精神領域から撤退しただけさ」


 目的を達成した時点でそうしていれば、不用意にビアンキの怒りを買うこともなかったであろうに……。


「つまり、尻尾をまいて逃げたと」


 ルネ=シュシュ=シャンテは不機嫌そうに蹴爪をカチカチ鳴らした。


「ハンッ! 好きにいってりゃあ良いさ! あんまりアタシを見くびってると、いつか痛い目を見るだろうよ」


「ああ。心得ておく」


 ルネを追いつめたのはバザウの功績ではない。


(だが今回の攻防は……、かなり参考になった)


 条件をそろえれば、神であるルネに対抗する手段があるということが証明された。


「うーん? 何を企んでるんだい? バザウ」


「いいや。別に」


 疑い。

 ごまかし。

 互いに腹の探り合い。


「……しかし未だに信じられん。どこまでもイカれたヤツだったな。ビアンキは」


「ああ。アタシも同感だよ」


 不仲な二人だがこの意見だけは一致した。

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