ゴブリンと黒髪屋敷
「やあやあ、バザウ。思春期の少女のお相手、ご苦労さま」
「……ルネ=シュシュ=シャンテ」
部屋を出てすぐにルネにつかまる。
奴は廊下の天井を逆さまになって歩いていた。とびきりカラフルなコウモリだ。
「それにしても、ネグリタ=アモルの所業には怒りを覚えるよね。そうとも怒って当然さ! あんなに純粋な娘の心をたぶらかして。許すわけにはいかないよね?」
「俺の感情をお前が決めるな」
ネグリタは見過ごせない相手だが、ルネに炊きつけられて行動するのは嫌だった。
気持ちを決めつけられるのは、もっと不快だ。
もっともバザウの感情は現状に影響を及ぼさない。
どんなに怒りを抱いても。
自分の運命を嘆いてみても。
「打倒ネグリタ! バザウよ、共に悪の手先を討とうではないか!」
ルネ=シュシュ=シャンテはジョンブリアンの窮地を演出する。
バザウはジョンブリアンを助けるためネグリタ=アモルと対立する。
そういう道筋を作り出す。
(俺がネグリタ=アモルと対面しその真理を否定する。そうして創世樹計画が一つ失敗。……というのが、ルネの腹積もりか)
巧みに心を操り思惑どおりの道を歩ませる。
それがルネ=シュシュ=シャンテの常套手段だ。
(まったく、本当に良き協力者さまだよ)
バザウは極彩色の鳥を睨みつけた。
手口を見破ったところで、この鳥の誘う道から外れる手段はない。
バザウはわざとらしくため息をついた後で、ルネが望んでいるセリフを口にする。
「……ああ。ネグリタ=アモルと対決しなくてはな」
「良くぞいった」
逆さまになったままでルネはニヤリと笑う。
「ルネさま?」
シトシトと雨の降る中、湿っぽい哀愁を帯びた声が聞こえてきた。
「あのう……。これはいったい、どういうことですか?」
廊下にたたずむ童女は、困惑した様子でバザウとルネの姿を見ている。
「ルネさま。説明……、してください」
「説明? 良いとも! はいはい、喜んで!」
ネグリタの真剣さをコケにするような明るさでルネが応じた。
「アタシはお前の真理なんて、これっぽちも共感してないっぴょーん!! てこと」
天井からひょいっと飛びおりて床の上に爪先立った。
「初めっか騙すつもりで近づいたのさ。アタシを信じるなんて救いがたいお人よしだねえ」
(……まったくだ)
ルネはバレエのピルエットで旋回してみせた。
ピタリと止まれば芝居めいた口上。
「アタシは混沌のルネ=シュシュ=シャンテ。お前が信じている秩序を踏みつけ、せせら笑い、否定するためにやってきた」
ネグリタは小さな手で口を覆った。まんまと騙されていたらしい。
「そんな……。全部……、ウソだったのですか? チリルさまと和解したいというお話も、私の説く愛の形に理解を示してくださったのも……」
「ピンポン、ピンポーン! そのとおり! ウッソでっすよー!!」
動揺するネグリタと、少しも悪びれずに裏切りを肯定するルネ。
どう見ても悪役はルネの方だ。ネグリタはその可哀想な被害者。
「ひどい。あんまりです……」
「アッハハ、ハハハッ!! あんな作り話をまんまと信じちゃって、本当におバカさーん!!」
悲嘆に暮れるネグリタにルネはハイテンションで追い打ちをかけている。
(……運命は残酷で理不尽だ。どうして俺は、コイツと手を組まざるを得ないのか……)
バザウはつくづく嫌になる。
「……許せません」
ルネに嫌気がさしたのはバザウだけではないようだ。
ネグリタ=アモルは黒い瞳をさらににごらせた。
「私の真理が、世界を作る……。創世樹!」
ネグリタが叫ぶのと呼応して中庭で紫色の花弁が舞い上がった。
「っ!」
目眩がバザウを襲う。
重力が反転したような錯覚におちいる。
「う……」
気づけば、バザウは奇妙な場所にいた。
真実の愛の箱庭ではない。見なれない別の場所だ。
少し離れたところにルネが突っ立っていた。
「うっふーん、いらっしゃあい。あらん? お兄さん、こういうところに、く・る・の・は・初めてぇん? それじゃあルネちゃんが手取り足取り教えてあげるぅん」
クネクネしながらルネが接近してくる。バザウは無言でそれを避ける。
「ノリが悪いんだから」
「必要な情報だけを話せ」
バザウは周囲の様子を探った。白紙の画用紙のように曖昧で空虚な世界に、ポツリと陰気な小屋だけが建っている。
足元に目をやればその空虚さに驚愕する。まっとうな大地が恋しい。
(何もなさすぎる……。ここは異様な世界だ)
バザウの警戒心を読み取ってルネが解説を引き受ける。
「ここは創世樹の根の下に広がる精神領域さ。当然、宿主の心を反映している」
未知の空間の案内自体はありがたいのだが得意げな顔がなんとも癇に障る。
「アタシとチリルは根源世界と呼んでいた」
ルネは少しだけマジメな顔つきになって暗い小屋を見た。
(創世樹の根源世界……)
唯一存在する建物は、小さくて、古びていて、みすぼらしい。
ところどころに、カビともコケともつかない黒ずみがちらほらと。
庭ともいい難い狭い土地の養分を争い奪うように、ドクダミが群生していた。
(物置だろうか? それとも、納屋か……)
「アレはウサギ小屋だよ。住んでるのはウサちゃんじゃないけどね。うーん。まさしく典型的かつ伝統的なニホンの庶民の家だ」
「そして、あの人を閉じこめているお城」
バザウとルネは同時に背後を振りむいた。
純白の空間に佇んでいたのは銀眼の麗人。
「ビアンキ……!?」
彼女の姿はどこか一点いつもと違っていた。バザウはすぐに答えを見つけた。
(人形を抱いていない)
その代わりかはしらないが彼女は細身のレイピアを携えている。
「ずっと……、待っていた。ここに足を踏み入れる時を……」
「どうしてここに?」
「機会を待っていた。あの人の心の深い部分へ通じる道が、できる時を」
「ビアンキ。お前はいったい何をしっているんだ?」
断片的な言葉はバザウを軽くイラつかせる。
彼女から引き出せる情報は聞ける限りしっておきたい。
「あー、はいはいはいはい!」
ビアンキに問いかけようとするバザウ。その間に強引にルネが割りこんできた。
「悪いけど、天災脚本家ルネ=シュシュ=シャンテちゃんの構想してる筋書きでは、王子さま気取りの脇役さんはお呼びじゃないの。わかった? 消え失せろ」
「ここが、あの人の心の中……。あの人の心が、産み出した世界」
ルネに詰め寄られているのにビアンキは悠然としていた。
あくまでも自分のペースを崩さない。
「あるのは小さなお城だけ。あのお城の中だけが、彼女の世界」
どこか恍惚とした表情でつぶやいている。
「……悪い魔法使いから、あの人を解放しなくては」
銀眼は黒い家の扉を見据えている。
その視線がゆらぐことはない。
「バザウ! パス! アタシ、この女苦手!!」
ついにルネが音を上げた。
「うえっ、おげえっ! 鳥肌が立ちそう! アタシはこういう心が大嫌いだ! たった一つのことしか頭にない、純粋すぎる心! 吐き気がするよ」
散々ないわれようだがビアンキが気にするそぶりはない。
それよりもバザウは、彼女がどんな立場にいて何を望んでいるのかが気になった。
「ビアンキ、お前は何者なんだ?」
「別に。君とそう変わらない。力を持つが生身の肉体は持たない者の、地上での代行者」
バザウがルネ=シュシュ=シャンテの駒であるように、ビアンキはネグリタ=アモルの配下だということだろうか。
「いや。その答えは引っかかる。お前は機会を待っていた、といったな。ネグリタ=アモルの代行者なら、なぜ正式に招いてもらえない?」
主人の拠点に入るのに虎視眈々とチャンスをうかがう従者がいるだろうか。
いたとしたら、それは忠実な召し使いなどではない。背信者だ。
「そうだね、バザウ。君はちょっとしたホコリも見逃さない、年老いたメイド長みたいに鋭い」
ビアンキは軽く微笑んだ。
「私はあの人の心酔者にして代行者。血肉の器も出生の縁も持たない彼女に代って、私がこの地上へ真理への道を築いていく。真実の愛の箱庭もそうして作り上げた。全てはあの人が望んだため。私はあの人を愛している。何よりも、深く……」
ネグリタへの愛を語った後で、ビアンキは予想外の言葉を口にした。
「だけど私は永遠の愛なんていう夢みたいな真理は、少しも信じてはいない。私は彼女に協力している間も、ずっとチャンスを待っていた。彼女がとらわれている真理を破壊する日を……ずっと夢見てきたんだよ」
「なぜだ……? 理解に苦しむ」
ビアンキの言動は、バザウにとってまったく不可解だった。矛盾しているようにすら思える。
「そう? わからない? 誰かを愛することと、その人が信じているものを無条件に肯定することは、イコールではないと思うのだけれど」
今の話が事実なら、ビアンキはネグリタ=アモルの協力者であると同時に、真理の破壊者にもなり得る。
バザウには理解しがたい心情だが、ビアンキの言動と照らし合わせてみてもウソをついている証拠は出てこない。
「……」
目の前の相手を信用すべきかどうかバザウが判断にあぐねていると、ふっと奇妙な香りがただよってきた。
出所はもちろん、あの陰気な小屋だ。
(かすかに煙の匂いがする……。香木か何かを燃やしているのか?)
バザウが鼻をヒクヒクさせている横でルネがぼやいた。
「あーあ。辛気臭いったら、ありゃしない」
「この匂いのことをシンキというのか?」
ルネは首を横に振った。
「違う違う。こりゃ白檀の線香だ」
暗い小屋は線香の匂いがするのだった。
バザウとルネが小屋に足を踏み入れるより早く、ビアンキが先頭に立った。
「アタシ、やっぱりこの女、嫌いだ」
ルネがぶーたれる。
小屋は四方を粗末な灰色のブロックで囲まれている。
そして玄関へと続く小さな門と狭い石段。
バザウはつぶさに観察した。
(日常的に使われてはいる。だがロクに手入れはされていない)
ビアンキが扉を横にスライドさせて開ける。
(板を横にすべらせるのか……)
構造を調べようと立ち止まりかけたが、後ろからルネに背中を蹴られた。
「とっとと進んでおくれよ。狭いんだからさ」
たしかに、ここはとても狭い。
真実の愛の箱庭で過ごした後では、物置小屋ぐらいの大きさに感じる。
「だからって蹴るな」
ルネの足先には、猛禽類のごとき鉤爪が生えているのだ。
家の中はジメジメしていた。
生活の臭い、とでも表現すべきだろうか。
人間の放つ生臭さが家に染みついていた。
「……ここは創世樹の根源だと、そういっていたな」
「そうとも。ネグリタ=アモルの精神世界だ」
「それにしては……」
永遠の愛を説く者のイメージとは大違いだ。
ここはひたすらに陰鬱で、生々しい。
ふいに、奥の一室から男の声がした。
「カエルだ」
ビアンキがつぶやいた。
丸々と太った中年男が、低い食卓を前にして何やらわめいている。
バザウには内容がよく理解できないが、不平をいっていることは表情や語気からわかった。
「出ている食事が気に入らないらしい」
ルネは男の食事を無遠慮にのぞきこんでからバザウに振り返った。
「……ソイツには、俺たちが見えていないようだな」
怒る男をなだめるような声を出しながら盆を持った女が現れる。
別の料理を作り直したのだろうか。かいがいしく働き、男の世話をしている。
黒い髪をゆるく結い、淡い紫色の服の似合う婦人であった。
「あの人だ」
陶酔の目で、ビアンキ。
「アイツだよ」
からかう声の、ルネ。
安っぽい青い陶器を並べていた女が動きを止める。
真っ黒ににごった瞳がバザウの姿を映した。
「私です」
にい、と笑った口元には紅化粧の代りに紫色の斑が浮かんでいた。
「ようこそ。私の世界へ」
彼女の言葉はバザウにとって未知の言語のはずなのに、内容が頭に流れこんできた。
大人の姿のネグリタは深々とお辞儀をした。丁寧な所作には敵意と企みが隠れている。
「……招待していない方もまぎれこんだようですが」
そしてビアンキに一瞥をくれた。ネグリタの伏し目がちな視線にこめられていたのは、拒絶である。
「愛しい人。会いたかった。ずっと」
「……」
ネグリタはビアンキから無言で目をそらした。
「招待……か」
ネグリタ=アモルの意思で、バザウとルネをこの空間に招き入れたということだ。
(何が目的だ……?)
心の内を探ろうにもネグリタの瞳は空虚だ。表面的な礼節という強固な障壁が幾重にもはられている。
「お見せしましょう。私の心の根源を」
ネグリタ=アモルは真実の愛の箱庭で見せていた幼い姿へと変わる。
ふいにバザウは足裏にぬめりを感じた。
「っ!?」
床は水びたしで、長い長い黒髪が一面を覆っている。
下に何があるのかさえも見えない。ただただ濡れた黒い髪が敷き詰められている。
食卓の男も変化していた。
中年男性の体格をベースとしているが、その風貌は醜悪なカエルとなった。
風船のように膨らむ白いノドからは、鳴き声と不平が飛び出してくる。
「……うっ」
気持ちが悪い、とバザウは感じた。
髪を踏みつけないと立つことも移動することもできない。
ルネはこの災難を回避していた。
ぷかぷか浮かんで、良い気なものだ。
見ればビアンキも動じた様子がない。
ブーツでキッチリと足が守られていた。
ほとんど裸足に近い格好のバザウだけが髪の床の気持ち悪さを味わっているらしい。
「……」
世の中は不公平だ。
けれどバザウは文句を口にしなかった。
うるさいのはカエル男だけで充分である。
「死をへた愛こそ、この世で最も素晴らしい。この真理がご理解いただけるまで……」
ネグリタ=アモルは陰鬱な笑みを浮かべた。
「ここで……、たっぷりと……。永遠の愛について、考えてもらいますから」
バザウはネグリタの言葉から状況を把握する。
(俺たちは相手の精神領域に閉じこめられた。というわけか……)
「格下風情が良い気になるんじゃない。この程度の力で、アタシを閉じこめられるとでも? 思い上がりもはなはだしいねえ」
高慢さをあらわにしてルネが軽く両手を上げた。やれやれ、というポーズだ。
「ふふ……。あなたをとらえておくことはできなくても……。その代行者なら可能でしょう?」
ルネの代行者、すなわちバザウのことだ。
「!! おお、バザウ……。この先、何があってもくじけるんじゃあないよ。おとおかあさんが、お前を見守っているからね!! ルネーン☆」
役に立たない上に心もこもっていない。
ルネの励ましはスルーする。
(……旅に出た以上、どんな場所で命を終えても、後悔しないつもりできたが……)
バザウは室内を見渡した。
狭い、暗い、辛気臭い。
こんな場所に閉じこめられて息絶えるのは最悪だ。いくらなんでも悲しすぎる。
(洞窟の暗さなら歓迎だが、このどんよりとした空気は苦手だ)
バザウはうんざりした気持ちでため息をついた。
(こんな場所に、長居は無用だな)
さっさと決着をつけてしまおう。




