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ゴブリンと正しいナイフの使い方

 雨が降っている。

 彼女はナイフを隠し持っている。


「バザウ、どこかにいっちゃうの?」


 質問する声はか細く危うくはりつめていた。


「そうだな。ここには一時的に滞在しているだけだ。閉ざされた箱庭で、一生を終える気はないしな」


 役目を果たせば立ち去るのみ。


「バザウは、旅が好きなのよね。それは、わかっているわ。わかっている、はず、なんだけれど……」


 ジョンブリアンの左手がスカートを握りしめた。

 やわらかな布がくしゃっとゆがむ。


「ワタクシ、そんなのは……嫌」


「そうか。だがお前の感情はものごとに影響を及ぼさない」


 それがどれだけ深く純粋な思いでも。


「俺達はずっといっしょにはいられない」


 事実を突きつける。

 この関係は正式には認められていない。

 ジョンブリアンの父親がいくら珍しいものが好きだといっても、無理がある。

 ゴブリンを義理の息子にしようなどとは思うはずがない。ゴブリンと貴族の少女の婚姻などありえないのだ。

 この少女とは共に同じ道を歩めない。

 バザウとジョンブリアンの恋愛は箱庭の中だけで許される。

 ママゴトのようなマネゴト。


「……今日のバザウは、なんだかイジワルね……」


「現実を指摘しているまでだ。お前の見とおしは甘すぎる」


「……ねえ。どうして?」


 ジョンブリアンの声は震えていた。


「どうしてそんなことばっかりいうのよっ!!」


 不安定な少女の感情が炸裂する。


「どうして、か? 理由は単純だ」


挿絵(By みてみん)


 いたって普通に冷静に。

 バザウは少女の激情を受けとめる。


「挑発だ。お前にナイフを振るわせるための……」


 凶器を握った少女の細腕も受けとめる。


「体の後ろで隠し持っているナイフを無理に奪うより、前に突き出されたナイフをつかむ方が、俺には楽だからな」


 一瞬で決着をつけてしまった方が良い。

 不用意に揉み合いになれば、ジョンブリアンがケガを負う危険性もある。


「うっ、く……!」 


 バザウの気遣いとは無縁に、小さな凶器を忍ばせた少女はまだ狂気にとらわれているようだ。

 腕をつかまれたまませいいっぱいの抵抗。


「やっ!」


「や、じゃないだろう」


 ジョンブリアンの手に握られていたのは小さな銀のナイフだ。


(やはり果物ナイフか……。これは本来、武器ではないのだが)


 包丁の類には短刀のような鍔がない。

 あくまでも日用品なのだ。


(これで刺突すれば、自分の手指を傷つけるのがオチだ)


 ジョンブリアンの手をチラリと確認する。

 目立った傷はついていない。


(……ああ、良かった)


 ジョンブリアンに気づかれぬようバザウはホッと息をつく。

 少女の手は未だバザウの手の中で暴れている。

 だがそれはヒヨコがワシに挑むほど無意味な行為だった。


 包丁は突き刺すだけでなく、斬りつけるのも不向きである。

 まな板の上で無抵抗な食材を切るなら最適の刃物なのだが、動くターゲットを殺傷するにはあまりに使いづらい装備だ。


「うー……っ、やめて! 放してちょうだい!」


「この状況でその要求をのむ者はいないな」


 おりた前髪の間からジョンブリアンの目がのぞく。

 彼女の髪は雨に濡れて湿っていた。


「……教えてくれ。俺は気づかないうちに、お前に刺されても当然なほどの、むごい仕打ちをしてしまったのか?」


「っ……」


 少女はきゅっと唇を噛みしめた。

 あまりにも強く噛んでいるので、バザウは彼女の唇から血が出るのではないかと心配したほどだ。


「頼む。答えてほしい」


 ナイフを持つ手を包みこみながら、そっと体を近づける。

 彼女が凶行にいたった影に、ルネかネグリタが関与していることは察しがついた。

 けれどバザウにもわからないことはある。ジョンブリアン本人の心の動きだ。


「あなたのことが、好きだから。この楽しい時間が、いつか終わっちゃうのが、嫌なの!」


 過去を押し流すかのように現在は訪れる。

 今、この瞬間も。


「だからワタクシは、あなたに思い出を残さなくちゃいけないの! 深く、深く、刻みつけて。でも、あなたの心の奥底には、もう別の子がいて……」


「……」


 ジョンブリアンには前に少しだけプロンの話をしたことがあった。


「死んだ……子に、嫉妬するなんて、本当に醜い気持ちだと、思うけれど……」


 ナイフが小刻みに震えている。


「けど、ワタクシは、その子が羨ましくて、たまらなかった!」


「……ジョンブリアン」


 こんな悲痛な告白をジョンブリアンの口から聞くことになろうとは思いもしなかった。


「だから、その子の居場所を奪ってやろうとしたのよ……。新しい悲劇で、塗りつぶしてしまうの」


 そういってジョンブリアンはうつむいた。湿った髪がばらりと垂れる。


「……バザウの目の前で、死んじゃおうって計画してたのよ。そうすれば、あなたは絶対にワタクシのことを忘れないでしょう……?」


 少女は沈黙した。


「そうか。そういう思いでいたのか……」


 自分の気持ちを相手と共有するのは、何も楽しいことばかりではない。ということを二人は同時に学んだ。

 醜悪な感情の吐露。語る方も聞く方も心が痛む。


「話しづらいことを話してくれて……、感謝する」


 ジョンブリアンがハッと息をのんだ。

 とぎれとぎれに反論する。


「バザウが……お礼をいうなんて、変よ……。ワタクシは、こんな……、とっても……、醜いのに」


 瞳の端から滴が落ちる。

 その一滴がバザウの手を濡らした。


「……そろそろお互いに手を自由にしないと、困ったことになりそうだな。今のお前にはナイフよりもハンカチが必要だと思うぞ」


 バザウの声は普段どおりに落ち着いている。

 その雰囲気にうながされ、ジョンブリアンも凶器を手放す気になったようだ。


「うぅ、待って……。指が、こわばって……。手が、固まっちゃってるの」


 慣れない刃物を振り回したせいだろうか。それとも過剰な緊張が原因か。


「平気か?」


「うん……」


 ジョンブリアンの指がゆっくりと開いていった。

 そして果物ナイフをバザウに渡した。

 同時にジョンブリアンの全身の力が抜ける。

 崩れ落ちそうになる少女の体をバザウはどうにか片腕で受けとめた。


「……ごめんなさい、バザウ」


 ジョンブリアンの顔は蒼白になっている。

 感情に突き動かされていた少女が理性を取り戻した。

 これまでの自己を冷静に省みて、平然としていられるわけがない。根が素直な者ならなおのことだ。


「ワタクシ、あなたに、とてもひどいことをしようとしたんだわ……」


 その深刻な空気を払しょくしようと、バザウはあえて軽妙な声を出した。


「まあな。悲劇の押し売りはご遠慮願いたい。俺の心はそんなに頑丈に見えるか? やめてくれ」


 改めてジョンブリアンの華奢な体を抱きしめる。

 少女の髪はわずかに湿っていて濡れた匂いが立ちのぼっていた。


「まったく、とんでもないことを計画してくれたものだ。失敗して本当に良かった」


 まだ大きくない胸は呼吸のたびに上下していた。

 彼女の小さな心臓も、ぎこちなくではあるが動いているようだ。

 ジョンブリアンの体は冷え切っているが、ぎゅっと抱きしめていると、じわりと温かさを感じる。


「……本当に、良かった」


 死は、それらを全部奪っていく。

 容赦なく。

 例外もなく。

 バザウは経験で思いしらされていた。


「死んだ者たちのことは、忘れていない」


 プロンのことも。

 洞窟のゴブリンたちも。

 地底湖にのみこまれた幼子の魂も。

 バザウはちゃんと覚えている。

 彼らの面影はバザウの心に深く刻まれていた。

 

「だが、もしも、望みを持つことが許されるなら……。生きていてほしかった」


 日々、獣や植物の命を当たり前に奪っておきながら、身近な者の生を望むのは傲慢だろうか。


(傲慢か。それも結構。俺は別に、聖者になりたいわけじゃない)


 ジョンブリアンの匂いとぬくもりに、バザウは感覚のすべてをゆだねた。




「それにしても良いナイフだな。ほしいぐらいだ」


 果物ナイフは無事に没収。刃は銀でできていて使わない時は折りたためる。全体的に美しい装飾が施されている。


「……ほしければ、あげるわ。もう見たくないもの」


 ジョンブリアンにケガはなかったが、精神的に弱っている様子だ。

 混乱が収まり、自分の行為を冷静に判断できるようになるほど、ジョンブリアンの苦痛は増す。


「……」


 黄色い髪をそっとなでる。

 バザウは自分の無力さを苦々しく思う。

 明朗で無垢な彼女に、負の感情を意図的に芽生えさせた存在がいる。

 偽りの真理をささやいて凶行に走らせた者がいる。


 ネグリタ=アモル。


(たしかに、ルネ=シュシュ=シャンテのいったことには一理ある……。この上ない動機づけだ)


 部屋に置かれた果物カゴからバザウはリンゴを選び取った。

 手にしたナイフで切り分ける。


「ふむ。やはり慣れないと歪になるな」


 ウサギの形にするのは意外と難しい。なんだか奇妙な生きものになってしまう。

 そんな不思議な生物が、小皿の上に一匹一匹と増えていく。


「不格好なウサギで悪いな」


 元気のない少女の前に皿を置いた。


「武骨なゴブリンの頭では、相手を元気づける方法が、食べものぐらいしか思いつかなかった」


 最後の一匹は、皿の上に置かれる前にバザウの口に放りこまれた。

 見栄えは悪くても味は変わらない。シャリシャリとした歯ごたえと、少し未熟な酸味が残る。


「さて……。そろそろいかなくては」


「バザウ」


 ソファに座る少女は不安げな瞳でバザウを見つめた。


「大丈夫だ。俺は約束をしなかったからな。運命の旗が立つことはない。たとえば……、無事に帰ってこられたら結婚しよう……、とかな」


 ジョンブリアンが読むような小説では、そういって恋人が死別するのが定番の流れだ。


「……そうね」


 バザウの冗談に、少女は少しだけ笑みを返した。

 少しだけ、悲しげに。

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