ゴブリンと追憶の舞踏会
「……舞踏会?」
机にむかっていたバザウが振り返る。
普段は何か書いているか、本を読んでいるかのどちらかだが、今日のバザウは別のことをしていた。
ネグリタが残していった紫色の花の観察。丹念な手入れを心がけているのに、やはりツボミのままで一向に花開く様子はない。
「そ! 舞踏会よ! 次の満月の夜に開かれるんですって!」
普段は白いソファでくつろいでいるはずの少女は、バザウのすぐ後ろにいた。
「武道大会でも、ブドウ食べ放題でもなくっ! 正真正銘、本物の舞踏会なのよーっ!! おーっ、ほっほっほっほっ!! ステキだわーっ!!」
ジョンブリアンの高笑いも一段と賑やかだ。
「大勢の人間が集まり、踊るという行事だったな……。それは困った」
「ああっ、そんな堅苦しいものじゃないのよ。それにここは真実の愛の箱庭! 参加者は人間だけじゃないわ。主催者はスカーレットでもないしね!」
「ずいぶんと開放的な形式だな。特別な参加資格などはないのか?」
バザウのいた森ではそういったことは厳密に決められていた。
一般的にだらしなく適当だと評されるゴブリンより、舞踏の集会に関しては人間の方がざっくばらんで、バザウは少し驚く。
「特別な……? うーん。前回のベストパートナーとかは、一目置かれるでしょうね」
「いや、そういうことではなく……。儀式の内容がしりたいのだ」
「ぎしき?」
ジョンブリアンはコテッと首を傾げた。
「舞いを捧げる対象について教えてくれ。無知なまま祭事に参加できない。祖先の霊を称えるのか、自然界の精霊に頼みごとをするのか、災いをもたらす悪魔払いか……」
バザウの故郷の森では狩りや略奪の成功を祝う踊りが盛んだった。
もしかしたらいるかもしれなくて、自分たちを見守っているんじゃないかなーと推測される、ゴブリンの守護神。
その神への感謝としてピョンピョン跳ねて踊るのだ。倒れて動けなくなるまで。
もっとも実際に神を名乗る存在と遭遇して以来、バザウはもう素朴な信仰心を失ってしまったが。
「ええと……。これはただ踊るだけよ。そういう怪しい儀式じゃないの!」
「ただ踊るだけ? 意外だな……。人間は、正当な理由をつけた行動を好むとばかり思っていた」
「あら? バザウは人間をなんだと思っていたの?」
理屈と区別を好む、背が高く鼻が小さな生きもの。
シア=ランソード=ジーノームの考え方を使わせてもらえば、理屈と区別を好む、背が高く鼻が小さな生存機械。
出しかけた言葉を引っこめる。
これがコンスタントなら、皮肉の応酬合戦が楽しめるだろう。
学者先生なら、彼の興味深い見解を聞けるはずだ。
では、ジョンブリアンなら?
「……」
人間の彼女を傷つけたり不快にさせたくはなかった。
バザウは本心をマイルドにアレンジする。
「人間という生きものは……、合理性を追求するのが、好きな種族だとばかり……」
「まあ! ワタクシたちだって、ものごとを純粋に楽しむ心を持っているわ」
ジョンブリアンは自分の腰に手を当ててちょっとだけ前に屈んだ。
怒ったぞポーズはすぐに解除された。
「そうね。あえて舞踏会に意味を見出すなら、死者のためでも自然のためでもなく、他でもない自分たちのためでしょうね。ワタクシたち、今を生きている者の」
少女はすみやかにおねだりポーズへと移行する。
「ワタクシは今回が箱庭の舞踏会に初参加ってことになるの。バザウがいっしょに出てくれれば、の話だけど」
ねだると命じるとが半々にふくまれた眼差しでジョンブリアンがバザウを見る。
彼女の長いまつ毛は、まばたきするたび踊るように上下した。
「ワタクシのダンスのお相手になって? お願い」
バザウは軽くためらってから承諾した。
「良いだろう……」
「ありがとう! 大好き!!」
子供が飛びつくような無邪気な抱きつき。
バザウの心臓が跳ね上がる。
今日のジョンブリアンは、シルクのブラウスを身に着けていた。
布越しに触れ合った腕と肩。
なめらかでしとやかな絹地がバザウのシャツに絡みつく。
「……ふざけていると、危ないぞ」
華奢な肩をそっと押しのけた。
乱暴すぎないようにバザウは力加減に注意する。
ジョンブリアンが体を離す。ふわりとスカートが広がる。チョウが飛び立つ姿に似ていた。
さほど悪びれてもいない表情で、少女は軽やかに詫びる。
「ごめんなさい。嬉しくって!」
少女の言葉がバザウの耳をくすぐっていく。
そのくすぐったさを追い出すように、バザウは自分自身で声を出した。
「ああ、そうだ。参加するのなら、人間式のダンスを習わなければいけないな」
「教えてあげる」
ジョンブリアンの細い手がバザウの武骨な手を握る。
信じられないぐらいすべすべしていた。まだ歳月の苦悶にも、労働の呵責にもさらされていない、少女の手。
「……」
バザウはこの手の一生を思い描いた。彼女が産まれてから死ぬまでを想起する。幼児の手から老婆の手まで。
(どんな手でも、それぞれの良さがあるが……)
「バザウ? どうかしたの?」
「いや。考えごとをしていただけだ」
少し不思議そうな顔でバザウを見つめている少女。
この姿がジョンブリアンという人間の現在の姿だ。
「良かった! 本当はダンスが嫌なのかな、って。少し心配だったの」
強引な主張と細やかな配慮が、この少女の中では調和している。
ジョンブリアンはバザウにはないものを持っている。
(多くのめぐり合わせがある中で。俺と彼女の、それぞれの現在が……交差した)
本来ならこの出会いを喜ぶべきなのだろう。
だがバザウは素直に運命に感謝する気にはなれない。
ルネ=シュシュ=シャンテの暗躍。
チリル=チル=テッチェの創世樹計画。
神々の手でつむがれた赤い糸には、どんな意図が編みこまれているのかわかりはしない。
真実の愛の箱庭で一番大きな広間を使っての舞踏会が開かれた。
奏でられる音楽。
高級で洗練された空間。
ひしめくのは着飾った人間。
そして、そのお相手の人外達。
視覚と嗅覚と聴覚へ絶え間なく与えられる膨大な刺激に、バザウの頭は悲鳴を上げる。
(……混雑している場所は、好きではない)
混雑を構成する一員でありながら、そんな不平をいだいたりする。
(スカーレットに張り合うためにパーティ慣れしておいて……、正解だった)
そうでなければバザウは一刻たりともこの場にいられなかっただろう。
ダンスは無難にこなしたが、数曲でバザウは疲弊してしまった。肉体的というより、精神的に不得意なことをしたのが原因だ。
壁際に並べられたイスで、ジョンブリアンといっしょに一休みしている。
(こんなに早くに音を上げてしまうとは……。もっと騒がしく荒っぽかった守り神に捧げるゴブリンのダンスなら、飲み食いをしながら三日三晩ぶっ続けて踊れたのに……)
バザウの故郷の祭りでは、踊り続けて死ぬゴブリンが毎年一人は出ることで有名だった。
他の土地から移り住んできたゴブリンはこう評した。この群れのヤツらはイカれてやがるぜ!
(多かれ少なかれ……。それぞれの常識には、違いがある。それが同族でも、同じ群れのメンバーでも、家族でも)
種族が違うのならその差はさらに深まる。
(……違いは、それだけじゃない)
もっとも身近な異質がある。
性別だ。
隣に座る少女を横目で見た。
どうにか醜態はさらさずに済んだが、舞踏会の主役には到底なれない。
「すまない。あまり華々しい活躍はできなかったな」
「バザウ。どうして謝るの? ワタクシ、とても充実した気持ちでいるのに。あなたは何か不満?」
ジョンブリアンは頬を軽くふくらませ、ツンと唇を尖らせる。
(……あ。今日は……、化粧をしているのか)
いつものジョンブリアンは、質の良いミツロウに香料を練り合わせた品を愛用している。香りは良いが肌に鮮やかな色はつかない。
自然な桜色だった唇が、大人びた赤に色づいている。
そんなことに今になって気づく。舞踏会での多種多様な匂いの渦に嗅覚が混乱していたらしい。
「舞踏会に出たがったのは、目立ちたいのだと……」
「あら。せっかくのその気遣いは、残念ながら的を射てないわね。ワタクシは、そんなに出しゃばりな娘だと思われていたのかしら?」
おしゃべりではあるが。
「ワタクシは舞踏会で目立って大勢にちやほやされたくて、参加したわけじゃないのよ。それは、まあ、結果的にそうなってしまったのなら、称賛の声はおしみなくあびさせていただくけど。……って、そうじゃない! それはあくまでも、オマケ要素よ! メインイベントじゃないわ。大勢に褒められるよりも……。ステキな思い出がほしい。バザウといっしょにいられる時間の」
「……ステキな思い出とやらは……、できたか?」
ジョンブリアンは少しだけ顔を伏せる。黄色い髪の一房がさらりと流れ落ちた。香りの良い彼女の髪は、いつもよりも入念に整えられている。
消え入りそうな、だが、ごく近くにいる者だけには聞こえる声で。
バザウだけには聞こえる声で。
「うん」
体中が少女の吐息でくすぐられる。
バザウはそんな感覚にとらわれた。
「……そうか」
バザウの手がそっと忍び寄る。
ゆっくりとジョンブリアンの手に覆い重なる。
すべらかな手の甲をなでさすった。少女になついた野生の獣が、体をすり寄せるように。
折れてしまうのではないかと怖くなるぐらい細い指。
それに武骨な指を絡ませる。
小さな手を閉じこめるように、自分の手で包んでしまう。
「あ、バザウ……」
手を握った。
それだけだ。
それだけで。
隣に座るジョンブリアンは顔を赤らめている。
一方、バザウは涼しい顔だ。
(人間の目には、ゴブリンの顔色なんてわかるはずがない。だから、俺の耳先が赤いのも、きっと誰にも気づかれない)
しばらくして。
ジョンブリアンがあちこちに視線をめぐらせている。何かを探しているようだ。
「どこにいるのかしら? 前回のベストパートナー」
バザウも辺りを見回すが見当たらない。
(ネグリタ……の、姿もないな)
もっとも、この人混みでは小さな子供の姿を探すのは困難だ。気になる人物は見えない。
長身で灰色毛の獣人がすぐそばにいるだけだ。
「お嬢さん。誰を探しているのかな? ベストパートナー? ハッ! まったく。その話の結末をしらないのか?」
「バザウ。見つかった?」
「いや……。それらしい人だかりはない」
「なんなんだよーっ! お前らーっ!! 無視するんじゃなーいっ!!」
「どうした、スモーク」
彼は一人で立っていた。
「? スカーレット……さまがいないじゃない。はぐれちゃったの? 迷子?」
「……迷い犬では?」
そんな二人のやり取りにスモークはすぐに業を煮やして地団太を踏んだ。
「ぐああっ! もう、やだっ!!」
余裕のない犬である。
「イラ立つとわかっていて、わざわざ話しかけてくるなんて、あなたも変わっているわねー」
扇をパッと開いてジョンブリアンはスモークに対応した。
余裕しゃくしゃくである。
「なんだよ、なんだよ……。む、む、無視することないだろ。ただ話しかけようとしただけなのにぃ!」
ついにメソメソし始める。
(この犬……。常に主人がそばにいて、面倒見てやらないといけないんじゃ……)
仕方がなく適当に慰めておく。
「はあ……。からかって、悪かった」
ただでさえモッファシャラーンとした毛皮が暑苦しく、その上に涙の湿気まで追加された時には、スモーク不快指数が限界突破してしまう。
「……で、俺たちに何を話そうとしてたんだ?」
「いいんだ。いいんだ……。もう、そんな話なんて。どうせ……」
しょげている。
(本当に面倒くさいヤツだな)
「ワ、ワタクシ、そのお話、ぜひともお聞きしたいわーっ!」
ジョンブリアンが持ち前のテンションで、どうにかスモークを立ち直らせる。
「ああ、そう? 本当に? お嬢さん。前回のベストパートナーが、どうとかいっていたな」
不遜な態度。不敵な笑み。
スモークは見事に復活した!
「前回、舞踏会の栄光の座に輝いたのは、樹木の精の乙女と、彼女の恋人である男爵だった。どちらもお似合いの美男美女」
スモークの小さな目が光る。
「だがぁっ、それはもう過去のこと! あれほどの羨望を集めた二人はすでに破局!! 樹木の乙女は泣く泣く箱庭を去り、男爵もそれ以来ここに姿を現さなくなった。そういう哀れな顛末なのだ!」
「はあ……」
得意げな顔でスモークがもたらした情報は、あきれるぐらいどうでも良かった。
バザウにとっては。
スモークが、バザウとジョンブリアンを指さした。
「褒めそやされて良い気になるなよ! 長続きする恋などない! わかったか、貴様ら!」
隣で小さく息をのむ音が聞こえた。
(……ジョンブリアン?)
「わっふ! それから、それから……!」
ジョンブリアンの様子を見て、バザウはいい加減この犬を追い払おうと決めた。
「なるほど。いわれなくても……、わかっている。お前の様子を見ていればな」
「な、なんのことだ? ゴブリン」
あくまでもしらを切るので、言葉でとどめをさしてやった。
「スモーク。……スカーレットはどうしたんだ?」
「う、うぐ……!」
致命傷になったらしい。
スモークは豪華な衣装の上から自分の心臓に手を当てている。
「べ、別に、最近ちょっと関係が冷えこんでるとか、そういったことは、ないっ! まったくないっ!!」
わかりやすい反応が返ってきた。
(他の箱庭の住人も、これだけわかりやすければ、良いのに……)
そう考えたところで、やはり考えを変える。
スカーレットや、ビアンキや、ネグリタの本性を突きつけられたら……。
(恐怖だ)
「フン! い、今はそうやって達観した気になっていれば良いのだ! せいぜい、ママゴト遊びの延長上の恋人ごっこに酔いしれていることだ! いつまでもラブラブ気分でいられるなんて思うなよ! バーカ、バーカ!!」
負け犬は吠えながら去っていく。
「本当に嫌な犬! どうして、あんなことをいうのかしら」
憤慨した後に小さな声でジョンブリアンがつぶやく。
「ワタクシは……」
それから先の言葉は、クライマックスをむかえた楽団の演奏がかき消してしまった。
今宵のダンスパーティの主役の座に輝いたのは、鳥人とそのパートナーの女性だ。
翼を曲げて壇上で気取った仕草のお辞儀をしている。女性は品が良く大人しい人柄のようで、目立つのはちょっと恥ずかしそうだ。
鳥人の方はバザウと面識がある。スカーレット被害者の会の一員だ。
バザウにもその舞いの素晴らしさがわかった。
彼の踊りは情熱的で優雅で、それでいて生命の躍動感に満ちている。
「すばらしいダンスだったよ」
ビアンキ。箱庭の設立者はベストパートナーに送るための花束を手にしていた。
遠くからバザウは目を凝らす。
庭園の中心に咲き、ネグリタが鉢植えにして残した紫の花。それが花束にまぎれこんではいないだろうか、と。
なぜかあの花がとても気になった。ゴブリンの鼻は秘密の匂いを嗅ぎつけている。
「……」
確認したところ、紫の花はふくまれていないようだ。
「ステキー!!」「きゃー!!」「ビアンキさまー!!」
若い娘たちからの黄色い歓声が上がる。
ジョンブリアンでさえ、ビアンキの姿を見て、目を輝かせている。
娘達の理想を投影した箱庭の王子は片方の腕にいつものごとくお人形さんをかかえている。
彼女が持ち歩く人形は日替わりだ。今日のビアンキのお姫さまは長い黒髪と東国風の衣装が印象的な人形だった。
「おめでとう。今宵のベストパートナーは君たちだ」
「光栄でございます。ビアンキさま」
花束の贈呈。
鳥人は舞台の上でビアンキと対面しても堂々としている。
もともと目立つのが好きなタイプなのかもしれない。
一方、彼のパートナーの人間女性は緊張しているようだった。
豪勢なパーティだというのに、淡い茶系統の地味な色合いの服を着ている。装飾も控えめだ。
仕立て自体はきちんとしたドレスだが、若い女性の着るものとしては少し華やかさに欠ける。
……というのが、隣でしゃべっていたジョンブリアンのファッションチェックの概要だ。
「今宵輝いた君たちの真実の愛が……」
花束を渡して両手が自由になったビアンキは人形を抱き直した。
「永遠となることを望むよ。心から」
祝福の言葉。
なのになぜか寒気がしたのは、バザウだけだろうか。
自室にたどり着いてようやく寒気が治まった。
仮に与えられた居場所とはいえ、自分の臭いのする空間に戻るのは安心する。
ソファの近くには別の甘い匂いが漂っている。
「ジョンブリアン。帰りの従者はどうした?」
窓の外を見れば真っ暗だ。
舞踏会自体が夜間におこなわれたのだから、当然のことだが。
「……迎えが、遅いな」
馬車に何かあったのかと心配になるバザウをよそに、ジョンブリアンは平然といった。
「お泊りじゃないの?」
しばらく、バザウの思考が停止した。
「……っと、泊まる? どこに泊まるつもりだ?」
「? ここ以外に、バザウの部屋があるの?」
友達の家に泊まるような純粋さでジョンブリアンは問い返す。
ちゃっかりとレースとフリルつきのパジャマセットと、羽毛のマクラを準備してきている。
「バザウ? 考えこんでどうしちゃったの?」
(……皿の上に盛られた果実は、食べても良い)
ゴブリンの倫理観なら、そういうことだ。
互いに好意を持っている。
まったく問題ない。
「バザウってばー?」
でも、それが人間の女の子なら?
しかも、まだ世の穢れをしらない無垢な娘なら?
「わかった。また何か哲学的なことを考えているのね。そうなのね。ごめんなさい、もう邪魔しないわ。静かにしてる」
ジョンブリアンは部屋にある果物カゴから南国産のバナナを選んだ。
のほほんとお気楽な顔をして、それをもぐもぐ食べるのだった。




