ゴブリンと幸福な鳥カゴ
ルネ=シュシュ=シャンテが気がかりな言葉を残した。
さらにここ数日、真実の愛の箱庭に足しげくかよっていたジョンブリアンの姿を見ない。
それとなくビアンキから様子を聞いてみることにした。
彼女は中庭の南側、西洋様式の東屋にいた。文にするとややこしいが、実際にはわかりやすい場所にいるので、迷う心配は無用である。
「ジョンブリアン? 特に気になることは聞いていないよ」
「そうですか……」
ビアンキが抱いている人形は今日も違う。
いったい彼女はどれだけの人形を持っているのだろう。
「君は案外、心配性なんだね。あるいは嫉妬深いのかな?」
人形の髪を手ですきながら男装の貴族は少し愉快そうだ。
「いずれにせよ。君の新しい側面を見た気分だ」
「どうぞご容赦を……。からかわないでください」
すべての感情を隠した平坦なバザウの声。
不安も、照れも、腹立ちも、恥じらいも。
顔に出すことはない。
「ここでは、愛する者を待つしかない。耐えることだ」
遊戯室に書庫。
退屈しのぎの術は箱庭の中に用意されている。
「耐えずに済むお人がうらやましいです。ビアンキさまの愛しい方は、いつでもその腕の中においでだ」
人形から目を離さずにビアンキが応えた。
「私も待っている。愛しい人をこの腕に抱く時を」
バザウは内心、首を傾げる。
「この娘たちも大切だけど、あくまでも人形だからね」
(驚いた。人形だという自覚があったとは……)
ビアンキの人形への耽溺ぶりは常軌を逸してる。
それでも一応、自分が愛しているものが人形であると認識できているようだ。
(ホッとしたような、逆に怖いような……)
バザウは複雑な恐怖にとらわれる。
「私の愛しい人は悪い魔法使いにつかまったままでいる。可哀想な人なんだ。彼女を救い出すためなら、私は……」
ビアンキの銀色の目にはバザウなど映っていなかった。
人形の艶やかな黒髪に頬を寄せている。
「どんな手段もいとわないのに」
(……うん、良かった。やはりビアンキは異常だ。俺の第一印象は間違っていなかった)
「ところでゴブリンの賢者たる君に聞きたいことがあるんだ。君は鳥について詳しいかな?」
「鳥……、ですか?」
鳥。
それはルネ=シュシュ=シャンテを連想させる。
バザウは慎重に答えた。
「恐れ入りますが、ビアンキさま。鳥と申しましても、色々ございますので……」
「ああ、すまない。かなり漠然とした質問だったね」
ビアンキがした質問はごく素朴な悩みだった。
「友人の飼っている小鳥が弱っているそうなんだ。つがいのメスでね。卵が上手く産めずにいるとか。このままでは、最悪の場合死んでしまう。何か良い薬や治療法をしっているかい?」
「飼い鳥の病気ですか……。残念ながらお力になれそうにはありません」
それはゴブリンの専門外である。
効率的な捕獲や上手な羽根のむしり方。そういうことならバザウの知恵を貸せるが。
鳥の飼い主にとっては大いなる悩みに違いないが、少なくともルネの陰謀とは無関係そうだ。
「それでは失礼いたします」
無難な挨拶をして、バザウは狂った箱庭の設立者の元を立ち去った。
考えごとをしながらバザウは中庭を散歩する。
ジョンブリアンがいないことの不安をまぎらわすためでもあった。
(チリル=チル=テッチェの創世樹計画には……、強い心を必要とする)
確固たる意志、ゆるぎない信念が、世界を変える木の養分となる。
(ならば創世樹の宿主はおのずとしぼられてくる。この箱庭で、それだけの心を持つのは……)
さっきまで共にいた銀色の目の持ち主を思い出す。
それに彼女はこの異様な空間、真実の愛の箱庭を作り上げた本人だ。
パーティを数多く開いたおかげで、バザウは箱庭の住人をだいたい把握している。
色々な性格の者がいた。それでも創世樹の宿主となり得るほどの強烈な思いは、彼らの中には感じなかった。
(ともかくビアンキは要マークだな……)
現状でもっとも宿主の可能性が高いのは彼女だ。
バザウはルネの話を思い出す。
(単に殺害すれば良い、という話でもない。相手の価値観を否定し、信念をくじく……。はあ……、厄介な)
腕組みをして眉間にシワを寄せる。
ため息までついたところでバザウは近くに人がいることに気づいた。
「ご機嫌斜めですか?」
黒髪の童女だ。
見た目の幼さに反して言葉づかいはしっかりしていた。
「いえ……。少々考えごとをしておりまして」
ついこちらもつられて礼儀正しくなってしまう。
(この少女には、見覚えがある)
前に一度、中庭で見かけた子供だ。
だがお茶会には参加していない。
(しゃべるゴブリンを目の前にしても、堂々としている……。この箱庭に慣れているようだな)
幼い子供がなぜここにいるのか不思議だった。
「こんにちは、お嬢さん。バザウと申します」
少しのユーモアをまじえて丁寧に名乗る。
「まあまあ。これはどうも」
童女はたどたどしく頭をさげた。
その動きはどことなく東洋の腰を折る挨拶に似ている。
「ネグリタといいます」
どこから見ても人間の娘だ。
ゴブリンの嗅覚もそれを肯定している。
黒い髪を二つ結びにしているのが可愛らしい。
(ふむ。……子供の姿をした人外、という線は外れのようだ)
とすると人外のお相手がいることになる。こんな童女に。
バザウの疑問を察したかのように、ネグリタは自分のパートナーを紹介した。
「彼が私の王子さまです」
一度ポケットの中につっこんだ手が引き出され、ゆっくりと開かれる。
「カエルだよな?」
「今はただのカエルです。でも、私が真実の愛をこめたキスをすれば、悪い魔法は解けて、二人は幸せになれるのです」
「そう……、なんだ」
無邪気にほほ笑むネグリタにバザウは困惑しか返せなかった。
(箱庭の入会基準が甘すぎるだろう……。何を考えているんだ、ビアンキは。カエルを王子さまだと信じているような、純朴な子供まで……)
そんなことを考えていると声をかけられた。
「バザウさんは、真実の愛って、なんだと思いますか?」
やたらと大人びた口調でネグリタが尋ねる。
「それは難しいことを聞く」
バザウ自身はそれに対する答えを持っていない。
ここの書庫で読んだ本の知識ではエロスやアガペだのと分類されていたが。
ジョンブリアンから勧められた恋愛小説もバザウは楽しめなかった。
「俺には、よくわからないな」
童女は舌足らずの声で突飛なことをいう。
「究極の愛は、死に通じると思うんです」
「それは陰鬱な話だ」
書庫の物語の中にはそんな本もあった。
死別に心中。愛する者のために自分の命を捧げる犠牲の精神。
物語はそれらを尊く美しいものとして描いていた。真に受けてしまう者がいても仕方がない。
(ジョンブリアンも、そんな本を読んでいたな……)
「真実の愛には、生産性があってはいけないのです。だって、それは単なる卑しい生殖でしょう?」
「せっ……?」
ネグリタの口から発せられた予期せぬ単語にバザウは体が固まった。
(この子供……。ずいぶんと早熟な……)
「死をへた愛こそが永久になれると。私はそう思っています」
たしかに死は生産性の対極にある。それが真実の愛かは別として。
(……死、か)
先ほどから、バザウの脳裏にある少女の面影がちらつく。
コバルトブルーの花が好きだった娘。
プロンのことだ。
耽美的な死の世界に陶酔しているネグリタに、バザウはつい水をさしたくなる。
「きらびやかな空想の中とは違って……、好きな者が死ぬのは、辛い経験だ」
この「好き」の重さは、バザウ本人にもわからなかった。
大多数と変わらない好きなのか、特別な好きなのか。
はっきりしているのは、もう二度とプロンが作ったケーキを食べられないという事実。
そして、それがとても残念だということ。
「誰か大切な人を亡くしたことがあるんですか?」
バザウは静かにうなづく。
あの日、コボルトのプロンだけではなく、大勢のゴブリンが命を落とした。
自分の考えの甘さが引き起こした大災禍だ。忘れるはずがない。
「そうだったんですか……。それは……」
ネグリタはパッと顔を輝かせた。
「その人が死んで良かったですね!」
相手が幼い子供でなかったら。
バザウが強い自制心を持っていなかったら。
ネグリタを殴りつけていたかもしれない。
「……」
バザウは無言でその場から立ち去った。
屋敷の廊下で会いたくもない相手にからまれる。
「ゴブリン。靴をカツカツカツカツいわせて、そんな足早でどこへむかっているのだ?」
スモークだ。柱に寄りかかっている。
犬に八つ当たりするなどという、幼稚なマネはしたくはなかった。
「機嫌が悪い。放っておいてくれ」
「ははーん、わかったぞ!」
スモークがしたり顔でうなづいた。
「トイレにいきたいのだろう! さては、今にも堤防が決壊寸前か?」
「……」
無視して通過。
「な、な……、なんだよーっ! コラーッ! 無視するんじゃなーいっ! ……もう、なんだよー……」
後ろでスモークが吠えている。
バザウが無視せずにいれば、どんなとばっちりを受けていたかもしらずに。
廊下を突き進み自分にあてがわれた部屋につく。バザウはドアをきっちり閉めた。今は誰にも会いたくない気分だ。
その晩遅く。
誰かがコツコツと何かを叩いている。
「……」
バザウはそれをまどろみの中で聞いていた。
体はベッドの上に投げ出してある。
コツコツと、規則的な音は鳴りやまない。
「ごめんなさい。バザウさん」
舌足らずなくせに言葉づかいはしっかりしている。この声はネグリタだ。
「怒らせるつもりじゃなかったんです」
眠りかけた意識でバザウは思考する。
(ああ、そうだ。ネグリタは死を……ロマンチックなものだと、思いこんでいたんだ)
あの言葉は良くも悪くもそのままの意味だったのだ。スカーレットのような悪意はネグリタにはない。ネグリタなりの価値観で感じたままを口にしただけ。
「ごめんなさい。ごめんなさい……」
かすかな声での謝罪はずっと続く。
バザウは閉じていた目を開け、ベッドから上半身を起こした。
「ネグリタ。悪意ある言葉でなかったのなら、もう謝らなくて良い。許そう。ただあの言葉は……誰かを心から怒らせるには充分すぎるほどに強い。次からはよく気を付けなさい」
コツコツという音がとまった。
「ありがとうございます。ありがとうございます……。許してくださって、本当に感謝しています」
大げさな口ぶりだがネグリタがふざけている様子はない。
(なんだか、子供らしくない謝り方だな……)
バザウはそんな印象をいだいた。
極度に下手に出て、必死に許しを懇願する。
(ゴブリンの子供がふてぶてしいだけで、人間の貴族の子供ならこれが普通なのだろうか?)
「あのう。お詫びの品を置いていきますね」
「いや、そんな……。もらうわけには……」
さすがにそこまで子供に気を使わせるのは嫌だった。
「でも。あなたの心から取り出したものですので、やはりバザウさんがお持ちになるのがよろしいかと」
(……何をいって……?)
あまりにも不可解な言葉にバザウはまだ自分が寝ているのかと思った。
(夢かどうか、確かめるとしよう)
ベッドから完全に起き上がり部屋のドアを開ける。
「ネグリタ?」
誰もいないし、何もない。
薄暗くて長い廊下が続いているだけだ。
(ん。寝ぼけたか……)
肩甲骨を回し軽く体をほぐす。
このまま起きているか、それとも寝直すか。それを決めるためにバザウは窓に近づいた。夜明けがどれぐらい先かしるために。
(これは……?)
窓辺のテーブルに見覚えのない品が乗っていた。
小さな鉢植えだ。一輪だけの紫色のチューリップがツボミをつけている。
ツボミは固く閉ざされていて、花弁がほころぶ気配はない。
バザウは困惑の目で鉢植えを見る。
奇妙な出現をしたこの花。客観的に判断すれば不快で気味が悪いはずだ。
しかし、バザウはそれを捨てる気にはなれなかった。
窓辺の鉢を調べようとして、バザウの指がふいに窓に触れた。
コツ、と硬い音がする。
「……」
バザウは部屋のドアへとむかう。
試しに叩いてみると、くぐもった木質の音。
ネグリタは窓を叩いていたのだ。
この部屋の窓は中庭に面していて、そして地上からは離れている。窓に近づけるような樹木などもない。
(要注意人物のトップを……ビアンキから、ネグリタへ変更……)
窓の外ではほのかな光が満ち始めている。もうすぐ夜明けだ。
それから数日して、明るく軽快にドアを叩く音。
「久しぶりね、バザウ!」
小走りになってジョンブリアンがかけ寄ってきた。
近づいてきたところで、遠慮がちに手を伸ばしてくる。
その意図をくんで、バザウは少し躊躇してから腕を広げる。
「会えて嬉しい!」
ジョンブリアンは喜んで飛びついてくる。
柔らかで繊細な体。果実のような甘い匂いが立ちのぼる。
「……あっ、あまりくっつくな」
抱擁を解いてささっと離れる。
「もう! バザウは恥ずかしがり屋なんだから」
自分から腕を広げておいて、今さらクールぶっても意味はないのだが。
あまり彼女と密着状態になるのは避けておきたいのである。
「ベタベタするのは……、好きじゃないんだ」
「まあ! ワタクシはベタベタなんてしてないわよ!」
ムキーッとなってジョンブリアンが反論する。
「そうねぇ。ワタクシには、サラサラとか、ふわふわってイメージがぴったりだわーっ! おーっ、ほっほっほっほっ! ああっ、セレブでエレガントなワタクシには、キラキラっていうのも捨てがたいじゃない! どうしましょう! 迷っちゃう!」
(この娘はバカだなあ……)
でもそんな元気な彼女の姿を再び見れたことに、バザウは胸をなでおろしているのだった
それぞれの定位置に着いてから話を続ける。
ジョンブリアンはクッションの置かれたソファに。
バザウは机の前のイスに。
「ジョンブリアン。何か変わったことはなかったか?」
「ああっ、バザウ! 最近顔を見せなくて、ごめんなさいね。ちょっとお父さまのお仕事について、ワタクシなりにお手伝いをしていたの」
バザウの心配をよそにジョンブリアンが箱庭を訪れなかった真相は平穏なものだった。
「大海原に乗り出す商船を何隻も操るのが、交易の仕事だとばかり思っていたわ。だけどそれだけじゃないってことがバザウのおかげでわかったから。異国の商品をアピール! これならワタクシにもできると思うの。お父さまは、女の身で出しゃばることにあまり良い顔をしないんだけど。でも何もできないただの女の子より、異国の文化や品々に詳しい女の子の方が、取り柄があって良いと思うのよね。そんな感じで、商売の基本的なことや異国のお話を聞いたりしてたのよ」
おしゃべりも健在だ。
「……ワタクシ、しゃべりすぎたかしら?」
「まあな。だが元気でなによりだ」
本心からバザウはそう思う。
「そういえば……。ビアンキが変わったものを手に入れたといっていた」
「何かしら? 新しいお人形?」
「さあ。詳しくはしらないが……。いけば見せてくれるそうだ」
ジョンブリアンは好奇心いっぱいの目でビアンキのところにいこうと主張した。
「ようこそ。いらっしゃい」
ビアンキの部屋に入ったのはこれが初だ。
部屋といっても、ベッドなどがあるプライベートな寝室などとはまた別で、ここは応接室のようなものらしいが……。
「し、四方八方から強烈な視線を感じるわ……」
「これは壮観な……」
ずらりと陳列された人形。
「可愛いだろう? 彼女たちも大切だけど、今日お披露目したいのは別の子なんだ」
そういってビアンキが案内したのは一つの鳥カゴの前。
つがいの二羽がややぎこちない動きで鳴き交わしている。
「あら。可愛いです」
ジョンブリアンからはその程度の感想しか出てこない。
それぐらいこの鳥たちは平凡だ。
「……よくできていますね。精巧な造形だ」
「君は見抜いたか。さすがだね」
「いえ。事前にヒントを得ておりましたから」
それにゴブリンの嗅覚は人間の器官よりも精度が高い。
「へ? 何? どういうこと?」
ジョンブリアンだけが会話についてこれずに困っている。
ビアンキは種を明かす。
「この鳥の夫婦は自動人形の一種なんだ。職人に作らせた。最近、可愛がっている鳥を亡くした友人がいてね。死ぬことのない鳥がほしい、って私に頼んできたんだよ」
卵が腹につまった哀れな鳥はご臨終となったらしい。
代りに飼い主が欲したのは死ぬことのない作りものの鳥。
「友人に渡す前に多くの人から意見を聞きたくてね。どれだけ本物らしく見えるか」
「まあ。ワタクシ、まったく気がつきませんでした。見ていて心が和みますね。幸せになります」
ジョンブリアンは鳥カゴをのぞきながら素直に応えた。
「……動きのパターンが単調ですぐに飽きる」
否定的なバザウに、ジョンブリアンは不服そうな視線を送る。
ビアンキは、ジョンブリアンの意見にも、バザウの意見にも同意してから、こういった。
「彼らには老いも破局もない。ずっと新婚のままだ。この鳥カゴの中には幸せが入っている。時が止まっているからね」
「まあ……」
バザウはすぐに興味を失ったが、ジョンブリアンはずっと鳥カゴの中の幸せな小鳥に目を奪われていた。




