ゴブリンと地固め
ジョンブリアンから貴族の作法を習う。
基礎的なことから、細かいことまで。
正式なものから、略式のものまで。
とても一朝一夕で身につけられる内容ではないが、一日を終えたバザウは昨日より確実に進歩している。
知識が豊富なだけでは意味がない。
自分の所作として会得することに意味がある。
(一連の決まった動作を覚えるのは、何かに似ている……)
紳士的な帽子の脱ぎ方と持ち方を教わりながら、バザウは既視感にとらわれた。
(ふむ。武術の型……と、近いのか)
発想を変えてみると前より楽に動作を覚えられた。
食事の席でのマナーは特に複雑かつ重要だ。
さすがに習得に手こずる。
「覚えることが多いな……。人間の食事の作法は、どうしてここまでうるさいんだ?」
きちんと覚えられなかった脱落者を大勢でせせら笑うためのもの。……なんて、つい邪推してしまう。
「そうね。考えてみると不思議だわ」
ジョンブリアンは考えごとをする時に、少し上目遣いになるクセがある。
「やっぱり模範解答は、周りの人に不快感を与えないため、といったところかしら? もっとも、マナーに厳しすぎるせいで煙たがられる人もいるわよね。ワタクシの家庭教師とか……。ああ、そうだ。マナーに関する面白い話を彼女から聞いたのよ」
少し得意げな表情でジョンブリアンが豆知識を披露する。
「テーブルマナーは元をたどれば暗殺者対策だったとか」
「ほう。それは興味深いな」
手をテーブルの下に隠してはいけない。これは、武器をこっそり手にしていない、という潔白の表明。
銀の食器が用いられるのは、毒の成分に反応すると思われていたからだ。別に、食卓にまぎれこんだ人狼や吸血鬼の正体を暴いて退治するためではない。多分。
「無意味な動作だと思っていては、なかなか身にもつかないが……。こうして作法の意味をしることで、少しは覚えやすくなるな」
「おーっ、ほっほっほっほっ! ワタクシのお話が役に立ったようねっ! 感謝なさい!」
「ああ、本当に助かっている。このところ俺の練習につき合わせてしまって……、すまないな」
高笑いとは打って変わっての小さな声で、ジョンブリアンがうつむきがちにつぶやいた。
「え、ええと。……ど……、どういたしましてっ!」
「そうそう。カン違いしやすい要注意作法といえば、挨拶のキスかしら」
「ああ。手や頬に軽く接吻している光景をよく見かけるな」
「そう見えるわよね。でも、あれは本当にキスしちゃダメなのよ。唇はつけないで、顔を近づけて軽く音だけ立てるの」
「ややこしいな……」
これまた初見殺しのトラップのような礼儀作法だ。
しらずにいればまたスカーレットに恥をかかされていただろう。
「手の甲にキスをする挨拶は、普通は男性から女性へするものだわ」
性別によって仕草は変わる。
この前のお茶会ではそれでしょっぱなから失敗したのだ。
「普通は……。ということは、例外があるということか?」
「ええと……ビアンキさまは、たまに、冗談で」
ちょっと恥ずかしそうにジョンブリアンが自分の手をなでさする。
(おい。……なんで俺は今、ビアンキに腹を立てた……?)
「でね。頬にキスをする時は……」
ジョンブリアンがすっと顔を近づけてくる。
甘い匂いがバザウの鼻をくすぐった。
「……っ」
少女特有のどこか青い果実を思わせるような……。
「ダメだっ! やめろ!」
「もう! なんなのよ! ダメってどういうこと!?」
突然の制止はジョンブリアンからすれば理不尽に思えただろう。
だが、それはバザウの自制心と理性が強固に働いた結果なのである。
「……おっ、俺は修行をつんだゴブリンの戦士なので……。急に間合いをつめられたり、そ、そうやって近づかれると……だな。はっ、反射的に攻撃してしまうかもしれない……、という危険性がある。危ない……から、今後はむやみに俺に近づくんじゃない! 絶対に!」
「ええっ! すごーい! 極東の島国に生息するという、伝説の超戦士ニンジャみたいだわっ!! バザウってとっても強いのね」
ジョンブリアンは素直に感心した。
無邪気にはしゃぐ姿は子供らしい明るさで満ちている。もっと明け透けにいえばアホっぽい。
そのお気楽な空気が、ドキドキとざわめいていたバザウの心を落ち着かせた。
今日はジョンブリアンは箱庭にはきていない。
会えない。そのことが、なんだか重くのしかかる。
「……」
自室で彼女から教わった内容を黙々と復習するも、どうも気が散ってしまう。
いっそ気分転換にとバザウは部屋を出た。
庭園は朝の陽光で輝いている。
(……茂みの方には、あまり近寄りたくないな……)
となると花壇のあるエリアが良い。
花壇のそばで人形を連れて散歩を楽しむ男装の麗人を見つけた。ビアンキだ。
その背後で、黒髪の幼女がつかず離れずの位置をたもっている。
見た目の印象ではジョンブリアンよりも年下の子供だ。かなり幼い。
紫の花の周りでくるくると踊るように歩いている。
(真実の愛の箱庭、といったか……。ここは小さな子供にふさわしい場所では、ないと思うのだが……)
貴族の放蕩ぶりにあきれつつ、バザウは箱庭の設立者に声をかけた。
ここ最近の礼儀作法の実践にもなるだろうし。
「おはようございます、ビアンキさま。朝の庭園の空気は清々しいですね」
「ああ、バザウ。おはよう」
ビアンキが振り返る。
「先日は大変お世話になりました。応急処置が良かったので傷の治りも良好です」
というより完治していた。ケガの治りが早い。
スクランブル=エッグによって、体を再生した影響だろうか。
「それは良かった。この箱庭で真実の愛を育む者は、全員平等に私の大切な同好の士だからね」
(……いっしょにされたくない。それに、いくらなんでもあんな小さな子供まで……)
先ほどの童女の姿を探したが忽然と消えていた。
子供は気まぐれだ。どこか別の場所に遊びにいってしまったのだろうか。
しかし、どこか釈然としないものを感じる。
「……」
「バザウ?」
「いえ、なんでも」
バザウは話を変えることにした。
「この庭園は見事ですね。植物には詳しいつもりでいたのですが……うぬぼれでした。珍しい草花ばかりだ」
「ああ、遠方から取り寄せた園芸種だからね。この辺りで自生している植物とはちょっと違うから、君がしらなくても仕方がないよ」
庭の草花の中でも特に目立つ植物についてたずねる。
紫色の不思議な花だ。
「あれはチューリップという花の品種の一つだよ。品種名は、ネグリタといったかな。少し前まで猛烈な流行が巻き起こっていてね。希少種の球根には莫大な値打ちがつけられた。この花をめぐって悪質なサギまで横行したっけ」
バザウには、そこまでの価値がこの花にあるとは思えなかった。
いきすぎた流行による熱狂。バザウの目には、個人の価値観のマヒと暴走としか映らない。
「もっともブームのピークは過ぎ去ったけどね。流行とは無関係に私はあの花が好きなんだ」
その銀色の視線は、紫の花よりもはるか遠くを見るようだった。
「バザウ。君はこんな話は、くだらないと切り捨ててしまうかな? 真実の愛の箱庭でささやかれている、ウワサ話」
「さあ。聞いてみないことには」
ビアンキは苦笑してから詩吟めいた口調で語った。軽薄なルネの歌とは違い、落ち着いて品のある声だ。
「箱庭で育まれた真実の愛が永遠の愛となる時……。その思いは一輪の紫の花となる」
バザウは紫のチューリップを見回した。
広範囲に植えられていて、これが一本や二本増えたところでわかるはずがない。
「ああ、それは……、ロマンチックな話ですね」
そう返すのがせいぜいだった。
「そうだね。とてもロマンチックだ。それにこの花が増える時は……」
陶酔したようにささやいていたビアンキはそこで言葉を不自然に切った。
(……花が増える時は……? どうだというんだ?)
ビアンキの口からその続きが語られる様子はない。
「君たちの愛が、永遠へと至ることを心から願っているよ。それじゃあ失礼」
ビアンキは立ち去ってしまった。
バザウにもどかしさとナゾだけを残して。
ビアンキと離れ一人になったところで、バザウは複数の視線を感じとった。
「……」
あれで気づかれていないつもりなのだろうか。
数名が庭木の陰に隠れている。
ヒソヒソと何かをささやきながら、バザウのことをこっそりうかがっている。
耳を澄ますと、とぎれとぎれに単語が聞こえてくる。
スカーレット。
お茶会。
失敗。
(……はあ、くだらない……。好きにいっていろ)
バザウがその場から去ろうとしたところで、隠れていた者たちが姿を現す。
どれも人ではない。
蛇体と女体を合わせ持つのはラミア。ウロコの輝きにも負けない異国風の薄布のドレスを着ている。
鳥の頭部と翼をそなえた鳥人。性別はわかりづらいが、派手な色をしているのでオスだと思われる。
ヤギの角が生えている系の銀髪細マッチョ美男子。
「アンタがゴブリンのバザウ……ね?」
ラミアの唇には艶美かつ毒々しい紅が塗られていた。
「スカーレットのお茶会に招かれて恥をかいたんだってね」
声と話し方ではっきりした。鳥人はやはり男だった。そしてやはり鳥のオスらしく無駄に美声だ。
「ウワサでちゃんと聞いてますよ」
ヤギ角の青年の瞳はよく見ると四角い。
「……だったら、どうだというんだ?」
「だったら?」
「決まっているじゃないか」
「ええ。あんな恥をかかされたんですからねえ」
バザウは身構えた。
ここは閉ざされた空間だ。物理的にも、精神的にも。
ここに居づらくなるような荒っぽいことは避けたい。
「アンタを慰めにきたのよ!!」
「君も災難だったね。心から同情する」
「どうも、どうも。我々はスカーレット被害者の会です。よろしく」
ラミアのお姉さんに両手でがしぃっと握手され、鳥人の翼でふわっとハグされる。ヤギ角の青年はその頭をペコリとさげて会釈した。
「……よ、よろしく」
スカーレットはよっぽど多くの恨みを買っているようだ。
話を聞くと、被害者の会に所属しているのは目の前の三人だけではないらしい。
「あきれたな……。あんなことを大勢にしているのか」
大人げない陰湿さだ。
「ったく、本当よねー。貴族のマナーなんて、こっちはしるかってのよ!」
「もはやこの箱庭の通過儀礼と化しているぐらいだね」
「でも通常は、会話の中で相手の言葉尻をとらえたり、慣れない生活でのハプニングを嫌な風にからかうぐらいですよね? わざわざお茶会の準備をしてまで相手をおとしめようとするのは、ちょっと異例です」
「……そうなのか?」
そこまで猛烈に嫌われる理由があっただろうか。
バザウは考えてみたが思いつかない。
「私の観察によれば、愛犬のスモークちゃんより珍しかったり優秀だったりするヤツは、みんなあの女に目の敵にされるのよ」
ラミアの姉さんが尻尾の先を不機嫌そうにシュッシュッと振りながら答えた。
(そんなに低い判断基準では、ほとんどすべての人外が該当してしまう……)
「聡明なゴブリン、か。たしかに君は、あの女から猛烈に嫌われるだろうね」
鳥人が自分の言葉にうなづく。
「いくらお金を出しても、おいそれと手に入らないユニークな存在。厳密に血統管理されて産出された、あの犬獣人とは対極ですよね」
ヤギ角の青年はそう結論づけた。
ユニークな存在と評されたバザウは、ルネの言葉を思い出していた。
(フェイク・ワン。神の手で意図的に作り出された、優秀な魂……)
その魂が偶然ゴブリンの肉体に宿りバザウが産まれたわけだが。
(少し悩んでしまうな。俺は作りものなのか、自然なものなのか……)
まあそれは、寝つけない夜にでも考えれば良いことだ。
今は……。
「ところで……。あなたたちが、彼女からどれだけ不当な仕打ちを受けたかも聞かせてほしい」
被害者の会のメンバーはスカーレットへのグチを饒舌に語ってくれた。
話のネタは尽きるところがないようだ。
(今は……、情報収集に徹するとしよう)
数日後、包みを持ったジョンブリアンが意気揚々と部屋に入ってくる。
突然の訪問は、メイドも連れずに無邪気に無防備に。
「注文していたバザウの服が完成したわよ! お待たせ! さっそくバザウに着てみてほしいの」
「ん……、ああ。……待っていた」
感情を読まれないよう、わざと声のトーンを落とす。
結果としてかすれたような小声になってしまった。
「どうしたの? 何やら不満げな顔じゃない」
「いや……」
「なぁに? いいたいことがあるなら、ハッキリいって!」
バザウは自分の部屋をさりげなく見回した。
ドアとカーテンさえ閉めれば、人目はシャットダウンされる。
衝立のむこうにあるのは、一人で寝るには大きすぎるサイズのベッドだ。
「その……。お前……、俺の部屋に入るのは……」
部屋の中で二人きりになる事態を避けたい。
以前はそれほど意識しなかったのに。
「なぁに?」
次の言葉の選択に、バザウは悩んだ。
迷惑? 不快? 気まずい? それとも……。
「……んん。悪いが、ジョンブリアン。少し席をはずしてくれ。これに着替えるから」
都合の良い逃げ道を見つけて、落ち着いた態度でふるまう。
仕立て屋が縫いあげた服を着るまでもなく、バザウは自分の感情を抑えて平常心を装うことができる。
「え? あっ、そうよね! 部屋の外で待ってるわ!」
ドアがパタンと閉められる。
少女が部屋から出たことを確認すると、バザウはひそやかにため息をつく。
息には微熱がこもっていた。
(このところ……。俺は……、本当にどうかしている)
着替えのために服を脱ぐ。
当然のことをしているだけだ。
けれど、かすかな衣擦れの音や、柔らかな生地が肌をすべる質感が、今は妙に気になる。
(ふん、くだらない!)
バザウはわざと威勢良く真新しい服に袖をとおしてみたりするのだった。
(なるべくなら……、二人きりになる状況は避けたいのだが……)
広間や中庭で話せる内容なら、そちらに移動するところだ。
だが、公共の場ではできない秘密の話もあるものだ。
たとえば、スカーレットへの報復計画作戦会議など。
「終わったぞ。入りなさい」
少女を部屋に招き入れる。
(……ソファでは、距離が近すぎる)
話し合いは四角い机でおこなうことにする。
ジョンブリアンのためにイスを引いた後、自分も腰かける。
「ゴブリンがこんな服を着るとは……、おかしいな。衣装負けしていなければ良いのだが」
ジョンブリアンはいつもの調子でしゃべり出した。
「ええ、そうね。変じゃないわよ。良いんじゃないかしら? 着心地はどう? 一流の仕立て屋に仕事を頼んだから、技術は信頼しているわ。でもゴブリンの服を作ったのはこれが初めてだから。それがちょっと心配よね。まあ、実際に着てあなたが気に入ればそれで良いのよ。シンプルだけど、エレガント。シャツに使われている布地も高級品ね。色々なシーンに合う服だと思うわ。あっ、もし別の服がほしいなら、新しく作っても良いけれど。ああ、それから……、ええと……」
せわしないおしゃべりが、急にやんだ。
「……格好良い」
少女はバザウからふいっと目をそらした。
(見つめられてドキリとするならわかるが……)
赤らめた顔で視線を外されても、ドキリとすることがあるらしい。
衣装の確認の後はマナーの確認だ。
「あ。すごいのね。もう基礎的な作法は覚えちゃったみたいね」
「見返してやりたいヤツがいるからな」
「これで今度は完璧にお茶会のマナーをこなして、スカーレットをギャフンといわせちゃのよね! おーっ、ほっほっほっほっ! 今に見ていらっしゃい!」
盛大に高笑いをしている少女には大変いいづらいのだが、それはバザウの考えではない。
「……いや。今さら俺がお行儀良くふるまったところで、スカーレットは痛くもかゆくもないはずだ」
それどころか、懸命に作法を覚えたバザウの努力をあざ笑うだろう。
「ええっ。じゃあバザウ! どうするつもりなの?」
貴族社会の基礎的な作法を覚えることで、バザウは彼らの文化の土台に到達した。
「ゴブリンは、穴を掘る。スカーレットには、穴に落ちてもらう」




