表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
バザウ、君は賢すぎる  作者: 下山 辰季
第三部

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

28/115

ゴブリンとお茶会

 ジョンブリアンとの会話はバザウにとって苦行だった。


「でね、その子はアフタヌーンティーパーティの途中で、うっかりカップを落としてしまったの」


 バザウのしらない人物の話。


「割れはしなかったけれどね。でも、中身がこぼれて大惨事よ」


 特に趣旨もテーマもない内容。


「ねえ、何か好きな食べものってある? ゴブリンは毒キノコを食べるって伝説があるけど。本当?」


 急にふられる質問。


「たべ……」


「ワタクシは、あまりキノコは食べないわ。だって、ぶよぶよしていて不気味なんですもの」


 相手の答えを待たずに自分のことをしゃべる。


「……」


 非常にストレスがたまる。


(それほど一方的に話したいなら、一人でしゃべっていれば良いものを……)


 眉間にシワを寄せ、黙っていることにする。もう相槌さえ打ってやらない。

 バザウはソファにもたれた。柔らかすぎて腰が沈み込む。ゴブリンには居心地が悪い。

 室内から窓の景色を眺める。そうして時間がすぎるのを待つ。

 さすがのジョンブリアンも、バザウの不機嫌さに気づいたようだ。


「あ、えーと……。な、なんだか、ワタクシばかり話しているみたいよね。バザウのお話も聞かせてちょうだい」


 隣にいるジョンブリアンが、ぎこちなく座り直した。

 ソファが少しだけきしむ。

 そういわれても話すべきことなど急に浮かばない。

 共通の話題もない。


 静寂。


 バザウには快適な静けさ。

 だが、隣の少女にとって沈黙は重圧のようなものらしい。

 スカートの裾を気にしたり自分の細い手指をいじったりと気をまぎらわしている。心細そうにうつむいて、すっかり静かになってしまった。


「……狼は」


「え?」


 彼女と出会ったきっかけとなった獣の話をしようと、バザウは思った。


「狼は地域によって、人間を捕食するものと、人間を警戒するものにわかれる」


 ジョンブリアンが顔をこわばらせた。


「こ、この辺りの狼は、ど、どっちなのかしら?」


「基本的に人間を恐れる。人間が餌食となるケースは稀だ」


「そ、そうなの。でも、狼に追われたのは、か、かなりの恐怖体験だったわ。おほ、おほほほほ……」


 バザウは軽く目を閉じた。頭の中にある図書館に意識をもぐらせる。

 これらは全部、バザウが経験したり見聞きした知識の記録だ。

 数冊の本を書架から抜き取りそれぞれのページを開く。

 仮にバザウの知識の本にタイトルをつけるとすれば『ゴブリンの頼れる盟友――森狼の習性』と『もう怖くない! 天敵の秘密シリーズ人間編(改訂版)』といったところだろうか。


「人間に対する狼の反応の違い。これを調べていくと、興味深い結果が出る」


「あら、どんな?」


「……おそらくは、人類の歩み。世界中に侵出したヒト族の軌跡……」


「ええと……?」


「大昔の人間は猛獣に食べられる側だった。が、武器と火の英知がヒトの進む道を変える。ヒトは猛獣に比類する力を手に入れた。そこで、狼の対人傾向の差につながってくる。ヒトが強力な武器を手にしてから移住した土地では、狼はヒトを本能的に恐れる。逆に、武装していなかった古い時代のヒト族が長年住みついていた地域では、狼は相変わらずヒトを獲物と見なす。……野生動物の遺伝子にきざまれた、本能的な対人反応……。もっと詳細で専門的な調査を対象と範囲を広げておこなえるなら、人類発祥の地を突きとめられるかもしれない」


 そして次のようにしめくくる。


「残念ながら、この方法ではゴブリンのルーツは追えない。ゴブリンはいたるところに住みついているが、どこにいても扱いは変わらないからだ」


 バザウが話し終えた後も沈黙は続いた。


「……俺の話は」


 群れの仲間から散々指摘されたことを思い出す。


「つまらない……、と。よくいわれる」


 視線をむけるとジョンブリアンは曖昧に頷いた。


「そうね。本当のことをいうと、何をいっているのかよくわからなかった。でも、話してる時のバザウが楽しそうなのは見ていてちゃんとわかったんだから」


 はにかんだような笑顔で彼女はそういった。




「ちょっとお腹が空いちゃった」


 部屋の隅の棚には、果物の盛り合わせが飾りもののように置かれていた。花よりも濃厚な芳香を放っている。

 小さな銀のナイフとフォークがそえられていて、もちろん好きに食べてかまわない。


 棚のそばに立ったジョンブリアンが振り返る。黄色い髪がふわりとゆれた。


「バザウはどれがお好み?」


(どれって……)


 カゴに盛られた果物の多くは未知のものだった。

 希少な品種か遠い異国でとれたのだろう。

 バザウはどうにかカゴの中からしっている果実を見つける。


「……リンゴ」


「はぁい」


 何やら嬉しそうな顔をして、小走りでこちらにやってくる。

 片手に果実、片手にはナイフを持って。


(おい、……ちょっと怖いぞ)

 

 そのままグサリと刺されるような猟奇的事件は起こらず、少女は大人しくソファに腰かけた。


「他にも色々あったのに、普通のリンゴが良いのね」


 ジョンブリアンは少し考え込んだ。


「ワタクシのお父さまは、交易の仕事を指揮しているの。異国から珍しいものや面白いものを買いつけるのよ」


 彼女は果物カゴを指さした。


「あそこの果物もその中の一つ。ホーライ国から取り寄せた幻の黄金仙桃に、ナイアラス国産サボテンの果実とか。でも、いまいち売れゆき不振みたい。みんな、結局は食べ慣れてるものの方を選ぶのよね。新しいものが受け入れられるのには時間がかかるんだって。ワタクシに商才があれば、お父さまのお仕事をジャンジャンお手伝いしてさしあげるのに……。でもワタクシ、算数が苦手なの……」


 はあ、とため息をついたところで、彼女はまた自分だけしゃべりすぎていることに気づいた。


「あ、あら。ごめんなさいね。おわびといってはなんだけど、ちょっと面白いものを見せてあげるわね!」


 そういってナイフをきらめかす。


「この前ね! ワタクシのお家にいるメイドが、面白いものを見せてくれたのよ!」

 

 ジョンブリアンの小さな手は、果物を切り分ける作業に手こずっていた。

 いつ指をケガするか見ていてハラハラさせられる。

 バザウは何度か、この少女の手からナイフを取り上げようかと思った。


「はあ、はあ……。で、できたわよ!」


 彼女の努力とバザウの心労の末。リンゴはウサギの形を得た。かなり歪でブサイクなウサギではあったが。


「あ、あんまり上手じゃないわね。ちょっと、緊張しちゃって……」


 そんな弁解をぽそぽそとつぶやいている。

 ジョンブリアンは、ギクシャクとした動きでウサギをフォークで串刺しにした。

 いったい何を思ったか。

 それをバザウの口元に持ってくる。


「……なんのつもりだ?」


 トゲのある声で尋ねる。


「あーんってするのよ。お口を開けて?」


「しない」


「おーっ、ほっほっほっほっ。あなた、しらないの? 大人は好きな人と、こうやって食べさせ合うのよ!」


「幼児や傷病人でもあるまいし……。自分で食べられる」


 キッパリと断る。


(それに……、恥ずかしいだろう)


 少女はうつむいてしまった。

 

「うー。……バザウが嫌なら、しないわ。ごめんなさい」


 リンゴは串刺しのまま皿の上に。


「本で読んで、ちょっとあこがれていただけだから」


(ん? 互いに食べさせ合うという行為は……、たしか……)


 思案とためらいの後の申し出。


「気が変わった。そちらが気を悪くしていなければ……、食べさせてくれ」


「そう? いったいどういう心境の変化かしら?」


 ジョンブリアンはせいいっぱいイジワルそうな顔をしようとしているが、声が喜んでいるのは隠し切れていない。


「人間のコミュニケーションを学ぶための、良い機会だと気づいた。知識だけでなく、そういった文化を実際に体験する意義はある」


「ずいぶんと冷めたご意見ね。それが照れ隠しの言葉なら嬉しいのだけれど」


挿絵(By みてみん)


 ジョンブリアンがリンゴを差し出す。

 不格好なウサギは、バザウに頭から食べられた。


「ああっ、夢みたい! やーん! ワタクシって、とっても大人の女性だわ!」


 隣でジョンブリアンがはしゃいでいる。


「バザウ。あなたのご感想は?」


 口の中のリンゴをのみこむ。

 青くて酸味の残った未熟な果実だった。


「興味深い行為だと思う。食べものを分かち合うというのは、親密さの表れだろうか。本で読んだのだが、たとえばインコという鳥は求愛行動として互いに嘔吐物を食べさせ合って……」


 メチャクチャ怒られた。



 

 箱庭での暮らしは退屈と窮屈が同居している。

 ジョンブリアンは常に箱庭にいるわけではない。貴族さまがやってくるのは、あちらの気分と都合次第。

 敷地内から勝手に出ることは禁じられている。


 屋敷は広く、バザウのために用意された個室は豪華だ。

 室内遊戯を楽しむ場所や書庫も完備されている。


 中庭には木々が植えられ花が咲き誇っていた。庭園の中心を彩るのは無数の紫の花だった。

 この辺りの野生種ではない。バザウはその花の名をしらない。

 真っ直ぐ伸びた一本の茎に、冠のような花を一つだけつける。


(今度、誰かに聞いてみるか)


 ふと、近くの茂みから男女の忍び笑い。


「……」


 くるりと、足早にその場を立ち去る。

 中庭を歩く時に注意しなくてはならないのは、誰かのお楽しみを邪魔しないこと。

 周りの目からほど良くさえぎられ、恋人同士が近づくのにぴったりなスポットが点在している。

 夕暮れ時になると、まあ、そこかしこで秘めやかな戯れが展開される。


(……俺たちには無関係な場所だがな)


 バザウに好意を寄せる小さな淑女は、暗い茂みでの逢瀬より、明るい陽光の下でランチボックスを広げるお付き合いの方がお好みなのだ。

 あきれるほどに、健全でプラトニック。


(そのままで良い。あんな人間の娘に、本気になられても……、困る)


 夜が近づく。

 夜風が吹くたびにバザウはうんざりする。

 ゴブリンの鋭敏な嗅覚では、しりたくもないことまで筒抜けなのだ。




 ジョンブリアンはかなりの頻度で箱庭に遊びにきた。

 男装の麗人にして人形愛好家のビアンキは、ほとんどの時間をここで過ごしている。

 この二人とは逆に、スカーレットが姿を見せるのは稀だ。


「おや。これはどうしたことだろう? 薄汚い干し草が背中にくっついているぞ」


 そのせいかこのヒマな獣人はやたらとバザウに突っかかってくる。

 スモーク。スカーレットのパートナーだ。


挿絵(By みてみん)


「むさ苦しい格好で館の中をうろつかないでもらたいものだ」


「……毛皮がむさ苦しいというのなら、お前の体はどうなる? 毛むくじゃら」


「あーっ! いけないのだぞ! 相手の身体的な特徴をあげつらうとは、卑劣なゴブリンめ!」


 顔立ちは凛々しいが、頭の方はあまりよろしくないらしい。


「ぺたぺたぺたぺたと裸足でどこでも歩き回って。下品なヤツだ」


 そういうスモークの足は、きっちりとしたブーツで固定されていた。

 獣の足に適しているとは思えない。


(……あんな靴を履いて、痛くはないのだろうか)


 実用性と快適さよりも見栄えを重視した結果だろう。


「……わざわざ呼びとめて、俺になんの用だ? まさか、くだらない因縁をつけるためだけに話しかけたのか?」


「それもある! が、スカーレットさまからの伝言を承っていてな」


「ほう。用件を聞こう」


 スモークは誇らしげな顔のまま数秒間停止した。


「……忘れたのか」


「忘れてなどいない! ただ、思い出すのに少々時間がかかっているだけだ!」


 ワンワンと吠える。


「ハッ!? そうだ! スカーレットさまが、お前たちをお茶会へ招待するとおっしゃっていた。日程は……」




「……というわけだ」


 箱庭にやってきたジョンブリアンにそのことを告げる。

 予想どおり彼女は目をキラキラ輝かせた。


「スカーレットさまからのご招待? ステキ!」


 舞い上がった後でふと真顔になり、彼女はバザウに問いかけた。

 くりっ、と首をかしげる。


「あなた、どの服を着ていくつもりなの?」

 

 どの服といわれてもバザウの服は一着しかない。

 そう伝えるとジョンブリアンはこんな案を出した。


「なら、ワタクシが衣装を用意しましょうか? 二人で出席するなら、服装のイメージを合わせたいし」


 バザウはジョンブリアンの着ている服を見た。

 フリフリしている。ひらひらしている。ゴテゴテしている。


「……断る」


「あら、遠慮しないで良いのよ。ああ、でも、仕立て屋の仕事がパーティまでに間に合うかしら?」


「必要ない。俺はこの格好で良い」


 ジョンブリアンは少しだけ困ったような顔をした。

 何かものいいたげな、そんな様子だ。


「それじゃあ、せめて……、マントと小手は外したら? ちょっと物騒な感じがして、怖いから」


 それが両者の妥協点となった。




 スカーレットが主催したティーパーティには、ビアンキの姿もあった。

 男装姿がビアンキの定番のスタイルらしい。当然のように人形も着席している。


 丁寧かつ複雑な動作で、ジョンブリアンがスカートを軽く持ち上げた。


(……これが貴族式の挨拶か)


「お、お招きいただいて、ありがとうございます! ワタクシ、本当に光栄です」


 女主人はクスッと微笑んだ。


「ようこそ、ジョンブリアン。きてくれて嬉しいわ。バザウさんもね」


 直前のジョンブリアンの動作はちゃんと覚えている。

 彼女がしてみせたとおりに、バザウも膝を軽く曲げての独特の仕草をマネた。


「……?」


 周りの視線が突き刺さる。


「あ、バザウ……!」


「ふふっ。とても優雅だったよ。可愛らしいね」


「バザウさんって、面白い方。それはね、女の子がするご挨拶なのよ」


「っ……」


 失態。


 ジョンブリアンは少しだけ頬を赤くしている。恥ずかしさと困惑のせいだろう。

 二人の大人は軽く笑って流す。もっともその本心は涼やかな笑顔の仮面で覆い隠されている。

 スモークだけは、ロコツに口元をゆがませていた。


(わかりやすい奴……)


「さあ、一度の失敗くらいお気になさらないで。お茶会はまだ始まったばかりよ」


 スカーレットが微笑みを浮かべて、場を仕切り直した。


「たっぷりと……、楽しんでくださいね」




 テーブルの上には、三段重ねのスタンドがあった。

 一番上の皿にはケーキ。真ん中にスコーン。下には白パンのサンドウィッチが盛りつけられている。


 ジョンブリアンは、スカーレットが用意したティーセットを誉めそやしていた。

 各自会話をかわしながら、時折紅茶に口をつける。


 スカーレットがバザウにささやく。


「そのケーキ、とても美味しく焼き上がったんですよ」


 そういわれれば、食べてみたくなるものだ。

 バザウはなんの気なしに、ケーキを自分の取り皿にひょいと盛った。


 スカーレットは、にこやかに微笑んだまま冷たく黙っている。

 スモークがニヤついた。

 ジョンブリアンは、呆気にとられた顔で固まった。

 ビアンキは愛するお人形さんにサンドウィッチを勧めているところだ。


 おずおずとジョンブリアンが指摘する。


「あの……、バザウ。普通、お茶会のケーキは一番最後に食べるのよ」


「ゴブリンはやはり意地汚いな。その上、無粋ときている!」


「ノー! そんなこといっちゃダメでしょ。スモーク」


 スカーレットが、パートナーをおだやかにたしなめる。

 その顔を今度はバザウの方へとむけて。


「ただでさえいたたまれないバザウさんが可哀想じゃないの。ねえ?」


「……」


 これまで人間の習慣を学んできたつもりだが、貴族社会のルールはとりわけ難解だ。

 とにかくこの場を無難に乗り切ることに今は専念する。

 周りに注意をはらい、目立つような動きは避ける。


 焦燥感を静めるために、バザウは紅茶を一口飲む。


「おい、ゴブリン。不作法だぞ。気をつけろ」


 スモークから非難の声。

 バザウは、自分がどんな間違いを犯したのかもわからない。

 貴族たちの価値観で決めつけられた規則が、この空間を支配している。


「あ……! ティーカップの持ち方ね」


 ジョンブリアンが慌てて助け舟を出してくれる。

 だが、彼女自身も相当焦っているらしく声も表情もぎこちない。


「こういう風にカップの取っ手の穴に指を入れずに、片手でつまむようにして持ち上げるのよ」


 そういって手本を見せてくれる。


(……片手で、取っ手をつまむように……?)


 そのとおりにやってみる。

 不慣れな持ち方のせいで、指が引きつる。


「っ!」


 そして、バザウはティーカップを取り落とした。

 カップが床に転がる。

 中身がぶちまけられる。

 お茶会は大惨事。


「バザウ! だっ……、大丈夫!?」


 うろたえる少女。


「あらまあ、大変。大事なティーカップが」


 動じない女主人。


「それ見たことか! そのティーカップは一つだけで、町暮らしの庶民が一ヶ月汗水流して働いて得る金よりも高いのだぞ!」


 ビアンキが黙って立ち上がる。その動きには一切の迷いがなかった。

 テーブルの上の水差しをつかみ、バザウのそばで膝をつく。


「熱かっただろう。火傷はしなかったかい?」


「あ……」


 紅茶をかぶったバザウの脚に、冷たい水がかけられる。

 ビンアキは水差しをジョンブリアンの手に預けた。


「これで彼の脚を冷やしてあげなさい。私はちゃんとした手当ての道具をメイドに用意させるから」


「ビ、ビアンキさまが、そこまでお手をわずらわせることはありませんよ!」


 スモークが引きとめた。

 ビアンキはそれを無視する。

 部屋から出る前に、ビアンキがスカーレットに視線をむける。


「……だろうね。本来なら、客をもてなすはずの主催者がもっと気を配るべきだ」


「そうね。お客さまのカップに紅茶が足りなくなれば、私がそそぐものよね。だけどお客さま自身の礼節不足までは管理できないわ」


「こういう陰湿なやり口は感心しない」


「陰湿? まあ、なんのことかしら? 人聞きの悪いことをいうのね、ビアンキ」


 スカーレットはクスッと笑って肩をすくめた。


「私は何も悪いことはしてないわ。あちらが勝手に失敗しただけ。そうでしょう?」

 

 同意を求めるようにスカーレットはバザウに微笑んだ。

 それに笑みを返せるほど、バザウは柔和でも温厚でも、腑抜けでもなかった。

 だが、ここで相手を責め立てるわけにもいかない。

 悔しいがスカーレットの言葉はまぎれもない事実なのだから。


「バザウ。大丈夫? 痛くない? ごめんなさい。ワタクシ、こんなことになるなんて、思ってもいなかったの……」


 ジョンブリアンはシルクのハンカチを滴るほどの水で濡らして、懸命に火傷を冷やしていた。




 お茶会は散々な結果に終わった。


「それではお大事に」


 火傷の処置を済ませたメイドが、ジョンブリアンに一礼してから立ち去る。

 バザウに与えられた部屋では気まずい空気が流れていた。


「こんなことになっちゃって、ごめんなさい」


「……お前が謝る要素はどこにもないだろう」


「だって、お茶会のマナーを事前に話しておかなかったわ! そうすれば、バザウは火傷しなくて済んだのに! あなたは賢いから細かいことも全部しってるって、ワタクシが勝手に思いこんでたの……。だから……、ごめんなさい」


 バザウの片脚には、軟膏がすり込まれて白い包帯が巻かれている。


「……俺には、貴族の文化や価値観というものはわからん。不可解で無意味にすら思える」


 バザウは空のティーカップを右手だけで持つ練習をしていた。

 難しい。上手く持てない。何度もバランスを失いかける。

 それでも練習を繰り返す。

 慣れてきたら、中に水を入れて挑戦する予定だ。

 いずれはちゃんと紅茶の入ったカップをつまんで持てるようにする。


「だがスカーレット。あの女が、いかに姑息で腹黒いかはよくわかった」


 この世の全員と友達になれるわけがないことぐらい、バザウは承知している。

 スカーレットとスモークが、バザウを気に入らないというのは彼らの自由だ。

 むけられた悪意にどう対処するかもこちらの自由。


「報復……、いや、逆襲……でもなく……。俺は今日の失敗を反省し、汚名返上の機会を考えているのだが……、どうだろう?」


 カップをテーブルへと置く。


「ジョンブリアン。お前の意見は?」


 少女は感情をあらわにして叫んだ。


「メチャクチャ腹が立つわよ! あの意地の悪い人を見返してやりたいわ!」


 噛みつきそうな勢いで彼女は怒っている。

 バザウは牙を見せて笑った。


「気が合うな。俺も同じ気持ちだ」


 意趣返しの方法は熟考しなければならない。

 スカーレットに悪意はあれど、大きな非はない。こちらの未熟さと対応の甘さを突かれたのだ。

 あまり乱暴なことや、深い遺恨を残すような手段も好ましくない。ジョンブリアンの立場がある。


 考えごとをするバザウのノドから、クックッと笑いがもれた。


「ど、どうしたの?」


「いや。悪だくみが楽しいだけだ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ