ゴブリンと添乗員
鳥のさえずりにバザウは顔を上げた。
技巧にこった見事な歌を披露しているのはモズのオスだ。様々な鳥の鳴きマネをしてみせる。
(メスへの求愛の歌か)
ハヤニエ行動で有名な鳥だがモノマネ芸もたいしたものだ。
旅の足を休めてバザウは歌に聴き入る。
モズのオスにとってはゴブリンなど望みもしない観客だったが。
突如。
力強い羽音がしたかと思えばモズの姿は消えていた。
一羽のタカがさらっていったのだ。
演奏会は中止である。
森に響いた恋の歌は肝心の相手には届かなかった。
変り者のゴブリンと、腹を空かせたハンターを呼び寄せただけ。
(愛を得るのも命がけか。気の毒だが……、これも自然の循環だな)
ふと、疑問をいだく。
求愛の鳴き声は捕食者に居場所をしられる危険性をふくんでいる。
(遺伝子は、なぜこんな危険な行動を……個体にとらせるのだろう?)
一般的に多くの鳥が愛のためにさえずる。
自然界では死の危険があるというのに。
にも関わらず安全志向で用心深い無口な鳥よりも、恋の歌を高らかに歌う鳥の方に繁殖と進化は祝福を授けた。
死のリスクが高いはずの情熱的な鳥の方が結果的に多くの子孫を残している。
(……納得できん)
安全志向で用心深い無口なバザウは、自分の性格が否定されたようで面白くないのだった。
森はどこもかしこも鮮やかな若葉であふれている。
二匹のリスが木々の上で白熱のレースをくり広げた。
連れ添って飛ぶ二頭のチョウ。
ウサギは年中発情中。
それらを横目で眺めてバザウは水音のする方へとむかう。
川は賑やかだった。
飲み水の補給と体を洗うためにやってきたのだが、思わぬご馳走もゲットできそうだ。
産卵場所を求めて流れに逆らう魚の大群がいた。
バザウはニヤリと笑う。
魚は疲労していて、ここの水深は浅い。
釣りや罠の道具がなくても素手でつかまえられるだろう。
しかも魚はけっこう大きい。腹を満たすにはおあつらえむき。
数匹の不運な魚が水から引き上げられた時。
手づかみ漁を再開しようとしたバザウがその手をとめる。
川の対岸。
何かがいる。
強者の気配。
「……」
バザウは油断なく川から上がった。
むこう岸では頂点捕食者の灰色グマがバザウの行動を見張っている。
食事は豊富だ。クマもわざわざゴブリンを食べる気はないだろう。
ただ、狩り場を荒らす邪魔者を追い払いたい、とは思っているようだ。
灰色グマがイラだった様子で一歩踏み出す。太く頑強な前足だ。
魚の尾をひっつかみ、バザウは姿をくらませた。
(味は良いが……、小骨が多いな)
漁の成果を咀嚼しながらバザウは内心ぼやく。一噛みするごとに口の中がチクチクする。ペッと骨を吐き出した。
辺りは暗い。
灰色グマの妨害のせいで保存食の分までは確保できなかった。
ここのような豊かな森ではできるだけ多く食料を集めておきたい。
「さて……」
風の臭いを一嗅ぎして怒ったクマが近くにいないことを確かめると、バザウは夜の狩りへとくり出した。
かつてないほどの大漁だ。
仕かけも工夫も必要ない。水に手を突っ込むだけで獲物の方から手に飛びこんでくる。
(繁殖期のカエルほど、見境のないものはないな……)
この時期のオスガエルは、自分と同じくらいのサイズで動くものに手当たり次第に飛びかかる。
それが、カエルの干し肉を作ろうと待ち構えているゴブリンの手であろうと。
「おやおや、無粋! 恋に焦がれる愚かなカエル。ひょいととらえる無情なバザウ」
「っ!」
振り返れば異形の旅芸人が立っていた。
「朴念仁さん。たまにはこんな愛の歌もいかがでしょうか? ルネの小夜曲」
記憶にかかっていたモヤが一挙に晴れる。
「ルネ=シュシュ=シャンテ!!」
「はいはぁい。ご好評のルネちゃんでーす」
バザウから激しい疑念と敵意をむけられているというのにどこ吹く風。
ルネ=シュシュ=シャンテは、モデル歩きで木々のむこうを闊歩する。
腕にはリュートをかかえて時折ポロンとかき鳴らす。
「……気味の悪い奴だ」
神出鬼没の自称旅芸人。
ふざけた言動と読めない意図。
男か女か、そもそも人間なのかさえわからない。
「何よりも気に喰わないのは……、ついさっきまで、俺がその存在を……完璧に忘れていたということだ」
歯ぎしりと共に低い声で告げる。
「どうしたんだい、バザウ? 自分の健忘症をそんなに自慢して」
おちょくった顔でルネはすっとぼけた。
そうして自分の話を進める。
「シア=ランソード=ジーノームとは無事に会えたようだね」
満足そうにリュートを鳴らす。
「おい。……どこまでだ?」
「はぁい?」
ルネがピタリと歩みを止める。
「どこまでが、お前が仕組んだ道で……。どこからが、俺の意志で歩いた道なんだ……?」
にっこりルネがほほ笑んだ。
「特別な卵料理は美味しかったかな?」
疾走と同時にバザウは短剣を抜いていた。
心臓への一突き。
軽すぎる手応え。
「!?」
ルネの姿はない。
カラフルな羽毛が飛び散っているだけ。
「野蛮な子だね。いったい誰に似たのだろう?」
腕組みをして旅芸人は木にもたれかかっている。
そのノドを狙いバザウは短剣を振るう。
またしても散る羽毛。
「……」
悔しいが今のバザウの実力ではルネを殺すことはできないらしい。
「そうそう。二回で学習したのは偉いね」
まだ、かなわない。
だが、いずれは……。
「いっておくけど。あの死霊とお前が出会うようアタシは道を選んだ。だけど死霊を産み出した原因にまでは手引きしてないからね」
バザウは武器を鞘に収めた。
「それで……。お前は俺に何を望んでいるんだ?」
ルネは肩をすくめる。気取ったポーズだった。
「歩かせたいだけ。親ってものは、自分が用意したレールの上を子供に歩かせたがるものなのさ」
ルネが木の陰に姿を隠す。
出てきた時には、衣装はガラリと変わっていた。
「はぁい。お客さまの旅のガイドをさせていただきます、ルネ=シュシュ=シャンテでございまぁす」
優美なスカーフが首元を飾っている。清楚で上品なタイトスカートのスーツ。持っていたリュートは黄色い旗に変わっていた。
「今回の旅程はハードスケジュール! 綿密に組み立てた計画で、旗立て、階段登らなきゃ!」
ルネはその場でステップをしながら、黄色いフラグを上げ下げしている。
「わけのわからないことを……」
「そうそう。今回の道は、わけのわからないことだらけ。賢いバザウ、お前の一番苦手な道だ。でも心配ご無用。この海千山千のルネ=シュシュ=シャンテちゃんが、強力サポートしてあげよう」
言葉のところどころでいちいちポーズを決めてしゃべっている。
せわしない。見ていて非常にイライラさせられる。
「お前の協力? そんなものはいらない」
「残念だけどそうはいかない。お前一人に任せるには、ちょっと荷が重いのさ」
「なら、他に使える手駒でも探すんだな」
ルネはほほ笑んでいる。
「もう……、俺にかまうな」
にこやかに目を細めている。
「お前の奇妙な策略に乗る気はない! 俺は……ただのゴブリンだ!」
「へえ? 本当に、自分が、ただのゴブリンだと。心からそう思っているのかい?」
優しい笑顔。
「ああ、バザウ。お前は特別だ。凡百の雑草ではなく、神が手掛けた園芸種。アタシがその種まいたのに」
「……っ」
親が、我が子を見るような。
そして、ついにバザウが恐れていた言葉をルネは口にした。
「バザウ。お前は自慢の息子だよ」
「……違う!」
「しくしくしく……。お前には、さびしい思いをさせてしまったね。本当にすまないことをした」
ハンカチ片手に猿芝居。
「こんな親だけど、許してね? アタシのことは、おとおかあさんとでも呼びなさい! さあ、さあ、バザウ。感動の親子の対面を喜ぼうじゃないか」
腕を広げてルネが待ち構える。
その腕の中に、バザウは突っ込む。
抱きしめられるためではない。殴りつけるためだ。渾身の拳は宙を切った。
「さっき学習したことをもう忘れたのかい?」
背後から嘲笑。
「そんなに強いのなら……、自分の力で問題を片づけろ。俺に関わるな」
「子供が作った砂場の城を踏つぶすのに、大人が出るわけにはいかないのさ」
黄色い旗がひらひらゆれる。
「……説明しろ」
「お前が考える必要はない。ただ、いわれたとおりに進んでいけば、それで良いんだ」
一瞬燃え盛った怒りを速やかに消火して、バザウはいった。
「そうだろうか?」
ルネがピクッと片眉を上げた。
「リスクを熟考することだ。お前が目的を教えないせいで……、俺がお前にとってまったく想定外の行動を起こすかもしれんぞ。何せ、俺は事情をしらないのだから」
力ある者を打ち倒すのは困難だ。ならば、いい負かすしかない。
「俺は何も、お前の敵になろうといっているわけではない……。ただ、お前が俺にさせたい仕事の内容をしりたいと……、そう望んでいるだけだ。勝手に記憶をいじられるのも、嫌だしな」
ルネは少し考えこんだ。
「お得意の記憶操作はどこまで精密なのかな? ありとあらゆる不測の事態にその能力だけで対処できるのか?」
思考はバザウの武器だ。
それを掌握される事態だけは避けたい。
「頭にモヤのかかった木偶人形より、明晰な判断力を持つ賛同者がほしくはないか? ルネ=シュシュ=シャンテ」
「まあ……。お前のいうことも一理くらいは、あるだろうさ」
相手の気持ちがグラついたのをバザウは決して見逃さなかった。
ルネは記憶操作に関しては万全の自信があるようだったが、不測の事態の対処という言葉にかすかに反応した。
バザウに目的を植え付けて動かしていても、新たに大きなトラブルが起きた時にはルネが適切に運命の舵取りをしなければならない。
バザウ自身が進むべき方向と目的を理解して行動しているのなら、いちいちルネが軌道修正をする必要はない。
手間がない。労力削減。楽ちん。ルネの気持ちはだいぶゆれ動いたようだ。
「だが記憶をいじらないと、怖気づいて逃げ出したり、寝返ったりする可能性がある!」
「なら問題ない。一度、お前の目的を話すんだ。話し終えてみて、俺が逃げたり反抗するそぶりを見せたら、その時は記憶を消せば良い」
バザウはその場にストンと座りこんだ。
すでに相手の話を聞く態勢だ。
「そういうことだ。聞かせてくれ」
すでにルネが事情を明かすことが決定事項のようにバザウは振る舞う。
「お前に心理操作の力までは、与えていないはずなんだけどね」
ルネは苦々しい笑みを作って肩をすくめる。
「この世の神は、シア=ランソード=ジーノームだけではない。あれは強力な神の一柱だが、唯一絶対の存在ではないのだ」
ウィロー・モスが親しくしていた沼地の精霊も広義の神にふくまれる。
神の地位と力はピンからキリまであって、獣や岩や人工物の神もいる。
ルネ=シュシュ=シャンテも、そんな有象無象の神の一柱。
感情、思い、混沌の心を司っているという。
「アタシの目的は、とても無欲でささやかな望みだよ」
バザウは心の中で身構えた。
キレイごとを恥ずかしげもなく口にする輩ほど、信じられないものはない。
「アタシは、毎日楽しく遊んで、ゴロゴロ自堕落にすごしたいっ! それさえできれば他には何も望まない! 時には信者にちやほやされたりもしたいけどっ! 新色の化粧品とかブランドもののバッグとか、ほしいものもいっぱいあるけどっ!」
紅で飾られた口で飾り気のない本音が吐き出された。しかもさっそく矛盾している。
バザウ、脱力。
「はあ……楽にゴロゴロしたい……、か。で、それを許さない者がいるんだな」
「そう! 憎き敵の名は、チリル=チル=テッチェだ!」
怒りモードのルネの早口はバザウには聞き取れなかった。
「……すまない。ええと、チル……? 名前をもう一度」
「チリル=チル=テッチェ! 理性、考え、秩序の心の神だ! 私と同じ心の神であるチリルは、こともあろうに、はた迷惑極まりないことに! 立派な神になるために、毎日真面目に研究と実験をして、コツコツ努力なんてものをしはじめたんだぁ!」
(話だけ聞けば……、秩序のチリルの方がまともだな)
バザウの考えを読んだようにすぐにルネがつけたす。
「おっと! チリルを贔屓するのは早急というものだよ。立派な志というものは周りを困らせる。チリルは世界における心の力が低いことを嘆いている。意志の力がこの宇宙にもたらす影響は、本当に微々たるものだ。みんながみんな、てんでバラバラな思いで動いてるんだから当然だ。方向性も法則性もない」
そこでチリル=チル=テッチェは考えた。
「バラバラな心をまとめてしまおう。世界中の心を一つにしよう、と。強い心の力で世界を作り直す試み。それがチリルの創世樹計画。確固たる意志を持つ者だけが、創世樹の宿主となれる。ゆるぎない信念が木の養分だ。広がった根が周りの心を絡め取り、宿主の理念を広めていく」
「心の……統一? そんなことをして、チリル=チル=テッチェは何をなしとげるつもりなんだ?」
仮に成功すれば世界を一変させる計画だ。壮大すぎてバザウには神の考えが読めない。
「さあね。そこまではアタシにもわからない。でもヤツはただ心を統一したいだけなんだって、そんな気がする」
心が一つになる。
誰かの強い意志が周りの心を侵食していく。
想像してみてバザウは嫌悪感に襲われた。
「神に選ばれたたった一名の思想、信念、価値観が……、すべての心を染め上げる? ロクでもないことを思いついてくれたものだ……」
「本当、同感だよ。同じ心の神のアタシにまで、ヤツのとばっちりがきたんだから。高位の神には睨まれるし、対策を迫られ、楽しくゴロゴロしていられなくなった」
ルネはチリルの計画を失敗させるための手駒として、バザウに白羽の矢を立てた。
砂場の城のたとえを用いたように、あまり神が表立って行動するのは支障があるのだろう。
バザウは地上での代行者。
「さて。次はお前の出生に関わる話だよ。チリルの創世樹計画の前段階。意図的に優れた資質を持つ魂を作り出す実験が実行された。それが、F1種、フェイク・ワン種だ」
「意図的な……魂……」
「F1種の実験の当時、アタシはまだチリルの信用を得ていた。そして、試作品のF1種を地上の生命に適切に植えつけるように頼まれた」
自分が仲間のゴブリンと違っていることは、バザウも幼いころから自覚していた。
が、こんな秘密があるとは思いもしなかった。
「……チリルから渡されたメモは、複雑で難解で、とても面倒臭そうだった……。地道で、退屈で、アタシの性には合わない作業だ」
「……」
「そこでアタシは、空の上から適当かつ盛大にF1種をぶちまけたのだ! お前は特別賢い魂が命中したようだな、おめでとう!」
明かされたバザウの出生の秘密!
神が適当に魂をばらまいた結果!
「……信じたくない」
バザウは頭をかかえた。
「まあまあ! そう落ちこむな。実際の生殖だって似たようなものじゃないか」
ルネの手が何かのジェスチャーをしていたが、バザウは思いっ切り顔をそむける。
軽い調子でそうなぐさめた後でルネ自身が途方に暮れた。
「……だが、その事件を期にチリルとの関係は急激に悪化した。警戒されて、もう実験室に入れてくれない……」
「当然だ」
「チリルが植えつけた創世樹を枯らす。斬り倒す。台なしにする。それがアタシの目的で、お前にやってほしい仕事だ」
バザウはうなづく。
「わかった……。引き受けよう。俺にとっても意義のある行動だ」
ルネ=シュシュ=シャンテを全面的に信用するわけではない。
だが、それ以上にチリル=チル=テッチェが気に入らない。
「あーあ。記憶を操って意のままにするはずが、すっかりお前のペースに乗せられた気がするよ」
「ところで……、今度の道は俺の一番苦手な道といっていたな。いったい道の先には何が待ち受けているんだ?」
メイクで彩られたルネの瞳がバザウを映す。
愉快そうに細められた三日月の目が満足げに笑っている。
「恋愛さ」
「れっ……!」
体をこわばらせるバザウをよそに軽やかな声がささやく。
「ルネの小夜曲。これにて、おしまい」
今度は、記憶は消えなかった。
「……恋愛?」




