ゴブリンと輪廻転生
「おかあさん……」
激闘の場となった大回廊にスクランブル=エッグが姿を見せた。
一人のゴブリンの死体を大事そうに抱えている。
満身創痍の三人の反逆者は目を見開いた。
「バザウッ!!」
肉は腐っていない。
凝固した血液による死斑も肌に浮いていない。
死後硬直も起きていない。
まだハエの卵の一粒だって産みつけられていない。
だけどバザウは死んでいる。
「よぉくやった」
呼吸も完全に止まっているし、心臓は鼓動を打つことを放棄した。
活動を停止した体がだんだんと冷えていく。
「おかあさん……。ぼく、ちゃんと いうとおり に したんだよ」
いつもなら、はしゃいで成果を報告するスクランブル=エッグは力なくつぶやいた。
「良い子だ、良い子だ。お母さんのいうとおりにさえしていれば、お前は幸せなんだよねぇ」
「……いわれた とおりに した けれど……」
小さな手でバザウの死体を抱き直す。
「いま ぼく は すこしも しあわせ じゃないよ!!」
スクランブル=エッグの体全体が、ぶわっとふくらんだ。
そのまま巨体をくねらせ、リイン・カーネーションの頭上を通過する。
「お前っ、どこにいくんだい!?」
リイン・カーネーションの罵倒を無視して、地底湖へむかう。
「ふざけるんじゃない! 勝手なマネをするんじゃないよ!」
洞窟内を飛ぶスクランブル=エッグに母の怒声が追いすがる。
「何が起きたっていうんだい? お前はお母さんのいうことならなんでも聞く、とっても良い子だったのに!」
かまわず飛行速度を上げる。
リイン・カーネーションの声を振り切った。
「おきて」
「……ん」
ぼんやりとした意識が、じょじょに明確になる。
バザウはスクランブル=エッグの気配に気づく。
もう体の痛みはない。
それどころか、ケガ自体が初めから存在しなかったかのように消えている。
バザウは、温かい水で満たされた場所にいた。
とくとくと鼓動のように水が流れる。
不思議と息は苦しくない。
状況を把握すると、バザウは落ち着いた声でいった。
「どうやら俺は、死んだようだな」
「……ごめんね」
消え入りそうな声で、スクラブル=エッグが謝った。
「あ。あ。ぼく、あなた に とても ひどいこと を しちゃった……」
「……」
バザウは沈黙する。
しばらくして、彼にしてはやけに陽気な調子で口を開く。
「おいおい! その悲痛な顔はいったいなんだ? お前が落ちこむことではないぞ!」
どこか演技めいた明るさでバザウがしゃべる。
「お前からすれば俺は敵だったんだ。お前は洞窟を守るために勇敢に戦い、勝利した! 俺は負けた! それだけだ。胸を張れ。戦士として誇っていろ」
鼓舞するように、スクランブル=エッグの体を手の平で軽く叩く。
「でも……、ぼく は……」
「でも……?」
少し困ったような表情でバザウは幼い死霊の顔をのぞきこむ。
「もう、あなた が てき だって、おもえなく なっちゃったの」
「……」
バザウは腕を広げて、スクランブル=エッグを抱きしめた。
親愛の情をこめて鼻をこすりつける。
ゴブリンの親が我が子にするように。
「……お前は、優しいんだな」
スクランブル=エッグにうずめていた顔を離し、バザウが口を開く。
「だが優しさは、時に不幸を運んでくる。ゴブリンであるなら、なおさらだ。お前がもし優しさのせいで苦しんでいるなら、お前を苦しめる優しさなど、破棄してしまえ」
「はき? げろ を はく?」
「ポイしてしまえ」
「それなら わかる。ええと、あの。でも……」
「俺はお前を恨みはしない。殺したり殺されたりして、命はめぐっていくものだ」
バザウはそういい切った。その言葉にウソはない。
たまたま自分が死ぬ順番がきただけだ。
「でも、もし……。いきかえる ほーほー? ほおほお? んっと、ほうほう? が あるなら、どうする?」
「生きたい!!!」
即座に返事をした後で、バザウはじっくり考えてみた。
今度は冷静な声で答える。
「俺は、生きたい」
その言葉にもウソはない。
「ほうほう は、あるんだ」
スクランブル=エッグは、舌足らずにとつとつと語る。
「ぼく は、なんにでも なれるよね?」
その意味をバザウは察した。
「お前……、まさか」
「ぼく が、あなた の からだ に なるよ」
全能でないバザウには、スクランブル=エッグを救えなかった。
しかし万能の死霊ならば、ゴブリン一人の命を助けられる。
「いや。それは……」
バザウは戸惑った。
その提案に飛びつく気にはなれなかった。
「いや? ぼく の からだ が まざるの、きもちわるい?」
「そっちの嫌じゃない。ちょっと考えこんだだけだ」
バザウは疑問点を尋ねる。
洞窟の外に出ても問題ないかどうか。
外に出た瞬間に死んでしまうのなら、バザウにとって生き返る意味がない。
「それは、へいき」
死霊はそう請け合った。
「ぼく が おそと に いけないのは、からだ の かたち が きまっちゃうから。かのうせい? って、もの が なくなっちゃう んだって。そう おかあさん が いってた」
スクランブル=エッグが変幻自在でいられるのは、洞窟の中でだけということだ。
外に出ることで特定の形に固定されてしまうらしい。
一度形が決まれば、もう新しく変化はできない。
「万能性を失う……、ということか」
そして、バザウの血肉の一部に変わる。
「確認しておきたいことがある」
あどけない目を見据えてバザウが問う。
「お前の意識や人格は……、どうなるんだ?」
当たり前のように死霊は答えた。
「なくなるよ」
バザウはうつむく。
「……お前にそこまでしてもらうのは……、気が進まない」
小さな手をそっと包んだら、ぎゅっと握り返された。
「やさしさ は とき に ふこう を はこんで くる? ごぶりん の おなら、さらだ の おさら? えっと、えっと……。ポイ! して しまえ!」
うろ覚えの言葉を返され、バザウの口から笑いがこぼれる。
小さな手が伸びてきて頬に触れた。
「ぼく、あなた の からだ に なりたいんだ」
「俺は、もう一度……、大地の上を走れるのか?」
「あなた の め で、おそと の せかい を みてみたい」
「まだ見ていなかった世界を……また見られるのか?」
「ぼく の いのち を あなた の いちぶ に、してほしい」
バザウは目蓋を閉じた。
「俺の体においで」
死霊に全身を包まれる。
寒いのか、温かいのか、わからない。
バザウの体内で、何百という魂がかけ回っていく。
それは無垢な子供の魂で、あどけなく騒々しい。
「ゲホッ! ……っはぁ、はぁ」
バザウは地底湖の水面から顔を出した。
咳きこんで、プッと水を吐き出す。
体は正常に機能していた。
押しつぶされたはずの内臓も、両脚も。
水中を泳ぐ白い小さなシルエットにバザウは目を凝らす。
(スクランブル=エッグか?)
違った。
それはここの地底湖に住む魚だ。ウロコは色白で眼球はない。光が届かない特殊な環境で何世代も生きてきたためだ。
本物のスクランブル=エッグは、泡の塊のようになって水面に浮いていた。
「大丈夫か……?」
その体はだいぶ小さくなっていた。もはや普通のゴブリンの幼児と大差ないサイズだ。
でっぷりと長かった芋虫状の体は縮んで、今は洗濯されたヒツジのような外観になっている。
「つかれちゃったぁ」
水に浮かびながら、むにゃむにゃとぐずっている。
バザウは苦笑した。
「俺につかまっていろ」
バザウは腕を差し出し小さな体を引き寄せる。
スクランブル=エッグを肩につかまらせたところで、はるか上から怒声が響いた。
「このっ! このっ!! ずる賢い泥棒めがっ!!!」
ものすごい形相で、リイン・カーネーションがこちらを見下ろしている。
「おかあさん、おこってる……」
小さな手がバザウにすがりついた。
「私がここまで育てたスクランブル=エッグを……。まんまとかすめ盗ってくれたねぇっ!!」
(かすめ盗る……?)
その表現にバザウは違和感を持った。
「私の可愛い子供だよぉ! 素直な良い子だったのに! 私のいうことなら、なんでも聞くんだ!」
リイン・カーネーションのくちびるが、わなわなと震える。
「その子は……、かけがえのない……、私の……財産だったんだよぉっ!! あそこまで大きく育てるのに、どれだけの時間と手間を費やしたと思ってるんだい!? どれだけの生贄を必要としたかっ!」
バザウは顔をしかめた。
長く伸ばされたリイン・カーネーションの爪が、バザウへとむけられた。
「それをお前が横から盗んでいったんだ! どんなずる賢い手を使ったか、しらないけど……」
リイン・カーネーションが吠える。
「泥棒! 泥棒! その子の力も、その子の命も、その子の未来も! ぜええんぶ、私のものだよぉおおっ!!」
突如その太った体がこわばった。
「……ッザけんなよ、クソババア」
肥満体の背後には槍を手にしたピーチ・メルバがいた。
「どれも子供自身のもんだろうが」
ピーチ・メルバは疲れ果て重傷を負っていた。
それでも彼女の槍は貫いた。
自分が信じる理念を。
古い族長の体を。
それで勝負はついたかのように見えた。
「きえっ!」
致命傷を受けたリイン・カーネーションが、残された力をふりしぼり太い腕を振るう。
予期せぬ反撃にピーチ・メルバは跳ね飛ばされる。
「ふ、ふひっ、ふひひぃ! バ、バカな小娘だ! この時を待ってたんだよぉ……!」
口から血を吐きながら、リイン・カーネーションは地底湖のスクランブル=エッグへと呼びかける。
「待ち望んでいた転生のチャンスだよおっ! ずいぶん小さくなっちまったけど、まぁだ少しだけ残ってる! 私は新しい力を得るんだあっ! スクランブル=エッグ! お母さんの中にお戻り!」
バザウの腕の中で、スクランブル=エッグは一言。
「……いやだ」
拒絶の言葉にリイン・カーネーションの体がぐらりとゆれる。
水柱を立てて地底湖へと落下した。
旧族長の体はしばらく水面に浮いていた。
「……バカなことを。バカなことだよ……」
誰にともなくつぶやいている。
「子供はただ親のしめした道を……いわれたとおりに歩いていれば良いのさ……。それなのに子供ってヤツは、道草は喰うし勝手に脇道にそれたりする……」
バザウは聞くともなしに、リイン・カーネーションの最期のつぶやきを聞いていた。
「……まったく子供ってのは、つくづく親の思いどおりにならないもんだよぉ……」
リイン・カーネーションの体は地底湖の底へと沈んでいった。
バザウは地底湖の壁を登攀した。
「き を つけてー」
スクランブル=エッグは大部分の力を失っている。
バザウを抱えて飛ぶのはもう無理だ。自分一人で風船みたいに浮くのが精いっぱい。
ぬるぬるすべる岩肌に、バザウは何度も足を踏みはずしそうになる。
「ヘイ、バザウ! つかまんな!」
上からロープが降ってきた。
見上げれば、三人の顔。
みんなボロボロでひどいありさまだった。
ゴブリンの群れは勝者にしたがう。
洞窟は新しい族長をむかえた。
たよりになるシャーマンと腕の良い薬師もだ。
バザウは壁に寄りかかりながら遠巻きに新族長の宴を眺めていた。
ピーチ・メルバが誰かを探すように辺りを見回す。
こちらと視線が合う。
彼女は騒々しい取り巻きたちから抜け出して近づいてきた。
「就任おめでとう。新族長さま」
ちょっと皮肉っぽく笑いかけてみる。
が、ピーチ・メルバは顔を曇らせた。
「バザウ、本当にゴメン。アタシの力不足でアンタを苦しませた。たくさん迷惑かけちまったね」
いつもの強気な態度はみじんもない。
隣に腰をおろしたピーチ・メルバはうなだれて反省している。
「アンタの協力がなけりゃ、アタシもモスもベラドンナも絶対今ごろ死んでた、って思うんだ」
「だろうな」
謙遜することなくバザウは率直に肯定した。
実際、スクランブル=エッグと対峙したバザウは一度本当に死んだのだ。
当の死霊は今ではすっかり小さくなりバザウのそばで遊んでいる。
「今になって、アタシ、不安になってきた」
「ハッ! 情けない族長もいたものだな。……いつもの威勢の良さはどうした?」
「だ、だってさ! 勝ったのは、アタシ一人の力じゃないんだよ!」
「それで良い。お前は他者の力を借り、古い長を討ちとった。それになんの問題がある?」
ピーチ・メルバはしばらくポカンとしていた。
「他者が力を貸そうと思う。他者の力を上手く活かす。それこそが、群れを率いる者の本質だろう?」
「それも、そう、か。そう……だね。うん! いわれてみりゃあ、そうだな!!」
そういって勢いよく立ち上がる。
このお気楽娘が調子に乗りすぎないよう、バザウはあわてて釘をさす。
「お、お前一人でどんどん突き進むなよ! 二人の戦友とよく話し合って、周りの意見にも耳を貸すんだぞ!」
ピーチ・メルバが振り返った。
その表情は、誠実で、き然として。
美しかった。
彼女に対して異性としての好印象を持っていなかったバザウも、一瞬だけ心惹かれるほど。
「バザウ。アタシの三人目の戦友……、にはなれないかな?」
「……」
「アンタがいてくれれば、心強い。アタシがアンタ好みの女じゃないのは、わかってるし、自分を変える気もないけど……」
彼女は真剣な眼差しでバザウを見つめている。
バザウは落ち着かない気分になった。
耳の先が赤くなる。
ぷいとそっぽをむいてしまいたいのに、目をそらせば負けてしまう気がする。
「俺は……」
自分の意志を口にしなければ。
一刻も早く。
そうでないと、彼女の瞳の真剣さにのまれてしまう。
「旅をして広い世界を……見てみたい」
「そっか……」
そこで大人しく引き下がるかと思えば、ピーチ・メルバは図々しくこんな要求を突きつけてくる。
「じゃあ、お別れのキスして!」
「はっ!? 何をいってるんだ、お前は!」
「一生のお願いだからさー! バザウのキスがほしーんだよー! 族長就任のプレゼントだと思ってさー! 良いでしょー!」
まったく慎みも恥じらいもない女である。
そこが彼女の個性でもあるのだが。
「あーもうっ……一度だけだぞ」
「マジで!? やったー!!」
ピーチ・メルバは跳びはねるやら、身もだえするやら、せわしない。
「するから……、大人しくしていろ」
「はい」
猛々しい女戦士はぺたっと座りこんで目を閉じた。
バザウのキスを待っている。
「……」
バザウは桃色の髪に軽く触れてから、彼女の額に小鳥のように軽く唇を落とした。
それで、終わり。
小さな子供のおままごとみたいに清らかなキスだった。
見ればピーチ・メルバの肩が震えている。
(……お、怒っているのか!?)
バザウの危惧は間違っていた。
「あーっ、はううぅ……。あっ、ありがとぉおっ!」
目から大粒の涙を流して泣き出した。
ピーチ・メルバは、二人の親友のもとへと走り去る。
「わあああぁああん!! モスー! ベラドンナー!」
「んご……、恋は玉砕か」
「あらまあ、よしよし」
「ふ、フラれたけど、チューはしてもらったもん! ア、アタシもう一生顔洗わねえ! 宝物にする!」
「いくらなんでも、顔は洗った方が良い」
「目の周りの泥化粧が、グチャグチャにくずれていてよ」
大泣きするピーチ・メルバをなだめながら、二人は会話をかわす。
「硬派というか、真面目な男だな、バザウは。額への口づけは、たしか祝福を意味していたか」
「ええ、ウィロー・モス。それにしても……」
ピーチ・メルバにクモの巣織りのハンカチを差し出しながら、ベラドンナがため息まじりにつぶやいた。
「初めての恋は実らないもの……だなんて、いったいどこの誰がいい出したのかしら?」
スクランブル=エッグを連れてバザウは洞窟の外に出た。
「まぶしい!」
短い手で顔を覆う。やがて光に目を閉じていたスクランブル=エッグが、恐る恐る目を開ける。
「これが、おそと……」
「ああ」
「ふしぎ。ずうっと まえ に、みたこと ある……。これ、ぼく の きおく? ぼく は だれ なの?」
スクランブル=エッグはやがて悲しげにこぼした。
「だめ……。だいじな こと なのに、おもいだせないよ」
「……」
バザウはしばらく考えた。
スクランブル=エッグは、地底湖に投げこまれたゴブリンの子供の魂の集合体だ。
死んだバザウを再生させたことで力のほとんどを失った。それでも残った何かが、今のスクランブル=エッグだ。
「お前は……ずっと前に洞窟の外に出た記憶があるんだな?」
こくりと、お返事。
(そもそも……、リイン・カーネーションが死霊術を思いつく発端となったのは……)
バザウが、コンスタントらとこの洞窟にくることとなった理由。
ゴブリンと人間の間に起きた、誤解からの悲劇。
「お前は……、昔に死んだゴブリンの子供……。フズじゃないのか?」
その一言でスクランブル=エッグの体は崩壊する。
バザウは一瞬呼吸がとまったが、楽しげな子供の声で緊張を解いた。
長年にわたり死者をとらえていた呪縛が消えたのだ。
「フズ。人間からの伝言だ。すまないことをした……、と。それからお前が助けた人間の子は無事に村に戻り、今でも子孫が続いている」
森を吹き抜ける風が木の葉をゆらす。
それに混じって幼子の声。
「もし なんにでも うまれかわれるなら なんに なる?」
バザウは即答した。
「ソーセージの木」
「おもしろいね。バザウ」
森中の木が風でゆれていた。
ゆっくりとふられる木の葉は、小さな子供の手にそっくりだ。
森小屋で待機している、二人の人間の友の元へとむかう。
この吉報を告げるために。
バザウの姿を見つけた青いマントの少年が、少し低くなった声で名前を呼んだ。
第二部 おしまい




