ゴブリンと万能なる未熟
バザウは入り組んだ居住地区に逃げこんだ。
背後からは死霊が迫る。
振り返って後ろを一瞥する。
巨大な芋虫状だった体は、今は魚のように変化していた。
(……体の形状が変わった)
バザウは、シャーマンのウィロー・モスがいっていた言葉を思い出す。
スクランブル=エッグは、洞窟内にいる限り万能に近い能力を持つ。
(万能とは、状況に応じて体が変わる……、ということだろうか……)
「まて! まてっ!」
奇形魚を思わせる尾びれをくねらせ、幼子の霊は洞窟の中を泳ぐ。
居住区に人影は少ない。
幸いにも、戦う力のないゴブリンはそれぞれの小部屋に閉じこもって避難しているようだ。
この洞窟の兵士は貧弱だ。遠巻きに立って、それっぽい威嚇の声を発するだけ。
多産に偏重した異常な体制のため、この群れの男達は常に疲れ果てていた。
「……」
バザウは気づく。
兵士が近づいてこないのは、どうやら士気の低さだけが原因ではないようだ。
「あれ? どこ に いったの?」
ずっと走り続けていては体が音を上げる。バザウは適した隠れ場所を見つけると、しばらくそこに潜伏した。
息を整えつつ、いつでも飛び出せる態勢を保つ。
「わかんなく なっちゃった……」
バザウの姿を見失い、スクランブル=エッグは混乱している。
洞窟のゴブリンは離れた場所からその様子を見ているだけだ。
「あ。あ。だれか」
幼い頭はパニックで破裂寸前だ。
助けを求めるように、洞窟のゴブリンに近づこうとするが。
「あっ。あっ。にげないで!」
パッと距離をとられてしまう。
足腰のなえた老ゴブリンが逃げ遅れる。
「あ。あの。ぼく どうしたら……」
「ひえぇ……っ!」
質問に対する答えが返ってくることはない。
老人は目をつぶり恐れおののくばかりだった。
当然といえば当然の反応だ。
スクランブル=エッグは、族長の忠実な子供で洞窟の守護者だ。
それでも異様な外見と発生の経緯は忌わしい。マトモな感覚の生きものなら本能的に拒絶するほどに。
「どうしよう。どうしよう……」
スクランブル=エッグがグルグル回り出した。
とほうに暮れた迷子のように。
老人ゴブリンは這いずりながらその場を逃げる。
「あっ。あうっ。わかんないよぉ。もう だめ……」
万能の力を持つ死霊は、小さな手で頭を抑えて丸くうずくまった。
(そろそろ休憩はおしまいだな)
バザウの役目は戦力の分断だ。スクランブル=エッグを自分に引きつけておく。
あのまま放っておけば、幼い死霊は母親の元へ帰りかねない。それでは役目が果たせない。
「おかあさん に しかられちゃう……」
タイミングを見計らってバザウは飛び出した。
「!」
スクランブル=エッグの顔が、パッと輝く。
目当ての者を見つけ再び追跡を開始する。
「きゃはっ! みつけちゃった! みつけちゃった!」
無邪気に喜んでスクランブル=エッグはバザウを追う。
「……」
のん気な声には緊迫感がない。
この追撃者につかまれば、バザウはきっとひねりつぶされてしまうのだが。
やや広い空間に出る。
ここは居住地区ではないらしく他のゴブリンの気配はない。
「おいつめちゃった! すごい でしょ?」
(軽くあしらってから……、また居住区をとおり抜けるか)
囮役というのは苦労が多い。
逃げ切っても、隠れとおしてもダメ。
つかまることは避けながらも、相手に自分を追わせ続けなければならない。
じゅぶっ、と不快な音。
スクランブル=エッグが体を再構築している。
ぷくぷくした腕に、丸っこい足。
「みて。みて。とても おおきい!」
見上げるほどに大きなゴブリン。ただし赤ん坊の姿で、しかもあの黄色く丸い顔がお面のようにはりついている。
スクランブル=エッグはバザウにむかって宣言する。
「おまえ なんて、すぐ つぶしちゃうぞ!」
体格差はネコとネズミほど。
ただし、相手はネコほど俊敏ではなかった。
大振りで稚拙な動き。見切るのはたやすい。
バザウはむしろ体格差を活かして、巨大な手をかいくぐっていく。
「うーっ!」
なかなかつかまらない獲物に業を煮やしたようだ。
スクランブル=エッグはその場に座り込んで短い手足をバタバタさせてうめく。
ごぽり。
その体が、変わる。
「!?」
無数のコウモリの群れへと。
コウモリの頭があるべき場所には、黄色い小さな顔。
バサバサと羽音を立てて縦横無尽に飛びまわる。
(体を……分散できたのかっ!?)
単調にくり出される攻撃に慣れていたバザウは対処が遅れた。
(全方位、囲まれている……)
コウモリでできた檻。
バザウが得意とする、洞窟の壁や天井を蹴っての俊敏で立体的な移動方法も通用しない。
「きゃはっ。うふふ。ぼく は なんにでも なれるんだ」
幼児の笑い声がバザウをとり巻く。ゲームに勝利して、はしゃぐ子供の声だ。
バザウはノドの乾きを覚えた。追いつめられた者の焦燥感だ。
囲まれているという現状。圧倒的なコウモリの数。
だが、しょせんはコウモリだ。一匹一匹の力はしれている。
(そう。たかがコウモリの群れだ。……死霊が変化したもの、という事実を考慮しなければ)
もしかしたら、接触しただけで生命力を奪われるのかもしれない。
もしかしたら、何も起きないかもしれない。
それを判断するには推測材料が欠けている。
(……いずれにせよ。じっとしていては……、助かる見こみはない)
バザウは進む方向を決めた。
疾走し突撃し、包囲を強引に抜け出る。
抜け出してみせる。
(突破する!)
一気にスパートをかけた。
蛮勇での逆転を狙う。
バザウの足が、地を蹴ることはない。
「つかまえた。やったぁ!」
両腕、両脚。四肢のすべてが巨大な幼児の手でにぎりしめられている。
コウモリの群れは、一瞬で手に変わり、突っこんできたバザウをとらえた。
それも、宙に浮く手首。
自在に動く四本の手は、バザウの体を拘束している。
「ぐっ……」
「あばれちゃ ダメ!」
逃れようと身をよじれば、より強い力でつかまれる。
加減をしらない子供は容赦がない。逃げるのは不可能だ。
こんな窮地に陥った自分の判断ミスを呪いながらも、バザウは新しい策を考える。
今できるのは、一分でも、一秒でも、死を先延ばしにすることだ。
(あの三人が、リイン・カーネーションを討てば……)
いくつかの展望が予測できる。
死霊を操る力が消えて、スクランブル=エッグが消滅する。
あるいは、消滅はしなくても、命令が解消される。
仮に命令が続行されても、族長を倒した三人の援護が期待できる。
こちらに死霊を倒す手段はないが洞窟を脱出すれば良い。
(……時間……。時間稼ぎ……を……)
苦痛をこらえてバザウは偽りの言葉を吐き出す。
「誤解……、している。俺は本当の敵ではない」
スクランブル=エッグはキョトンとした顔でバザウを見た。
「これは、手のこんだ計画の一部だ。お前には、そのことがしらされていなかったが……。リイン・カーネーションは、了承している」
具体的なことはいえず、思わせぶりな単語をそれらしく並べることしかできない。
「俺をつかまえろという指示も……、すべて打ち合わせ済みの演技だったんだ」
スクランブル=エッグは首を傾げる。
「ようするに……。お前が俺を殺す理由はない」
乾いた唇を動かしてウソをつく。少なくとも死霊が話を聞いている間は、殺されることはない。一言、一言が、重く舌にのしかかる。
「……わかったら、この手を放してくれ」
落ち着き払った態度をどうにか取り繕う。
意志をこめた視線で死霊を見つめる。懇願の思いをき然とした威厳に乗せて。
「わかんない!」
瞬間、神経が焼けた。
かつて、一度も味わったことのない痛み。
自分の肉体に、何が起きたのかさえ把握できない。
「ぼく は ただ、つぶせ って、いわれただけ」
従順な良い子である。
スクランブル=エッグは母のいいつけを忠実に守った。
俊足を誇った脚はつぶされた。
バザウの足が地を蹴ることはない。
もう二度と。
肉体の激痛と精神の動揺で空白となったバザウの脳に警鐘が鳴りひびく。
スクランブル=エッグがこれから何をするつもりなのか、本能的に察知した。
(……叩きつけられるっ!)
脚はもう機能しない。優雅な着地など望めもしない。
「えいっ」
「ッ!」
胴体と腕の筋肉を駆使して、最低限の受け身をとる。
無様に転がりはしたが頭部や脊椎への致命傷は回避した。
「はあっ、はあっ……!」
脂汗がにじむ。
苦痛で呼吸が乱れる。
そんな自分を叱咤し、寝転がったまま脚の状態を確認した。
「……」
筋肉組織の激しい損傷のわりに、命に関わるような大量出血は起きていない。
にぎりつぶされた……、のが逆に功を奏したのだろう。
(まだ……、俺は生きているぞ)
バザウの心臓は鼓動を打っている。
(生きてやる。一分でも……、一秒でも長く……)
洞窟の天井付近では、スクランブル=エッグが回遊している。
一番最初に見た芋虫のような形に戻っている。
「まだ つぶすの たりない? もっと つぶす!」
スクランブル=エッグがバザウを目がけて落下する。
大きなものに踏まれる。のしかかられる。
そういった状況は、小さな生きものにとっては死にいたる可能性がある。
ゴブリン族は小柄なため、その脅威をしっている。街道をいく荷馬車を襲えば危険性を実感できる。特に馬の気性の悪い時は。
「どーん!」
バザウは身をひねる。
直撃はかろうじて避けたものの、少し体をかすめた。腹部の左上。
「う、ぐ……っ」
じんわりとした嫌な痛みがバザウの体に広がる。
痛みのためか、腹筋がひくひくと断続的に収縮しはじめた。
「……っ、ふ……」
壁面にしがみつく。
腕に力をこめるたびに、腹がズキリとうずいた。
もたれるように座る。
「なん……にでも、なれる……というわりには……、変身のバリエーションが、少ないな」
無意味な会話。
バザウが自らの死を延期させる手段は、もうそれだけしか残されていなかった。
「ぼく は、なんにでも なれるの!」
(そういえば……、なんでも化けられる魔女や巨人を……食べものに化けさせて、食べてしまう昔話があったな)
まさかここでソーセージ、というわけにもいくまい。
昔話では上手くいく常套手段だが、化け物に内側から喰い破られるケースはないのだろうか?
いずれにせよ今のバザウは腹が痛いので、大好物のソーセージでも十五本ぐらいまでしか食べれそうにない。
腹がズキズキと痛む。致命傷……というには、軽い痛みだ。
だが、どこか体に違和感がある。腹部が内側から圧迫されているような。
足の痛みははっきりわかるが、腹部の痛みは曖昧だ。痛いというよりも気持ちが悪い。体全体がおかしくなってきている。
「お前が変身したのは……魚と、巨大ゴブリンに……、コウモリの群れ。それから……、手だけにもなれたか」
「そう! なんにでも!」
「……それだけで、なんにでも?」
スクランブル=エッグを怒らせぬよう、バザウはなるべく穏やかな声で問いかけた。
子供を相手にする時の声で。
「他にも……、いるだろ? クマとか、狼とか……。ヒツジ……」
単なる話の引き延ばしのつもりだった。
すでにバザウの頭は、いつものように明晰には動いてはくれない。
スクランブル=エッグは、少しさみしそうにつぶやいた。
「しらないの。ほか って、なに?」
「……しらない……?」
「ここに いないものは しらない」
「ああ……。そうだった」
この死霊は洞窟の外には出られない。
「おそと たのしい?」
「……」
「おきてよ! おはなし!」
スクランブル=エッグが、激しく両手を叩く。
その音で、バザウはハッと目を開けた。
「いま ねてたでしょ?」
「……いや……。そんなはず……」
否定も肯定もできない。
自分の意識がさっきまでどうなっていたのか、わからない。確信をもって断言できない。
「あ……? 暗い?」
バザウはそう感じた。
ゴブリンの目は、洞窟内に適応しているはずなのに。
「それに、寒い……」
幼い声が近くで聞こえる。
「おそと の おはなし。して?」
「……生きもの……、の話をしようか」
「ききたい!」
話の種には、こと欠かなかった。
人間が犬を飼いならし、ゴブリンは森狼と同盟を組む。
ヒツジの腸はとても長い。
木という、岩よりは燃えやすいもの。
尊敬すべき小さなコボルトについて。
アナグマの巣に同居するタヌキ。
ヨタカとフクロウ、夜に活動する鳥たち。
黄鼻グマの鼻が黄色い二つの仮説。
火の山で出会った湯ザルの奇妙さ。
太古の藻と遺伝子。
フェアリーの美味しさとつかまえ方。
犬の子を育てようとしたが、死んでしまった思い出。
色々な人間がいること。
鳥のヒナが巣立つ瞬間。
朦朧とした頭と震える唇で、生の賛歌がつむがれる。
腹部のダメージは、バザウ本人が自覚していたよりずっと深刻なものだった。
脾臓の破裂。胃の後ろに隠れた目立たない臓器だ。
ゆっくりとした体内出血がじわじわと内側にたまる。出血はバザウの腹を不穏にふくらませていく。
痛みに収縮していた腹筋は、ひどい痙攣を起こしていた。
「それ……から……」
バザウが一息しゃべるたびに、残りの命が吐き出されていく。
「それから?」
スクランブル=エッグはバザウのすぐそばにいた。
顔を近づけないとバザウの声がよく聞こえないからだ。
「ゴブリンの子の、あどけなさと騒がしさ」
白くてブヨブヨとしたスクランブル=エッグの体をなでる。
「……あ……。今、わかった……。理解、できた」
「どうしたの?」
それはバザウの独り言だったらしい。
バザウは目を閉じ、暗闇に身をゆだねる。
彼の心は故郷を旅立った日へと返っていた。
サローダーが旅の選別にと香草の束をくれる。
バザウの好物だと誤解して、サローダーの母が育てたものだ。
普通のゴブリンは食べないしバザウも好んで食べたりはしない。
あの時、バザウは笑ったのだ。
嘲笑だった。
自分は食べることのできない植物をわざわざ栽培していたサローダーの母を。
(俺は本当にバカだな。それは、つまり……。俺だけのために、育ててくれていたってことじゃないか)
友人のサローダーとその母は、早くに実母を亡くしたバザウを何かと助けてくれたものだ。
年月だけでいえば、バザウは母の愛情よりも、他者の親切の恩恵を多く受けて育ったことになる。
だから、ここの群れの子供のことが気がかりだった。ゴブリンの子の魂の成れの果てであるこの死霊の存在もふくめて。
力になりたいと願う。
幼い自分が、親以外の存在に守られていたように。
「……すまない」
いくらそう願ったところでゴブリンの力には限りがある。
全能でないバザウには、このなんにでもなれる万能の死霊を救えない。
「お前たちを助けられなくて」
バザウの最期の息吹は、その言葉と共に吐き出された。




