ゴブリンと暴虐の母性
バザウと三人娘は木々の間から慎重に洞窟の様子を探る。
ゴブリンの洞窟はリイン・カーネーションに支配されている。
出入り口には赤土が塗りこまれていた。色あせ具合からすると少し古いもののようだ。
(何かの儀式の痕跡? 亡霊が外に出ないようにとの結界だろうか……?)
見張りは年老いたゴブリンが一人。
ベラドンナが小声でささやく。
「神経を静める作用の薬がありますの。風上からそれを流しますわ」
「おう。気ぃつけろよ」
ベラドンナが風上に回りこみ、睡眠作用のある薬を流す手はずとなった。
が……、見張りは立ったままだ。
うとうとするきざしすらない。
「あ、あら……? おかしいですわね。こんなはずでは……」
戻ってきたベラドンナは首を傾げている。
「要するにさ、援軍を呼ぶヒマを与えなきゃ良いんだろ? 面倒な作戦なんか立てずに、のしちまおうぜ、速攻で!」
軽率な強行突破に出ようとするピーチ・メルバ。
「ふがっ。薬の効き目が出るまで、もう少し待とうではないか」
ウィロー・モスがそれをいさめる。
「なあ……」
バザウが口を開く。
ずっと老兵の挙動を見ていた。入念な観察と鋭い洞察力から、一つの仮定を導き出す。
「……あの見張り番、立ったまま目を開けて寝てるんじゃないか? 最初から……」
その場の全員がしばし沈黙する。
「あー。アホらし」
「緊張して損しましたわ」
「んご。コヤツ、猿ぐつわをかまされても寝ておるぞ」
老兵は縄で巻いて適当に転がしておいた。
立っていた時よりもぐっすり眠れているようで何よりだ。
「一つ確認するぞ……。リイン・カーネーションは、お前たち反乱分子の存在を警戒しているのか?」
三人はうなづいた。
「……なら、こんな見張りは……」
頼りなさすぎる。
もう少し警備を厳重にしても良いはずだ。
「男手が不足してんだと思う。若くて強くて見かけが良いのは、女といっしょに寝床の中へ。そうじゃないのは重労働や雑用に。どっちもこっちも、もうくたくた」
バザウは顔をしかめた。
自己を構成する遺伝子の継承こそ真理とうたう、シア=ランソード=ジーノーム好みの世界が広がっている。
繁殖の営み自体への嫌悪感はまったくないが、命が消耗品のように増産される体制には鳥肌が立つ。
「……で、危険な見張り番に、屈強な戦士ではなくヨボヨボの老人を任命しているわけか……」
信じられない措置だった。あまりのことにバザウはただ脱力する。
バザウには思いもよらない発想と価値観を持つ者も、世の中には大勢いるものだ。
「しかし……。いくらなんでも極端では……?」
一族を繁殖させれば、それだけ生贄の数が増え死霊が強化される。
よってリイン・カーネーションが産まれる子供の数を増やそうとするのは、酷薄ではあるが理にかなっている。
が、その執着は異様だ。操る死霊をいくら強くしたところで、その力は洞窟の中でしか発揮されないというのに。
(縄張りの防衛のため……? いや、それにしては妙だ。わからない……。意図が読めない)
バザウの頭は合理的にできている。
だからゴブリンらしい突拍子もない発想は、逆に理解できないものなのだ。
洞窟の出入り口に仕かけられたワナは、ピーチ・メルバが素早く看破した。
「……むこう水な性格だとばかり思っていたが、そういうこともできるのだな」
しばらくおいてバザウは小声でつけ足す。
「その手腕は、尊敬……に値する……」
ピーチ・メルバはにへらっと顔を崩した。喜びで。
「ったり前じゃん! ガンガンいくぜーって時と、ヤベーここは慎重にいくべーって時の区別ぐらいつくし! てか、狩りを成功させるには、そのノリの使いわけ? が、マジ重要。チビどもには栄養あるもの喰わせたいからね」
最初、バザウのピーチ・メルバへの印象は最悪だった。
挨拶代わりの儀式での悪ふざけ。短絡的で不真面目な性格もバザウの癇に障る。
今でも、相変わらず受け入れがたい存在ではあるのだが。
(俺とコイツは、考え方や感じ方が違うだけ。コイツはコイツなりに……、自分を取り囲む世界で立派にやっているようだ)
獣のような俊敏さと抜け目のなさで、ピーチ・メルバはリーダーとして先頭に立った。
「OK。もうワナの心配はいらないよ」
ピーチ・メルバは洞窟の奥を親指でしめす。
「この先はいちいち隠れてる余裕も場所もねえ。ババアのいる回廊まで突っ切ってくぞ」
現族長に挑む反逆者部隊。
率いるのは桃色の髪を振り乱した女戦士だ。
「オルァ! 老いぼれクソババアッ! でけぇケツしてられんのも、今日限りだかんなっ!」
「……違う。でかい顔だ」
ピーチ・メルバの啖呵が大回廊に反響する。
淡々としたバザウの指摘は誰の耳にも届かなかった。
(……もっとも……。いい間違いを修正していられるような、悠長な空気ではないな)
この場に漂う空気は異質だ。
どうしようもない息苦しさを感じる。
奥に地底湖があるせいだろうか。空気がとても湿っぽい。
生臭い瘴気がぬらぬらした壁面から発散される。
ここに滞在しているだけで肺の細胞が汚染されそうだ。
(不快な場所だ……。気持ちが悪い)
バザウは鋭敏な鼻を覆いたくなる衝動を抑えた。
いざという時にとっさに使える腕の数は減らしたくはない。
「おや、おや。これはとぉんだ珍客だよぉ」
回廊の奥から、ねっとりとした老女の声。
バザウは今度は耳を覆いたくなった。
それもこらえて、目だけはこらす。
現れたのはでっぷりと肥え太った女ゴブリンだ。
額に色土を用いて第三の目を描いていた。
白い前かけには刺繍がしてある。モチーフはヤギか何かと思われる動物の頭蓋骨。
どすっ、どすっ、と足音を立て、鈍重な動きでこちらにむかってくる。
「誰かと思えば。子供たちをたぶらかした誘拐犯どもじゃないか。よぉく私の前に顔を出せたもんだよ」
ぐるりと見回すような視線。
その目はバザウの腰の上で止まった。
「ふっひひっ! なぁんだい? 子供たちを連れ去った詫びに……」
「……!?」
原因不明の生理的嫌悪が襲う。
ゾワッとした耐えがたい悪寒がバザウの肌をなでた。
「上等の種オスでも差し出そうってのかい?」
バザウのノドに吐き気がこみ上げる。
「見れば見るほど、良い子種がしぼれそうな優良オスだよぉ! ふひぃっ、ひっひっ……!」
ピーチ・メルバも、よく下品なことをいってバザウを困らせ怒らせた。
だが、今むけられたリイン・カーネーションの発言はそんな不快感を軽くとおりこしている。
意思も人格も無視されて、生殖機能だけを論じられる。
値踏みするような老女の視線で体中が汚される気がした。
「本当……、品性下劣で醜悪な方ですこと」
心底うんざりしたベラドンナが怒りのこもったため息をつく。
「な? バザウ。わかったろ? アタシらが、コイツをボスだって認めない理由」
子供の魂を材料に自らの力を強める死霊術師。
この族長にとって、群れの男も女も子供を量産する家畜でしかない。
産まれた子供は家畜から得られた資源だ。自分のために有効活用する。
「ああ。それはもう……。嫌というほど」
リイン・カーネーションは腹立たしげに手を振り回した。
贅肉だらけの太い腕がだぷんと波打つ。
「まぁったく! 小ナマイキなガキどもだよ!」
「ふがっ! リイン・カーネーション。お前は禁忌の術に手を染めた。子らの魂を糧にその身を肥やす。その卑劣な愚行は、族長の地位に立つ者にふさわしいとは思えない」
「ウィロー・モス! 沼の精霊術師ごときが偉そうに! 私のスクランブル=エッグは日々成長するんだよぉ! 進歩のとまった古臭い精霊の力なんて、それに比べたらカスみたいなもんさ」
「……」
死霊が日々成長している、ということは。
生贄が日々捧げられていることを意味する。
「それに……。スクランブル=エッグは私のいうこともよぉく聞くんだ。とぉっても良い子だよぉ」
リイン・カーネーションが歯を剥いた。
「どっかのバカ女どもみたいにこの私に逆らったりしないんだからねぇっ!」
太い足をふんばり、老婆は仁王立ちのまま激しくいきむ。
リイン・カーネーションのスカートの中から、不気味な何かが、ずろんと出てくる。
「用心しな! アレがスクランブル=エッグだ」
姿はゴブリンからかけ離れている。形状は芋虫に似ていた。あるいは病変した臓器。
作りものめいた無邪気な笑顔が、長い体の先端にはりついている。
その大きさはどんどん膨れ上がる。
巨大な芋虫は、重力につぶされることなくぷかりぷかりと浮かんでいる。
「きゃはっ」
場違いなほどに無邪気な幼児の声が反響する。
「おかあさん。だぁいすきぃ」
屈託なく、そういって、笑う。
地底湖に投げこまれ、グチャグチャに混ざり合わされた、子供の魂の成れの果て。
バザウは目が離せなかった。
それが奇怪で異様な存在でも。
「きょうは なにを したら、ほめて くれるの?」
「あの邪魔者たちがいるだろう? 目ざわりだから、つぶしておしまいよ」
「つぶす! わかった!」
嫌でもその姿を見てしまう。
心がのまれそうになるほど。
「……ウィロー・モス」
バザウは引きつった唇を動かす。
シャーマンの才を持つ彼女の名を呼んでいた。
ほぼ無意識に。
「どうにか……、できないのか?」
バザウはその場から跳び退いた。
飛来する死霊を避ける。
「なんで にげるの? じっと していてよ!」
スクランブル=エッグは空中を泳ぐかのように自在に動く。
巨体に見合わず意外と速い。
「いったはずだ! 私の術では、死霊への対抗手段がないと!」
杖を構えてウィロー・モスが声を張り上げた。
死霊は手に負えなくとも、リイン・カーネーションに攻撃を仕かけることはできる。精霊の加護による味方の支援も。
ウィロー・モスは弱気な態度の沼の精霊を鼓舞し、仲間と共に勇敢に戦っていた。
「……違う。ああなった魂を助けることは、できないのか?」
バザウは躊躇していた。
異形と化した死霊の影に、子供の魂を見てしまう。
相手を敵だと認識できない。
「手の施しようもない事態もあるものですわ。残酷ですけれど……、現実を直視なさって」
薬師はその役目柄、生死の境にたずさわることが多い。
ベラドンナの言葉は的を得ていた。
「私達の力で可能なことは限られていますわ。死霊を傷つけることもできなければ、助けることもできませんの」
「死霊術師なら、ブチ殺せるけどなぁ!」
ウィロー・モスの援護を受けながら、ピーチ・メルバが突貫する。
脂肪にまみれた腹を一突きにしようと槍の刃先が繰り出された。
それは巨大な幼子の手でバチンとはばまれる。
「チッ!」
ピーチ・メルバはステップで距離をとる。
バザウは、だんだんと自分の役目を思い出した。
このまま上の空でいたために、三人の誰かが死ぬようなことは嫌だった。
自分の過失によって親しくした者が命を落とす。
そんな気持ちを味わうのは……。
(二度とごめんだ!)
考えこむのは、後でもできる。
今はまず、リイン・カーネーションからスクランブル=エッグを引き離さなければ。
肥満体をゆらしリイン・カーネーションもドクロを手に応戦していた。
ドクロから青い陽炎が立ち上り、触れたものの生気を奪う無数の手が現れる。
命を枯らす青白い手が、死に手招きするように妖しくゆれる。
小回りのきく小ぶりの槍が、猛攻を仕かける。
撹乱部隊の虫の軍勢は羽音を立てる。
突然地面がぬかるみ、敵がかかるのを待ち構える。
女たちの混戦。
バザウはその戦線を離脱する。
適度に距離をとったところで、大声でいい放つ。
「では三人! 族長の足止めは頼んだぞ! その間……、俺は本命の仕事に取りかからせてもらう」
「足止めだってぇ?」
リイン・カーネーションが顔をゆがませた。
ツバを飛ばし吠える。
「何を企んでんだいっ!? 白状しな!」
挑発するようにバザウは笑う。
まさにゴブリンらしい邪悪めいた顔で。
「ククッ……、さあな?」
実際、何も企んでなどいなかった。
いや企んでいないことが企みなのだが。
女三人が足止め役で、バザウこそがが何か重大な作戦の要。
と、誤解させる。
言葉はハッタリ。
すべては偽り。
演技の始まり。
リイン・カーネーションが疑問や不審点に気づく前に、バザウはパッとかけ出した。
族長の回廊を走り抜ける。
「お待ち! ええい、忌わしいねっ! 種袋の分際でっ! つかまえたら邪魔な手足は切り捨てて、死ぬまで寝床暮らしで働かせてやるから覚悟おしぃいっ!!」
贅肉たっぷりのあの体はどう見ても機動力が劣る。
その状況で、狡猾で俊敏なゴブリンを追いかける必要に迫られたら?
肥満体の死霊術師はどんな判断を下す?
「スクランブル=エッグ!!」
「はぁい! おかあさん」
いたって無邪気に子供が答える。
「アイツを追うんだ! 逃がすんじゃないよ!」
バザウは内心ほくそ笑んだ。
(そうそう。その判断を待っていた)
「わかった。おいかける! そうしたら おかあさんは、ぼくのこと よいこだね って……」
「煩わしい子だね! さっさといくんだよ!」
「あ。あ。ごめん。ごめんね。いうとおりに するから。するから きらわないで」
バザウの背後でそんなやり取りが聞こえてくる。
(引き離す……、のはこれで問題ない)
走る速度をゆるめずバザウは考える。
「きゃはっ! にげても むだ!」
強大に成長した死霊がバザウの後を追う。
(次の課題は……、俺が生き延びること)
スクランブル=エッグは洞窟から出られない。いざという時は洞窟の外に出れば助かるが、それは囮というバザウに与えられた役目を放棄することを意味する。
バザウは洞窟内で、この死霊と追いかけっこに興じなければならない。
少なくとも、ピーチ・メルバたちがリイン・カーネーションを倒すまでは。
洞窟の見取り図はすでにバザウの頭に入ってる。
鬼ごっこに、かくれんぼ。
ここ数日、森の子供たちとそんな遊びをしてすごした。
(……これまでで一番スリルのある遊びになりそうだ)
この鬼は完全にバザウを殺す気でいる。
キャッキャと無邪気に笑いながら。




