ゴブリンと子供
三人娘の案内で一行は森の居住区に招かれた。
沼地に近い湿った土地は、ゴブリンであるバザウの目にも快適そうには見えない。
隣人は土色のヒキガエル。同居人は痰色のナメクジ。
自然に生えている樹木を柱代わりにして、床板が乱雑にはりめぐらされている。
屋根はあれども壁はない。
鬱蒼とした森の、さらにジメジメとした沼地近くという立地条件。湿気がこもりやすいのだ。
森には天然の屋根がすでにある。雨をしのぐにはゴブリン製の粗末な小屋でも充分らしい。
そんな壁なしの小屋が木々の間にいくつも点在する。
(作られている小屋の数が多い……。コイツら三人だけじゃないな)
「壁なんてあってもうっとうしいだけだから、ない方が良いっしょ? 周りがよく見渡せるしー?」
学者先生は平気な顔をしているが、コンスタントはげんなり気味だ。
「ヘイ、そのキノコヘアー。顔色悪いぜ。大丈夫かよ?」
当然ながらコンスタントは内容を理解できない。
ゴブリンの言葉は人間の耳には獣じみた鼻息に聞こえるらしい。
「バザウ。その女は私になんといったんだ?」
バザウはピーチ・メルバの言葉を人間好みにアレンジして伝えた。
「お顔の色が優れないご様子でいらっしゃいますが、ご加減およろしゅうございますか? ……といわれたとでも思っておけ」
コンスタントは鷹揚にうなづいた。
ゴブリン語でピーチ・メルバがぺちゃくちゃとバザウに話しかける。
「なあ、そのボーイって正直な話、重荷じゃね? 連れてきた意味あんの? それとも実はすごい必殺技でも持ってたりして! アハッ!」
自分の言葉で自分で爆笑している。
両手を体の前でバンバン鳴らして笑うのは、見ていてイラッとする仕草だ。
バザウは不快感を押し殺して静かに答えた。
「その少年の……、コンスタント自身の功績のためだ。俺と帽子の男はその補佐でしかない。コンスタントが目指す場所まで導くための」
「はあー、ご立派な志! でもさ、ぶっちゃけ足手まといじゃね? 戦えんの、ソイツ?」
「戦力としては見なしていない。むしろ……荒事となればコンスタントを守りながら戦わねばならない。なるべく穏便に済ませたいものだ」
ピーチ・メルバはたてがみのような髪をばさりと振った。
「はっ! アンタみたいに腕っ節の強そうな男が、どうしてそんな弱っちい人間のガキんちょに肩入れすんのか、アタシわかんない!」
「……弱々しいからこそ、肩を貸そうという気になる」
バザウは目の前の女ゴブリンを見すえた。
「いくらゴブリンが愚かで身勝手だろうとも……、重いからといって、母親が背中に乗せた赤ん坊を振り落としはしない。そういうものだろう?」
「まあ、たしかに、そう、いえてる、かも」
ピーチ・メルバはひとまず大人しくなった。
彼女たちの小屋には、大勢の客がひっきりなしに訪れた。
コンスタントは吸血ヒルにおびえ、学者先生はアメーバ状となった粘菌の変形体を見つけて喜んでいる。
バザウは腕に這い上ってきたカタツムリを投げ捨てた。
「この森にはもう少しマシな土地はなかったのか?」
「あるよ。暮らしやすくて頑丈な洞窟が。けど、アタシらはそこに住めない。……今はまだ、な」
「なるほど……。一等地は族長のものと、相場が決まっているものだ」
「それはもう、うっとりするような洞窟ですのよ。暗くていくつもの小部屋が複雑にわかれていて。中でも素晴らしいのは洞窟の奥にある地底湖ですわ」
族長に反旗をひるがえす前の記憶をたぐりよせ、ベラドンナは洞窟の細部を語った。
ため息と共にまつ毛をしばたかせる。彼女のつけまつ毛は樟蚕≪くすさん≫毛虫の青白くふわりとした毛で作られていた。
「ふごっ! その地底湖が大きな問題でもある」
ウィロー・モスが巨大な鼻を鳴らす。
「さて……。そろそろ本題の話を聞かせてくれないか?」
三人の女ゴブリンたちは目くばせをかわす。
それはバザウの知性と洞察力でも解読できない、女同士の暗号であった。
「なー。悪いんだけど、ちょっと留守番してくんない?」
「留守番だと……? 初対面も同然でよくそんなことが頼めるな。といっても……荒らしたり盗んだりするものすらないが」
ボサボサ髪をかき分けピーチ・メルバが軽い調子で続ける。
「アハー。出かける用事があんだよねー」
この女では話にならない。
バザウはそう判断して、ひらひら服のベラドンナの方を見た。
「あら大変。困りましたわ。熱さましの材料になる薬草を切らしておりますの。今日中に採取しませんと」
はぐらかされる。
最後にバザウは救いを求める気持ちで、ギョロギョロ目玉のウィロー・モスを見た。
「シャーマンの務めとして、沼の精霊の声に耳を傾けなくてはならない」
バザウは眉をひそめ、三人の女に懐疑の眼差しをむける。
この女たちは何を企んでいるのか。
「そうフテくされんなよー。アンタはちょっと面倒を見てくれりゃあ良いんだってば」
「……面倒を見る?」
バザウの質問への答えは言葉ではなく現物だった。
「ヘイ、チビどもー! イケメンの兄ちゃんと気の良い人間二人が、いっぱい遊んでくれるってよ!」
ピーチ・メルバの声を聞きつけ、四方八方わらわらとゴブリンの子供が押し寄せる。
「わーい! お客さん!」
「おままごとね! わたしがお姫さまでお兄さんが王子さまで、他の子と人間は奴隷役!!」
「そんなのより鬼ごっこしたい!」
「かくれんぼが良いー」
「えっとね、あのねっ、面白いお話が聞きたいっ」
「みんなー、置いてかないでよー! ……本当に平気かなー? 人間って怖いお話によく出てくる、あの人間だよね……?」
バザウも、コンスタントも、学者先生も、小さなゴブリンに埋もれてもはや身動きが取れない。
「おいっ!!」
幼児によじ登られながらもバザウが叫ぶ。
声にふくまれた怒気を察したのだろう。バザウにつかまっていた小さな手がビクッとこわばった。
「あ……。ち、違う違う! お前に怒鳴ったわけではないからな。……くっ! ど……、どういうつもりだ」
ピーチ・メルバはくるりと背中をむけた。
「んじゃ。世話は頼んだから。ご飯の前だから、あんまりオヤツとかあげないで」
「……わかっ……。おい!」
「よろしくお願いしますわ。バザウさんと人間さんたち。任せますね」
「簡単に任せるな! この数では全員に目は届かないぞ。ケガとか事故とか……、起きたらどうする!」
「案じるな。我々とて野放図ではない。子は宝だ」
ウィロー・モスは木の棒で地面を突いた。
ぼこんぐぽんと音を立て、不格好な土くれ人形が出来上がる。
「何かあれば、すぐに対処できる態勢はとってある」
「……そんな便利な召し使いがいるのなら、新たに子守りを雇うこともないだろうに……」
ウィロー・モスは黄色い歯を見せて静かに笑うだけだった。
女たちは何かを企んでいる。
だがその何かは見当がつかない。
「……」
バザウは考えがまとまらなかった。
大勢の子供が歓声を上げる中で、熟考するなど無理な話だ。
「これは壮観だ」
人間の言葉が耳に届いた。
のん気にゴブリンの子供をあやしているのは学者先生だ。トレードマークの帽子はオモチャになっている。
「こうして見るとこの子たち全員バザウの子供みたいだね」
「怒るぞ」
「はは、ごめんごめん」
しかしその言葉でバザウの頭に疑問が浮かぶ。
(子供の数が、あまりに多すぎる……)
あの三人だけで産んだ子供だとはとうてい思えない。
彼女たちがニワトリみたいに、毎朝ぽこぽこっと卵なり赤子なりを産む体質とでもいうなら話は別だが。
ふとバザウは友人のことが気になった。
(……コンスタントはどうしている?)
あの少年は、自分の出生にコンプレックスを抱いている。
出産を連想させる言葉を使っただけでも機嫌が悪くなるのだ。
(これほど大量の子供に囲まれて……トラウマがぶり返していなければ良いのだが……)
心配は無用であった。
というか純粋無垢にして傍若無人な幼ゴブリンの群れを前にして、コンプレックスだのトラウマだの感傷的な気分にひたるヒマなどなかった。
コンスタントはどうにか子供たちをお行儀良くシツケようと、むなしい努力にはげんでいた。
男三人衆がくたくたになったころ、それぞれの用事を済ませた女ゴブリンたちが戻ってきた。
「ふがっ。ご苦労であった。別段大過なくすごしたようだな。骨のある遊び相手を見つけて子らも喜んでおるわ」
「おかげさまで薬草の採取に専念できましたわ。本当に助かりましてよ」
とりわけ騒々しいのがピーチ・メルバの帰還だった。
「待たせたな! 特上肉だぜっ!!」
大きなイノシシに縄をかけ引きずってきた。
子供たちは大歓声で彼女を迎える。
「これだけの大イノシシを……お前一人で狩ったのか?」
「うんにゃ。森狼の群れと手を組んでる。追い立てるのは奴らの仕事。とどめを刺すのはアタシの仕事。イエイ」
イノシシの体はすでに一部が解体されていた。
失われているのは四肢と内臓。これが狩りに参加した狼への配当なのだろう。
「ほう……。見事なものだな」
「アハッ! 何々? アタシのこと見直しちゃったり?」
ピーチ・メルバは踊るように尻を振った。
彼女の獣皮のスカートがゆれる。斑点が散らばった、肉食獣のものと思われる毛皮だった。
「アタシさー、褒められると調子が出るタイプなんだ。仏頂面でスカしてるアンタが、ちょっとだけでもアタシに笑いかけてくれたら、凶暴な灰色グマだって倒してみせちゃうよ」
バザウの返事は素っ気ない。
「褒められると調子に乗る……、の間違いじゃないのか。俺は単に狩りの手腕を客観的に評価したまでだ」
ピーチ・メルバはロコツなまでに表情を変えた。がっかり、という顔だ。
「ヘーイ、モス。ヘイ、ベラドンナ。聞いてよ。この男、せっかくピーチ・メルバちゃんがお誘いしてるのに、ちっとも乗ってこないんだけど!」
「自業自得である。初対面での儀礼であんなイタズラをするからだ」
「真面目な殿方にはああいう強引なアプローチは好まれませんもの。演技でも良いからちょっとぐらい初心なフリをした方が、かえって男はコロリといくものですわ。恋って、そういう男女の駆け引きが楽しいのではありませんこと?」
どんな意見が出てもピーチ・メルバはどこ吹く風だ。
「だって好みの顔してたんだもーん。フリとかウソとか、アタシには無理。ほしくなったら全力でアタックしちゃう」
明け透けに発言するピーチ・メルバに背をむけて、バザウは耳をふさいでいた。
ゴブリン語はわからなくてもその場の空気はわかるのだろう。
コンスタントは哀れみの目で。学者先生はにこやかな視線で。それぞれバザウを見ていた。
(他人事だと思って……!)
バザウの苦労はまだまだ続きそうだ。
ベラドンナが肉の煮込み料理を作り、全員に夕食が配られた。
「あれ? これ、なんか、いつものと違くね?」
「ええ。普段は風味づけで毒キノコを入れるのですけれど……。今回は人間族のお客さまがいますからキノコはなしですわ」
このやり取りをバザウが教えると、学者先生が目を輝かせた。
「ゴブリンには毒キノコを食べる食文化があるのかい?」
「うげ。悪食だな」
「俺たちにとっては伝統的な食材だ」
かつて、ゴブリンの大集落で出会った老婆を思い出す。
毒キノコバターの作り方をバザウに教えた老婆だ。
自分にお迎えがきてもこれで伝統の味が残ると喜んでいた。
「おい、バザウ? どうした? ……う、怒ったのか? 私が悪食といったせいか?」
「いや、少し思い出していただけだ。……人間にとっては、毒キノコは死を意味するらしいが、ゴブリンにとっては珍味を意味する」
ゴブリン族にはキノコの毒は無害である。
それは虫の翅を持ったフェアリー族も同じである、と学者先生が補足した。
妖精の血を引く者はキノコの毒で苦しむことはないようだ。
食事が終わり子供たちが寝着いて、ようやく女たちは話し合いの場を用意した。
まず村の人間側が認識しているフズの事件についての説明をおこなった。
「ふごっ。そうか。それが、人間から見たフズの死なのだな」
「……ここのゴブリンから見れば、違うというのか?」
事件が起きた時、人間とゴブリンは互いの言葉を満足に理解できなかった。
一つの事実を別々に解釈していることも考えられる。
「フズが殺された。人間はそれを非常に重く見ている。その二点は、当時のゴブリンも把握できた」
「ですが……。それはゴブリンに衝撃をもたらしましたの」
「フズの死は、どうやら特別で大変なことらしい、ってな」
ゴブリンにとって生と死は密接だ。
死は特別なものではなく、ゴブリンの生活の一部でしかなかった。
当たり前だったはずの死がある時から特別な意味を持ち始める。
それが村人との間に起きたフズの事件だ。
「ゴブリンとはけっして友好的な関係とはいえないあの人間族が……。フズの命を奪ったことに対して、こうまでも狼狽している……。その時ゴブリンたちは思った。もしかしたら……、死とはとても特別なことなのではないか? と」
ウィロー・モスがおごそかにいった。
「死は特別で強い力を秘めている。そんな信仰にも似た考えが、この森に広まったそうですの」
ベラドンナが静かにささやいた。
「特に、無垢な子供の死が!」
ピーチ・メルバが吐き捨てた。
「今、この森で族長を務めてんのは、ぶくぶくに太ったクソババアだ」
「名はリイン・カーネーションといいますの」
「子供の魂を生贄として死霊術を行使することで、支配力を強めている」
ウィロー・モスが沼地のシャーマンなら、族長リイン・カーネーションはネクロマンサーだ。
この森のゴブリンは神秘的な術の使い手が多いようだ。
「ッザケんじゃねーよっ! って、アタシら反抗してんだ」
「現族長は子供の魂を資源としてしか見ていませんの。洞窟の中で産まれて、外に出ることなく幼い命を終える……」
「あの大勢の子らは、リイン・カーネーションの洞窟からさらってきたのだ。あそこにいれば、いずれは贄として地底湖に突き落とされる」
「だからクソババアを族長の座から引きずり降ろして、そんなクソみてえなこと、やめさせんだよっ! でもっ、まだっ……、アタシらにはそのための力が足りねえ!」
ピーチ・メルバはバザウを見た。
「力がほしい。協力者が必要なんだよ」
沈黙がその場を支配した。
「やれやれ……。族長も外道なら、お前たちもずいぶんと卑怯な手を使う」
牙をむき出しながら、バザウは凶悪な笑みを作った。
「本当にイライラさせられる女どもだ! 小賢しい姦計で、俺を手玉に取るつもりだな? 俺はいつだって、冷静で計算高くいたいと思っているというのに」
バザウのため息。
「チッ! ……子供たちに情がわいたところで、そんな話を聞かされたら……、冷徹な判断も損得勘定もできなくなる……」




