ゴブリンと親善使節
広場には人間がひしめき合っていた。
村長らしき人物が進み出る。恰幅の良いヒゲの男だ。
「説明を求めよう」
一同の注目をあびているのは、他でもないバザウとコンスタント。
「我々が納得できるような、説明をな」
周りには農具や手近な刃物で武装した男たちがひかえている。
脱穀棒や木槌で叩きのめされれば死ぬし、鉈や斧の重たい一撃はそれだけで致命傷になるだろう。
ただ村人の構えには隙が多く、戦意の影にはおびえが見え隠れする。争いごとに慣れてはいない印象だ。
(とはいえ……。この人数を一人で相手取るのは、無理がある)
ゴブリンとしてはバザウなかなかの実力者だ。
だが、それ以上に現状では不利な点が多すぎる。
人間とゴブリンの体格差。
多数と単独という戦力差。
(それに……)
目の前の青いマントを見る。
バザウが軽率な行動に出れば、確実にコンスタントへしわ寄せがいく。
低い声でコンスタントがささやいた。
「バザウ。私を信じられるか?」
誰かを信じる。
自分の力で道を進むのではなく、他者に身をゆだねる。
それは安心。それは成功への流れ。それは疑いを捨てること。
それは不安。それは破滅への流れ。それは思考を止めること。
どちらも同じ。賭けのコインの裏と表。
「……任せる」
「この者は、私の友人である。名はバザウ」
その一声で周囲がざわめく。
「ソイツはどう見たって正真正銘のゴブリンだぞ!」
「本気でいっているのか?」
「境界線のルールを破ったんだ。しかるべき処罰が必要だろう」
押し寄せる大人たちの声に少年はさらされる。
それでもコンスタントは、しっかりと顔を上げていた。
「フズの境界線のゴブリンたちとは別のゴブリンだ。彼は旅をしている。偶然の縁により、私と交友関係を持つようになった」
「ゴブリンと交友だと?」
広場は、村人たちの不安と怒りの空気で占められていた。
そこに別の感情がすいとまぎれこんでくる。
新しくもたらされたのは、笑い。
「こいつは傑作だな!」
「彼は賢く理性的だ。彼が滞在していたのは、私のもとで学習するためだ。村への害意はない。よって、我々が彼をおびやかすようなことはあってはならない」
「学習! これほどゴブリンと無縁な言葉もないだろうに!」
「小鳥や犬に、芸をしこむみたいにか?」
「ロバやヤギを従順にさせるようにか?」
(……村人たちに信じろというのは、無理な話か)
信頼に足りるだけの説得力が欠けていた。
まずゴブリンという種族の一般的なイメージ。
もう一つは、村でのコンスタントの立場の低さ。
「だけどよ。ゴブリンをあそこまで手なずけたってのは、ちょっとした功績じゃないか?」
「たまたま温厚な性質だったから良かったんだ。下手をすりゃ、コンスタントは死んでたかもしれんぞ」
「あのゴブリンを見ろよ。大人しくちゃあんと立ってる。尻をかいたり鼻クソを飛ばしたりもしねえ」
「なあ、どうする? あまり乱暴な方法は取りたくないもんだ。先祖がおかした間違いをくり返すハメになる」
群衆はしばし沈黙した。
やがて疑わしげに、一つの問いが投げかけられる。
「コンスタント。本当にソイツは良いゴブリンなのか?」
「バザウは、尊敬するに足りる知性と人格を持った存在だ!」
迷いのないコンスタントの真剣な発言はかえって大人たちの笑いを誘った。
「それじゃソイツがどれだけお利口なのか、ちょいとお披露目してくれよ!」
多くの視線が無遠慮に突き刺さる。
バザウは見世物気分を充分味わった。
ため息をついてから、流れるように言葉を連ねる。
「……カラスを見ずに、カラスが黒いことを証明する方法が一つある」
その場が静まりかえった。
一切のざわめきが消える。
「世界中の黒でないものすべてに、カラスがふくまれないことを確認すれば良い」
静寂はやがて喧騒に変わる。
「おお……。ゴブリンがしゃべったわい!」
「カラスの証明? なんのこっちゃ? カラスが黒いのは当たり前だろ」
「さあ? 詩か何かじゃないのか? 単なる言葉遊びかもしれん」
「……」
バザウは涼しげな無表情をたもっていた。
が、ゴブリンの感情表現にくわしい者が見れば、バザウの内心は一目瞭然。
その耳は赤く染まり、逃げ場を求めるかのように垂れ下がっていた。
(……じ、時間を巻き戻せるなら、数秒前の俺を力づくでとめてやりたいっ!)
ジョークにしろナゾかけにしろ、相手に意味が伝わらなければ寒々しいものだ。
それを解説するなど恥辱の極み。
コンスタントですら困惑気味にバザウを見ている。
(うう……。すっかり忘れていた……。俺の話は、つまらないってことを。仲間のゴブリンたちから、散々いわれていたのに。俺が何がいいたいのか……、少しもわからない……と)
「なるほどね。よくわかったよ」
村人たちの間から帽子頭がにょきりと突き出た。
コンスタントが学者先生と呼んでいた男だ。
「君が本当に賢いかどうかしりたければ、世界中のおバカさんを一人一人確認していけ、というわけか。それは気の長い作業になりそうだ」
学者先生は愉快そうな顔をして、周りの人間を見渡した。
みんなぽかんと口を開けて固まっている。その顔のマヌケなことといったらない。
「そんな退屈な作業は、僕はまっぴらゴメンだな。もっと手っとり早い方法を選ばせてもらうとしよう」
カラスが黒いか調べるには実際にカラスを見れば済むことだ。
学者先生は帽子を少し持ち上げて、バザウの姿をしっかりと見た。
「……そういうこと……だ」
バザウは冷やかな顔と素っ気ない声でいう。
緑の尖り耳はピンと立って、パタパタと軽やかにゆれていた。
バザウとコンスタントは村長の屋敷へ招かれた。学者先生もいっしょである。
数人の男たちがバザウの挙動を見張っているが、もう物騒な武器は持っていない。
もっとも、バザウの方でも二本の短剣を押収されてしまった。
安全のためバザウを拘束しようという意見も出たが、コンスタントの反論によって却下された。
隠し武器がないかどうか体や荷物も点検される。
(……危ないところだ。この村で盗みを働かなくて、助かった)
もし村からの盗品が見つかれば、バザウの立場は一気に悪くなる。
バザウは賢いゴブリンではあるが、善良なゴブリンというわけではない。
村人たちは、どうもこの二つを混同しているふしがあるが。
「コンスタント。このゴブリンは明確な意志を持ち、人間と交流することができる。間違いないな?」
「そうだ」
村長を前にしても尊大にふるまうコンスタント。
その無礼な態度に大人たちは不快感をあらわにした。
(コンスタントめ……。心証が悪いな。少し人間たちの顔を立てておくか……)
相手の顔を立てれば波風は立たない。
村長の視線がバザウにむけられた。
すかさず膝を曲げてあいさつをする。
「こうしてお目にかかれて光栄です。バザウと申します」
ゴブリンからこうも丁寧な対応をされるとは、予想していなかったのだろう。
村長はヒゲにおおわれた口をもごもごさせた。
「この村の長は……、とても聡明でいらっしゃる。偏見にとらわれず公平で客観的な視点でものごとを判断なさる賢いお方……。寛大な措置に、厚く感謝いたします」
バザウは深々と村長に頭を下げる。
ここまで誉めておけば、一度出してしまった公平さや寛大さを引っこめるわけにはいかないだろう。
「うむ。そちらも、なかなか性根の良いゴブリンであるな。いや、とてもゴブリンなんぞには見えんよ」
村長はヒゲをなでた。
ゴブリンには見えないゴブリン。それで称賛のつもりらしい。
バザウはうやうやしく頭を下げたが、心の中では村長に舌を出していた。
「さて、コンスタント。お前に頼みがあるのだが」
「頼み?」
「フズの境界線についてだ」
村長が目配せをした。
村長の隣にいた、やせ細った老人が前に出る。歳のせいか、おぼつかない足どりだ。
コンスタントが、あ、と小さく声をもらした。
そしてバザウに説明する。
「あの老人は、フズに助けられた子供の系譜なのだ」
「……頼みごとの内容が読めてきた……」
杖に助けられながら老人はかろうじて立っていた。
「お前さんらに伝言を頼めんか。フズの境界線のむこうのゴブリンに正式に謝りたい」
悲劇の起きた昔。村の人間はゴブリンと細かく意志疎通することはできなかった。
フズの鎮魂のために品を送り、林に石垣を作った。
言葉が通じないため、それ以上のことはできない。
村の人間は今でもフズの事件にしこりを残している。
「その……。気持ちはわかりますが、ちょっと危険じゃありませんか?」
口をはさんだのは学者先生だ。
「伝言の使者は、フズの境界線をおかすことになる。過去の事件を蒸し返して、ゴブリンの怒りを買う可能性も考えられる。そんな危険な役目を子供に負わせるのは反対です」
「屈強な男の集団では和解を阻害する」
「森にいかせる使者は、あのしゃべるゴブリンと、ソイツを手なずけたコンスタントだけで充分だろ」
「いいや、やめとけ、やめとけ。コンスタント坊やにゃ、伝令役は重すぎるだろうよ」
「だが境界線の問題は軽視できない」
「ゴブリンに対して、ずっと引け目を感じてすごせというのか!」
バザウは村人たちの論争を静観した。
堂々巡りの議論を終結させたのはコンスタント自身だ。青いマントに身を包んだ少年は宣言する。
「私なら、森にいってもかまわない」
村長の家を出ると一人の女が待っていた。
コンスタントの母親だ。
「私に何用だ?」
「ねえ、教えて、コンスタント。村長とどんなお話をしてきたの? まさか……」
母親の不安げな視線がバザウにむけられる。
恐ろしいものを見るような。
それでいて、救いを求めるような。
そんな目で見られても、どうしようもない。
「私はこの者と境界線むこうの森へいく。この村を代表する和解の使者としてな」
母親は口を手でおおった。
「無茶よ! 危ないわ! 何かあった時に、あなたを守ってくれる人はいるの?」
「いちいちうるさい女だ」
「ええと……。一応僕も同行することになりました」
学者先生が気まずそうに顔を出した。
それでも母親を安心させることはできない。
「まあ、そんな……、たった二人で? やっぱりこんなの危険です!」
「ふん。バザウをふくめれば三人だろう」
「……」
ここで出しゃばっても母親から恨みを買うだけだ。
村長をおだてた時と違って、バザウは後ろの方で大人しくしていた。
それに、これはコンスタントと母親の問題だ。
当人同士でじっくり話し合うべきだ。
たとえ意見がぶつかったとしても。
「危険は承知の上だ。だからこそ挑むのだ!」
コンスタントが母親を睨みつけた。
「この難行をなしとげれば、私は認められる。存在を認められるのだぞ!」
学者先生は困った顔で親子のなりゆきを見守っている。
「ああ、お願いだから、無茶なマネはやめてコンスタント……」
母親の懇願を高慢な少年はピシャリとはねのけた。
「たとえ失敗したとしても、村の伝承に私の名が残る。それで私は満足だ」
バザウはピクリと耳を動かした。
(死んで名を残す? それで満足? 俺はまったく賛成できない)
コンスタントは友人だが、死の淵まで共にいこうとは思わない。
(目的が達成できなくとも、生きて戻った方が良い。……三人でな)




