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ゴブリンと妖星

 ブルネルスはいまだかつてないほどに集中して瞑想をしていた。

 ただひたすらに無心であろうとして逆に心乱される。

 彼女がそうまでして平静をたもとうしているのは、ごく至近距離で妖星とおぼしき存在と遭遇してしまったからだ。

 神々ですら狂わせる恐るべき妖星はあろうことかブルネルスの頭の上で髪の毛をかき分けてキャッキャと遊んでいる。


「ブルネルス」


 背後でバザウの声が聞こえた。

 振り返れない。この状況で行動を起こすのが怖い。助けを求めることも、危険だと警告することもできない。


「ああ……入り込んでたのか。だが丁度良いな」


 バザウの指先が髪の毛に触れている感触がある。

 そこには、そこには妖星がいるというのに。


「とれたぞ」


「……」


 緊張から硬直を解けずにいると、やがて足音がしてバザウの気配は遠ざかっていった。




 妖星は叶えるべき願いを見つけられずに少々残念そうだった。

 これから大きなことを実行しようとしているにも関わらず、バザウに燃えたぎる気負いといったものはなかった。

 食事のために食器を出したりメモを書こうとペンをとるのに特別な情熱がいらないように。

 かといって何も考えていないわけでもなく、そうする、そうなる、それが起きる、という穏やかな覚悟だけがある。


 バザウの体のあちらこちらは妖星が振りまいた光の粉でキラキラしている。

 今妖星はバザウの左耳の穴に潜り込もうとしているところだ。

 くすぐったさにバザウはぷるぷると顔を振った。転がり落ちた妖星を両手でキャッチする。


「……一人ではさみしいだろう」


 手の中に収まっている不思議な存在に顔を寄せて話しかける。

 なりそこないの宇宙の残骸。バザウ自身の遠い遠いルーツ。命に受け入れてもらいたくて無邪気に願いを叶える侵蝕者。


「外の世界にいる仲間たちにも伝えてあげると良い」


 そんな存在を愛おしいと思った。

 この世界を彼らで満たす。それは現実を現実のままにしておく意味もあるが、それと同時に妖星が安心していられる場所を作りたかった。

 バザウは自分はここにいてはいけないのだと思って故郷を後にした。

 旅の途中で出会ったある者はバザウの敵だったし、ある者はバザウの友となった。変わり者のゴブリンでも、ここにいて良いのだと、そう思わせてくれた。

 それがバザウは何よりも嬉しかったのだ。


「俺がお前たちを待っていると……」


 身震いするかのように妖星が強く輝く。

 バザウは一なでした後で、妖星を現実世界へと放った。




 根源世界が妖星でいっぱいになる前にブルネルスは現実世界に出ていくことにした。ここに避難してきた神々とは違い、殺気立ったシアに目をつけられているわけではない。もしも妖星の光でおかしくなったとしてもニジュのように一体化しなければ元に戻れる。そして妖星を恐れて忌避しているブルネルスに妖星が同化を望む可能性はほぼありえない。

 ブルネルスが外に出ることで三柱の神々にとっても都合が良かった。ルネの力で彼女の心に潜むことができる。精神領域に自力では入れないエヴェトラとニジュを連れてブルネルスの心に入るのは、ルネにとって骨の折れる重労働になるだろう。自分に負担がかかるのをいとうルネだが不満をぶつくさこぼしながらも協力的に動く。

 最初はこの神に良いように操られた。次に反発を覚えて干渉を拒否した。今となってはバザウのおこないがルネを動かしている。


「妖星があまりいない場所を探して、そこでジッとしてる」


「ああ。さっきみたいに瞑想に励んでいればすぐだ。お前が気がついた頃には世界は元に戻っている」


「バザウは……」


 何か言いたいのに気の利いた内容が思い浮かばない。だが、とブルネルスは思う。爽やかな態度もとれず含蓄のある話も出てこないのが、しどろもどろの無様さこそが今の自分の本心を一番雄弁に表していると。


「……ううん、なんでもない。無事を……」


 ブルネルスは発しかけた言葉を飲み込んだ。


「……上手くいくように祈ってるよ、私の大切な魂の兄弟」


 無事でいられるわけがない。そう聞かされていた。




 バザウの根源世界から三柱の神々と一人の少女が立ち去っていった。

 荒涼とした岩場でバザウは静かに目を閉じている。

 何かが近づいてくるのを理屈ではなく本能で感じてその目を開ける。そして、根源世界への門も。


 まずは空の色が変わった。妖星たちはパステルカラーの星空がお気に入りらしい。ラベンダー色の夜空は星で満たされた。キラキラと流星群。数えきれない星の一つ一つ、あれらのすべてが妖星だ。

 流れ星はすぐには地上に落下せずバザウの頭上を取り巻くようにグルグルと旋回する。ミントグリーン、ベビーピンク、レモンイエロー。柔らかな光が次々にバザウを照らし出す。


 妖星が求めているのは形だけでない。承認もだ。いくら居場所を用意されたからといってもそれが廃棄物をゴミ集積所にかき集めるような扱いであれば心は満たされはしない。

 ここにいても良い。その存在を受け入れる。その言葉が表面的なものでないことを示す必要がある。


「おいで」


 手を伸ばす。


「俺は……お前たちを歓迎する」


 その手を伝い、膨大な星の力が流れ込んでくる。

 妖星たちの可愛らしい見た目からは想像できないほど、悲しい、冷たい、寂しい、むなしい、そんな感覚が同時に押し寄せる。


 腕を走る血管が裂けて鮮やかな血が飛び散る。赤からピンクと水色の透明がかったグラデーションへと変わっていく。固まった血は優しい色合いの琥珀糖になっていた。

 めきめきと不吉な音を立ててバザウの尺骨と橈骨が泣き別れる。濡れた肉からは甘く熟した桃の香りが立ち上り、へし折れた骨の断面からは爽やかなハッカの芳香がただよった。


 変容の間でもバザウの意識はある。痛覚も。

 妖星に害意はない。あらゆる病魔の苦悶とあらゆる負傷の疼痛をバザウは体感しているが、これは攻撃ではないとわかった。


 ねじ切れてちぎれた皮膚がヒヨコに変わる。

 崩れ落ちた肉の塊はウサギになって跳びはねていく。

 流れ出た血から赤白黒の金魚が生じる。


 妖星はバザウの内臓にも容赦なく入り込んで融合していった。

 腹部を内側から圧迫される。脈拍や腸の動きといった感覚とは異質な動きだ。ネズミの楽団がオーケストラでも奏でいるのかと思うほどの騒ぎぶり。

 呼吸が荒くなる。肺いっぱいに特濃のアマレットシロップを注ぎ込まれたような息苦しさに、バザウのノドから血と唾液と吐瀉物と穢れ一つないアンズの花弁がこぼれ出た。

 激痛で吐くなどという生き物らしい反応をまだ自分の体ができることに若干の驚きと懐かしさを感じる。明らかにバザウが食べていないものも一緒に出てきたが。


 気が遠くなる。痛みで我に返る。だんだんと気持ち良くなってくる。次の瞬間、背骨を貫くような衝撃に痙攣する。

 そんな時間がどれほど経過しただろうか。


 ここに一つの肉片がある。

 それは本当にキレイなピンクで、妖星が変えたものではなく彼の内臓そのものの色だ。


 肉体のどこに精神が宿るものなのか、とバザウは考えた。


(頭ではないな)


 機能はとっくに停止している。


(心臓も違う)


 それはすでに形をたもっていない。


(それなら……腸≪はらわた≫かな)


 ポン☆と面白可愛らしい音楽を奏でながら最後に残った内臓が爆ぜていく。辺り一面の紙吹雪。




 芽吹いたそれは急速に大きくなっていく。

 か細い新芽はじょじょに太さとたくましさを増していき、充分成長したヘビイバラの幹はくねる大蛇の軌跡を描きながら天に伸びる。

 青臭い葉の匂いと澄んだ甘さの花の香りがただよって、滑らかな縁のウロから溜まった水と共に何かがこぼれ出た。


 それは生き物だった。

 樹液とも果汁ともつかない液体で全身が濡れている。

 ヒスイに似た色の緑の肌。その瞳は黄色と赤の輝きを持つ。

 尖った耳と大きな鼻を持ち、牙は鋭く爪は黒い。

 前にゴブリンの胎から産まれた時には、その生き物はバザウという名を与えられていた。

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