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バザウ、君は賢すぎる  作者: 下山 辰季
第八部

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ゴブリンと独りぼっちの主神

 ギラギラとした派手な化粧がルネの好みだ。目蓋を彩るアイシャドウ。唇に引くつやめいたルージュ。それらの色彩を肌に乗せるには肌の土台作りが重要だ。皮膚を美しく見せるファンデーションに、化粧の崩れを防ぐ下地。

 下地を塗る前に、ルネにはもう一つの化粧の工程がある。秘密は飾り立てられた壺の中でうごめいている。マニキュアを塗った手を無造作に突っ込んでルネは壺の中身を取り出した。手の平いっぱいの漆黒のミミズをぎゅっぎゅと握りこむ。いくらか揉んでいるとミミズの形はなくなり、ルネの肌色になじんだフレッシュな肉塊へと変化する。

 シアの毒で崩れ落ちた顔面の穴をその肉で埋める。目や口に相当する場所にピッと薄い亀裂が走り、まつ毛や眼球、唇や歯といったパーツがするすると形作られる。かつてルネがもぎ取った豊穣神の左手から作った肉マスクだ。これがないとルネはずっと空虚なスッピン顔をさらすことになる。

 マスクと化粧でいつもの顔を取り戻すと、ルネはホッと一息ついた心地になった。


 軽く握った手を広げればレタスの葉が現れる。何もない空間から現れたがルネが無から作り出したわけではない。ナイアラス地方の農家が汗水流して作った新鮮な茎レタスだ。ルネはレタスを壺の中に静かに落とした。ミミズたちのご飯だ。


「たーんとお上がり」


 なんて声をかけたところで、神の体の一部だったミミズたちが応えることはない。いつもなら。


「……さん、ルネさん」


 だがこの日、壺のミミズたちは分かたれた本体であるエヴェトラ=ネメス=フォイゾンの声でルネに呼びかけたのだ。


「ルネさ~んっ!」


「……ハンッ、いったいなんだってんだい。間抜けな声でそんなに必死に叫ばなくたって聞こえてるよ」


「ああ~、良かった! 助けてください」


 ルネは素早く頭を回転させた。どうやって話をまとめさせて何が起きたのか迅速に突き止められるかを。エヴェトラの話というのはたいてい要領を得ない。わかりづらい。普段なら適当にあしらって聞き流しているのだがいつもとは状況が違う。ルネはエヴェトラの様子に切羽詰まったものを感じていた。

 杞憂だった。エヴェトラは天気や農作物の成長具合の話題で時間を浪費することなく、状況と用件を手短に話した。


「ニジュさんの妖精狩りを止めさせようとしてシアさんがかなり強く威圧していまして……。ニジュさんを守るのにあなたの力を貸してほしいのです」


「守るだって?」


 シア=ランソード=ジーノームは残忍で気ままな性質の神だが、ニジュは一番のお気に入りのはずだ。そして唯一の友である。


(いや、元かな。心に疎いシアは未だに気づいてないかもしれないが)


 さすがにそんな相手においそれと危害を加えるとは思えない。少なくともルネの顔に穴を開けた時のように気軽には。


「ずいぶんとヘビーな頼み事だねぇ。アタシにアイツを止めろってか?」


 思わずルネは自分の頬に触れていた。カラフルな化粧を濃く重ね、他の神の肉から作ったマスクで埋めても、つけられた傷の屈辱は消えない。

 この傷ができた時から比べればルネだって力をつけた。それでもシアと対峙して無事でいられるほどの力量には達していない。そもそもルネが得意とするのは弱い者イジメと心を持つ者へゆさぶりをかけることだ。格上の神に真っ向勝負を挑むには能力的にも性格的にもまったく向いていない。


「前線に立てなんてことはいいません。あなたが今シアさんの手の届かない安全な場所に身をひそめているのはわかってますよ」


 バカミミズにしては勘が働いている、とルネは思った。


「ニジュさんがそう教えてくれましたから!」




「という連絡があったんだけどさぁ」


 ふわふわと宙に浮かび髪の毛をもてあそびながらルネがバザウに告げる。ブルネルスもその場にいるがルネとは互いに存在を無視している。


「どうする? アタシとしては面倒臭いし、安全地帯から抜け出してまでヤツらに恩を売る必要も感じないけど」


「どうにかするしかないだろう」


 シア=ランソード=ジーノームと対立することのリスクはバザウも理解している。こちらの戦力をすべてかき集めたとしてもシアと直接戦って命があるとは思えない。この世界で最も荒ぶる危険な神とゴブリンの戦いなんて、結果は火を見るよりも明らかだ。


「妖星は……願いに反応して変化を起こすものらしいな。侵蝕された外の世界に出れば妖星と容易く接触できるか?」


「妖星を利用するつもりか。そこらにうじゃうじゃいるし、シアに対抗するパワーとしても申し分ないってことは保証しよう。ただ妖星が何を思っているのかわからないし、何が起きるかわからないってことは忘れないように。心の神のアタシでも妖星の心を操ったりはできないからね」


 不確実な手段だが、少なくともバザウが武力でシアを抑え込むよりはずっと可能性の高いやり方であるのには違いない。

 それに目的はあくまでもニジュ及びエヴェトラの保護。必ずしもシアを正面突破する必要はない。


「か弱いアタシたちには力づくなんてできないものね。逆にあの暴君はなんでもかんでも力づくで解決するって発想になるんだから笑っちまうよ。ニジュとの友情を取り戻すために今回の騒動を起こしたってんなら、ヤツは本当に心ってものをわかってないね」


「ブルネルス。留守番を頼んだぞ」


「無事を祈っているよ、兄弟」


 チリル信徒のシンボルであるシカ角のペンダントをブルネルスが軽く握る。丁寧な所作には思いがこめられていた。

 祈りをこめる彼女の背中にルネがドカッと鳥の足を振り下ろす。ぐえっという声とともにチリル教徒の祈りは中断された。


「あーぁ、仕方がないねぇ! イカレたロバと二人きりなんてごめんだよ。ヘタをこいてバザウがくたばっても良いことはないし、アタシもついていくとするかね」


「……さっさと消え去るが良い、邪神め……」


 地面に這いつくばりながらブルネルスは恨めし気に吐き捨てた。

 バザウはブルネルスに手を貸して引き起こす。


「二柱の神を新たにご案内する予定だが、上手くやれるか」


 ブルネルスはチリル以外の神をどう思うかバザウにもわかっている。冷淡な無関心でいるか邪神認定を下すかのどちらかだ。

 特に性的な生々しさを隠さない豊穣神エヴェトラは秩序を重んじるチリル教徒とは相性が悪い。邪神扱いされていることもしっている。


「……まあ、私からは無礼な態度は慎むよ。いきなり蹴り飛ばしたりしないのなら」


 そんなことをするのはルネぐらいのものだ。




 世界の変わりぶりはひどかった。パステルピンクの星空にはいくつものコットンキャンディと金平糖が飛んでいる。空気は刻一刻とその香りを変える。チェリーパイ、ミルクココア、マーマレード。

 こののどかな世界のどこかでシアが暴れているわけだが、生身のバザウはルネの手助けがあったとしてもこの惑星の空間を自由に転移することができない。できるにはできるのだが転移の仕組みは一度存在をバラバラにして転移先で再構築するというもの。生体が復元できるかは微妙なところで、仮に見た目の復元が上手くいったとしても中身まで同じバザウでいられるかどうか。要するに、無理に転移をすれば死ぬかもしれないということだ。

 バザウ本人は転移できなくても神々や妖星であればその問題はクリアできる。


「はぁ、最悪だねぇ。なんでアタシがわざわざ危険な橋を……」


「……ククッ、本気で関わる気がないのならエヴェトラからそんな連絡があったと俺に伝えたりはしないだろうに」


 心を見透かされたルネは少し面白くなさそうな顔をしたが、次の瞬間にはニヤリと笑っていた。


「エヴェトラのいる座標はわかっているよ」


 シアが現実世界に舞い戻ったルネの気配を感知する可能性もあるが、今のシアはニジュへの関心でいっぱいでそこまで手が回らないことをルネは祈っていた。

 妖星をつかまえるのは、その末裔であるゴブリンやコボルトやフェアリーをつかまえるよりもはるかに楽だった。バザウが伸ばした手にむこうから集まってくる。


「ニジュたちを助けたい」


 そう妖星に願ったが特に変化はない。バザウの指と指の間にふよふよの頼りない光の体を突っ込んでたわむれているだけだ。キラキラした光の粉がこぼれ落ちる。

 きっとシアの願いの方がバザウの願いよりも強く重いのだろう。ニジュたちを助けたいというバザウの思いに迷いや偽りはないが、シアの中でくすぶる執着心を凌駕するほどではないということか。


「チッ! それがお前の名案なのかい?」


 かなり苛立った様子でルネが毒づく。

 バザウは慌てもせずに次のプランを実行する。それならば妖星にはシアの願いを叶えてもらう。ただしその内容は無垢な妖星に邪悪な妖精が入れ知恵をしたものになる。バザウは手の中の妖星に低く優しい声でささやきかけた。


「シアの本当の望みはたった一人の親友を自分の手元に取り戻すことらしい。お前の力ならその願いを叶えられるが……」


 光を強めた妖星をバザウは両手でそっと抑え込んだ。


「……おっと、ここでもしニジュの気持ちを変えたところでお前自身は孤独なままだ。だがお前がシアの親友に成り代わってしまえば、お前ももうさみしくはないだろう?」


 単純にして純粋な者を思いのままに誘導するのはバザウにとっては簡単なことだった。

 誰かの思いをくんでおきながら踏みにじる。憎み軽蔑していたルネのようなやり口を自分もまた選択している。そんな自己嫌悪を感じつつもバザウは星空を見上げる。空の果てまで昇り消えていった妖星が残した光の粉が、ゆっくりと宙を舞っていてキレイだった。




 エヴェトラが展開する結界は分厚い粘液と無数の繊毛で外部から守られていた。

 辺り一面には湿った黒土の臭気が立ちこめる。


 シアの周囲では緋色の楕円球が猛り狂ったスズメバチの群れのごとくうなりを上げていた。

 吹き出す霧状の毒水はよどんだ池特有の刺激臭がする。

 

 妖星は誰かに直接危害を加えるような願いをそのまま叶えることはない。

 ここにはチェリーパイもミルクココアもマーマレードも香りはしない。


 奇妙な星空は両者の戦いに影響を与えた。優しい明るさで視界は昼並みにきく曇りの日ほどの明るさだ。

 光合成をおこなう藍藻から顕在したシア=ランソード=ジーノームは強い光が得られず本領発揮とまではいかなかった。

 強い紫外線の直射に弱いエヴェトラ=ネメス=フォイゾンにとっては快適とまではいかないが活動に支障のない光量だ。

 防御結界の表面からは大量の粘液が分泌されている。この粘液も毒水に触れれば焼けただれるが、その反応速度ができるだけ緩やかになるよう粘液の成分を調整してある。干からびない限りは持ちこたえられる。あくまでも耐えられる、というだけだが。


 ニジュは結界の内側から朦朧とした目で荒れ狂うシアの姿を見ていた。あれが自分の好意を求めて暴れているのだと思うと、恐怖と失望と蔑視、それから楽しかったころの思い出の切なさで感情がぐちゃぐちゃになる。

 ふいに体に走った痛みにギュッと目を閉じる。いうことをきかないなら痛めつけて従わせる。そのやり方をシアはついにニジュに対してまで実行した。着かず離れずの場所でオロオロしながら見守っていたエヴェトラは、普段の呑気さとは打って変わった速さでニジュとシアの間に割り込んでいった。




 エヴェトラにだけ届く声でルネがメッセージを送った。


「持ちこたえてるかい? シアの注意をそらすよう支援するからその隙に逃げな。転移先はアタシのいる場所で」


 空がペカリと光った。

 柔らかい色のスポットライトがシアの姿をとらえる。

 ファンファーレが鳴り響き、クラッカーのご機嫌な炸裂音。


「何事だ!?」


 怒りに任せて振るったシアの腕におびただしい数の妖星が集う。


☆☆☆おともだちだよ ずっと ずっとね

  なかよしだね うれしいね たのしいね ゆかいだね

 ぼくらは きみの ここに ここに ここにいて いいんだよね☆☆☆


 妖星の声なき声でそんなことをつぶやきながら。

 体勢を立て直すのにシアはエヴェトラへの攻撃の手を休めざるをえなかった。


「いらない! 消え失せろ! 君たちなんていらないんだ! 必要なのは……っ」


 逃亡の絶好の機会だが、障壁の維持に集中力と全力をそそいでいるエヴェトラはすぐに転移へと移れそうにない。

 ニジュは痛めつけられた体で気力を振り絞るとエヴェトラの体に触れた。


「我が先導する」


 忌まわしい流れ星の事故で弱り切ったニジュを導いてくれたように。

 エヴェトラはニジュを信頼し身を預け、二柱の神の姿はシアの前から掻き消えた。




 バザウはニジュとエヴェトラの姿を確認するとすぐに創世樹の根源世界に招き入れた。

 この時、彼は少し焦っていたのかもしれない。

 周囲を舞っていた無関係な妖星のことも一緒に取り込んでしまったのだから。

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