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ゴブリンと旅芸人

 バザウはアナグマが残した穴で体を休めていた。

 この巣穴の正当な持ち主はすでにバザウの腹の中。

 食べきれない分は細切れにして袋の中。


 木の根元に巧妙に隠されていた巣穴だった。

 本来ならバザウでも発見することはできなかっただろう。

 この穴に気づいたのは、一匹のタヌキのおかげだった。


 アナグマ一家の大巣に他の動物が間借りするのは、自然界ではよくある話。

 バザウはたまたま巣穴の外にいたタヌキの存在に気づいた。

 木の根の間でタヌキの姿がふっと消える。

 それでそこに巣穴があるとわかったということの次第。


 かくしてバザウは、肉と一夜の寝床を手に入れた。

 アナグマの家族は全滅した。

 一匹の居候の不注意で。


「……」


 バザウの顔がふいに暗くなったのは月が雲に隠れたせいだ。

 少なくともバザウ本人はそう主張するだろう。




 かさり、と。

 下草を踏む音がする。


 夜の森は夜行性の生き物がうろつく。

 物音がしても不思議ではない。

 ゴブリンだってそんな夜の生き物の一員だ。


 だが近づいてくる気配の主はどうやら獣ではなさそうだ。

 歩く音が獣とは違う。


(長い脚の二足歩行。かなり軽量。独特のリズム……、踊っている?)


 バザウはねぐらに深く隠れるべきか、飛び出して臨戦態勢をとるべきか迷った。

 数秒の逡巡の後、物音を立てずに素早く穴から這い出す。

 殺気を抑えながら最低限身を守るだけの構えをとる。

 

 ソイツが姿を現した。


「ごきげんよう、ごきげんよう。良い月明かりで。緑肌の旦那さん。ルネの夜会ソワレが始まるよ」


 夜目にもわかる極彩を背負い、優雅な足どり。


小夜鳴鳥ナイチンゲールの旋律は、届きましたか、その耳に?」


 重力を感じさせない動きで夜の森を闊歩する。


「俺の耳に聞こえるのは、ヨタカの鳴き声とフクロウのゲップだ」


 月明かりが戻りその者の顔を照らし出す。

 

挿絵(By みてみん)


 鳥。

 ……を思わせる姿だ。

 整った顔に色濃く化粧をしている。

 過剰な色彩は性別さえも塗り隠してしまうほど。細身の体型で男か女か曖昧だ。


「何者だ?」


 バザウでなくとも、そう尋ねたくなるだろう。

 ここが人間の街の広場や、酒場の片隅や、サーカスのテントの中でなら、そう不自然でもないのだが。


「ただの旅芸人ジョングルール


「ウソをつけ」


 自称旅芸人は不服そうに目をしばたかせる。

 まつ毛は濃くて、色がついていた。


「ゴブリンに話しかける人間がいるものか」


「ああ、賢者どの。なにゆえ、そう断定できましょう? 人と会話するゴブリンのことは棚に上げ」


 バザウは顔をしかめた。


「お前は……人、なのか?」


「天使かと思った?」


「まさか」


 旅芸人は奇妙な羽を背負っていた。

 飾り羽やら、羽毛やら。そういう雑多な羽を無秩序にくっつけただけ。

 風切羽や筋肉の役目を果たしそうな仕掛けは見当たらない。構造的に羽ばたくことは不可能。見せかけの翼だ。


「アタシはルネ=シュシュ=シャンテ。歌と自由を愛する道楽者」


 ちょうど良い具合にかすれた、魅力のある声だった。

 甘ったるい男の声にも聞こえるし、力強く気だるげな女の声にも聞こえる。

 ハスキーボイスとウィスパーボイスの合わせ技。


「道化者でも極道者だろうと、俺には関係ない」


「まあ、そうおっしゃらず! 道に迷った魂にいき先を示しに」


 ルネは天の星を指差した。

 夜空には不吉な千匹獣座が輝いている。

 その星座はあまりにも忌まれているので、あえて直視しようという者はいない。

 ルネの指も千匹獣座からはちょっとそらしてあった。


「お前は自分の足で歩いているつもりらしい。孤高気取りの一人旅。けれども、けれども、漂泊者よ。お前がどこにたどり着くかで、多くの者が影響を受ける」


 バザウは短剣の柄を確かめる。

 おかしなことを並べ立てる、奇怪なおどけ鳥につき合う気分ではない。

 ルネは笑みを浮かべて、くりりっと小首を傾げた。


「事実そのせいでコボルトのあの娘は死んだのだし?」




 短剣の刃は、すでにルネのノドに当てられていた。

 バザウは手をほんの少し動かすだけで、この男……女……、とにかくこの装飾過多な吟遊詩人を永久に黙らせることができる。


「詩人のノドを裂こうだなんて。野蛮な子だ、バザウ」


「黙れ」


 あの出来事をしっているということは、ギルドの一員か。

 名前もバレている。

 やはりあのギルドの……。


(待て……。それはおかしい)


 バザウの名を耳にしたのは、青年剣士と火炎魔術師だけのはず。

 そしてどちらも死んでいる。


(あの場にもう一人、潜んでいた……? いや、それにしては、つじつまが合わない)


 短剣を突きつけているバザウの手に言いしれぬ寒気が広がる。

 自分がとらえているモノの正体はいったいなんなのか、と。


「アタシはただの道案内。お前をあるべき場所に導くために、夢の果てからやってきた。名前はルネ。愛してシュシュ。歌うよシャンテ」


 ルネは短剣を持つバザウの手に軽やかに触れる。

 バザウは赤帽子隊長の技を想起する。

 相手の動きに警戒したが、その必要はなかった。

 ルネは気楽に鼻歌を響かせながら、親指と人さし指でバザウの腕の上をちょこちょこと散歩しただけだった。

 子供じみた手遊びだ。


「お利口なバザウ。どんな道を進もうか?」


「……」


 バザウは短剣を鞘にしまう。


「良い子だ。誉めてあげよう。お前は今一歩、賢い道を進んだ」


 わざとらしい拍手を浴びせられる。


「……俺に何をさせたい? 盗みか? 殺しか? それとも……、気軽に捨て駒にできるゴブリンが急遽必要だとか?」


「歩かせたいだけ。ある場所まで。希望はあるかい? あるなら聞こう。ある程度まで。アタシの望みを壊さないなら」


「歌うな。要件だけ話せ」


 ルネはニタッと笑って、普通の口調に戻った。


「それが希望ならそうしよう」


「……」


 ルネ=シュシュ=シャンテ。

 その不可解な言動にバザウの心は苛立った。

 かといって首を斬り落とせばそれで片がつく相手とも思えない。

 細くて弱々しい体つきだが、どことなく得体のしれない力を感じる。

 

「手始めに、あの山に登ってもらう」


 ルネが指差したのは草木も生えない岩山だ。

 月光に照らされて、山のシルエットがぼんやりと浮かび上がる。


「……何か、とってくるのか?」


 希少な鉱物でもあるのだろうか。

 という可能性がまず思い浮かぶ。

 逆に言えばそれぐらいしか登る価値を見出せない山だった。


「そうじゃない。バザウ。あの山の頂上には神がいる」


「ほう。ゴブリンの生贄をオヤツに所望する……、とでも神託がくだったのか?」


 ルネはチッチと指を振る。


「アタシは気ままな旅芸人。色んな歌と伝説、しってるよ。ちょいと話そう、あの山のこと」


「話すのはかまわない。だが歌うな」


 ルネは唇をとがらせたまま、しばらく黙った。

 それでもやがて口を開いた。ため息とともに。




 それは自分が歩むべき人生の道に思い悩んだ三人の男の物語。

 生きる意味がわからなくなり、途方に暮れる三人の男。

 彼らはそれぞれあの山頂で神に出会う。

 神はその英知を語り、人間はそこから自分の道を見つけ出す。


「神はまったく同じ話を語った。それがその神にとっての真理なのだから。けれども同じ真理をつかんだはずの三人は、三者三様の道を選んだ」


 一人は、親切な男になった。温かな家庭を持ち子供達に惜しみなく愛情をそそいだ。


 一人は、乱暴な男になった。あちらこちらに子供を作った。その中には愛されないで産まれてきた子供も。


 一人は、廃人と化した。あらゆる喜びが欠如した灰色の日々。だって彼は、神が語った真理に絶望したから。


「それ以来、人生に迷った者があの山を目指すようになった。もっとも山のてっぺんまで登っても神の存在に気づく者は少ないようだ。苦労して山に登ったのに、目にとめることもなくとおりすぎてしまう」


 シャドーで彩られたルネの目が、バザウへと向けられる。


「お前なら神を見すごすことはないだろう。期待しているよ」


「神と会った結果、ロクでもない方に傾いている奴の方が多いぞ」


 ルネはくるくると自分の髪の毛をいじってバザウの追求が聞こえないフリをした。


 バザウは考える。

 異様な遭遇。

 底しれぬ相手。

 目的不明の要求。


(拒否するのは、たやすいが……)


 バザウはチラリとルネを見る。

 視線に気づくと、旅芸人的な営業スマイルを返してきた。

 断られるとは少しも思っていないのか。あるいは、ただこちらをおちょくっているだけかもしれない。

 ずっと見ているとルネが陽気で華麗なダンスを始めたので、バザウはサッと目をそむけた。


「はぁ……。承知した……。本当に、俺はただ歩くだけで良いんだな?」


「そう。スキップしたければ、そうしたって良いけれど」


 バザウは心を静めて目を閉じた。

 ルネは腹の立つ相手だが、イラついていると悟られるのはもっと不快だ。

 バザウは自分に言い聞かせる。


(コイツの正体も目的も、わからない……。判別するための、情報がない。まずは相手をしることだ。親しくするにも、殴り合うにも、出し抜くにも……)


 鳥の羽音でバザウは目を開ける。


「……」


 ルネ=シュシュ=シャンテは消えていた。


 忽然と。

 跡形もなく。

 夢だったように。


 どう考えても奇妙な去り方だ。

 理性がいぶかしむ一方で、感情の方は納得していた。

 あの旅芸人なら、こんな不思議な退散もありえることだ、と。

 ルネの異常さを当然のものと受け入れかけている。

 そんな自分に気づき、バザウは軽く自己嫌悪に陥る。


 ふと、耳元で声がした。

 男とも女ともつかない、歌うような声が。


「ルネの夜会ソワレ。これにて、おしまい」




 それから朝までナイチンゲールがさえずることはなく。

 バザウの耳には、ヨタカの鳴き声とフクロウのゲップだけが聞こえていた。


 バザウは奇妙な夢を見たはずだ。

 が、肝心の内容はさっぱり忘れてしまっていた。

 思い出せそうで、思い出せずに、イライラする。


(……今日の俺はどうかしている。夢ごときに、感情を昂らせるとは……)


 さっさと気持ちを切り替える。


(些末な感情にとらわれている時ではない。俺は、いかなくては……)


 神がいる山へと。

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