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バザウ、君は賢すぎる  作者: 下山 辰季
第八部

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107/115

ゴブリンと魂の兄弟

 バザウは北東の方角を目指して歩いていた。チリル信徒が集まる宗教都市があると情報をつかんだ。

 信徒たちはまもなく世界に終焉が訪れると思っており、自分たちのように正しい者だけがチリルによって救われるのだと信じているそうだ。


 夢で会ったチリルは、ルネと違ってバザウをどこかにいくように指示したりはしなかった。

 宗教都市を目指しているのはバザウの意思によるもので、それも崇高な目的あってのことではない。

 ざわついた気持ちを静めるために、自分よりもっと混乱している者が見たかったのかもしれない。少なくとも、自分は彼らよりは冷静だと錯覚できるから。




 緻密に計算された石塔そびえる高台の街。乾きに強い草木のひかえめな灰緑色の中で都市は白と金の輝きを放っていた。

 街を見下ろせる岩だらけの丘の上、バザウは野生のオリーブの古木に身を隠しながら宗教都市の朝を眺めている。

 イ=リド=アアルの支配する大河からだいぶ離れたこの地は、多少空気が乾燥しているが砂漠ほど過酷な環境ではない。太陽の光を歓迎する気持ちになれたのは久々だった。


 今日は特別な祭典らしく街はにぎわっている。

 壁に囲まれた都市の門から馬車が入っていく。物見遊山らしき富裕層と祭りで一儲けしにきた行商人といったところか。チリル信徒であるようには見えない。

 まだ朝早いというのに路地にはそわそわとした様子の人影がちらほらと。

 広場にはたくさんの露店が立ち並び、人間たちはせわしなく商売の準備にいそしむ。

 中央にある大きな深紅の天幕は豪奢に飾りつけられており、その近くには獣を閉じこめるようなオリが見える。あのテントの中で動物の芸か何かを見せるのだろう。

 住居や商店といった建物は祭り装飾の豪華さを競い合う。飾りの定番は金色に塗られたシカの角でさらにこれに一工夫。絵具で複雑な幾何学模様を描いたり、ガラス細工や金属製の飾りを角に下げたりする。しかし立派すぎる。シカの角は年々生え変わって落ちるものとはいえ、よくもこれだけ形良い見事な角を大量に集められたものだ。


(人間はシカの牧場でも作ったか……。さもなくば模造品)


 頬杖をついて寝そべりながらバザウは街にかすかな違和感を覚えた。

 ここにくるまでの間にバザウが勝手に思い浮かべていたものよりも、チリル信徒の宗教都市がずいぶんと華美で楽し気なので。要するに抱いていたイメージと違っていた。


 やがて祭りが本格的にはじまった。

 そしてわかったことがある。ここはお気楽な信徒や懐豊かな観光客を楽しませても、意地の悪いゴブリンの気晴らしにはならないと。

 この荘厳にして気楽な陽気さは、正しき自分たちだけは救われるからと信じているからではない。世界の終焉など訪れるはずなく明日の朝日もいつもどおりに正しく昇ってくると信じているからだ。

 チリル信徒以外を排斥することもなく、終焉から救われることのないはずの彼らと共に楽しい時間をすごしている。

 平和で退屈すぎる。ここには冷やかすべき混乱もなければ探るべき情報もない。

 祭りの終わりを待たずにバザウは気を取り直して岩がちな丘陵で食料調達をすることにした。夢をつうじてチリルと会ってから、あまり食欲がわかない気分が続いている。それでも体は飢えると糧を求める。




 ゴツゴツした岩がところどころ顔をのぞかせ、まばらに草木のはえる丘。この辺りでよく目につく動物はヤギだ。近くに人や番犬の姿は見えない。おそらく野生か管理が行き届いていない家畜だろう。

 ヤギたちは落ち着いた様子で草をはんでいる。弱っている者や年老いた者、群れの中心から離れた子ヤギがいないかとバザウは目を光らせる。

 その時、大きな角と蹄を持つヤギがひどくしゃがれたがらがら声でいなないた。

 得体のしれぬ恐怖心と共にバザウの肌に鳥肌と冷や汗が浮かび上がる。がらがら声をした大きなヤギには手を出してはならない。悪しき妖精はその角と蹄で粉々にされてしまう。たとえゴブリンよりずっと強いトロールでさえもだ。なんだかそんな予感がしてバザウはヤギの群れを襲うのを断念した。


 岩陰を駆け抜ける影がある。小型のウサギだ。草原や森によくいるウサギと違い脚も耳も短い。

 でっぷり太ったネズミではなくこれはウサギであるとバザウが認識できたのは、動き方の特性だ。ネズミのように這いまわるのではなくウサギらしく跳ねていた。植物を求めてちょこまかと移動している。

 警戒心が強そうな生き物で、逃げ隠れするには最適な岩のくぼみがあちらこちらにある。素直に追いかけて捕まえるのは得策ではない。


(そうだな、何か罠でも作れば……)


 バザウがアイディアを練り出したまさにその時、突然大きな影が落ちてきた。

 一羽のタカが再び空へと舞い上がっていく。その強靭な足には小さなウサギがしっかりと握られていた。

 地上に残されたのはわずかばかりのウサギの血と毛だけ。肉にはもう手が届かない。


 バザウは水場を探すことにした。胃袋を満たすのも当然大事だが水筒代わりの革袋を満たしておくのも重要だ。

 魚や川エビがとれれば上々。それらにありつけなかったとしても、岩をひっくり返せばよくわからないぶよぶよした虫くらいは手に入るだろう。何も食べられなかったとしても水で腹を満たせる。

 空気を嗅ぐ。この辺りは乾燥しているだけに水の匂いはくっきりと目立つ。鼻を頼りに丘陵をくだっていくと、やがて岩の合間を走る小さな流れにたどり着く。




(……今日は本当についてない)


 さんざん狩りに失敗したあげく水場にも先客がいた。相手に見つかる前にバザウはすでに灌木の茂みに身を隠している。

 粗末な服を着た人間の子供だ。ゴミ同然のボロ布を複数縫い合わせてどうにか服の形にしている。それにしてもひどく汚れた布だ。ネズミが噛んだ後や焼け焦げた跡、何かの血のシミも。

 周りに他の子供や大人の姿はなく番犬や家畜を連れている気配もない。

 やせ細った首から下がるのは乳白色のシカの角飾り。華々しい宗教都市で誇らしげに掲げられていた金の角に比べるとひどく質素だ。絵具やガラスや金属の派手さは皆無で、自然に落ちた若ジカの角に手彫りで幾何学模様が描かれているだけだ。


(チリル信徒か)


 敬虔なチリル信徒の絶望ぶりを冷やかして、まったく偉くもなんでもない自分を無意味な優越感にひたらせるのが、バザウが宗教都市の見物にきた理由である。

 その点この子供信徒の表情には切羽詰まった悲壮が浮かんでいて、散々無駄足をくらった今日のバザウのゴブリンらしい心をなぐさめるのには充分な魅力があった。目元は伸びた前髪で隠されているが血色の悪い頬や唇には如実に絶望が宿っている。

 ひどく痩せていて、人間との交流を積んだバザウでも一見しただけでは性別はわからない。栄養不足でパサついた黒髪は特に男らしさも女らしさも主張していない。

 些細な疑問はすぐに解けた。


(おっと)


 少女であった。

 この子供が水場にきたのは体を洗うためらしい。服を脱ぎだした。

 もっともここは天然の入浴場にするにはあまり適しているとはいえない。周囲にまばらに低木があるものの、森の中のように豊かな木々が目隠しをしてくれるわけでもない。おまけに水は肌を切り裂くように冷たい。


 バザウがさっと目をそらす直前、あらわになった肌に走る凄惨な傷跡が一瞬見えた。

 痛々しい子供の裸体を覗き見る趣味はない。川に背をむけてこの場から立ち去ろうとしていたバザウの耳に、とうてい穏やかな水浴びの音とは思えない異音が届く。ムチの唸り声と皮膚の悲鳴。


(なんだなんだなんだ!?)


 痩せっぽちの少女を無慈悲に打ち据えていたのは欲深い奴隷商、でもなく。

 さらった子供を無理に働かせる不思議な力を持った老婆、でもなく。

 我が子を虐げる鬼のような父と母、でもなく。

 少女本人が水に浸したトゲつきのムチで自分を滅多打ちにしていたのだ。


(こ……この地域では、ああやって体を洗うのがスタンダードなのかもしれん……。一風変わった健康法とか……うん……多分)


 バザウが無理やり自分を納得させている間に、少女は傷口の血を軽くふき取っただけでろくな手当てもせずに再びボロ布をまとう。

 そして座って一息つくのかと思いきや、そのままごく当然に両脚を首の後ろに回した。手持無沙汰な者が頭の後ろで手を組むようなさりげなさで。

 持ち上げた脚を外して今度は地べたに腹ばいになると、腰を背中側に曲げて脚を頭の先に突き出した。足の裏は苦もない様子で地面にぺたりとつく。さらにそこから膝と足首を曲げてよりコンパクトになろうとしている。まるで箱だ。


(どうなってるんだ、ヤツの体は!!)


 体の身軽さ柔軟さには自信のあるバザウだったが、この少女にはとてもかないそうにない。

 宗教都市にたっていた深紅の天幕の中にも、これだけすごい曲芸師はいないだろう。

 少女の神妙な表情は、これは他人を楽しませるための見世物などではなくもっとストイックな目的のものだと語っていたが。




 四角いシルエットに折りたたんでいた体を解きほぐし少女が立ち上がる。

 また何か突飛なことをするのかと動揺するバザウだったが、少女はただ丘陵の遠くまで眺めただけだった。

 バザウの潜む灌木の辺りにまで少女の視線が届いた時に、固く結ばれていた彼女の口が不思議そうに半開きになる。

 少女はしばし立ち尽くした後、迷いない足取りで一直線に灌木へと突き進む。


(……どうしてわかるんだ、こんな人間の子供なんかに)


 居場所がバレている。

 エメリと組んで禁足の森の恐ろしいエルフたちの目を欺いていたバザウの居場所が。

 こうなればやるべきことは一つである。

 茂みから飛び出し脱兎の勢いで逃走。

 懸命に追いかけてくる気配はあるがだんだんと遠ざかっている。


(速さは……並以下だな。手練れというわけではなさそうだ)


「待って。なぜ逃げるの」


 息が上がっているものの口調自体は穏やかだった。ささやきに近いか細い声。


「せっかく会えたのに」

 

 ゴブリンを追いかけているにしては奇妙な呼びかけ。


「わからないの? 私だよ」


 相手の意図を探るため、バザウは充分に安全な距離をおきながらもその足を止めた。

 むこうはバザウのことをしっているような口ぶりだ。そもそも人間がゴブリンに話しかけている時点でイレギュラーな事態だ。

 あいにくバザウにはまったく心当たりはない。記憶の糸を手繰り寄せながら少女の顔をまじまじと観察してみても、脳裏に何も浮かんでこない。


「……しらない顔だな……」


「驚いた。人の言葉でしゃべれるなんて……。やっぱりさすがだね」


(矛盾してないか?)


 先に人の言葉で呼びかけておきながら、バザウが人語を口にすると驚きを示し、それと同時に納得もしている。


(コイツはいったい何者なんだ……。敵意は感じないが油断できない……)


 むしろ少女は親しみや懐かしさといった感情を強くむけてきている。少女にしてみればバザウが警戒の態勢を崩さないことが不思議でならないらしい。


「嬉しいよ。こうしてまた巡り合えるなんて夢にも思わなかった。ヘビイバラの兄弟よ」


 聞き間違いではない。

 兄弟、と。

 間違いなくそういった。

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