ゴブリンと双子神の離別
「ア-36界までお願いします。え~っと、ドンドンの街にいきたいのですが座標はわかります?」
「……ロンドン、だ」
危うく別の街にいくところをバザウが訂正を入れる。
「そうそうロンドンでした。運賃はこれで」
エヴェトラはイ-1界の神に何かを渡す。バザウにも見覚えのあるものだった。妖精の埃石。
「それは価値のあるものだったのか?」
「妖精の埃石は作り出せません。私だけでなくどんな神でも」
埃石の独特の形は世界の模倣なのだとエヴェトラはいった。模倣の範囲は昨日発明されたばかりの道具から遠い昔に絶滅した生物までと多彩だ。
そして妖精の埃石自体がどれだけ昔からあるものなのか、神々を含めて誰もしらない。
「ふーん……。神でも作り出せず由来も不明なものの割には通貨代わりにしてるなんて扱いが雑だな」
「他の物質だと、神によってはいくらでも好きに作り出せてしまうので」
手続きが済むとイ-1界の神は無機質な扉を生成した。
扉の表面にはバザウには読めない文字が浮かんでゆっくりとしたペースで光を放っている。
(切符の光にそっくりだ)
扉を開けると未知の綿状物質に四方八方を囲まれた別の空間に出る。うっすらと光が見える方向へと綿をかき分けていく。
底が見えない穴が開いた湿った岩窟内部に出る。壁面にはメノウの断面にも似た鉱物的な目玉模様が無数に輝いていた。金属の外骨格をまとった甲虫が歯車の音を立てながら飛びかう。
着地したのは深い森に生えた巨木のウロ。見たことのない奇妙な木で、根の周りからは時折青白いモヤが噴き出していた。エヴェトラにうながされてウロに体をねじりこむ。
ウロのむこうは赤桃色の空が広がっていた。紫とオレンジの葉をつけた木の上には錯視を引き起こす複雑なモノクロの毛皮を持ったサルたちが群がる。色彩の暴力にめまいを感じながら、虹色の泉に入っていく。
気づけば空っぽのタルの中にいた。這い出てみれば長らく放置された古城の調理場らしい。食料貯蔵庫と思しきドアを開け放つ。
「いや~。ようやく目的地に着きましたね」
面倒すぎる奇妙なルートを経由して、バザウとエヴェトラはどこかの店の裏口に出た。
「人間に見つからないよう気を付けてなくてはな……」
砂漠で日除けと防寒に使っていた外套を厳重に身にまとって警戒するバザウをエヴェトラがのんびりとめた。
「その心配はしなくても大丈夫ですよ」
店の裏口から従業員が出てきたが、そばに立っているバザウとエヴェトラには一瞥もくれずにとおりすぎていった。
「わかったぞ……。異世界のヤツらは視力が非常に低く、耳で音の位置をつかむこともできず、常に鼻が詰まっていてロクに臭いも嗅げないんだ」
「こっちの世界では異物である私たちはかなり曖昧な存在となっています。曖昧な存在は物体もとおり抜けできるし宙に浮けたりもするのですが、イメージするのが苦手だと上手くできないってこともあるみたいですね。今バザウさんが地面に立っていられるのも、地面に潜るというイメージをしていないからです」
バザウは建物の壁に頭を押し付けてみたがこれをとおり抜けられるとは思えなかった。土でも石でもない材質の黒い地面に潜る感覚もつかめない。
「姿を現す必要がある時は妖精の埃石を砕いた粉を体に振りかけてください。物体との干渉もはじまりますので、壁を抜けてる途中や体の半分が地面に埋まっている時に妖精の埃石を使っちゃダメですよ」
「わかった。色々ありがとうな」
バザウとエヴェトラは路地裏から大通りを目指して歩き出した。
「ではまず……オースティンは足の丸い車というもので連れ去らわれたんだろう? なら車がどこにあるか探せばおのずと手がかりが……」
大きなストリートに出たバザウはそこで口をつぐんだ。ロンドンの街にはいくらでも車が行き来していた。
「せめてケレイブにどんな色や形や用途の車だったのか聞いておくべきだった……。エヴェトラ……。この街には詳しいか……?」
大地の神は立派に胸をはった。
「いいえ! ず~っとニジュさんのところで眠っていたのでさっぱりですね!」
幸いなことにいくら街をうろつきまわっても人間に襲われる心配はない。
手がかりを探して歩き回るバザウが視線を感じて足をとめた。
「……本当にこっちの世界のヤツらに見えてないんだよな……? あそこのネコに視線で追われてる気がするんだが……」
「あ~、それは仕方がないです! 曖昧な存在でもカンの鋭い相手には見えちゃうみたいです」
バザウは再び歩き出す。
「……昔サローダーが……。俺の幼馴染のゴブリンがいるんだが、ソイツがオバケを見たと大騒ぎをしたことがあった……」
エヴェトラは楽しそうに笑う。
「もしかしたらバザウさんのお友達には異世界からきた神か何かの姿がうっすら見えていたのかもしれませんね」
駅前のストリート。街灯の前でバザウが立ち止まった。
「……この辺りがケレイブの縄張りだったようだな」
「え? どうしてわかるんですか?」
不思議そうなエヴェトラにバザウはムダにもったいと格好をつけてほくそ笑んだ。
「ククッ……。理由を明かす気にはなれないが俺にはケレイブの痕跡がわかるんだ」
「わ~、よくわからないけどすごい~!」
二人のそばを散歩中の犬が通りかかった。犬は壁におしっこを引っかけてから満足げに立ち去っていく。
ケレイブの痕跡は残ってはいるにはいるが時間の経過で薄くなっている。すべての動向を追えるわけではないが、生前のケレイブがよくいた場所くらいならかろうじてわかる。
かすかに残された臭いの手がかりを追っていると多くの動物の臭いが集まる場所に出た。
ゴブリンの嗅覚をもってしてもこの中から一匹の犬が残した古い臭いを嗅ぎ分けるのは困難だ。
「バザウさん、絵があります。ここに描かれているのはケレイブさんじゃないですか?」
エヴェトラは動物病院の窓辺に飾られた絵を指さしている。
体型や大きさも様々な多くの犬たちをパズルのピースに見立てて、画面いっぱいに犬をびっしり描いた作品だ。
絵の中の白い小型犬が実際にケレイブの姿を描いたものかどうかはわからない。
しかしこの動物病院はかつてケレイブがよく訪れていた場所であり、オースティンは獣医師に頼まれて犬の絵を作成している。
「……調べてみる価値はありそうだ」
バザウは建物の中に入ろうとして……、壁に額を押し付けたまま進めずに肩を落とした。
その横をエヴェトラが気持ち悪いほどスムーズに通り抜けていく。
「初心者はガラスとか金網とか先が透けて見えるところから出入りすると良いですよ~」
「……そうしよう」
バザウが前に立ってもピクリとも反応してくれない自動ドアのガラスから、動物病院の中に入った。
◆◇◆◇◆
町中の水が濃い緑色ににごり悪臭を放っている。井戸は使えず大河の流れもよどんでいる。
多くの恵みをもたらしてきた大河に、今はおびただしい数の魚の死体が浮かんでいる。岸辺は死んだ魚の鱗と水鳥の羽に覆われた。植物も緑の水の毒にあてられているのか、小さな草などはすでに茶色く変色している。
人々は果物の水気や貯蔵してあるビールで水が飲めない乾きをごまかしてはいるが、それもいつまでもつだろうか。
物々交換で町の市場は成り立っているが、この状況では黄金の腕輪でさえ汁気のある瓜一つと釣り合うかどうか。
緑の水を砂利や布で丁寧にこしとって見た目だけをキレイにしてもムダだった。毒は消えない。濾過に使った砂粒や布地よりもずっと微細な毒が水を汚染している。
治療院は苦しみを訴える者であふれた。目から光が奪われる。どれだけ深く呼吸をしても息苦しさが消えない。尿道と肛門が赤紫色にただれる。まともに食事がとれずに意識が朦朧とする。健康だった時にできた当たり前のことがひどく遠く感じられる。
命ある者はおびえ、嘆き、苦しんだ。
命をうるおす恵みの水が突然汚らわしく緑に腐れて命をむしばむ毒に変わるなんて、少しも理由がわからない。
精霊たちでさえ当惑し恐れおののいていた。
この惨状はこの地にいる井戸や河川の精霊が引き起こしたものではない。むしろ彼らは犠牲者だ。
神殿のニジュとエヴェトラにはこんなことができる神に心当たりがあった。
怒り狂ったシア=ランソード=ジーノームだ。
シアの訪問で神殿の空気はかつてないほど緊迫した。
浮遊する水球は嵐の海より激しく波打ち、飛沫が飛び散る。水がかかった神殿の石に黒いシミがついた。石をも焼いた焦げ跡だ。
エヴェトラは町に残っていた。自力で食事をとれなくなった病人の体を一なでしてフォイゾンを分け与えていた。
ニジュは不在。三獣神のキツネのところに薬を頼みにいっている。
ルネとチリルはエヴェトラの背後に控えている。
「なぜ今になってこんなことをなさるのです? 妖精の調査はふさぎ込んでいたニジュさんの気晴らしになると、了承なさっていたはずでは……」
「なぜ今になってこんなことを、っていいたいのは僕の方さ。憔悴したニジュの忘憂としてバカげた秘密結社ごっこをするのは構わない。だけど妖精を地上から完全に消し去ろうとするのはダメだ。それは……それは許さない」
遊びで一つの生き物を絶滅させるなんてとんでもありません、許しません。……というのは一見まっとうな意見だが、シアの気質をしる者には大きな違和感のある発言だった。
シアは命が尊いとはこれっぽっちも思っていないし生き物の絶滅も気にかけない。変化についていけない者が勝手に脱落しただけだ。そうのたまう。多くの脱落者を出した変化を自分で起こしておきながら。
「調査が表面的な遊びだけならこれまでどおり許可しよう。一度に数匹程度の妖精を実験で殺すのも見逃してあげよう。でもすべての妖精の抹消を目的とした研究は中止するんだ」
エヴェトラはシアの様子が変だと思った。
ルネは一刻も早く災難から逃れて解放されたいとそればかり願っていた。
チリルは冷静に話すことで暴虐の神を正そうとした。
「お待ちください。チリルが説明いたします。これを聞けばきっと妖精の危険性をご理解いただけるはずです。妖精を看過すれば世界に異変が起こります。妖精を他の命と同列に語ることはできません。明らかに異質な性質を持ち……」
危険だ。
シアがイラついたのをエヴェトラは感じ取った。
「エヴェトラ=ネメス=フォイゾン。このうるさい音を出す袋は何かな?」
「……心を司る双子の神のルネ=シュシュ=シャンテとチリル=チル=テッチェの二柱でございます」
「ふーん。そういえば君の姿もずいぶん変だよね。どうしてずっと変身したままなんだい?」
シアの話題が自分にむけられたことにエヴェトラの皮膚はピリついた。
弱い姿を見せてはダメだ。おびえる弱者に免じて手加減を加えるなんて倫理はシアには備わっていない。シアの気に障らずに、それでいて堂々とした姿勢をたもたなければならない。
「ニジュさんの心理的負担の軽減を期待しての姿です。身の回りのお世話をする際にも体の形状や大きさが近いとスムーズです」
「へえ。僕は考えもしなかったなあ。そういうことに気づいたり、そのために姿を醜く変えるのを惜しまなかったり、それが世話役の才能なんだろうね。エヴェトラ、君にはこれからもニジュの世話を頼むよ。君が存続することを許可しよう」
シアの言葉からエヴェトラは感じ取った。
妖精の調査を推し進めたルネとチリルは始末していくつもりだと。
「……ご寛恕ください」
この相手に対して懇願がいかにバカバカしいか、頭が良いとはいえないエヴェトラにもわかっている。
「仕方がないね。わかったよ、献身的な世話役のお願いに免じて……」
意外な言葉にエヴェトラはホッとした。
「半分だけで済ませてあげよう」
チリルは片割れが汚濁の水に包まれるのを見た。
「ルネ……!」
ルネはすぐに水から脱出する。
綿雲みたいにふわふわした淡い黄色の髪も白いひらひらした小さなローブもドロドロした緑色で汚されていた。身を黒く焼き焦がしていく緑の水に。
「ぺっ、ぺっ! なんだこりゃ……。熱い、ってかなんかマジでこれ……ッ」
痛み。それはルネ=シュシュ=シャンテがはじめて味わう苦痛であった。神は通常ケガを負うことも死ぬこともない。例外は他の神からの攻撃的な干渉をされた時。
水から飛び出してもルネの組織はジワジワと黒く静かに焼かれ、その箇所は不穏に広がっていった。ついさっきまでは話す余裕があったが、その声はだんだんと意味をなさない苦悶の鳴き声へと変化する。
「僕ら神々は産まれ持った自分のあり方、形や能力、気性なんかを重視している。だけど時と場合によって、神であっても自分本来のあり方ではいられなくなることもある」
よく見知った姿が黒く焦がされていくのをチリルとエヴェトラは目の当たりにする。
シア=ランソード=ジーノームは午後のお茶会に参加しているかのようなゆったりとした態度で犠牲者を眺めている。
「こんな風に惨めに転げ回って情けない悲鳴を吐き出すのは、きっとコレ本来の姿ではないのだろうね。僕がありのままの自分でいることを望むと、周りはありのままではいられなくなる。それはすごく気分が良くて穏やかな充足感を与えてくれるんだ」
シアに挑もうとするチリルをエヴェトラは抑え込む。
止めることが本当にチリルを救っているといえるのかとかすかに疑問に感じながらも、その力をゆるめない。
意志の神チリル=チル=テッチェはルネ=シュシュ=シャンテを救えず、エヴェトラ=ネメス=フォイゾンの庇護の拘束から逃れられず、シア=ランソード=ジーノームの暴挙に抗うこともできなかった。
その強く気高い意志は世界の前に何もなさない。
「安心して良いよ。僕だって寛大なところはあるんだ。息の根はとめていないよ。これは警告で、君たちは貴重な反省のチャンスを得たのさ」
災禍の象徴はかき消えた。
「……あなた方をシア=ランソード=ジーノームの怒りに巻き込んでしまい、申し訳なく思っています……」
ルネの容態を確かめて治療を済ませた後、神殿には重苦しい空気が流れていた。
「心は簡単に踏みにじられるのです」
チリルはエヴェトラの前にすっと進み出た。
「このまま終わらせて良いのですか? あの暴虐の神にチリルたちが正しいことを証明しなければなりません」
固い表情のままチリルはエヴェトラに詰め寄る。
「エヴェトラさまはどう考えます?」
「記録者のイさんにまで被害が及んでいないか心配です。警告があったことを伝え、私たちも刺激する活動は控えましょう」
返事を聞いて意志を司る神は決意をした。
「軟弱なあなたの考えはわかりました。チリルだけでも妖精の研究を続行します」
エヴェトラは驚いたが今度はチリルを力尽くで制止することはしなかった。
ニジュとイにも事の顛末が伝えられ妖精の調査は中断。
神殿周辺の環境を正常化するためにエヴェトラは奔走した。
毒水を飲んだ命の苦痛を癒す必要があるし、清浄な水に戻さなくては事態が解決しない。
あらゆるものを循環し無害化することはエヴェトラの得意分野ではあるが今回は規模が大きい。
雨の神、風の神、大河の神との共同作業で汚染は少しずつ改善されていった。
「……このような形で汝ら双子に離別が訪れようとはな」
ニジュの内心は罪悪感といたたまれなさで満ちていた。
「チリルもどこか遠くで達者にやってるんだろうよ」
肩をすくめて軽い調子でルネは答える。
「この世は無常! どんなことにも変化は訪れるものさ」
演技めいた空々しい明るさでいってのけるが、その体の消えることのない無残な傷がルネに起きた変化がどんなものだったかを物語っていた。




