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バザウ、君は賢すぎる  作者: 下山 辰季
第七部

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ゴブリンと信者を望んだ神

 ケレイブ=サイドはバザウにつきまとった。早足で進むゴブリンの後を小さい犬がちょこまかついていくのは、ほのぼのとした光景だ。はたから見れば。


(どうすればコイツの信念を折れるだろか……)


 隙あらば座った膝の上に乗ってこようとする可愛い犬をあしらいながらバザウは苦悩する。




 岩場の隠れ家に留まるバザウのために、エヴェトラはミュリスの神殿都市から冷たい水と美味しいものを運んできた。


「良いアイディアを出すには、良質な食事で頭に栄養を送ることが一番ですよ!」


 それならエヴェトラの頭はもうちょっとさえていても良いはずだとバザウは思ったが、料理を用意してくれる相手にケンカを売るのは最大の愚行なので黙っておいた。

 今日のメニューは羊の串焼き。デザートにはサボテンの果実。


(……珍しい果物なのにどこかで見覚えがあると思ったら……)


 バザウはサボテンの果実を一つ手に取って、黄色に熟した皮を銀の果物ナイフでむく。

 真実の愛の箱庭にいた時、部屋に置かれたカゴには珍しい異国の果物がいっぱい詰められていた。異国から届いた甘い香り。黄色い髪をした少女の勝気な笑顔を思い出す。

 ケレイブに説かれるまでもなく、かつて孤絶した漂泊者と呼ばれたバザウは多くの出会いを経験したことで温かい絆をしった。


「味付けしてない肉もあるので、ケレイブさんもいっしょにご飯にしませんか~?」


「ありがとう。ご相伴にあずかろうかな」


「……なんだ。お前も飯を喰うのか。異世界から連れてこられた創世樹の宿主は、肉体を持たない者もいたが……」


「僕は実体だからね。生前と何も変わらない姿で転生したんだ。鼻先も尻尾もなくすわけにはいかなかった。体がないとオースティンになでてもらえない」


 ケレイブが食べやすいように羊肉を串から外していたエヴェトラの手がとまった。


「命の巡り代わりによる自然な転生と違い、かなり手が加えられた転生の形態ですよね。無理なことをしているわけで……その分、あなたに課せられた代償は重いのでは?」


「え、そうなの? 何も心当たりはないけど」


「なら良いのですけど」


 エヴェトラは少し心配そうに苦笑しケレイブの前に肉を置く。


(……不公平じゃないか)


 バザウは沸き起こる憎悪を制御するためにケレイブから視線をそらした。

 同じ受肉転生をしたデンゼンには強者の肉しか糧にできないという厳しい戒律が与えられたのに、ケレイブにはなんのリスクもないという。ケレイブが悪いというわけでもないのに、やり場のない怒りがバザウの心を焼く。


「ここにくる前、僕とオースティンはロンドンって街にいたんだ」


 オースティンは若くして路上生活をしていた。

 彼はアルコール中毒でもなく、働けない病気を抱えているわけでもなく、人生の不幸な事故で職や家を失ったわけでもない。ただ労働を否定し経済活動に参加することを拒んだ。

 働いた方がはるかに楽な状況であってもオースティンは働かないことを選んだ。他の人間からちょっと面倒な作業を頼まれても快く引き受けたが、賃金が発生するとなると断固として拒否した。

 そんな筋金入りの変わり者とケレイブはいっしょに暮していた。


「彼は良い主人だ。あれだけの複雑な群れが動く場所で、いつも上手いやり方をしっていた。犬にとっての幸福はオースティンのような卓越したリーダーに従属することだ」


 現金収入は皆無だったが、オースティンとケレイブは現物支給で寄付を受けていた。

 ミネラルウォーター。サンドイッチ。ドッグフード。新品のシリコン製の犬歯ブラシ。ショッキングピンクのキレイなゴムボール。ステンレスのコームとラバーブラシのセット。

 オースティンの荷物は必要最低限だったが、ケレイブの荷物はやたらとリッチで充実していた。


 経済的に困窮状態にある飼い主の犬を無償でケアする活動があり、ケレイブはそこで検診やトリミングをしてもらう。

 動物病院の獣医師はオースティンによく頼み事をした。たとえばロビーに飾る犬たちを描いた油絵の作成。必要な道具は渡したがもちろん代金はなしだ。


「あの街で色んな犬や人を見てきたけど、僕以上に恵まれた境遇の犬はいなかった。四足歩行と二本足、目線の高さや尻尾の有無という種の差を超えてまったく別々の魂が深く結びついている。こんな関係はどんな犬と人でも築けるってわけじゃない。魂の結びつきを実感すること。僕は、それがとても嬉しいんだ。この幸福を世界中の命ある者にしってもらいたい」


 空に浮かんだ下弦の月がケレイブの白い毛並みを銀色に光らせていた。




 ◆◇◆◇◆




 邪魔者を排除する手段は選ばない。

 気に入らない相手は殺してしまえば良いと思っている。

 嫌いなヤツが苦しめば最高に愉快である。

 シア=ランソード=ジーノームとはそういう神だ。


「……何も……そこまですることもなかろうに」


 他者に危害を加えることを最上の喜びとするシアには、ニジュが重く吐き出したその言葉さえも奥ゆかしい遠慮として解釈されている。ニジュの心は伝わらない。

 この一件は、シアの中ではたいしてうけずに終わった失敗サプライズとして処理された。


「ふふっ。そうそう、この前の話なのだけれどね」


 何事もなかったかのようにシアはとりとめのない雑談に戻る。




 エヴェトラはハラハラしながら暴虐の神の動向をうかがっていた。

 シアに注意を向けていたせいで、神殿の廊下を進む小さな足音に気づくのが遅れた。

 供物を捧げる時以外は開かれるはずのない扉がきしりと動く。

 不思議な気配への好奇心にそそのかされた人間の少女の瞳に、鮮烈な緑の水球が映る。


「これは何……?」


 ごく小さくつぶやいた少女の声は供物室の中でやけに大きく反響した。


 シア=ランソード=ジーノームはその姿をさらしていた。

 下々の生き物に配慮して自分が融通するという発想はこの神にはなかった。

 姿を見られて困る事態になったら、見た者を殺していけば済む。


 ニジュは息を飲み込み、エヴェトラは凍りつく。


「シアよ。その娘を殺めてはならぬ」


「残念だよ。僕ってそんなに信用ないかな? 君が滞在している場所を勝手に散らかしたりはしないさ」


 シアに殺意はないようだ。

 今、この場限りは。


 少女は自分が命拾いをしたことも、目の前の水球が危険なこともわかってはいない様子だ。

 神秘的な体験の恍惚にすっかりひたっている。

 ぼーっとしていた少女の口から、やがてたどたどしく言葉が出てきた。


「これは……? ネメスさまのお力なの?」


「驚いたね。あの可哀そうな命には、僕がお前の作ったものか何かに見えるんだってさ」


「非礼をお許しください」


 釈明のためエヴェトラは神殿の人間について説明した。

 この神殿は、大地を豊かにするエヴェトラの力を求めた人間によって作られたこと。

 神殿に住んでいるのはエヴェトラの信者で少女もその一員であること。

 少女にシアを侮蔑する意図はまったくなく、無知ゆえの問いかけだったこと。


「へー、珍しい! 眷属以外の命をこんな風に従属させるなんて面白い発想だね。いや、神の力を求めて命の側から寄ってきたのだから変わっているのは人間の方か。本当に思いもしないことを仕出かす種族だよね」


 嫌味ではなく素直に称賛している。

 楽しそうに浮かび上がり、少女の周りをくるくると飛びはじめた。

 水球の表面には歪な少女の姿が映っている。戸惑った表情だった。


「信者ね。僕もほしくなったよ。そうだね、軽く百ほどわけてはもらえないかな?」


 信者をわけろ。

 思いもしなかった要求にエヴェトラが呆然としていると、さも愉快そうにシアは笑った。


「冗談さ。信者ってものが僕の気に入るかまだわからないしね。まずは試しにということでこれ一つで良いよ」


 ポカンとしている少女は自分が運命の分かれ道にいることをまるで理解していない。

 神の思惑がよくわからず、また自分が砂粒か何かのように無視されているように感じて、少しだけ不安にとらわれている。

 しかし強く警戒しているというわけでもない。命の心配まではしてはいない。少女は信じきっていた。エヴェトラ=ネメス=フォイゾンを祀るこの神殿で、邪悪な存在が跳梁するはずがないと。


 シアの機嫌を損ねずに人間の信者を諦めさせる言葉を考えていたニジュは、少女の手に何かが素早く巻きつくのを見た。


「その要求は承服しかねます」


 エヴェトラはその姿を少女の前に表した。




 静まり返った室内に緊張が走る。


「……そのオモチャをよっぽど気に入っているのかな」


 シアはまだ会話を続けるだけの寛容さを残していた。

 エヴェトラも少女も無残な死をまぬがれた。

 ひとまずは安堵したニジュだが、まだなりゆきはわからない。

 神殿を勝手に散らかしたりはしない、と先ほどシアはいったが激昂すればそんな言葉はあてにならない。

 シアの幼稚な残虐性が発揮されるような場面になったら……。


(その時は我が動くしかあるまい)


 ニジュはひそかに覚悟を決めた。

 自分以外のあらゆる存在を軽んじているシアだが、ニジュに対しては多少の情がある。

 シアが懐いている理由の一つはニジュの優しさだ。ひどいことをしてもニジュは許してくれる、という優しさ。


「お前、そんなに意地を張るのはおよしよ。どうしちゃったんだい?」


「従僕がほしいのであれば私がその役目をはたしましょう。しかしながら、この者を連れてゆかれることはおやめください」


「はあ?」


 暴君の声ににじむのは思いどおりにならない不満と異を唱えた下等な神への怒りと、そして小さな疑問。

 なぜ破滅が待ちかねている危険な綱渡りをしてまで、このつまらない神は信徒の手をとったのか。

 シアにはまったく不可解な行動だった。


「面と向かって僕の望みをはねつけるとはね。狂気の沙汰にしか見えない振る舞いの理由を教えてよ。まさか、それすらヤダなんていわないだろう? 今のところは生かしてあげてるんだからさ」


「この者が私を豊穣と繁栄をもたらす良き神だと信仰しているからです」


「そう。それで?」


「……えっと……。理由はそれだけです! 期待に応える的な!」


 シアとエヴェトラ。両者の間に滑稽な沈黙がぽくぽくと流れる。


「え……、たかが命からの期待にどうして神が真剣に応えなくちゃいけないの……? それって冗談じゃなく本当のこと?」


「冗談でこんな恐ろしい反抗ができましょうか」


 たった一つの命のためにエヴェトラがここまで危険をかえりみない行動に出るとは、ニジュにとっても予想外だった。

 命の輝きは美しい。命の芽吹きは喜ばしい。命の営みは素晴らしい。この世界は無数の命がおりなして作っていくタペストリーで彩られている。

 そして命は神の礎にすぎない矮小で劣った存在でもある。神と命は対等ではない。神が命に与えるのは気まぐれの恩寵と災禍である。それがこの世界の神々のあり方だ。

 エヴェトラの考えはかなり特異だ。その考えをシアという破滅の体現者の前でも引っ込めなかった点も。


「ええ……。信者がいると神はそんなことまでしなきゃいけないのかい?」


「私はそうありたいと思っています」


 シアの水面がぴんとはりつめ、数秒間ほど凍ったような沈黙が続いた後で。


「やーめた。やっぱり信者なんていらないや。ちやほやされるのは楽しそうだけど、それ以上に面倒だ」


 シアがほしかったのは従順で無条件にこちらを尊敬する使い捨ての命だ。

 だが、その命ために責任を負うのはまっぴらごめんなのである。


「そもそも信者なんて持たなくても僕がひとたび猛威を振るえば、あちこちの命から祈りと懇願が聞こえてくるのだからね。それで満足するとしよう」


 シアは神殿の人間たちに対する所有欲をすっかり失ったようだ。


「ニジュの様子も見られたし、それじゃ今日のところは帰ろうかな」


 人間の少女を抱えた黒い大地の神にシアは快活な声で尋ねる。


「ああ、その前に。改めてもう一度、君の諱字司なまえを聞かせてもらえはしないだろうか?」


 長くつややかな体を持つその神は少女から離れた。

 大きく開いた柔軟な口が自らの尾を軽々と飲み込む。循環と無限を示す体勢だ。


「神に明かされた名はエヴェトラ。命に許した名はネメス。司るものの名はフォイゾンでございます」


「そう。覚えておくよ」


 シアは他の神の名前をちゃんと覚える気がない。重要な相手以外は。


「それじゃ、またね!」


 今度こそシアは去っていった。

 何も誰も奪うことなく。




 供物室でニジュは長く息をついた。


「よもや其方があのような行動に出るとはな……。どうなることかと思ったぞ。無茶をする……」


「いや~、こうして冷静になってみると自分でもゾッとします。この娘を守れてよかったです」


 何が起こったかも理解していなかった少女だが、やっと自分が危険な境地に立たされていたとしる。

 すぎ去った恐怖とやってくる歓喜に、喉から出す声は震えてうわずってしまう。


「ネメスさまが……、また私を守ってくださった……?」


 エヴェトラは細長くて形の良い頭をさっともたげて、自らの信徒に人の言葉で語りかけた。


「あなたをほしがった方は力のある名高い神ですが、強大であるがゆえに恐ろしい神でもあります」


「シアはあれで子供じみた無邪気さがある。たいていはワガママで放埓だが……、運が良ければ素直な一面に触れることもあろう」


「ネメスさま……。私を救ってくださった。これで二度も。ああ……っ、心からのお礼を。ありがとうございます」


 少女はハッとした表情になり慌てて供物室の床に額づいた。

 神聖な存在が目に見える形でそこにいるというのに敬意を表すのがだいぶ遅れてしまったと、己の不作法を恥じているようだ。

 その混乱と呵責からか少女は涙ぐみ、昂った感情はその顔をバラ色に染めた。


「シアにとってたいていのことはその力を振るいさえすれば容易くかなう。しかし力をぶつけても思いどおりに動かせぬものもまれにある。そういう意味では其方の振る舞いが、シアには稀有に映っ……? ……!?」


 ニジュが驚くのも仕方がない。黒い体に黄金の首輪をつけたミミズの神がいた場所に、いつの間にか人間に似た容姿の神が立っていたのだから。

 エヴェトラは自らを人に似せた形に変身させていた。さっきまでにょろにょろしていたくせに。


「あなたの気持ちは伝わりました。さあ、顔をお上げなさい」


 見開かれた少女の目には健康的な肉体美を備えた若者が映っていた。見た目の年齢は少女と同じくらいだ。

 その胸には極端に大きなふくらみはない。少女の好みを反映してか、中性的な範囲で美少年を思わせる容貌になっている。

 地下を愛する神の肌はごく薄い褐色。肩の辺りで切られた髪は黒の深さとオパールの輝きを備えていた。

 身に着けた衣装は質素な生地の作業着といった雰囲気だ。しかしその首には、王者の威光もかすむほどのまばゆい黄金の輪が静かに輝いている。


「あ、ああ……っ、ネメスさまなのですか? ……本当に、夢のよう。とてもキレイで、ああ……」


 少女は一度上げた顔をまた伏せた。


「私にも、もっとたくさんのステキな言葉が使えたら良かったのに。頭の良い大人の人たちみたいに。今の気持ちを……上手く言葉に出せません」


 人の姿をしたエヴェトラは音もなく優雅に屈んで、少女の頬を優しく手で包んだ。


「ふふふ、ならば言葉は使わず視線で語り合うとしましょう」


「ネメスさま……」


「……ぐ……。し、しかし……、いつもこう上手く事が運ぶとは思わぬよう……。本気でシアを激昂させてしまえば、我とて容易には治めることはできぬ」


 ニジュはちらりとエヴェトラと少女を横目で見た。

 エヴェトラや先ほどのシアと違い、少女の目には姿を映らないようにしているニジュが半ば無視される形になるのは仕方がないのだが。


「……もう危険は去ったのだから、そんなにくっついている必要はないと思うのだがな……」


 無事に済んで良かったと思う反面、たかが命の一つがエヴェトラの注意をひくこの状況が無性に気に入らないニジュだった。

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