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6、対峙する

「これを収めて欲しいの」


 ワンボックスカーに乗るや、九条瑞姫はバッグから分厚い封筒を出して、雅之に手渡した。

 挑戦的な瞳で、雅之を見据える。

 二人は、座席の中列にある二座席に並んで座る形で対峙していた。

 二人の間は小さなテーブルで仕切られていて、その分シートはゆったりとしている。

 窓にはスモークが貼られているようで、多分外からは見えないようになっているのだろう。

 瑞姫のボディーガードの岩田は車をゆっくりスタートさせていた。


 封筒の中をチラリと覗くと、1万円札が1cmほど、束になって入っていた。


「―――これはどういうつもり?」

「それ、100万円あるわ。あなたにあげる。その代わり、今後悠姫とは一切関わらないで欲しいの」


 雅之は瑞姫の顔を一瞥すると、無造作に封筒を投げて寄越した。


「こんなの、いらない」

「なんですって!? 金額が不足だって言うの? じゃあ、200万出してもいいわ」

「……いくら姉妹でも、裏に回って交際範囲を操ろうとするなんて、ルール違反なんじゃないの? それに、俺は別に金に困っているわけじゃない」

「ふーん。……仕方ないわ。それじゃ、私が悠姫の代わりにデートしてあげる。その代わり悠姫に付きまとわないで」

「はあ?」

「女優・九条瑞姫がデートしてあげるって言ってるのよ。私とのデートなんて、オークションにかけたら、100万台の高値が付くのよ。不足はないでしょ?」

「不足? 大ありだよ」


 雅之は足を組んで、ゆったりとシートにもたれ、ニヤリと笑ってみせた。


「同じ顔で、片やゴーマン芸能人、片や純情・癒し系ジョシコーセーなら、普通、純情・癒し系ジョシコーセーを選ぶんじゃないの? どうして好き好んでゴーマン芸能人と付き合わなきゃいけないの?」

「ゴーマン芸能人ですって!? 失礼ね。それに、私だって現役女子高生なんですからね!」

「失礼なのはおまえの方だろ? そんな見当違いな世話を焼かなくても、悠姫は自分の将来についてだって、真面目に考えて努力してるし、おまえなんかより、よっぽどしっかりしている」


 怒りに頬を真っ赤にしている瑞姫を、雅之が冷ややかに見つめる。

 その時、前の運転席から、静かな低い声がした。


「瑞姫が心配するのは理由があるんだ。以前から悠姫は『九条瑞姫』にそっくりなせいで、色々嫌な目にあっている。間違われて誘拐されかけた事もあってね。だから、瑞姫は姉の事に関しては、必要以上に神経質になるんだよ。たった二人の姉妹だから」

「亮ちゃん!!」

「……誘拐?」

 

 いらない事を言わぬよう、振り返って止めようとした瑞姫をバックミラー越しに瞳で制し、岩田亮は言葉を続けた。


「彼には、変に隠し立てはしない方がいい。……どうやら悠姫は、将来の夢まで君に話してるみたいだね。あの人見知りの激しい、用心深い悠姫がこんな短期間に心を許すなんて、ホント驚くよ。……君が悠姫の害になるんじゃないかと心配していたが、もしかしたら悠姫の数少ない味方になってくれるのかもしれないし。期待はずれなら、早く悠姫の目を覚まさせてやった方が良いし、ね」


 雅之は亮の皮肉には全く反応しなかった。

 ただ、しばらく亮の運転する後姿をじっと見つめ、それから慎重に言葉を発した。


「悠姫が誘拐って……ひょっとしたら、中途半端な時期の転校も、それに関係あるのか?」

「ああ。運よく人が通りかかったため未遂で済んだんだが、犯人はまだ捕まっていない。無理やり車で連れ去られそうになった際男に殴られたせいか、今も悠姫は異性を怖がる。……当時は噂に尾ひれがついて広がって、元々瑞姫の姉として有名だった悠姫は、好奇の目にさらされて学校にも行けなくなったんだ。だから、思い切って引越し、君の高校に転校した。それからは、悠姫自身も目立たないよう注意を払って、うまく振舞っていたんだが……なぜか、君の興味を引いてしまった」

「―――それで、わざとあのビン底黒縁メガネな訳?」

「ああ。……僕らも事件が起こるまでは、甘く考えていたからね。芸能人である瑞姫には、ストーカーなどの危険も想定して、僕で手に余る場合には、さらにボディーガードを配したりするんだが、一般人の悠姫の危険までは考えてなかったんだ。いくら双子でよく似ていると言っても、僕から見れば二人は全然違う人間だから……迂闊だった」


 亮は軽くハンドルを左に切る。

 辺りはもうすっかり暗くなり、対向車のライトが車窓を後ろに流れていく。

 電飾に飾られて浮かび上がる光景は見覚えがある。

 たぶん亮は雅之と落ち着いて話をするために、悠姫のマンションからそう遠くない道をドライブすることにしたのだろう。


 亮の話を聞いた今なら、悠姫に感じた不自然さも理解できる。

 怪我をした時、外れたメガネを必死に探していた悠姫。

 縋るような目をして、本当に帰りは送ってくれるのかと尋ねた悠姫。

 だが、悠姫はいつも前向きだったから、そんな心の影をまで察することはできなかった。

 

「なるほど。……悠姫は暗がりを一人で帰るのを、何だか極端に怖がっているようで、少し不自然に感じていたんだ。……放課後、悠姫は図書館で勉強している。帰りは約束で、俺が彼女のマンションまで送っている」

「―――悠姫が事件にあって、まだ数ヶ月しか経っていない。しかもその時の傷はトラウマになっている。二度と悠姫には傷ついて欲しくない。君は悠姫が好きなのか? 中途半端な気持ちで彼女に近づく事は、僕らは許さない」

「俺は悠姫を傷つけるつもりはない。……ただ放っておけないってのが正直な気持ちかな。何だか心配で、気になる」


 思いがけなく、素直な気持ちが雅之の口から零れ出た。

 亮の言葉や態度は淡々としていたが、悠姫を大切に思い、本気で心配している気持ちが滲み出ていたから、本能的に誤魔化しではいけないと感じたのかもしれない。


「―――だけど、君の父親は君と悠姫が親しくなるのを歓迎しないかもしれない」


 亮が父親の話をしたとたん、雅之の表情がガラリと変わった。


「なぜ、俺の父親のことがここで出てくるんだ?」


 剣呑な目つきで、バックミラーに映る亮を睨みつける。

 

「悪いけど、君の家族の事は調べさせてもらったよ。今日興信所から連絡があってね。君って結構良いとこのお坊ちゃんだったんだね。びっくりしたよ」

「親父は関係ない。俺も姉貴も家を出てから随分になる。俺もあの人には干渉しないし、あの人も俺に干渉したりはしない」

「……君も君のお姉さんも確かに一人暮らしをしてはいるが、家賃や生活費・学費は父親の世話になっているんじゃないか。ま、高校生だから、仕方がないけど。……ただ、何よりスキャンダルを嫌う職業に就いている君の父親は、芸能人を姉妹に持つ悠姫との交際を快く思うはずがないと僕は思うけど」

「―――おまえと家の事で口論するつもりはないよ。だけど、これだけは言っておく。俺は自分の事は自分で決める。親父であろうと誰であろうと、人の指図を受けるつもりはない」

 

 バックミラー越しに亮と雅之の視線が絡んだ。

 ふと亮が視線を逸らせ、ワンボックスカーが静かに停車する。

 窓の外を見ると、いつの間にか、車は再び悠姫のマンションの前に戻ってきたらしい。

 雅之は瑞姫をまっすぐ見据えて、静かに語った。


「悠姫はおまえが芸能界を去ることになったら、今度は自分がおまえを支えるんだと。教育大を目指して、教師になるそうだ。……本心から真っ直ぐにそう考えているんだもんな、参るよ。今時のジョシコーセーの思考回路だと思う? だけど俺はそんな彼女といるのが妙に心地いいんだ。俺が彼女に関わるのは、それが理由だよ」


 瑞姫の瞳が一瞬大きく瞠られる。

 双子の姉とは幼い頃から仲が良く、いつも一番の理解者は瑞姫だった。

 悠姫が頼りにしたのも、ずっと瑞姫と亮の二人だったはずだ。

 一体目の前のこの男は、どうしてそんな自分たちの間にズカズカ無遠慮に入ってこようとするのか。

 

 雅之はただ淡々と低い声で言葉を継いだ。


「悠姫のことは―――悠姫本人が俺と関わりたくないと言っているならともかく、彼女以外の人間からとやかく言われるのは不本意だ。こんな……汚い政治家のような真似をするなよ。あんたたちが悠姫の身の安全を心配しているなら、俺も協力はする。学校に行ってる間は、俺が悠姫のボディーガードになるよ。怪しいヤツは近づけない」


 それだけ言うと、雅之はスライドドアを開け、すばやく歩道に降り立つ。


「ちょっと待ちなさいよ。そう言うあんたが一番危ないんでしょ!! ボディーガードなんて結構よ! これ以上悠姫に関わらないで!」

 

 瑞姫はその後を追って、かなり動作も荒々しく車から下りると、雅之に詰め寄った。


「瑞姫、無用心に車から降りるな」という亮の制止の声も、耳に入らない。

 雅之に対する怒りに我を忘れていたために、背後に近寄る人の気配に気付くのも遅れた。


「おい!危ない」


 雅之が瑞姫ごしに近付く人物に何か悪意を感じた時、相手が後ろから思い切り瑞姫を突き飛ばした。


「きゃっ」とよろめいて倒れそうになった彼女を、とっさに抱き留める。

 その瞬間、周りがまばゆい光に包まれた。

 二人が反射的に光源に視線を向けると、第二・第三の光の攻撃に目が眩む。

 フラッシュがたかれた、写真を撮られたと理解した時には、車の運転席から亮が飛び出していた。逃げる二人組みのパパラッチらを追いかけていく。

 亮に加勢するべきと思ったが、雅之は呆然として震えている瑞姫の方が気になった。

 さっきの横柄さがすっかりなりを潜めた瑞姫は、か弱く、怪我をした時の悠姫を思い起こさせた。


「大丈夫か?」


 雅之が両肩を掴んで揺さ振ると、瑞姫がはっと正気に戻る。


「り……亮くんは?」


 瑞姫が心細げに尋ね辺りを見回すと、ちょうど通りの向こうから亮が小走りに戻ってきた。


「逃げられた。バイクを通りの向こうに用意していたよ。最初から『九条瑞姫』を計画的に狙っていた訳だ」

「狙っていたって……」雅之の訝しげな声に亮が苦笑する。


「彼らは最初から瑞姫のスクープを狙ってたのさ。撮れなければ捏造するつもりで、ね」


 写真を撮られた状況を思い出す。突き飛ばされた瑞姫を受け止めた瞬間だった。傍目には瑞姫が男と抱き合っているように見えるに違いない。


「くそっ、このマンションは知られないよう、色々手を尽くしてたんだが」

「だけど、あれは完全なフェイクだろう」

「今まで『九条瑞姫』にスキャンダルはない。記事が載れば、興味本位で読者は雑誌を買うだろう。売れればなんでも良いんだよ、ヤツらは。瑞姫はそんな世界で生きてきたんだ。虚勢も張らなきゃ潰される。が、君が思うほど彼女はタフじゃない」


 亮は大丈夫かと瑞姫の髪を撫でる。瑞姫がその手を両手で包み、亮を見上げコクンと頷いた。


「ごめんね。亮ちゃんの言う事、聞かなかったから……」と、瑞姫が顔を歪めると、亮は「僕こそごめん。瑞姫を怖い目に合わせてしまった」と厳つい顔に笑みを浮かべた。

 瑞姫が落ち着いてきたのを見て、亮は雅之に視線を向けた。


「とにかく打てる手は打っておくよ。和田くんの顔が出ることはないと思うけど、まあ悠姫に関わる限り、今後もこんなことはないとは言い切れない。一応覚悟はしておいて」


 亮は大事なものを扱うようにそっと瑞姫を促して車に乗せると、あとは雅之を顧みることなく夜の街に消えていった。



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