5、魅かれる
次の日から、クラブ活動が終わった後、図書館に寄って、悠姫を彼女のマンションに送っていくのが、雅之の日課になった。
サッカー部のポイントゲッターとして学内では有名だが、女子に対する無愛想さから今まで硬派だと見なされてきた雅之と、真面目優等生で一見地味な悠姫の取り合わせは、最初のうちは「異色」だと色々噂されたようだった。
しかし、クラスメイトの反応も、二人が登下校を一緒にしだして一週間もすると、その光景に慣れてしまったようで、二人が一緒にいても当たり前のような空気になってくる。
ただ、休憩時や放課後、悠姫に当番や係りの仕事を代わってもらう依頼は、雅之の目を気にしてか、全くなくなった。
「『実践 英文法重要問題集』? これって学校指定の問題集じゃなかったよな?」
悠姫はいつも図書室のグランドに面した決まった場所に座っていて、勉強をしながら、雅之を待っている。
クラブを終えていつもどおり悠姫を迎えに来た雅之は、悠姫が熱心に勉強していて、自分に気が付かないのを良いことに、後ろからヒョイと机上の問題集を取り上げた。
「ええ。センター試験対策にしておいたら良いって、知人がくれたんです」
パラパラと捲ると、結構使い込んでいるらしく、所々に書き込みがなされている。
裏返すと、『岩田 亮』と名前が書かれていた。
「なあ。この名前って?」
テーブルの上の勉強道具を鞄にしまう悠姫に尋ねると、「ああ」と軽い返事が返ってきた。
「亮ちゃんは従兄弟なんです。和田くんも会ったことがあったでしょ?」
「……ひょっとして、悠姫の妹のボディーガードのヤツ?」
180cmある自分よりまだ上背のあったガタイの良い男が思い浮かんだ。
思いっきり嫌な顔をして聞くと、悠姫がクスクス笑う。
「亮ちゃんは瑞姫のマネージャーと運転手とボディーガードを兼ねてるんです。亡くなった父のお姉さんの子どもなので、正真正銘の従兄弟なんですけど、瑞姫はマスコミとかに聞かれて誤解されると困るから『岩田』って呼び捨てにしてるの。でも、他人がいない時は、瑞姫も『亮ちゃん』って呼んでるんです。小さい頃から亮ちゃんはずっと私たちの味方なんですよ」
「味方?」
「ええ。亮ちゃんは元々学校の先生になりたかったんです。で、頑張って国立の教育大まで出て……なのに、瑞姫が芸能界に入るって言い出した時、すごく心配して……、自分を瑞姫のマネージャーにしないなら認めるわけにはいかないって…プロダクションも折れざるをえなかったんですよね。自分の夢を諦めても、私たちの事、心配してくれて……良い人でしょ?」
「良い人ねえ……」
雅之にしてみれば、そこには純粋な従兄としての心配以外の気配がプンプンするが、特には言及せず、さり気なく悠姫の手から鞄を取ると、悠姫を促して図書館を後にした。
自転車置き場に寄って、二人の鞄を前カゴに入れる。
悠姫のマンションは歩いても15分ほどのところにあるので、雅之はそのまま悠姫と並んで自転車を押して歩いた。
「悠姫はセンター試験受けんの?」
「ええ。亮ちゃんの通っていたT教育大が第一志望です。瑞姫にお金を使わせる訳にはいかないから、何が何でも国立の教育大って思ってるんですけど……」
「……父親は亡くなったって聞いたけど、母親は健在なんだろ?」
「母は……父の3回忌も終わらないうちに、彼氏ができて…それで瑞姫が切れちゃったんです。結局、姉妹で家を出ることにして。経済的に自立しなきゃならなくなったのが、瑞姫が芸能界入りを決意した一番大きな原因なんですよ」
「へぇ……」
「母は今もその人と一緒に暮らしてるんです。母が幸せだと思っているのなら、結局私たちと別に暮らすことになって良かったのかもしれない。ただ、瑞姫にばかり負担を強いているようで、姉としてはちょっと情けないっていうか……」
てへへと笑う悠姫がいじらしい。
九条瑞姫の攻撃的な面に目の当たりにした雅之には、母親相手に切れた瑞姫の姿は容易に想像できた。
経済的には妹が支えているかもしれないが、精神的に相手を支えているのは悠姫の方に違いない。
九条瑞姫が相当なシスコンであることは、雅之は確信を持っていた。
「で、将来は教師になるの?」
「小学校の先生になれたら良いなって。子どもは好きだし、教師って公務員だから収入が安定してるでしょ。瑞姫は人気業だから、今は売れていても、先々どうなるか分からないし。万一の時は今度は私が瑞姫を支えてあげたいの」
「そっか。いいんじゃね? 俺、悠姫には合ってると思うな」
「ありがとう……」
ふわっとはにかむように笑う様子が、悠姫の人柄を表していた。
いくら美人でも、九条瑞姫のような高飛車な女が先生だったら子どもも可哀想だが、悠姫なら優しい良い先生になりそうだ。
「前から、自宅で一人で勉強するより、図書館を使うほうが捗るだろうとは思っていたんですけど。近所にも、暗くなると痴漢が出るとか聞くと怖くって……和田くんが一緒に帰ってくれて、ホント助かります。でも、毎日だとなんか申し訳なくって……」
「どうせ帰り道だから、気にすることないって。俺も一人で帰るより、面白いし」
和やかな雰囲気で会話を続けているうちに、いつもと同じように、あっという間に悠姫のマンションに着いた。
大通りから多少外れた場所にあるマンションは、セキュリティーはしっかりしているようだが、閑静な住宅街に臨んでいるせいか、思った以上に人通りは少ない。
まだ7時を過ぎた頃だが、既に辺りは暗く、ポツポツと通りに設置された街灯が、鈍い光を放っている。
なるほど、痴漢も出るかもしれないなと、辺りを見回して納得した。
鞄を受け取った悠姫が、手を振りながらエントランスに消えていくのを確認してから、雅之は自転車のサドルに跨った。
走り出そうとしたところで、突然道路わきに止めてあった黒いワンボックスカーのドアが開いたのに気づいた。
「―――――ちょっと……大事な話があるんだけど。乗ってくれる?」
ドアの中から、女が上半身を出して、有無を言わさぬ雰囲気で雅之に話しかける。
さすがに辺りは暗いので、今日はサングラスはかけていない。
その分、まるで殺意がこもったような気の強そうな瞳で、雅之をまっすぐ睨みつけているのが見て取れた。
雅之も憮然とした表情で見返すと、女は顎をしゃくって、マンションの駐輪場を示した。
「自転車なら、そのマンションの駐輪場に停めておけば良いでしょ。ぐずぐずしないで、早くして!」
相変わらずの傲慢な態度に、ムッとする。
双子で、容姿は良く似ているが、性格は悠姫と180度違うようだ。
―――――ああ、やっぱり俺、こいつは好きになれないわ。
そう思いながら、雅之は小さな溜息をつき、しかし女の言う通り、自分の自転車を駐輪場の隅にとめに行った。
遅かれ早かれ、もう一度瑞姫が自分の前に現れるだろうことは予想していたからだ。
雅之が悠姫に関わろうとする限り、この女の存在はこれからも無視できないに違いない。
この女―――――たとえ悠姫の双子の妹で、『九条瑞姫』として名の通った女優であっても、自分に敵対してくるなら、遠慮なくやり返してやるまでだ。
いずれ避けることのできない道ならば、早い方が良い。
相手から接触してくれたなら願ってもないこと。
はにかんだ悠姫の笑顔が、ふと心に浮かぶ。
すると、高ぶった気持ちが落ち着き、穏やかな心地になるのを不思議に思いながら、雅之は意を決して、瑞姫のワンボックスカーに乗り込んだ。