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4、企てる

 クラスメイトの和田雅之と、双子の妹であり、女優である九条瑞姫の初対面があった翌日のこと。



「ねえ、伊那さん。今日の掃除当番なんだけど、急に用事ができたんで、代わってもらえないかな?」


 終礼が終わって、皆が慌しく帰る準備をしている頃、クラスメイトの女の子が悠姫に話しかけてきた。

 あまり親しい訳ではない。

 今時の女子高生らしく、毎日ヘアメイクや服装にかなりの時間と労力を割いているような女の子だ。

 だが、今日に限らず、悠姫に「当番を代わって欲しい」とよく頼んでくる子だった。

 高校2年生になる時に、転入してきた悠姫はクラブ活動に所属していない。

 授業が終われば家に帰るだけだ。だから、軽い気持ちで引き受けようとした。


「あ……う、うん。いい―――」

「だめだよ、悠姫」


 きっぱりとした声に、ぎょっとして振り返ると、至近距離で、和田雅之が悠姫を見下ろしていた。

 

「今日の放課後は、俺が先約。悪いね、田中さん」

「!!――――今『悠姫』って、伊那さんのこと、呼び捨てにしたよね? 和田くんと伊那さんって、どういう関係?」

「……それは、田中さんの想像に任せるよ」


 ニヤッと笑う雅之を、田中と呼ばれた女の子が吃驚した顔で見返してる。それに雅之は止めの一言を放った。


「あ、それから、今後悠姫に用事を頼むときは、俺を通してよね。俺、待たされるのは嫌いだから、さ」


 背の高い雅之に、ふいに笑みを消した表情で見下ろされ、女の子はビクリと言葉を飲み込んだ。

 周りの喧騒が急に静まり、和田の言葉が、思った以上に教室にまだ残っている生徒の注意を集めたことが感じられる。

 思わず、悠姫は「わ、和田くんっ」と抗議の声を上げたが、雅之は「はいはい」と軽くいなしながら、悠姫の鞄に残りの教科書を放り込むとそれを手に持ち、悠姫の背を押しながら、廊下に出た。


「和田くんったら、『想像に任せるよ』なんて無責任な事言って! 田中さん、絶対誤解したよ!」

「俺、何も嘘なんて言ってねぇもん」

「そ、それに、田中さん困ってるんだったら、別に私、当番代わってあげても良かったのに!」

「お人よしだな、悠姫は」


 雅之は呆れたように一つ溜息を零すと、悠姫に向き直った。

 

「田中だって、大した用事があるわけじゃないんだよ。おそらくバスケ部の練習試合でも見に行きたいんだろ。バスケ部のキャプテンの追っかけで有名じゃん、あいつ。チャッチャと掃除終わらせれば、何も当番代わってやらなくても、十分試合に間に合うさ」

「で、でも……」

「おまえってさ、今までも、調子の良い奴らに上手い具合に利用されすぎ」

「そ、そんなこと……」


「ない」と言いかけて、口ごもる。

 悠姫も、少々自信がなかったからだ。


「先日怪我した時だって、日直の仕事にあんな遅くまでかかるなんて、ありえないだろ?」

「それは……男子の日直に『クラブに遅れるとまずいから頼む』って言われて……」

「あの時の日直って石橋だろ? 日頃はよくクラブをサボってるヤツじゃん。今度俺から文句言ってやろうか?」

「い、いえっ! 結構ですから」


 会話に一生懸命な悠姫は周りの様子が、全く目に入っていない。

 終礼が終わってさほど経ってない廊下や他教室には、まだ生徒の姿がちらほらしている。

 サッカー部の部員として目立っている雅之と、お堅い優等生として通っている悠姫の組み合わせは意外らしく、明らかに人目を引いていた。

 悠姫が怪我をしてから、登校時は意識して一緒だった二人だが、悠姫の「目立ちたくない」という気持ちを尊重して、今日まで雅之は教室では悠姫に声をかけなかった。だから、皆一様に少々驚いた表情で二人に視線を送っていた。


「明日は結構噂になってるかもしれないな」と思うと、全然周りの様子に気づかず、律儀に自分の話に答える悠姫が気の毒な気もする。

 だが、今日はそんな悠長なことは言ってられないのだ。


「ま、悠姫が気にしないなら別に良いけど」


 雅之は悠姫の背に手を添えて歩くように促すと、その耳元に小さな声で囁いた。


「それより今日は俺に付き合ってもらうから」

「えっ、和田くん、サッカー部の練習あるんじゃないの?」

「今日はサボる」


 目を丸くして見上げる悠姫の顔を見下ろしながら、雅之は涼しい顔をして言った。


「今日はクラブどころじゃないだろ? ちゃんと昨日の事を説明してもらわなきゃな」




 それから雅之は有無を言わさず、バス通りの裏通りに面した、「クラシック喫茶」なるものに悠姫を案内し、勝手に自分にコーヒー、悠姫にミルクティーを注文した。

 こじんまりした店内には静かにラヴェルの「ボレロ」が静かに流れている。

 数人いる客は年配の人ばかりで、もちろん学生は悠姫と雅之の二人だけだ。

 リラックスしてクラシック音楽に聴き入るためか、家具は落ち着いた良いものが使われているらしく、椅子はかなりゆったりとして、座り心地が良い。

 学校から大して遠くない距離に、こんな喫茶店があったのかと、悠姫が感心していると、

「で、……あの『九条瑞姫』が双子の妹って、ホントなんだな?」と、向かいのシートに深々と座った雅之が開口一番尋ねてきた。


 しぶしぶという表情で悠姫が答える。


「あ、……はい…」

「だから、悠姫はわざとダサい格好をして、姉妹って分からないよう変装してるんだ?」

「う……まぁ…」

「悠姫の住むマンションに、九条瑞姫も一緒に暮らしてんの?」

「あ、あのマンションは元々瑞姫ちゃんが買ったもので、私は居候なんです」


 『居候』という言葉に、雅之は訝しく思う。


「……瑞姫が買ったもの? 親は? 父親は亡くなったって言ってたけど、母親は健在だよな? 一緒に住んでねぇの?」

「はい。私と瑞姫ちゃんの二人暮らしです。ママと瑞姫ちゃんの折り合いが悪くて、……私たちが高校生になったのを機に、二人で家を出て下宿暮らしをするようになったんです」


 どうやらこの双子は思った以上に苦労しているらしい。

 視線を落とし、少し沈んだ表情で言葉を選びながら語る悠姫を、雅之はじっと見つめた。


「でも、九条瑞姫は高校も別だし、仕事もあるんだろ? うちの最寄り駅じゃ、不便なんじゃないの?」

「ええ。以前は同じ学校に通っていたので、その近くのマンションに住んでいたんですけど、私が転校した時に今のマンションに引っ越したんです。隣に亮くんが住んでいるので……亮くんっていうのは私たちの従兄弟で、今は瑞姫ちゃんのマネージャー兼ボディーガード兼運転手をしてるんですけど…瑞姫ちゃんは亮くんの車で送り迎えしてもらうから、どこに住んでも同じだって……」


 『亮くん』・・・ああ、あの大男か、と雅之は思い出した。

 あのボディーガードのヤツ、隣に住んでるのか。それはちょっと厄介かもしれない。

 それにしても、悠姫があの九条瑞姫と二人暮らしとは。

 昨日会った時の、彼女の妹の敵愾心溢れる反応を思い出す。

 どうやら九条瑞姫はかなりのシスコンなのは間違いない。


「……双子って言っても、ちっとも似てないな」


 ボソッと零した声に、悠姫が目を瞠った。


「そんなふうに言われたの、初めてです。私たち一卵性双生児なので、大概の人は……」

「性格、全然似てないじゃん。あっちは芸能人気質丸出しっていうか、傲慢っていうか」

「瑞姫ちゃんの悪口は言わないで!」


 その時、ウエイトレスがちょうどオーダーしたコーヒーと紅茶を持ってきたので、二人の会話は中断した。

 悠姫が初めて見せたはっきりした拒絶の言葉に、雅之は内心驚いていた。

 気まずい沈黙を破ったのは、しばらくして落ち着きを取り戻した悠姫だった。


「……私が頼りないから、瑞姫ちゃんも…亮くんも必要以上に心配してしまうんです。芸能人といっても、瑞姫ちゃんは好きでなった訳じゃなくて……元々スカウトされたのは私だったんです。でも、なかなかちゃんと断れなくて……瑞姫ちゃんが代わりに断りに行ってくれたのがキッカケなんです」

「確かに悠姫は芸能界向きじゃないけど…おまえの妹には向いてるかもな」

「そうなんです。瑞姫ちゃんは私と違ってしっかりしてるから、昔から何でも上手にこなしてしまうんですよね」

「俺、別に悠姫が頼りないなんて思わないけど。相手の気持ちを色々思いやって、拒絶の言葉が言えないのはむしろ悠姫の長所だと思うけど?」

「え……」


 大きなメガネの向こうの瞳が吃驚したように丸くなった次の瞬間、クシャリとはにかんだ笑みを浮かべた。

 普段はメガネに隠れているが、こうして見ると、非常に表情が豊かなのに、雅之は感心した。


「ありがと……ございます。…でも、やっぱり私、もっとしっかりしなきゃいけないんです」




 * * *




 翌日、悠姫が学校に行くと、今までとはクラスの雰囲気が一変していた。

 クラスメイトの無関心さの中、気楽な学校生活を送っていたのに、明らかに悠姫の一挙一動に注目が集まっているのがわかる。

 どうやら悠姫に掃除当番を断られた形の田中と教室に残り一部始終を見ていた何人かが、昨日の雅之とのやり取りに尾ひれをつけて、話を広めたようだ。

 おまけに、なぜか今日は、雅之が教室の中でも悠姫の傍を離れない。

 その態度が、「サッカー部のエース」と「学年一のガリ勉優等生」の意表をついたカップル誕生の噂を助長しているようだった。


 クラスの女子は明らかに悠姫に事の真相を聞きたそうにしていたのだが、ちょっとでも悠姫に近付こうものなら、雅之に思いっきり睨まれる。

 仕方なく遠巻きに二人を眺めている、という感じで半日が過ぎた。


 今は昼休憩に入ったところだった。

 悠姫はひどく疲れた様子で、一つ大きな溜息をつくと、鞄からお弁当を取り出した。

 悠姫の前の席には、4時間目が終わってすぐに雅之が座り、半身をこちらに向けている。


「和田~、今日は学食行かねぇの?」と、クラスで仲の良い男子が雅之に声をかけるが、「今日は行かねぇわ。悪りぃけど、調理パンあったら、2個ほど買ってきてくんない」と、雅之は手をひらひらと返して答えた。


「……お昼、食べないんですか?」


 悠姫がお弁当の蓋を開けながら尋ねると、雅之は、「持ってきた弁当なら、さっき授業中にこそっと食べた」とニッコリ笑う。


「で、なんで和田くん、こんなところに座ってるんですか?」

「ん。今日に限って言えば、悠姫を守るため?」


 雅之の手が悠姫の弁当箱から、すばやく卵焼きを攫っていく。

 ムッとした表情で、悠姫は第2弾に備え、弁当箱をガードしつつ、じろりと雅之を睨んだ。


「和田くん……彼女のふりをする約束は、お姉さんの前だけで良いはずですよね。……なのにどうして? クラスメイトに誤解されている今の状況は、ホント困ります。自分の事は自分でできますし、少なくとも学校では目立たないよう、他人でいたいんですけど」

「…俺が、今、悠姫の傍を離れたら、すぐさま女子に取り囲まれて、質問の嵐だぜ? 悠姫はそれをしのぐ自信があるの?」

「それは―――――」


 チラリとクラスの女子グループに視線を向けると、一斉に目を逸らされた。

 こちらを伺うようにコソコソ話をしている。

 好奇心で一杯って感じ。

 たぶん雅之が言うように、雅之が離れたとたん、彼女たちはそれを満たそうとするだろう。


「それに、また悠姫が断れないのを良いことに、田中のように自分の仕事を押し付けてくるヤツがいないとも限らないし。だから丁度いいじゃん。俺が悠姫の傍にいれば、あいつら怖がって近付いてこないから」


 話をしながら、悠姫はもくもくと弁当を食べた。

 パクンとしょうが焼きを頬張る。

 なかなか生姜が効いて、良い味に仕上がっている。

 これなら瑞姫も亮くんも喜んで食べてくれているに違いないと思う。

 市販のお弁当はあまり体に良くないような気がして、悠姫はお弁当は3人分作るのが、癖になっていた。

 おかげで料理の腕は結構上達したと自負している。


「……だから、その考え方がそもそも違うんです。別に当番を代わるくらい、どうってことないんです。どうせ家に早く帰っても誰もいないし。時間つぶしになって、ありがたいくらい」

「当番をサボらせるのが、そいつにとってプラスになるわけないだろ? 図書館で勉強でもして時間潰す方が、よっぽど建設的じゃねぇ? もうすぐ中間テストもあるんだし」

「そりゃそうですけど、……でも暗くなって帰るのは怖いし…」

「じゃあ、俺クラブ終わったら、図書館に悠姫を迎えに行ってやるよ。で、うちまでちゃんと送ってやる」


 悠姫は食べる手を止め、じっと雅之を見つめた。

 何やら難しい顔をして、考え込み、再び雅之に視線を向けた。


「……本当に? ホントに家まで送ってくれるんですか?」

「ああ、いいよ。悠姫のマンションはちょうど帰り道だし」

「……下心なんて、ないですよね?」

「ない、ない」


 雅之はカラカラ笑いながら、否定する。

 それでも悠姫は訝しげな表情を崩さない。


「じゃあ、どうして私に……親切にしてくれるんですか?」

「どうしてって……やっぱ、悠姫が面白いからかな」

「!!」


 どうして悠姫に構いたくなるのか、その理由は雅之にもよく分からなかった。

 確かに初めて悠姫の素顔を見た時は、その整った造作に吃驚した。

 その上、女優の九条瑞姫の双子の姉なのだ。

 それが周りに知られれば、学校は大騒ぎになるだろう。


 だが、雅之には彼女の秘密を、他人に明かす気は全くなかった。

 悠姫の素顔は自分だけが知っていれば良い。

 傲慢な芸能人の妹など、邪魔なだけだと思う。


 だから、彼女の写メを見せて、どれだけ可愛いかと自慢している周りの友人と比べれば、自分が悠姫をそんな立場で求めていると、雅之には思えなかった。

 請われて女の子と付き合った時も、こんな気持ちになったことなどなかった。

 怪我がキッカケで気になりだして、登校時や授業中、休憩時……チラチラと観察するようになったが、生真面目でいつも一生懸命な悠姫を見ていると、穏やかな心持ちになった。

 あまりに無防備で放っておけない気持ちになるのは、ひょっとしたら自分に妹がいたら、同じように感じたのかもしれないなんて思う。

 初めて感じる感情に、何と名前をつけたら良いのか、雅之自身もよく分からなかった。


 今も、雅之の言った言葉にぷっと頬を膨らませて拗ねる表情が、笑いのツボにヒットする。

「ぶっ、子どもみてぇなヤツ!」と吹き出す雅之の様子に、徐々に悠姫の表情も緩んできた。


 今まで本音や下心を隠して悠姫に近づいて人はたくさんいた。

 だけど、そんな人たちは、雅之のように、お日様みたいな笑い方はしなかったと悠姫は思う。


「悠姫を見てると、カルガモの雛を連想するんだよな。心配しなくても、そんなヤツに無体なことするほど、俺、鬼畜じゃないし。って言うか、なんか悠姫って危なっかしくて、放っておけない」

「何か失礼な言い方だけど……私、信じていいのかな、和田くんのこと?」

「おう。俺ら、友達だろ?」


 『友達』と呼ぶ雅之の言葉を聞いて、悠姫ははにかんだ微笑を浮かべた。



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