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【短編023】 ホームの人:毎朝会う、その人は電車に乗らなかった。

作者: macchao
掲載日:2026/06/24

お読みいただきありがとうございます。


毎朝同じホームで電車を見送る人と、その人に気づいた会社員の物語です。


静かな日常の中にある出会いと別れを描きました。


短い作品ですので、最後までお付き合いいただければ幸いです。

 七時十二分発の上り電車を、彼女はいつも見送った。


 乗らなかった。ただ、ホームの端に立って、風に髪を揺らしながら、遠ざかる車両の背を見ていた。


 木下は最初、通勤途中に気づいた。翌朝も、その翌朝も、同じ場所に同じ人がいた。乗らずに見ている、それだけの人だった。


 一度だけ、雨の朝があった。ホームの床に水たまりができていた。彼女は傘を持っていなかった。濡れてもいなかった。足元だけ、乾いていた。木下はそのことを、誰にも言わなかった。


 いつごろからか、それが木下の一日の始まりになっていた。


 彼女を見てから、電車に乗る。ただそれだけのことが、十五年間の通勤を支えていた。


---


 声をかけたのは、秋も深まったある朝だった。


 理由はわからない。ただ、その日だけは足が止まった。


「毎朝ここにいますね」


 彼女は驚かなかった。振り返って、少し目を細めた。


「あなたこそ、毎朝乗っていくじゃないですか」


 名前を聞いた。月島と言った。木下は自分の名前を告げた。


 月島は一度だけ、「知ってます」と言いかけて、止まった。気のせいかもしれなかった。


 それから、少しずつ話をするようになった。七時十二分までの短い時間に、他愛のないことを言い合った。寒くなったとか、駅前のパン屋が変わったとか、ホームの鳩が増えたとか。


 ある朝、月島が聞いた。


「猫、飼ってますか?」


 唐突だった。木下は少し考えてから、飼っていると答えた。


「白い猫で、ハルという名前です」


 月島は何も言わなかった。ただ、遠ざかる電車の背を見ながら、小さくうなずいた。


---


 冬になった。


 月島は笑うとき、口元よりも先に目が動いた。何かを思い出す目だった。少しだけ遠くを見ていた。木下はそれが好きだった。


 春になった。


 月島は桜の散るホームに立って、「きれいですね」と言った。木下もそう思った。その朝、家を出るとき、ハルが玄関までついてきて、じっと木下を見ていた。


 夏になった。


 ある朝、木下は言った。


「これからも、ずっとここで会いたい」


 月島は少し黙って、それからゆっくりうなずいた。


「私も」


---


 十一月のある朝、月島は電車を見送りながら言った。


「十五年前——ここで、終わったのかもしれない」


 木下は何も言えなかった。


「あなたが来てくれてたから。ハルが——」


 風が吹いた。月島の髪が揺れた。


「今日、あなたが——」


 それだけだった。


 木下は、気づいていたのかもしれない。


 ずっと乗らずに電車を見送る人が、なぜ雨の日でも濡れていないのかを。なぜ十五年間、一度も欠かさずそこにいたのかを。なぜ、あの朝ハルの名前を聞いたのかを。


 けれど、なぜ木下だったのかは、わからないままだった。


「行かないでほしい」


 月島は首を横に振った。笑うとき、口元よりも先に目が動いた。


「ハルのそばにいてあげて」


 電車が来た。


 七時十二分。


 月島は何も言わなかった。ただそこに立っていた。風が吹いて、ホームに朝の光が差してきた。


 木下は一歩、踏み出した。足が少し重かった。ドアの前で一瞬止まって、手を上げかけた。


 乗った。


 首が、少し動いた。それだけだった。


 振り返らなかった。


 電車が動き出した。窓の外に、ホームが流れていった。


 何も起きなかった。


 その日の夜、台所で湯を沸かしているとき、突然手が止まった。ハルが足元に来て、一度だけ鳴いた。木下はしゃがんで、しばらくそこにいた。


 次の朝、ホームの端に誰かがいるような気がした。木下はしばらくそこを見ていた。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


この作品は、毎日見かけるけれど名前も知らない誰かや、いつの間にか日常の一部になっている存在について考えながら書きました。


別れは突然訪れますが、その人と過ごした時間や記憶は、その後の日々の中にも残り続けるのかもしれません。


少しでも作品の余韻を感じていただけたなら嬉しいです。


ご感想や評価をいただけましたら、今後の励みになります。

ありがとうございました。

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