第85談 旧青梅街道 タクシードライバー奇談(後編)
今回の話は、私の職場の取引先の知人である早瀬好美さん(仮名40代)から聞いたタクシードライバーの怪奇体験談の続きとなります。
前回の話の詳細については「第84談 旧青梅街道 タクシードライバー奇談(前編)」をご参照ください。
彼女が知っている奇怪な体験談のもう一人の持ち主である運転手の武笠さん(仮名 年齢不明)が、〝それ〟を見たのは、昼間だったといいます。
とある日の午後二時過ぎ。
彼は、昼食を終えて旧青梅街道を流していましたが、急に瞼が重くなりました。
無理に運転して交通事故を起こす事を避けるため(ちょっとだけ休もう)と、判断した彼は道端に車を寄せました。
外は蝉の声が遠くで響き、陽炎のような熱気がフロントガラスを揺らしていました。
エンジンを切り、シートを倒します。 眠気に誘われ、意識を失う直前、微かな香水の匂いが、彼の鼻をくすぐりました。
(あれ?車に〝誰か〟乗せてたっけ……?)
そう思い、目を開けようとしましたが、体が動きません。
呼吸だけが浅く速くなります。 耳の奥で、誰かの話し声のような音が微かに響きます。
後部座席から、人の気配がします。 「……そこで、降りますから」 そんな言葉が、彼の耳に、はっきりと聞こえました。
全身に寒気を感じた武笠さんは、全力で体を動かそうとした結果、鉛のように重かった体が、動くようになったそうです。
慌てて、振り返った瞬間、後部座席の端に白い布のようなものが見えました。
それが、‶防災頭巾を被った老婆〟だと気づいたのは、それから数秒後のことでした。
……気がつくと、外から車の窓を叩く音がしていました。
彼が目を向けると警察官が外に立っており、「こんな所で寝てちゃ邪魔ですよ」と言ってました。
武笠さんは、改めて後部座席を見ました。
――けれど、そこには誰もいません。
「お、いや、今、後ろに……」
そこまで言いかけて、彼の言葉は喉で止まりました。
何故ならば、警察官の胸ポケットから、古びた防災頭巾の端が覗いていたからです!!
その事実を伝えることすら怖かった武笠さんは「すぐ移動します!」とだけ言い残し、その場を発進しました。
バックミラーには、あの警察官がずっと立ち尽くしている姿が映っていたのです……。
早瀬さんは、語り終えると小さく息を吐きました。
「……旧青梅街道って、昼も夜も、乗せちゃいけない‶誰か〟がいるような気がしてならないんですよ」
私が思うに、タクシードライバーという仕事は、人を「運ぶ」だけでなく、時に‶何か〟を一緒に運んでしまうのかもしれないということです。
ドライバーは深夜や早朝など、他人の生活圏が眠っている時間に働いてます。
そのため、彼らが見る風景は、私たちが知っている日常とは少し違う層にあるのではないでしょうか?
それは、街の裏面――‶この世‶と‶あの世〟の境界線を走る仕事なのかもしれません。
旧青梅街道は、かつて多くの人や物が往来した道でした。 宿場町の名残りが点々と残り、戦時中には疎開や集団移動にも使われたという話も聞いたことがあります。
その道を、今も人々が行き交う。
だが、遥か昔に、かつてそこを通った‶誰か〟も、まだ旅を続けているのではないでしょうか?
早瀬さんの話の中に出てきたAさんやBさんが見たものが、仮に幻覚や記憶の錯誤だとしても、どうして同じ場所で、死者と思われる「乗客の記憶」が語り継がれているのか?
それは、単なる偶然よりも、“土地が語らせている”ような気がします。
タクシーという密室空間の中で交わされる僅かな言葉。
ドアが閉まり、メーターが動き出した瞬間――その内部は、我々が生活する現実空間と同一であるとは限らないのです。
旧青梅街道。 あの道では今夜も、誰かが手を上げているのかもしれません。 運転手にしか見えない“乗客”として。




